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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「くまもとお大師廻り」順路-3

2022-01-06 10:19:54 | 熊本

                      「くまもとお大師廻り」順路-3      福田晴男氏の同著より引用

45-立町を行ケば大くわん(大願)成就院  立町赤鳥居-成就院覚勝寺の神明社「立田大神宮」の赤鳥居
46-昼上りする慈光院           ?          
47-気はもだえても(泰然自若の)泰陽寺
48-茣蓙打町の法(峰)雲院
47-かつてとまハれハ大師堂        ?
48-布屋の裏の東岸寺           廃寺
49-流長院はあともどり
50-誠こなたが常(静)国寺        ?        
51-壽正寺町の壽正寺と          廃寺
52-ならふ命ハ専念寺           ?
53-観音坂の観音寺            補陀洛寺観音堂・廃寺
54-人に相きよふ(愛嬌)愛染院
55-極楽浄土西方寺
56-雲晴庵や岩立の                                            岩立運清観音(前・宗嚴寺‐新坪井に移る)
57-極楽に往生院
58-鳥居立チたる観世音          池田八幡宮に観音堂あり
59-鳶尾(とびのお=富尾)の観音堂    熊本市西区池田3丁目43-7 
60-爰は殺生法生寺            熊本市西区池田4丁目25-17
61-最早鎌尾の常福寺           廃寺
62-又くだりたる岳泰院          ?
63-程無見ゆる山王社           日枝神社
64-誠定まる本妙寺
65-是ぞいつミ(泉)の威徳院       廃寺
66-ひよふし(拍子)岳林寺
67-月宮哉ト申所は石神社         石上八幡宮

     参考:肥後熊本西国三十三ヶ所観音霊場

 

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■川田順著・細川幽齋「歌仙幽齋」 選評(二十六)

2022-01-06 07:15:55 | 先祖附

      「歌仙幽齋」 選評(二十六)

                    ひとつやなぎ
いと毛なき具足をかけて鐵炮の玉にもぬける一柳か

 東國陣道之記。天正十八年、五十七歳。此年二月廿九日尾州熱田居陣より筆を起
し、五月廿七日の夜まで誌す。箱根山中にて細川勢の一柳某が戰死したるを、丹後田
邊の一如院といふ僧傳聞し、

 あはれなり一つ柳のめも春にもえ出でにける野べの煙は

と弔問して來たのに對し、返歌。緑の絲の抜けたやうな粗末な鎧を著てゐたので、鐵
炮玉に打貫かれた一柳かよと誹諧歌にしたのであるが、古今集巻十一、遍昭、

 淺みどり絲よりかけて白露を玉にもぬける春の柳か

を本歌に取ったのだ。なか/\よく出來てゐる。〇初句「いと毛なき」「はいとけな
き」すなはち稚き、若さ、の意をも持ち、一柳が若武者なりしことを想はせる

             にらやま    すりこぎ
・ひかせえずもみおとすべき韮山は手を摺古木の音のみぞする

 東國陣道之記。小田原の支城韮山の險は勇將北条氏規が死守したので、容易に落ち
ない。この噂を聞いた一如院が、又、幽齋宛てて、

 山の名のにらみあひたる攻め衆よにんにく慈悲に引かせてもたべ

と辛辣に揶揄して來たので、又返歌、城兵を引き退かせることも出來ず、否が應でも
揉みおとさねばならぬ韮山には、實のところ我等も手古摺つてゐるのでござる、と正
に云つたのだ。もみおとす、手を摺古木、共に韮山の韮に因んだ縁語。幽齋、機智
諧謔にも富んでいる。
嚴格の武將なりし幽齋が、一面諧謔に富んでゐたことに就いて、非常に愉快な逸話が
戴恩記に記されてゐる。左の如し。

 幽齋公は生得ものをかりそめにのたまう事も、一節ありてしほらしき大名也、ある
時、信長公、その方は何の年ぞと御たづねあれば、うへさまと同年と申さる。さては
午の年かと仰せられければ、午の年には候へども、かはりたる午にて侍ると申されけ
れば、何とかはりたりとはいふぞと仰せらる。上さまは金覆輪のくらおき馬、私は小
荷駄馬にて、常にせなかにおひ物たえずと申されければ、満座ゑつぼに入り侍りき。

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