津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■・・・づくし

2022-01-14 08:20:51 | 書籍・読書

                                                       

 一昨日はAmazonから「小笠原玄也と加賀山隼人の殉教」、昨日は著者ご本人から自家版の「細川興秋の真実」が届いた。
それぞれ、宮崎在住のクリスチャンにして声楽家であり、作家でもあられる高田重孝氏の著作である。
一昨日・昨日と何やかや多忙な中、「高田氏著作づくし」で、引きよせられるようにまずは斜め読みをした。
それぞれいささかの予備知識は持ち合わせていたが、その隙間をすっかりパテで埋め尽くされたという感じである。
私はいつも思うことだが、これらのことが大学などの研究者に等によってもたらされると、これは新聞紙上などでも大騒ぎになる。
例えば「細川興秋の真実」で紹介されている、元和七年に死んだ(元和元年切腹)したはずの興秋に対しての、弟の細川忠利からの書状なども、熊本県立美術館から見出されたのに、騒がれた気配はなかったように思う。あったとすれば、私の大いなる勘違いと大いなる怠慢の故である。

 そしてこの事は、天草に営々として明治まで(いや、現在まで)続いた興秋の足跡につながる事になる。
つくづく歴史というものは過去のものではなく、進化して真実がもたらされ未来につながっていることを実感する。
私たち民間の歴史好きが集まると、よく「在野の」と言ったりするが、このようなスゴイ著作を拝見するに及んでは、歴史研究者の方々のコメントを頂戴したいところである。
そんな方々にも「どうぞお読みください」と申し上げたい。学者先生方は、「聞く耳」をお持ちになる事も必要だろう。
そうすると、歴史が身近で楽しいものになると思うのだが、如何だろうか。

コメント (1)
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