津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

北関事件

2009-11-09 13:16:42 | 歴史
  「寛文元年以来御追放御暇知行被召上候面々之覚」というものの中に次の三名の名前が見える。

● 前川勘右衛門  三百石 延宝元年七月二十日 御暇

○ 藤田助之進 有吉頼母允組 五百石 (寛文四年六月・御侍帳)
             五百石 延宝元年七月十九日 御暇被遣候 

○ 沢 与次兵衛   三百石 延宝元年八月二十一日 御暇

 「延宝元年癸丑七月廿三日、於筑後北の関、肥後の士前川勘右衛門と藤田助之進同嫡子縫殿之進意趣有て及闘争、前川勘右衛門従兄十左衛門助力して藤田父子を討取」ったという、北の関事件に関する処分である。
同事件については、北関始末記、北関物語、北関聞書、北関秘録など詳しい報告書が残されていて、その詳細を知ることができる。

 藤田助之進の娘と三渕家一族の前川勘右衛門の結婚話が、三渕家一族の反対で頓挫したことに対し、藤田側がいろいろ申し立てた事に三渕家側が気色をなし、事件が起っていく。
先ずは前川勘右衛門が御暇を願い出、相手方藤田家も御暇となる。私闘の形をとりたいとする山名(三渕)十左衛門の策略だとされる。ところが上の「覚」を見ると、藤田家が十九日、前川家が二十日となっており、藩庁の作為が伺える。沢与次兵衛は藤田の娘婿だが、当日家来を派遣したということで処分を受けるのだが、上記「覚」では事件前の処分となっている。

 他国領で鉄炮を打ち放しての大騒動にしては、なんとなく穏便に事が終息しているのは、山名十右衛門を取り巻く長岡佐渡、津川次郎左衛門、藤崎作右衛門、細川修理、長岡興知など早々たる縁戚の顔ぶれをみると、納得させられる。

 島田真祐氏(島田美術館館長)が上梓された作品「身は修羅の野に」に、この事件が引用されている。平成九年熊日文学賞を受賞された。
私はといえば「北関始末實記」全文をご紹介しようと、現在タイピングの真っ最中である。


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青龍寺以来

2009-11-09 09:59:00 | 歴史
 細川家の根本家臣に「青龍寺以来」という家々がある。サイトでご紹介しているが、お問い合わせを戴いたので、若干の解説を入れて、ここに再掲する。(丹後以来については別途ご紹介する)

  ■沼田勘解由  嫡流  五千石  
           細川幽齋室・麝香の実家である。
      十之進   四代延将弟延春流  五百石
      治部之允    同上  延晃流  五百石

  ■志水才七郎    三拾人扶持
         天正元年八月、藤孝桂川西地一職仰せ付けにより
         志水雅楽之助に領地安堵の証書を出す。
          
      次郎右衛門  千三百石
      平大夫       三百石
      源太        三百石
      式右衛門    拾人扶持
  ■牧 佐学      千石
      新五左衛門   三百石
      猪之介      三百石
      市左衛門     四百石
  ■山本丹左衛門  千五百石
  ■石寺加兵衛     五百石
  ■一宮源四郎     二百石
      吉右衛門    百五十石
      膳大夫      二百石
      彦左衛門    五人扶持
  ■米田左兵衛 与左衛門子左兵衛流  五百石
         元亀二年、米田求政の後妻(北畠教正女)は勝龍寺
         城で男子出生。初名藤十郎、後与左衛門貞正。
         忠利代家老、後知行召上。
      傳兵衛 与左衛門子甚左衛門流  二百石
           家老米田家二代是政弟是門(藤十郎・与左衛門貞正)流
  ■河喜多専右衛門  百五十石
      五郎大夫    六百石
      作左衛門    二百石
      権兵衛      二百石
      角左衛門    二百石
           ガラシャ夫人に殉死した河喜多少斎の子孫五家
  ■的場又左衛門    二百石
      勘七    二百石
  ■魚住左一右衛門   三百石
  ■中村三右衛門   二百石
      兵助    二百石
           細川忠興の乳母(中村新助妻)の家筋
  ■生源寺市兵衛  二百石
  ■神足勘右衛門 神足角左衛門流  百五十石
           天正元年信長の坂本攻めに当たり、神足掃部が地下
           人と共に勝龍寺城に入城
      又兵衛 神足又兵衛流  二百石
      浅右衛門 神足八郎右衛門流  八人扶持
  ■磯田吉左衛門  二百石
  ■友岡軍治  二百石
  ■八木田政之助  二百石
      三蔵  二百石
      団七  二百石
  ■杉 十郎右衛門  五人扶持
      形右衛門  百石
  ■沢村三右衛門  二百五十石
      甚兵衛  二百石
      平治  百五十石
  ■樹下団之丞  三百石
  ■神戸弥太蔵  二百石
  ■可児文右衛門  二百石
      才右衛門  百五十石
  ■内藤宗的  百石 (御医師)
  ■岡本権之允  八人扶持
      源介  八人扶持二十石
  ■宮部市左衛門  百五十石
      角兵衛  二百石
      久右衛門  百五十石
  ■西川郷右衛門  五人扶持二十石
  ■坂根少九郎  七拾石
  ■粟津嘉治郎  百石
      権兵衛  五人扶持二十石

     以上五十九人
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