津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

殿様逆上

2008-10-29 23:59:18 | 歴史
 寛永五年三月九日~「日帳」より

山岡書鑑 御機嫌をそこなひ申、事外御たヽき被成候、左候て、人しちへやへ被成御入候事
    何だかいやな雰囲気ですねー。「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉がありますが、・・・変な関係という事はないでしょうね
書鑑自分銀子弐百九十四匁弐分有之を、しちへや二おかせられ候間ハ、此銀子にて賄可申付旨、御意之由にて、土佐新太郎・吉山龍介被持出、御銀奉行へ被渡候事
    殿様もルール破りの私怨になって来たようです。

三月十五日:しちへや御番申候ハ、山岡書鑑儀、さい無之二付、めしをたべかね申由申候付、(浦上)せ兵衛・伝右衛門所へ、何ニても肴をさい壱つ宛ほと、下台所衆へ渡可被申由、きりかミ遣候事
    食事は自分で賄えと言っておきながら、おかずの一つもないとは如何したものでしょうかね。

七月八日:書鑑煩申二付、竹田了由被遣候、脉を取被申候か、余りさしたる煩二てハ無御座由、了由被申候、併昨日より今日迄めしをたべ不申由候とて、薬三腹遣被申候、御遣番岡嶋市兵衛ニ持せ、しちへやへ遣候事
    もう四ヶ月経過しました。何の罪なのでしょうか。分かりませんねー。
    そしてその後の書鑑の消息が知れません。無事であることを祈るばかりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気になる史料所在「弐拾七番之櫃」

2008-10-29 11:33:44 | memo
■進士牛之助と申者之儀に付而平野弥次右衛門差上候書付二通

   この牛之助なる人物は、明智光秀の旧家臣、田邊城籠城衆の一人進士作左衛門の子である。
    www.ksbookshelf.com/HJ/Honnoujinohen09.html
 
 沼田光兼---+--清信・・・・・・・・・・・→細川家家臣・沼田氏
         |
         | 細川幽齋
         |    ∥---忠興
         +----麝香
         |
         | 進士美作守国秀
         |    ∥---作左衛門---牛之助
         +-----●

   この牛之助の消息を知りえる書状ではないかと興味深い。

■細川形(刑)部殿書物色々壱包十四通
■沢村大学牢人被仰付置候内道家左近右衛門方迄之状壱包
   大学は寛永二年お暇、三年九月に帰参しているが、細川小倉藩も「日帳」は
   ちょうど其の時期が欠落していて、其の詳細を伺い知れない。
   この書状がその原因などを明かしてくれないものか。
2007年11月22日ブログ『沢村大学介吉重のこと』を、参照されたい。


   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする