津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

御国巡見使

2008-10-19 10:36:11 | 歴史
 磯田道史氏の「殿様の通信簿」は、あちこちの殿様のスキャンダラスな話を俎上にしている。
【名君の誉れ高い水戸の黄門様は、じつは悪所通いをしていたと記され、あの赤穂事件の浅野内匠頭は、女色に耽るひきこもりで、事件前から家を滅ぼすと予言されていた。各種の史料も併用しながら、従来の評価を一変させる大名たちの生々しすぎる姿を史学界の俊秀が活写する歴史エッセイの傑作。 徳川光圀-ひそかに悪所に通い、酒宴遊興甚だし浅野内匠頭と大石内蔵助-長矩、女色を好むこと切なり池田綱政-曹源公の子、七十人おわせし前田利家-信長、利家をお犬と申候前田利常其之壱-家康曰く、其方、何としても殺さん前田利常其之弐-百万石に毒を飼う 】

 これは「土芥寇讎記」という史料を元にしているというから、真実に近いものなのだろう。実は昨日我がご先祖が「御国巡見使」のお相手を勤めたことを書いた。
「新・熊本の歴史5--近世・下」に元熊本大学教授・松本寿三郎先生の、「肥後を訪れた人々」という一文に「御国巡見使」の事が一部紹介されている。そして巡見使とは別に公儀隠密が入り、その調査報告が先の「土芥寇讎記」に反映されているとされる。
その内容は大変辛らつで一部を引用すると次のようにある。
 ■家士ハ奢リテ過美ヲ好ム故ニ、内証衰ウ。諸士武芸ヲ好ミ、風俗ヨシ、去レドモ文学ハ励ム者ナシ。故ニ文盲不才ニ見ユル人多シ
但し、藩公綱利公は磯田道史氏に取り上げられるような事柄も見えず、「生得悠然トシテ智恵有」と表されている。
コメント
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