富士山が世界遺産登録の見通しとなったという。
ゴミの問題、登山客のマナー、崩落や落石の危険性
等々、大丈夫なのだろうか。
それらが地元の人や自治体、ボランティアの人たち
の地道な努力によって、少しでも改善された結果だ
としたら、こんなめでたいことはない。
心配されるのは、これによって登山客がどっと増え
ること。
日本中、いや世界からも注目されることによって、
富士山本来の姿が俗化されるのではないかという
ことである。
富士山は古来から信仰の対象であり、霊峰として
あがめられ、長い間、畏怖の対象でもあった。
葛飾北斎の浮世絵と富士山とは切っても切れない
関係にあり、一方で庶民派にとっては、銭湯のタ
イル画としても欠かせない。
現代でいうなら東海道新幹線であろう。
新幹線の切符を買うときには無意識に富士山の見え
る側をえらび、運よくあのお姿を見た日にはすっき
りして、ラッキー!と思ったものだ。
個人的には富士山は登るよりは、遠くでながめる方
が好きなのだが、
何といっても太宰治の
「富士には、月見草がよく似合ふ」
が印象的である。
太宰はこう続けている。
「ねるまへに、部屋のカーテンをそっとあけて硝子(ガ
ラス)窓越しに富士を見る。月の在る夜は富士は白く、
水の精みたいな姿で立っている。
ああ、富士が見える。星が大きい」
(太宰治著『富嶽百景』より)
※ 写真は昨日、七里ガ浜から見た富士山
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