一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

ほととぎす声待つほどは

2013-08-03 07:44:40 | 読書


    紫式部には夏が好きだったという記述はない。
    「夏」の季語で、こんな和歌があるだけです。

      ほととぎす声待つほどは片岡の
          杜のしづくに立ちや濡れまし
                   (新古今191)

    上賀茂神社に参詣した折、時鳥(ホトトギス)が鳴
    くだろうといった曙、片岡の梢が(朝露に濡れて)
    面白く見えたので興に乗って詠んだ歌だそうです。

    さしずめ、
    時鳥の声を待っている間は、片岡の森の梢の下に
    立って朝露の雫に濡れていようか、といったところ
    でしょうか。

    平安女性らしい気品のある和歌といえばそれまだが、
    この教科書に出てくるような行儀よさは、
    現代の感覚からしたら、まどろっこしい。
    清少納言のように物事をスパッスパッといい切って、
    しかもリズム感がある方が心地よいと思う人は多い
    でしょう。

    しかし、だからこそ紫式部は冗長とした『源氏物語』
    を書いたともいえるのだ。
    『源氏物語』は400字詰め原稿用紙にして2400枚
    にもなる超大河小説で、登場人物は述べ500人に
    もなる。

    そもそも『源氏物語』はどうしてできたのか。

    時の御堂関白・藤原道長は娘の彰子を一条天皇に嫁が
    せることに成功はしたが、天皇が皇后の定子のところ
    にばかり入りびたっているのに、やきもきしていた。
    (第二夫人の彰子は中宮という存在)

    ある日、物を書く女性がいると聞いて、馳せ参ずる。
    それが紫式部で、式部は夫に死なれて実家に舞いもど
    って実父と暮らしていた。
    今でいう、引きこもりだったのです。

    つまり、紫式部を見出して引っ張り出したのが道長
    だったというわけ。
    道長は、夜な夜なくどいて『源氏物語』を書かせた
    といわれています。

    道長は当代きってのモテ男でしたし、数限りない浮名
    も流しています。
    式部にこれでもか、これでもかというほど、様々な
    艶話を聞かせたに相違ありません。

    道長と式部は男女の関係にあったという人もいますが、
    確かな史実はない。
    でも、どうでしょう。
    あれほどの艶話をするには、それなりの関係があった
    と思っても不思議ではないのです。

    それはともかく、道長はひらめいたでしょう。
    一方の定子皇后のサロンには清少納言という筆の立つ
    女房がいるらしい。
    ここは一つ、紫式部に『源氏物語』を書かせて、一条
    天皇の目をこちらに向けさせよう!!

    現に、紫式部が物語を一つ書きあげるとすぐ、女房
    たちの手によって書き写されて、
    (当時はコピー機なんてありませんから)
    一条天皇の目にも入って、天皇が褒めたたえたという
    史実があります。

    もちろんその間、道長は式部に真っ白な紙も贈りとど
    けています。当時は、上等な紙は中国から到来したも
    のしかなく、非常に貴重なものでした。

    やがて、彰子にも男の子が生まれ、道長は有頂天に
    なったことはいうまでもありません。

    こうして真夏の夜の夢のような話は尽きません。


    ※ 映像はいつか訪れた京都の廬山寺の「紫式部邸址」
      手元にあった絵ハガキより。
    
    
    
    

    
    

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