高市早苗氏が総務大臣の時に、テレビ局が政府批判を繰り返しているとする安倍晋三氏の意向に従い、特定の放送局を停波する可能性を国会で答弁した。その発言があった頃からテレビ局は、報道機関としての批判精神を失っていった。
同時に自民党から、企業にCMを止めるように圧力をかけていた。偏向報道など、CMを出さないといってテレビ局に圧力をかけさせた。NHKには安倍内閣の人事操作により、右翼的な人物を会長職に就けて、番組の担当が変わった。
どのテレビ局もまともな批判精神を失った。テレビ報道に不可欠な批判精神がなくなることで、自民党一党支配が確立されたのだろう。そして日本人全体がは批判精神という活力を失い、台湾や韓国に経済で追い抜かれる、停滞国家になったと考えて良い。
日本人は牙を抜かれて戦わなくなった。総評の会長の吉野氏は自民党支持者になったようだ。ストライキなど考えられないだろう。賃金は上がらなくなった。それでも労働組合の不安は聞かない。牙がない組合だから、無事が一番と考えているのかもしれない。
この状況にいたっても、テレビ報道は相変わらず忖度報道に終始している。その結果いつの間にかテレビというものを見ないように成った。見たいような番組もないし、見る必要が無いからである。特に報道番組というものはまったく見ない。
久しぶりにテレビで見たのはWBCぐらいだ。野球が久しぶりにおもしろいと思った。大谷のホームランで疲れが取れた。相撲も今やっているが、これも見ていない。みたい取り組みをユーチューブでみる。そうだ朝の連続小説はご飯を食べながら見ていた。
高市氏がテレビ局に圧力をかけていたのは、明らかな事実だ。何を今更国会で「捏造」などと叫んだのかである。高市氏には捏造であると確信できる事実があったのだろう。おそらく文章には改ざんがあるのだ。しかし、当時の総務大臣として、その当たりを表明することが出来ないのだろう。
総務大臣に対して総務省の官僚が腹を立てていたのだ。まだ増しな官僚がいるということだろう。いつか高市氏が総理大臣を狙う頃に使ってやろうと考えて作られている。ただ、その内容は高市氏を頼とんでもない人間に読めるように創作されたのではないだろうか。
本来の高市氏であれば、偏向テレビ局など、何度でも潰してやると言うところだろう。問題はこの文章が総務省から出たところである。総務省も公文章である事を認めている。それがどういうルートで出されたのかも、すでに高市氏は気付いているはずだ。
さすがに官僚の中に高市氏の報道への圧力に腹が据えかねた人間がいるのだ。安倍氏の後ろ盾を失い、様々なところに膿が吹き出している。五輪汚職や統一教会問題。トライベイ・キャピタル社の三浦清志容疑者の問題。秋本真利外務大臣補佐官の献金問題 。
不思議なのは高市氏が「捏造」と叫んでしまったところである。たぶんこの総務官僚から出た文章には改ざんがあるのだろう。改ざんが分かるから捏造とした。この場合の答弁は高市氏は偏向しているテレビ局には問題がある。という持論を主張した方がまだ良かったのではないだろうか。
自民党の中の勢力争いが起きているのだろう。安倍派にはいまだに後継者が居ない。アベ派を統一する後継者が現われず、分裂が起こるのだろうとされていたが、安倍氏不在のまま派閥は継続されている。継続されながら離脱者も出ないまま8ヶ月である。
最大派閥を集団態勢で維持することが、岸田氏への圧力にもなると考えているのだろう。安倍派自体が思想集団ではない。強い者にしがみついて居ればそんがないという人達のはずだ。アベ記念幼稚園は国会にあったのだ。アベチルドレンと呼ばれている。
奈良県知事選は二階俊博元幹事長に近いとされる現職と、県連会長の高市早苗氏に近い新人のどちらを支援するかで、県連内が二分しているらしい。この辺りの事情からすると、二階氏の捏造文章画策事件の背景にいる可能性を感じる。
また岸田氏アベ派の意向を忖度している。そもそも総理大臣になれば、派閥の長は降りるのが慣例であるが、岸田氏は派閥の長のままである。高市氏の追求は次の総理候補という立場から下ろす事が出れば良いと言うことなのだろう。稲田朋美氏も同じであった。
あのトンデモ差別議員の杉田氏も同様である。右翼の支持を得て議員活動をしている女性議員は、持ち上げられている内に制御不能になったら、何かの場面で足をすくわれることになる。いい加減にしないとこういうことになるという見せしめのようなものかも知れない。見えない怖い力を感じるところである。
日本の政治がいかに古くさい形で動いているのだろうかと思う。政策の違いなどではなく、利害関係だけで動いている。報道の偏向を問題にするのであれば、堂々とそのことを議論すべきである。それを人事やCMの圧力で変えてしまうところが社会の公正の足をすくうやり方だ。
しかし、日本ではそういうやり方の方が、社会を動かしているのだ。石垣島の自衛隊誘致の中山市長もまるで同じ手法だ。ともかく土木工事は金になると説得したのだろう。自衛隊が出来た場所にも元々ゴルフ場があったのは、宮古島と同じだ。宮古島ではそのことで市長が逮捕された。石垣では逮捕はされていない。
政治家がまともな議論を出来ないのだ。議論が出来るのであれば、きちっと自衛隊基地の必要性を議論すれば良いだけのことだろう。その上で住民投票をやればいいではないか。中国の脅威論など大いに語れば良いだろう。安倍晋三だってきてくれたかも知れない。
国会が議論の場に少しも成っていない。学術会議メンバー問題も結局は学術会議そのものを変貌させようということだったわけだ。それならば学術会議そのものの意味を問えば良いはずだ。それを人事で始めるという手法が最低である。スガ氏の不愉快さは今も続いている。
こうした姑息な手段がいかにも自民党の政治手法を感じさせる。政治は政策が議論され、決められて行くように変わらなければならない。国会で政府が提案し、それを野党が批判する。そのやりとりを見て国民は次の選挙行動を決める。それが健全なことではないか。
その意味で、テレビ局は批判的な視線を持ち続ける必要がある。政府の希望する情報を垂れ流すのでは、報道とはいえない。中国のような報道規制は論外だが、日本のように自由な報道に見せかけた、政府を忖度する報道では、国民を洗脳することになるのだからさらに問題が大きい。