書初めは1月2日にやる習わしである。この日から学問を始めるということだと教えられた。新年の絵の描き初めの方は意識したことはない。暮れも正月も関係なく絵は描きたい気持ちになれば描いて居る。せめての正月の儀式ということで、字の方の書初めは毎年改まった気持ちで行っている。書初めの行事は字が上達するためと余計なことを言うようになったが、本来は文字というものにある力によって邪気を払い、その年の平安を祈るということだ。石垣では道々の角に「石敢當」と書かれたものがおかれている。文字による魔除けである。正月といっても特別のことがない暮らしぶりだが。あえて書初めだけは意識して儀式的に毎年行うようにしてきた。「立春大吉」と書く。石垣だから、「一陽来復」かなとも思うのだが、こちらはどうしても冬至という気分だ。それに書きたい字ではない。立春大吉が良いのは左右対称に近いからだ。それで考えたのが「水土人天」。どうだろうか。自然も人間も宇宙から生まれたものとしてここにある。位置を示すことで人が守られる。というような気持ちで。
正月に関しては笹村の家はかなり厳格であった。黒川の家はお寺なので、儀式的に執り行われていた。そういえば正月はほとんど山梨の黒川家で行ったわけで、笹村の家での記憶はいつのことなのだろうか。確かに家族全員が正装をして、挨拶をした。それから神棚や仏壇にお参りをした。お屠蘇を飲んで、父親の言葉を聞いた記憶がある。おばあさんはいなかったが、静雄おじさんはいた。おばあさんが死んでから、おじさんが宇都宮に行く間のこととなる。東京の正月が珍しかったので、記憶に残ったのだろう。食事の後、百人一首を始めた。父親は百人一首を読むのを得意としていた。長く伸ばす読み方を確立したのは、笹村のおじいさんが歌会始で行ったことが起源だと話してくれた。昔は東京の正月にも、しきたりがあった。そして2日には書初めである。
紙に書くということより、このところ布に描く。絹の反物をたくさん持っているのでそこに描く。布に書く気分がなかなか良いものだ。字を白い布に描いてゆく心地よい集中は良いものだ。気分が晴れ晴れとしてきて、一新する。これぞ書初めという気分になる。字を書くときは何も考えられない。毎年書く、立春大吉という字すら、見ないと書けない状態になる。わきに、鉛筆で書いておいておく。そうしないと春という字の横棒が一本足りなかったり、多かったりする。たぶん絵を描くときの頭に入り込んでしまうのだろう。絵は描くときには意味が失われている。木を描くのに木だと思って描いて居るわけではない。この辺に線がいるという以外考えていない。緑が必要なので葉がある。なぜか日という字が目になっていたりする。何とか口の中に横棒を入れなければということで、二本の方がいいというように頭が働いていしまう。別段没頭しているというほどではないのに、不思議なことになる。
そういえば、石垣の家には神棚がない。小田原の家に移った時には、愛卵土筆神というものを祭った。養鶏、畑、絵の神様つもりであった。使い古した筆には魂が宿っているに違いないと思ってしたことだ。今でも、稲穂で作った筆が祀られている。石垣では筆神様だけで良いのだろう。筆神様というのは、使えなくなった筆を祭る神様である。私の考えたことではなく昔からの言われがある。筆はさすがに捨てがたい。ものを大切にしない方ではあるが、さすがに筆だけは違う。使い切った筆をお祭りして、感謝の思いを込めて筆神様だけは祭らなければならない。絵を描く人間であれば、当たり前のことだ。書初めは筆神様にすることにした。小田原では愛を入れたが、今回は入れない。筆に愛着があるのは当たり前すぎる。愛を書く方がわざとらしい。新しい硯を使うことにする。布は大島紬の白布。於元岳の滝にある、於元神の湧水を汲んでくる。筆も新しいものを下すことにしよう。描き終わったら、ここに掲載する。