水彩人展では毎年新しい人が作品を出してくれる。これは公募展をやってよかったと思うところだ。絵は一人で描けるとは考えていない。よい仲間がいなければ道を間違うことになる。絵をやっている人はそれぞれに道を探している。
今の時代ネットで水彩人を見つける人もいる。私の日曜展示を見てくれる人もいる。実は直接誰かが読んでくているという意識はあまりない。ブログは自分ために書いているだけだからだ。日曜に絵を展示するのも日々の一枚を実践する自分のためだ。
スマートウオッチをして絵を描いている。いつもしているので意識しているわけではないのだが、絵を描いているときに心拍数は40台になっている。どういうことかわからないが、寝ているときよりも少なくなっている。
絵をかくときにはただ絵の前にいて、反応しているだけにしている。身体が自由に動くようにしている。どうしようとか、どうなるとかいうことは、アトリエで絵を並べてあるときに考えている。身体に従う絵の描き方をしたいと考えている。あれこれ描いてみては、今目の前にある絵が立ち上がるのを待っている感じだ。
今回水彩人でみんなが話してくれたことはよく覚えている。それを絵を見ながら反芻することだろう。少しでもそれが生かせるといいと思っている。来年の絵がいくらかでも前進できるように頑張るつもりだ。
技術主義と表現主義があるというのが、今回の水彩人の感想になるようだ。そこからくる私は瞑想主義のようだ。自分の絵に自分で責任が持てないような不思議な感じだ。なぜそう描いたのかが自分でもよくわかっていない。自分の自然に感じている気持ちまで絵が行けばと思う。
初出品の方の絵の批評文を書こうとして、その前置きが長くなった。長くなったのはブログに人の絵の批評を書く重さを感じて、言いよどんで、言い訳をしている訳だ。
水彩人展初出品の作品評
- 伊佐治和子「外は夕焼け」
色がとても良い。水彩画の作者の描法を確立している。色の濃度の濃いものを描いた部分の表現がとても良い。背景の薄い表現も魅力的だ。ものと空間の通い合いがあればさらにいいと思うのだが。果たしてそれほど単純なことでもないのかもしれない。
外は夕焼けという題名からして、もう少し違うことを語ろうとしているはずだ。それが何なのかは見えなかった。花と果物の位置関係も不思議だ。果物のほうの位置が高い。そこに何かがありそうだ。この水彩の魅力的な筆触に託されたものはかなり深い。
•小笠原直子「深呼吸」
自然を平明な視線でよく見ている。作者の目が澄んでいるのだとおもう。作者の心の透明さを感じる。朝の公園の静かな緊張まで伝わる。絵を表現するうえで作者は自分を消しているのかもしれない。この点が私とは違う。
つい自分がどう見るのかを問題にしてしまう訳だが、それは近代絵画の問題点かもしれない。日本の絵画には客観的に自然にどこまで対することができるのかということがあるのかもしれない。その観点からすると、公園の作られた自然を感じるというあたりが気になる。
- 金澤三枝「薫風」「湿風」
素晴らしい完成した絵だと思う。安定した力量のある絵画が表現になっている。世界観がある。その世界観の深さが人並みではない。作者の精神の深さまで感じられる。ただものではない。こういう人が水彩人に出してくれたことは深く感謝しなければならない。
この絵から学ぶ点がたくさんある。筆使いに込められた感情の表現。筆触に表れる情緒の深さ。水彩画だからできる色彩の微妙な深さ。またこの人の絵を見せてもらいたいと思う。水彩人でこの絵に出会えた喜びを感じた。
● 柴田協子「PEONY]
花や花瓶に表れている作者の視線が魅力的だ。特に花瓶の表現に自由に描く良さがある。花のおおらかさも気持ちよい筆使いからきている。果物も素直に描かれた伸びやかさがある。
この自由な表現で、空間をどう描けばいいかということになる。何もないところこそ、その人が何をしてもよい場所である。花や花瓶以上に自由な気持ちが反映できればいいのだろう。
- 大森桂子「飛翔」
海の表現と海越えの工場群の表現に作者の目が感じられる。構想として最初から考えられたのだろう白抜きの鳥が青い風景の中に美しい。白い鳥の白抜きの表現が難しい。どのくらい風家の中に鳥が溶け込めばいいのか。風景が果たしているのかどうかさえ問題になるのだろう。この点が少し消化されていないのかもしれない。
● 小島静江「パンと瓶たち」
安定感のあるとてもしっかりした絵だ。それぞれのものが、一つ一つ気持ちが込められ描かれている。光をよく見ている。光の表現が絵を生き生きしたものにしている。特にパンの表現は素晴らしい。
テーブルの表現が素晴らしい。静物画はテーブルの表現次第だと思う。しっかりした背景にもは魅力があるのだが、テーブルとの境が少し気になるかもしれない。
- 高見洋子「Memories in Seattle Ⅰ」「Memories in Seattle Ⅱ」
絵画を知っている人の絵だ。よい絵をたくさん見ている人なのだろう。完成の深さを感じる。伸びやかでこだわりの画面は、本物の絵になっている。絶妙な淡い色のバランス。白の表現に気持ちが通っている。心が感じられる。
● 高麗由美子「夕陽の町」
水の表現が特別によい。自分の水を描いている。ここまで水をよく見て描けるということは、絵を描く目で水を見ることができるという意味だろう。見すぎているくらい水を見ている。ここまで水を描けるのであれば、水だけの絵でもよかったのではないかと思えるほどだ。
すばらしい水を描いた眼で、画面全体を描くほうがよかった。なぜか舟、建物は自分の目で描いているというより、写しているように見えた。
心にしみてうれしく、励みになりました。
『一枚の繪』6.7月号で先生の絵を拝見して、ずっと「記憶の回路を通り抜けた世界を表現する絵だ」と思っていました。その時にブログも拝見し、素晴らしい生き方をしていらっしゃる方だと思いました。私はしかし蛇も水牛も怖くて、根性のないにんげんですが。ずっと会場にいらしたのですね。もっと都美術館に日参すればよかった。残念です。