アウシュビッツ 選別されてガス室へ向かう子どもたち。労働力にならないから。
東北部新聞に載せる原稿ですが、紹介させてください。今日、念仏九条の会の若槻昭雄さんと懇談しました。
非戦の鐘をつきつづけて
念仏九条の会 若槻昭雄さん 89才 (浄專寺住職)
「今の政権ではだめ、独裁的です。経済をよくするには戦争だと、そっちを向きました。学校教育も戦時中と同じになってきている」と切り出した若槻さん、静かにしかし熱っぽく語ります。
「相手を大事にしなければ大事にしてもらえません。昔の富国強兵と同じではありませんか。大企業ばかり大事にしている。『下町ロケット』を読んでいますが、どうして中小企業をいじめるか。外交と言えばお金をばらまくだけ、誰のお金でしょうか。今、貧困が増えて学校給食すら食べることができない子がいますね。せめて給食費くらい無料にすればいいんです」
非戦の鐘を始めたきっかけは?・・・・
「私が川西地区(旧長野市内)の責任者をしたとき、九条があるだけではだめだ。平和な国を作るには声を出さなくては、と話し合いました。お盆の8月15日、ちょうど戦争が終わった日に戦没者の追悼をし、お寺らしく平和への願いを込めて鐘をつこうとなりました。
私の父は、兵隊から帰って『中国では悪いことをしたな』と話していたらしい。戦中、拠出させられてなかった鐘を、帰る早々とても作りたがっていました。今考えると戦争への反省がそうさせたと思います。その父の気持ちも表したかった」と。
非戦の鐘は、全国でここが発祥の地、1961年に長野から鳴り響いたのです。
共産党で「国民連合政府」の提案をしているのですが・・・
戦争法廃止の一点での共同にうんうんとうなずきながら「とにかく、自民党以外の票を多く集めなければ」、そして長野市議会にも厳しい批判です。「なんですか、あれは。戦争法に賛成の意見書を通すとは!」本当にその通りです。
「下町ロケット」を読む柔軟な心に敬服しながら、最後に締めくくって下さった言葉にも感銘を受けました。
「照らされて生きる命 伝えよう生命(いのち)の尊さ」
中野さなえ 記