中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

非戦の鐘をつきつづけて

2015年12月03日 22時14分29秒 | 活動日誌

 

アウシュビッツ  選別されてガス室へ向かう子どもたち。労働力にならないから。

東北部新聞に載せる原稿ですが、紹介させてください。今日、念仏九条の会の若槻昭雄さんと懇談しました。

 

非戦の鐘をつきつづけて

 念仏九条の会  若槻昭雄さん 89才 (浄專寺住職)

 

 

「今の政権ではだめ、独裁的です。経済をよくするには戦争だと、そっちを向きました。学校教育も戦時中と同じになってきている」と切り出した若槻さん、静かにしかし熱っぽく語ります。

 

「相手を大事にしなければ大事にしてもらえません。昔の富国強兵と同じではありませんか。大企業ばかり大事にしている。『下町ロケット』を読んでいますが、どうして中小企業をいじめるか。外交と言えばお金をばらまくだけ、誰のお金でしょうか。今、貧困が増えて学校給食すら食べることができない子がいますね。せめて給食費くらい無料にすればいいんです」

 

 非戦の鐘を始めたきっかけは?・・・・

 

「私が川西地区(旧長野市内)の責任者をしたとき、九条があるだけではだめだ。平和な国を作るには声を出さなくては、と話し合いました。お盆の8月15日、ちょうど戦争が終わった日に戦没者の追悼をし、お寺らしく平和への願いを込めて鐘をつこうとなりました。

 

 私の父は、兵隊から帰って『中国では悪いことをしたな』と話していたらしい。戦中、拠出させられてなかった鐘を、帰る早々とても作りたがっていました。今考えると戦争への反省がそうさせたと思います。その父の気持ちも表したかった」と。

 

 非戦の鐘は、全国でここが発祥の地、1961年に長野から鳴り響いたのです。

 

 共産党で「国民連合政府」の提案をしているのですが・・・

 

 戦争法廃止の一点での共同にうんうんとうなずきながら「とにかく、自民党以外の票を多く集めなければ」、そして長野市議会にも厳しい批判です。「なんですか、あれは。戦争法に賛成の意見書を通すとは!」本当にその通りです。

 

「下町ロケット」を読む柔軟な心に敬服しながら、最後に締めくくって下さった言葉にも感銘を受けました。

 

「照らされて生きる命  伝えよう生命(いのち)の尊さ」

                              中野さなえ 記

 

 

 

 

 

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受診日。受付後映画館へ。

2015年12月03日 20時51分13秒 | 活動日誌

 

 受診をしながら映画を見、読書を楽しみました。

 

 昨日に続き、今日も受診日。ただし今日は健診ではなく、心臓病の定期受診。

 とにかく受診には覚悟がいる。特に心臓の定期健診は時間がかかる。  

 今日は12時40分の予約だったが、呼ばれたのは4時20分でした。

 

 今日は対策を取って出かけました。

 新しい試みをしました。受付を済ませて、映画を見に行った。2時間はたっぷり待たされるだろう・・・と踏んで。

 戻ってからは待合室で読書。昨日の続きで、窪山誠一郎著「自傳をあるく」の相馬黒光の項を読んでしまった。

 

 映画は「僕たちの家に帰ろう」。

 中国の少数遊牧民族、ユグル族(ウイグル族)の少年の父母を訪ねる冒険を通して家族の絆を深め、近代化と草原の砂漠化、遊牧民族の衰退を描いた作品です。

 よかった。すべて現地撮影で、河西回廊付近の壮大な草原が映し出され、内容も考えさせられるものでした。

 劇場は誰もおらず、私一人のためにフィルムが回りました。

 受診も悪くなかった。心臓の方は、異常なし。

 

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