蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

エンド・オブ・ウォッチ

2014年08月15日 | 映画の感想
エンド・オブ・ウォッチ

ロスアンゼルスを舞台としたパトロール警官のコンビの活躍を描く。警官たちが自分の服やパトロールカーに装着したカメラやあるいは彼らの手持ちのカメラで撮影したかのようなシーンが多用されているのが特徴。

主人公二人は、(多少乱暴気味ながら)使命感が強く真面目にパトロールをするし、ストーリーもヒネリを効かせた感じはなくて、良く言えば正統派警察映画、悪く言えばありきたり。
それだけに、次々にショッキングな事件が発生するロスアンゼルスって、なんか中東のテロが頻発する地域のような治安状態なんだな、と思ってしまった。

ボーナストラック的なラストシーンがとても良かった。このような構成は初めて見たが、暗い気分で終わりそうな映画の印象をガラリと変えてしまい、「最後まで見てよかった」(実は、DVDで見たこともあって、途中で見るのを止めそうになった)と思わせてくれた。
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経営センスの論理

2014年08月15日 | 本の感想
経営センスの論理(楠木建 新潮新書)

この本によると、著者は運動が嫌いで、横になって本を読むのが大好き(それも半日とか一日レベルの長さで)、長年英語を使ってきたけどイマイチしっくりこない、らしく、(ちょっと私自身に似ているので)共感?を持てた。ただ、本の内容は、どこかで聞いたことがあるような話ばかりだった。

どうも、マネジメント系のビジネス書や教科書を読むと、学問とか科学というより、宗教っぽい方向に流れていくことが多くて、この本もそういった感じだった。
「社員でストーリーを共有しろ」って、「何も考えずにオレについてこい」と言っているのと大差ないように思う。
まあ、マネジメントって大半が人間関係の調整みたいなものなので、そうならざるを得ないとは思うけど。

ところで、運動が嫌いというわりには、本書にはスポーツに関する例え話が多かった。
(やるのは嫌いでも見るのは好きらしい)
そうしたスポーツに関する話題の中で次のは興味深かった。(P171~)
***
聞いた話に基づく推測だが、金メダル集中度4位の韓国もポジショニングの戦略が色濃い気がする。日本に来ている韓国人の友人が言うには、「日本の中高生が運動部でスポーツを楽しんでいるのには驚いた。韓国のクラブ活動では、勝てる種目をやる、やる以上は勝つ、勝つためにやる、という目標が明確で、もっとストイックだ。そういう人しかそもそも部活をやらない」。
一方の日本はというと、オリンピックの成績の背後には、能力重視の戦略があるように思う。とりあえず好きなことをやる。で、頑張る。コツコツと努力する。時間をかけて能力をつければ、オリンピックに出られる(国としては、能力がある順にオリンピックに出す)。能力が発揮できればその結果としてメダルが手に入る、という考え方だ。(中略)
ということで、戦略論に無理やりこじつけてオリンピックの成績について考察してみたが、こじつけついでにもうひとつ。日本の金メダル集中度の低さが能力重視の戦略の現れだとすると、それは同時に日本の成熟を示唆しているという気がする。
ビジネスでも新興業界の若い会社の方が、戦略はポジショニング志向になる。これに対して、業界や企業が成熟してくると、ポジショニングだけでは違いが維持しにくくなる。成熟とともにポジショニングから能力へと戦略の軸足がシフトする傾向にある。
***
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カテリーナの旅支度

2014年08月15日 | 本の感想
カテリーナの旅支度(内田洋子 集英社)

よく、続編を作るのは難しいし、成功することも少ないと聞く。
初めからシリーズ化する予定のものは話が別で、例えばSTAR WARSはエピソード5か6が一番面白いと思うけど、後から付け足した感じのエピソード1~3はイマイチだったような気がする。
ある著者の作品を初めて読んだ時にはとても面白かったのに、2冊目もさらに良かったということはめったにないのも、似たようなものだろうか。期待値が上がり過ぎてしまうんでしょうね。

著者の作品で初めて読んだのは「ジーノの家」。これはとても良かったので、本書も期待して読んだのだけれど、やっぱり、ちょっと落ちるかな、と思ってしまった。
イタリアの各地で暮らした著者が、そこで出会った人の思い出を描くエッセイ集。「ジーノの家」もそうだったが、「これはフィクションでは?」と思えるような内容があって、多少は脚色もあるのだろうか。

表題作の「カテリーナの旅支度」は、やり手の女性経営者カテリーナが、引退後、ヒマを持て余して著者を誘って旅行をした時の話。
カテリーナは綿密な旅行計画を立て、費用を切り詰めて、計画通りに名所を巡って、帰ると記録をしっかりファイリングする。
このようなカテリーナを著者は批判的な見方で描く(旅行は気ままに、ちょっと贅沢を楽しみたい、というのが著者の考え)が、私などは、どちらかというとカテリーナ的旅行の方がいいかな、なんて思ってしまう。ビジネスに毒されているということでしょう。
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変わった世界 変わらない日本

2014年08月14日 | 本の感想
変わった世界 変わらない日本(野口悠紀雄 講談社現代新書)

●世界はどう変わったか?
80年代以降、社会主義経済の失敗が明らかになり、市場経済モデルが復活した。PC、インターネット技術に代表される分散型ITの進歩がその優位性をさらに高めた。
一方、新興国の工業化が進み、工業製品価格の低下が起こり、先進国においては製造業の規模の縮小が生じた。
このような変化は特に英米にとって有利に働き、ITサービス業、金融サービス業を大きく発展させた。これにより金融取引技術も発達したが、かえって高リスク投資を助長してバブルの生成と崩壊をもたらした。
バブル崩壊に対応するための金融緩和や中国の景気刺激策の影響が残っている。

●日本はどこが変わっていないのか?
製造業の新興国への移転は避けられないのに、その温存にエコカー減税等の補助、TPP、法人税減税等の様々な政策的手段を用いている。
一方、製造業は雇用を減らすことで対応しようとしたため、雇用が賃金の低い業種に流れ全体の所得が落ち、経済の停滞をもたらしている。
製造業にかわる新産業が発展していない。

●日本はどうすべきか?
製造業に代わる新産業を育成しなければならない。次にどのような産業が伸長するのかは政府がコントロールできないから民間にまかせるべき。
助長する手段として人材育成と人材開国をすべき。異質なものが現状を変える。

●所感
英米あるいは新興国に比べて日本はうまくいっていないのは確かだけれど、これは経済発展の段階の違いであって、時間が解決する問題のような気がする。例えば、最近の中国の経済社会状況は、高度成長期の日本によく似ているのではないだろうか。日本の高度成長期を、インフレや高失業で苦しんでいた英米から見ているようなものだ。
アメリカが製造業や一次産業の保護をやっていないかというと、もちろんそんなことは全くなくて日本より露骨で大規模ではなかろうか。それでもITや金融が盛況となったのは、ダイバーシティというか、異質なものを受け入れる間口の広さが日本よりかなり大きかったせいかと思われ、この点では本書の結論は妥当なものであろう。おそらく、日本も、かつて英米が苦しみながら歩んだように、外国人を含む多様性のある人材活用を進めていくことを強いられるのだと思う。
そうしたことを意図的に避け続けるとすれば、日本は、時間ですらも解決できない本当の袋小路に迷い込んでしまいそうだ。
多分(希望的観測もふくめ)日本の指導者層も、(いわゆるアベノミクス的手法は長期的には意味がないことはわかっているけど、何もしないわけにはいかないから人気取りもふくめて時間稼ぎをし)女性や外国人の活用、財政・社会保険改革といった本丸をこそ攻めようとしているのだと信じたい。
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国際メディア情報戦

2014年08月13日 | 本の感想
国際メディア情報戦(高木徹 講談社現代新書)

「目の前にある情報が、なぜいま、このような形であなたのもとに届いたのか、情報源からあなたまでの間にどのような意志と力が働いたのか、それを推察し見抜くことで、世界がまったく違う姿となってたち現れてくる」(P6)

著者は、「戦争広告代理店」では、ボスニア紛争でアメリカのPR会社の協力を得て、ボスニア側に有利な世論を導いたプロセスを明らかにした。上記の引用のように、本書でも、国際的なメディアの操作・誘導工作を描いている。

2012年4月に中国で反体制家の亡命騒動が起きた時、CNNは見事な演出を見せた。北京からの中継映像で、サブ画面にCNNi(中国国内で放映されているCNNの国際版)の画面を写し、反体制家亡命のニュースになると、途端にCNNiがブラックアウトしてしまう瞬間を見せて、中国当局の露骨な報道規制ぶりを如実に伝えた。

冷戦が終わって世界情勢が複雑化した。限定的な地域での紛争が起こっても、それを国際社会にアピールしていかないと、世界の人は何が起きてどちらに正当性があるのか判断できない。
ボスニア内戦で多用されたバズワードは「民族浄化(エスニック・クレンジング)」。これはアメリカのPR会社が作って意図的に流布させたものだが、象徴的はフレーズとして「セルビア側に非がある」というイメージを世界中に植え付けた。アメリカのPR会社いわく、彼らが行っているのは「どうすれば味方の主張を効果的に伝えられるか」という、「メッセージのマーケティング」。

オサマ・ビンラディンは、「国際メディア情報戦」を最大の武器とした。その中心は「アッサハブ」という組織で、いまや世界的なメガメディアとなったアルジャジーラを最大限に活用した。
一方、次世代アルカイダは、ネットマガジンまで作っている。見た目は相当に洗練された作りになっているが、内容はテロの具体的な方法が書いてあったりする。アメリカ国民を含む世界中の同調者に語り掛け、扇動する。これを「オープンソースジハード」と呼んでいる。

ビンラディン殺害時のホワイトハウスのシチュエーションルームの写真が公開された。大統領をはじめする政権中枢の人々の不安そうな表情が、国民と極限の緊張感を共有しようとしているとして、かえって好感を持って受け止められた。オバマ政権は写真の効果を重要視しており、ホワイトハウス内ではメディアのカメラマンをほとんど入れず、専属カメラマンのみに撮らせている。

「私たちは「重要な情報」とは水面下にあるもので、外交官やスパイや、誰か特殊な人たちだけが扱えるもの、自分たちのどこか遠くにあるもの、と考えがちなのではないだろうか。
今の世界ではそうではない。すべての情報は公開されるべきものだ。それが民主主義の基本だ。
そうであるなら問題の解決は、私たち一人一人情報の受け手に託されている。自分のもとに届く情報が、どこまでにどのような「情報戦」をくぐりぬけてきたかを考える。その視点を持ち、情報の裏にある意識と、そこに存在したのが誰であるかを見抜く。それを続けていれば、自分なりの真実と世界観を自分の中に形成できるようになる。それをまた他の情報と比較して検証してみる」(P258)

マスメディア業界においては、人材の流動性が高い方が質の向上を図ることができる。流動性が高いということは転職(社)が容易ということであり、そうするとジャーナリストは所属する社の方針におもねることなく、自分の主義や良心に基づいて報道することができるから・・・という視点が印象に残った。
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