蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

スパイダーマン3

2008年03月16日 | 映画の感想
スパイダーマン3

スパイダーマンの3作ともに、悪役があんまり強くないな、という感じがする。本作では特にそれが顕著。宇宙からの謎の落下物(人間に取り付いて、その人を凶暴にする)もサンドマンもあっさりやられてしまう。
戦闘場面も今ひとつインパクトが弱い。
スパイダーマンと恋人とのエピソードもありきたりで陳腐。

スパイダーマン役のトビー・マグワイアも恋人役のキルスティン・ダンストも、子役時代から順調にキャリアを積み重ねた俳優だけれど、花咲いて人気を不動のものとしたのが「スパイダーマン」っていうのはどういう気持ちがするものなのだろうか?
売れりゃなんでもいい?少々はずかしい?本当のオレ(私)はこうじゃない?

トビー・マグワイアって真面目な青年というイメージが強くて(サイダーハウス・ルールの印象が強いせいだろうか。あの映画はよかったけどな~)、スパイダーマンでもそんなイメージにぴったりの役回りなんだけれど、あんまりオーラを感じさせるような役者じゃないな、といつも思う。

キルスティン・ダンストは、まあ美人なんだろうけど、どこにでもいそうな感じの美人。正直言ってどこにそんなに魅力があるのか私にはよくわからない。

悪口ばかりですみません。それでもシリーズ3作とも記録的な売上をあげているところを見ると私の見方が間違っているとしか思えませんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BOSS

2008年03月15日 | 本の感想
BOSS(堂場瞬一 PHP)

大リーグのメッツの日本人GM高岡はスピードと出塁率重視のいわゆるスモールベースボール派。就任早々看板のホームラン打者を放り出してしまうが、シーズン当初は目論見通り首位を走る。しかし中盤からチームが調子を落とすと選手を駒のようにしか考えていない高岡に批判が集中するようになる。

ライバルチーム・ブレーブスのGMのウィーバーは大ベテランで、野球のロマンと個々の選手の力、チーム内の人間関係を重視する。チームは開幕後低迷するが、ウィーバーがマイナーからみいだした2人に投手が大活躍してメッツに迫る。

アスレチックスの名GMに取材して日本でもよく売れた本「マネーボール」の亜流っぽいストーリー。「マネーボール」流にいくならもう少し楽屋話的なエピソードが欲しい。選手のスカウティングやチーム編成の話ばかりだったような気がした。

主人公の二人のGMのキャラクターも類型的な感じ。著者の作品を読むのは初めてだったのだが、やはり本領は警察モノで本書は余技みたいなものだったのだろうか。全般にやや残念な内容だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電撃戦

2008年03月09日 | 本の感想
電撃戦(レン・デイトン ハヤカワ文庫)

10年以上前に買った本を今頃になって読んだ。

レン・デイトンというとスパイミステリの巨匠というイメージしかないが、戦記ノンフィクションもたくさん書いているらしく、作家が余技で書いたようなものではなくて、しっかり調査・取材された作品だった。

私はドイツ軍の「電撃戦」というとソ連に侵攻したバルバロッサ作戦が真骨頂だと思っていたが、著者の意見ではその前のフランス侵攻(ダンケルクに英仏軍を追い詰めるまで)が戦史上唯一の電撃戦であり、それもフランス軍の鈍い動きがあってはじめて成功したものであるとする。
確かにこの本を読むとドイツ軍の機動部隊の突出ぶりは異常で、伸びきった戦線の途中をフランス軍が確実に攻撃すれば、史実のような鮮やかな成功は実現しなかっただろうな、と思わせた。

当時のドイツ軍の幸運があれば、同じように連合軍のふいをついてアルデンヌを森を突破しかけるところまで行った、1944年冬のドイツ軍の西部戦線での攻勢(いわゆるバルジ戦)も成功していたかもと思った。
もっとも、フランス侵攻成功の最大の要因はドイツ空軍の陸戦支援(急降下爆撃)が想像をはるかに上回って有効だったことのようで、連合軍空軍を防ぐすべは悪天候だけだった1944年冬とは大きな違いがあるが。

ドイツ軍が、フランス侵攻当時まだあまり実際的でないと考えられていた空軍による支援が有効であると考えるようになった原因についての著者の指摘が面白い。
それは「シュトルヒ」というグライダーに毛がはえたくらいの軽飛行機が連絡・偵察用に各司令部に配属されていて司令官自身がこれを頻繁に利用していたため、という。新技術の普及には上からのアプローチが有効だということだろうか。

フランス戦以降、(陸戦にかぎらないが)大軍同士の戦いでは制空圏確保が勝利の絶対条件になった。それは現代の米イラク戦においても同じだ。空軍はおそろしくコストが高く、経済力がないと維持できない。
経済力がない者が戦争をするには、軍隊がまともにぶつかる方法は採れないこととなり、ゲリラ的・テロリスト的な手法をとらざるをえなくなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バベル

2008年03月08日 | 映画の感想
バベル

モロッコの辺地を観光旅行中のアメリカ人夫婦の妻に、現地の子どもがふざけ半分で発射したライフルの銃弾が当たってしまう。
事件はテロリストの仕業と誤解され世界的なニュースになり、現地の警察は犯人の捜索に乗り出しライフルが日本人ハンターから現地のガイドに譲られ、それがさらに犯人の子どもの父親に渡ったものであることを突き止める。
妻をなんとか救おうと夫は努力するが、現地の前近代的な風習になじめずいらだち、病院は遥かかなたで乗っていた観光バスは彼らを見捨てて出発してしまう。

「バベル」という題名から予想される通り、言葉が通じない者の間でのコミュニケーションの困難さを主題とした映画。

前述のモロッコの事件を軸として、日本人ハンターの耳が聞こえない娘(高校生なのだが、日本人の目からみると老けすぎている。おそらく外国人から見ると日本人はとても若く(幼く)見えるそうなので、老けすぎに見えるくらいでちょうどいいのかもしれない)と周囲の人々とのディスコミュニケーション、アメリカ人夫婦の子どもの乳母(メキシコ人の不法就労者)とアメリカの官憲との行き違いを、多面的な演出で描いている。

さて、この映画を見て私は「ごんぎつね」の話をおもいだした。

いたずら好きのごんぎつねは、川で魚とりをしていた兵十の邪魔をして採った魚を逃がしてしまう。ごんは後で兵十が死の床にあった母親のためにうなぎを採ろうとしていたことを知り自分の行動を後悔する。
罪滅ぼしにと兵十のもとに栗や松茸をこっそり届ける。
ある日いつものように栗などを兵十の家に届けた際に兵十とはちあわせし、兵十はまたきつねがいたずらをしに来たと誤解して銃でごんを撃ち殺してしまう。殺した後になって栗などをいつも届けてくれたのはごんであったことを知る。

小学生の私は、それまで「めでたし、めでたし」という予定調和のハッピーエンドで終わる物語しか読んだことがなかったので、「ごんぎつね」を読んだ時は、「え、これで終わり?」みたいな居心地の悪さを感じた。
ごんと兵十の間に和解はついに訪れず、反省して良い行いをしたごんが殺されてしまうなんて・・・しかも物語はそこでふいに終わってしまう。「不条理」という言葉を小学生が知るわけもないが、もし知っていたら、私は「これは不条理の物語だ」と思ったことだろう。

「ごんぎつね」の主題は、コミュニケーションが成立しない者の間に起きた悲劇であり、「バベル」の主題と似ていると思う。
ただ「ごんぎつね」が読者を突き放すように終わるのに対して「バベル」はある程度の収まりのよさ(事件は概ね解決し、不条理ともいえる結末を迎えるのはモロッコの少年くらい)がある。
ブラッドピットなど一流のキャストを使って費用をかけた映画を作る以上、ある程度観客におもねるところもないと商売にならない、ということだろう。

ラストシーンでアメリカ人の夫(ブラッドピット)が、やっとこさ妻を病院に運び入れた後、アメリカにいる自分の子どもに電話するシーンの演技が真に迫って印象的だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不良定年

2008年03月02日 | 本の感想
不良定年(嵐山光三郎 ちくま文庫)

不良定年とは、(定年退職後に)妻や子に頼らず、おもねず、ある日家族に無断で数日間の旅に出てしまうような人、というところか。
歴史上の人物でいうと吉田兼好とか松尾芭蕉が不良定年にあたるという。

この手の本でよくありそうなのが、退職後に備えて定年前から趣味とか仕事以外の生きがいを持ちましょう、みたいな論旨だが、本書では、懸命に仕事して出世して会社のカネで遊びまくるようでないと不良定年にはなれないとしていて、異色である。
もっとも著者自身が平凡社の出世頭の編集者であったという自慢話も本書には収録されていて、そういう人ならでは見方、主張であるともいえる。

著者の真骨頂は、ひなびた田舎をローカル線で中高年の男のグループが温泉を経巡る、みたいな一見情けなさそうな旅行を、なんとも魅力的に、「そんな旅行がしてみたい」と思わせるように書ける文章力にあると思う。本書でもその特長は発揮され、旅愁を誘う。

俳句や短歌が数多く紹介されているが、その中で私が一番気にいったのは
「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」(久保田万太郎)。
かなり有名な句らしいが、「湯豆腐はどう食べるべきか」を論じた著者の文章とあわせて読むとさらに味わい深いものがあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする