蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

とまどい関ヶ原

2012年09月30日 | 本の感想
とまどい関ヶ原(岩井三四二 PHP)

関ヶ原合戦のいろいろな局面で、主役格からは少しはずれた人たちを主人公とした短編集。

「百尺竿頭に立つ」(語り手は安国寺恵瓊)と「草の靡き」(語り手は朽木氏の家臣)、「すべては狂言」(語り手は吉川広家)の3篇が、東軍、西軍いずれにわが身をゆだねるか迷いに迷う人たちの心理を短い分量の中でうまく描いている。

朽木氏や吉川氏は、合戦が始まってからもまさに洞ヶ峠を決め込んでいる感じで、著者が言うように彼らがふと気迷いして史実と逆のことをやっていたら合戦で勝ったのは西軍だったかもしれない(まあ、合戦で勝っても決着時期が延びるだけで結局は徳川の天下になったのだろうけど)
しかし、小早川氏や吉川氏といった支流の人たちばかりか御大将輝元みずからどっちつかずの態度に終始した毛利氏は、どう考えても歴史のイニシアティブを握る大きなチャンスを逃したとしかいいようかないなあ。つくづくもったいない。

「敵はいずこに」は関ヶ原に間に合わなかった秀忠とその家臣:大久保忠隣の話。主力とも言える秀忠軍の到着を待たずして家康が開戦に踏み切ったのは、この本が言うように西軍の内応者を固めきったと確信できたからかもしれないし、万一この合戦で勝っても負けても後があると思っていたせいかもしれない。

「松の丸燃ゆ」は伏見城の話。この本によると伏見城はその気になれば相当長期間籠城できたはずの規模をもっていたそうである。秀吉の別荘みたいなもので戦争の拠点としては役にたたない城だと勘違いしていたので、意外だった。

著者の作品については、それなりの数を読んでいるが、主人公がとても健気というか、一生懸命自分に与えられた運命の中で最善を尽くそうとしていることが多く、好感がもてるというか、元気がでるというか、そんな感じがいつもする。本書も多くの短編でそんな感想を持った。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 印象派で「近代」を読む | トップ | 神去なあなあ日常 »

コメントを投稿

本の感想」カテゴリの最新記事