あるきメデス

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所沢航空記念公園周辺の彫刻や記念碑など(埼玉・所沢)

2020-10-05 21:58:59 | 所沢だより
 2020年10月5日(月)

 西武新宿線の航空公園駅東口↓から市役所方面に向かう通りに、彫刻があることは知っ
ていましたが、5点ありどのようないきさつで設置されたかは知りませんでした。

 市の広報10月号にその紹介があったので改めて見直し、さらに航空記念公園内にある
航空機ゆかりの記念碑などについても、最近入手した「ところざわ 航空発祥の地 所沢航
空記念公園めぐり」というリーフレットに解説があったので、以前紹介したこともありま
すが、改めてご覧いただくことにします。


 航空公園駅の駅舎は「関東の駅百選」に選定されていて、航空発祥の地にふさわしく発
祥当時の複葉機をイメージしたデザインになっています。駅舎の中央にある時計の針は、
プロペラがモチーフになっているのです。


 その東口を出てすぐのロータリーで目に入るのが、「天翔」と呼ぶモニュメント。

 東口を出て航空記念公園への陸橋方面に向かう広場には、このような噴水がありますが、
最近は水の出ているのを見たことはありません。


 市役所方面に向かう交差点の手前に、所沢市ロータリークラブが設置したモニュメント。
     

 その先にはYS -11型航空機が。戦後に日本で初めて開発された旅客機です。


 交差点を渡って、所沢市役所から所沢郵便局、所沢警察署へと続くケヤキ並木の街路樹
の歩道に、「みどりの中のギャラリー」と呼ぶ5点の彫刻が設置されています。


 この作品は、良好な都市景観の形成や文化的なゆとりと潤いを目指すという目的で、市
が公募して応募のあった26点の作品から市民へのアンケートなどをもとに選ばれた作品
で、平成11(1999)年3月に設置されようです。

 最初は市役所入り口近くにある「風の道標」、柳澤 飛鳥 作

 見方によってはプロペラや飛行機の羽に見える作品で、所沢といえば「航空」というこ
とで、航空公園駅から歩いて最初の彫刻となるように設置されたとか。

 この通りはしょっちゅう歩いているのに、この彫刻には気づきませんでした。

 市役所庁舎の東北隅近い歩道にあるのが「増殖-生々流転」、宇野女 宏平 作

 「立方体から何か出てこようとしているのだろうか・・ 彫刻なのに見ているとこれら
の物体がうごめいているように思えてきて、不思議な感覚を覚える作品です。」と紹介さ
れています。 この彫刻も、目にした記憶がありません。

 3番目は市役所敷地の東北側、手押し信号交差点際にある「LOVE」、佐々木 実 作

 「LOVE」という文字の形をした彫刻ですが、近づいてよく見ると人物がポーズを取
って文字を作っています。近づいて人形の表情にも注目してみるのもよさそう。

 信号を渡ると郵便局ですが、その入口近くの歩道にあるのが「踊」、高橋 勝 作

 「大理石を使った重厚な彫刻ですが、「踊」のタイトルのとおり、今にも踊り出しそう
な躍動感があります。ダイナミックに削り出された作品の表面も、見ていて面白くなりま
す。」と説明されています。

 郵便局を過ぎた辺りから望む前方。右手には警察署があり、その奥に少し見えるのは所
沢市民文化センター「ミューズ」です。
     

 最後、5番目の彫刻は警察署敷地の東北側、交差点際にある「雪雲」花岡 篤夫 作。

 「山頂にかかった雲を表現した作品で、見るときにはぜひ下から眺めてください。自然
の壮大さが伝わってきます。まるで山のふもとにいるような感覚になります。」と記され
ています。

 この彫刻もほとんど記憶にありません。よく通っている通りでもいかに散漫に通過して
いたのかと思い知らされました。

 さて、この交差点を右折して県税事務所とミューズの間の市道を進み、航空発祥記念館
の駐車場の間から航空記念公園に入ります。

 南側からの所沢航空発祥記念館

 埼玉県が、所沢を日本の航空発祥の地として永く伝えるために航空資料の収集をして、
平成5(1993)年4月に開館した航空機に関する県営の博物館です。

 右手の大きなドームがメインの展示場、左手のドームは映像館で、縦15m、横20m
の大型スクリーンによる立体感あふれる映像が観られます。

 航空発祥記念館前には、航空自衛隊で使用したC-46A型航空機。

 アメリカのカーチス・ライト社製で、1040年から3,180機を製造したとのこと。
当初は軍用輸送機として使用され、戦後は多くが民間旅客機として使用されたよう。

 当機は、隣の市にある航空自衛隊入間(いるま)基地で使用されていたものを、昭和
55(1980)年12月に航空自衛隊から貸与され設置されたとのこと。

 最大速度433km/h、航続距離2,000km、乗員5名、輸送人員50名とか。

 その前に設置された「航空発祥の地の地」碑。

 自然石を利用した石碑で、所沢市と所沢航空資料調査収集する会により建設されたもの。
傍らには説明パネルも。


 碑の前から西に延びる緑地が当時の滑走路跡で、その東端に航空機をモチーフにした2
つの展示物があります。

 
 滑走路跡の西端の南側には、大正天皇駐輦(ちゅうれん)碑と説明パネルが。
      

 

 南東に少し下った日本庭園南側斜面中腹にあるのが「フォール大佐胸像」と説明パネル
     



 野球場の北側から東北にあがり、公園中央部の放送塔のあるロータリーから東に少しで、
少年航空兵像があります。健児の塔とも呼ばれているよう。 
     
 昭和18(1943)年に彫刻家長沼孝三氏が「翼を抱き、空を見上げる少年航空兵3
人の姿は操縦・通信・整備の協力によって飛行機が飛行すること」を彫刻したもので、1
年後に所沢航空整備学校内にあった建空神社参道に設置され、当時の少年飛行兵や整備兵
たちのシンボルとして崇拝されていたよう。

 戦後は米軍基地として接収され、昭和46(1971)年の一部返還に伴い公園内に整
備されたのですが、長年の風雨で痛みが激しくなり平成9(1997)年に修復工事をし、
さらに平成17(2005)年に台座を新設してこの場所に設置されたとのことです。

 その前をさらに東進して時計塔のあるロータリーを過ぎます。
     

 そのロータリーの南東側は林になっていますが、その辺りはかつて池があり、少年兵の
憩いの場所だったようで「荒鷲達の憩いの庭園」と呼ばれ、特攻隊員が基地に向かう時の
憩いの場でもあったとのこと。



 さらに南東側に回ると休憩所↑の建物の北側に芝生広場があります。

 この辺りは「グラブパーキングロット跡」と呼ばれ、米軍が基地として利用していた時
の駐車場やダンスホールがあった場所のよう。

 休憩所から南西に下ったところにあるのが「木村・徳田両中尉記念塔」です。


     



 その東側、時計塔から下ってくる道路際にはバスケットボールの練習用コートがあり
ます。
     
 ここは旧日本陸軍気球隊本部があったところで、戦後は米軍のスポーツ広場としてバ
スケットボールなどの運動場所として使用され、米軍が使用していたときの支柱跡が残
っているというのですが、2つのゴールポストがそうなのかは確認できませんでした。

 このように、所沢航空記念公園とその周辺には幾つもの見どころがあります。興味の
ある方は一巡して訪ねてみてください。
 
 ちなみに、航空記念公園内については以下のA3判4つ折りのリーフレットに詳しい
説明と園内地図が掲載されています。
  

 私は元町交差点際にある市の観光拠点「野老澤町造商店」で入手しましたが、航空記
念公園の北西側にある市役所別館(もとNTTの営業窓口だった平屋の建物)の観光課
や公園内の管理事務所などにもあるかもしれません。
 



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