あるきメデス

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江戸・東京七福神めぐり(下谷七福神)

2007-01-02 21:43:44 | 七福神めぐり
 今日も、ここ3年参加している東京都ウオーキング協会主催の
「第5回江戸・東京七福神めぐり」の、「寿老人コース・下谷七福神」
に参加しました。

 JR池袋駅から山手線外回りで上野駅に向かいます。今日、明日
は、『第83回東京箱根間往復大学駅伝競走』の日。

 ちょうど入って来た内回り電車は、その箱根駅伝の広告車両でした。

 集合は、昨日のゴール上野公園の入口、JR上野駅公園口近くです。
ほかに6コースがあり、参加者は予想より少な目の60~70人くらい。

 9時45分にスタートしました。

 昨日のゴール、大噴水の南から東京芸術大学横を通過、寛永寺に
入り、本堂にあたる根本中堂に参拝して北に抜けました。

 この根本中堂は、明治9年(1876)~12年にかけて、埼玉県川越
市にある喜多院の本地堂を移築したもので、寛永15年(1638)の
建造といわれているようです。

 JR山手線などの線路を越えて根岸2丁目に入り、七福神の最初、
寿老人の元三島神社へ。普通、七福神はお寺ですが、入谷七福神も
ここだけが神社です。

 茅の輪をくぐってお参りします。神社の周辺には風俗店が並んで
いました。

 さらに先に進むと、福禄寿の下谷鬼子母神があります。鬼子母神は
安産、子育ての神。狭い境内ですが、江戸末期から続く「入谷の朝顔
市」が毎年7月6日~8日に開催されることで知られています。


 入谷交差点から少し戻って北に入り、下谷2丁目にある大黒天の
英信寺へ。出世・開運・商売繁盛の神です。


 同じ町内に毘沙門天の法昌寺もありました。毘沙門天は、必勝祈願
の軍神とのこと。


 法信寺のそばに、ヒカンザクラが咲いていました。


 昭和通に出て北東に進み、東側の竜泉1丁目に入り、弁財天の弁天
院に行きました。

 備中松山城主・水谷伊勢守勝隆が寛永元年(1624)不忍池に弁財
天を建立と同時に、下屋敷だったこの地にも祭ったものです。境内に
テントが張られ、お茶の無料サービスをしていました。

 その先、国際通の東に進むと、恵比寿神の飛不動尊正宝院です。

 恵比寿様はもともと漁の神。豊漁は航海安全によりもたらされ、安全
航行は商売繁盛につながり、繁昌すれば笑顔(えびす顔)になるという
わけです。

 北に進んで三の輪1丁目にある、布袋尊の寿永寺に参りました。寿永
法尼という尼さんが、徳川2代将軍秀忠公の菩提をともらうため、建立
したものです。


 これで下谷七福神の全部を回りました。ひとつ東の通りを折り返して
南へ進むと、竜泉3丁目に、一葉記念館と一葉記念公園がありました。

 樋口一葉が一時期を過ごし、名作『たけくらべ』を書いた場所。
公園には記念碑が建っています。

 千束3丁目から浅草5丁目を経て、裏手から浅草寺に入り解散となり
ました。

 浅草観音で知られる浅草寺は、初もうでの人で身動きできないくらい
の人出です。その間に割り込んで、私もお参りしてきました。

 表参道にあたる仲見世通りも大変な人出。きゅうくつな空間を逆行
して雷門に出て、雷門1丁目のうどん店で昼食をしました。


 寿4交差点から西へ、地下鉄銀座線の走る通りを上野駅まで歩き、
JR山手線で帰途につきました。

 

 




 
  

 

 

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