2016年9月12日(月)
今日、市内ウオーキングで所沢航空記念公園を回ったら、この秋初めてのヒガンバナ
を見ました。1週間後の19日(月)は彼岸入りなのですね。
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中欧5か国の街並みの最後は、6月2日(木)午後に訪れたハンガリーの首都ブダペ
ストの郊外、エステルゴムとセンテンドレです。
エステルゴムは、ブダペストの北西約60㎞にあり、スロバキアとハンガリーの国境
を流れてきたドナウ川が、向きを変えてハンガリー国内に入るところに位置します。
9世紀にマジャル族がここに定住し始め、イシュトバーン一世が997年に初代ハン
ガリー王となり、以来ハンガリーの都として栄えたのですが、13世紀半ばにモンゴル
の襲来で壊滅的打撃を受け、ブダへ遷都が行われたとのこと。
しかし1715年にカトリックの総本山が置かれ、宗教上重要な町となり今日に至っ
ているようです。
訪れたのは、そのカトリックの総本山であるエステルゴム大聖堂でした。
教会正面上部に描かれていた儀式の彫刻。
大聖堂に入り内部を拝観しました。
大きな主ドーム。
「聖母マリアの昇天」と呼ぶ祭壇画は、1枚のキャンバスに描かれたものでは世界最大
の祭壇画のようです。
こちらは、大聖堂内にあるバコーツ礼拝堂の天井。
バコーツ礼拝堂は、赤い大理石で造られていました。
祭壇は何か所かにあり、それぞれに聖壇画が描かれています。
大ドームの下には関係者が描かれていました。
SHIERONYMUSという人のよう。
こちらはS.GREGORIUSと記されています。
銀細工を施した祭壇
大きなパイプオルガン
大聖堂を出て、展望台からドナウ川を眺めてバスに戻ったので、町の中の観光はありま
せんでした。
再びバスに乗り、次の目的地センテンドレには16時35分に着きました。センテンド
レはブダペストの北方約20㎞にあり、14世紀にオスマン・トルコの襲撃から逃れてき
たセルベヤ人やギリシャ人達が来たのが始まりで、後にはトルコの支配下に置かれました
が、17世紀にはセルビア人など約6,000人が定住したようです。
定住者の多くは手職人や商人たちで、この町に独自の文化や習慣、建築様式を植えつけ、
20世紀になるとこの町に魅了された芸術家が多く移り住むようになり、町には小さい美
術館や博物館が多いとのこと。
バスの駐車場から、旧市街の中心部にある中央広場に着きました。
中央広場の中央に立つ十字架は「商人の十字架」と呼ばれ、18世紀後半に建築された
ものとか。
中央広場には5つの通りが集まっていました。こちらもそのひとつ。
広場に面したカフェテラス
通りに並ぶ商店の間口は狭く、店にはこまごまとした土産品などの商品が所狭しと並べ
られていました。
それら商店を眺めたり入ってみたりしながら、駐車場の方に向かいます。
公衆トイレのある建物付近の道路上に、なぜか傘がたくさん。
通りの右手100mほどにはドナウ川が流れていましたが、川沿いの道路からの町並み。
この建物はレストランかカフェのよう。
小さい街並みの観光を1時間ほどで終え、最後の宿泊地ブダペストに向かいました。
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を見ました。1週間後の19日(月)は彼岸入りなのですね。
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中欧5か国の街並みの最後は、6月2日(木)午後に訪れたハンガリーの首都ブダペ
ストの郊外、エステルゴムとセンテンドレです。
エステルゴムは、ブダペストの北西約60㎞にあり、スロバキアとハンガリーの国境
を流れてきたドナウ川が、向きを変えてハンガリー国内に入るところに位置します。
9世紀にマジャル族がここに定住し始め、イシュトバーン一世が997年に初代ハン
ガリー王となり、以来ハンガリーの都として栄えたのですが、13世紀半ばにモンゴル
の襲来で壊滅的打撃を受け、ブダへ遷都が行われたとのこと。
しかし1715年にカトリックの総本山が置かれ、宗教上重要な町となり今日に至っ
ているようです。
訪れたのは、そのカトリックの総本山であるエステルゴム大聖堂でした。
教会正面上部に描かれていた儀式の彫刻。
大聖堂に入り内部を拝観しました。
大きな主ドーム。
「聖母マリアの昇天」と呼ぶ祭壇画は、1枚のキャンバスに描かれたものでは世界最大
の祭壇画のようです。
こちらは、大聖堂内にあるバコーツ礼拝堂の天井。
バコーツ礼拝堂は、赤い大理石で造られていました。
祭壇は何か所かにあり、それぞれに聖壇画が描かれています。
大ドームの下には関係者が描かれていました。
SHIERONYMUSという人のよう。
こちらはS.GREGORIUSと記されています。
銀細工を施した祭壇
大きなパイプオルガン
大聖堂を出て、展望台からドナウ川を眺めてバスに戻ったので、町の中の観光はありま
せんでした。
再びバスに乗り、次の目的地センテンドレには16時35分に着きました。センテンド
レはブダペストの北方約20㎞にあり、14世紀にオスマン・トルコの襲撃から逃れてき
たセルベヤ人やギリシャ人達が来たのが始まりで、後にはトルコの支配下に置かれました
が、17世紀にはセルビア人など約6,000人が定住したようです。
定住者の多くは手職人や商人たちで、この町に独自の文化や習慣、建築様式を植えつけ、
20世紀になるとこの町に魅了された芸術家が多く移り住むようになり、町には小さい美
術館や博物館が多いとのこと。
バスの駐車場から、旧市街の中心部にある中央広場に着きました。
中央広場の中央に立つ十字架は「商人の十字架」と呼ばれ、18世紀後半に建築された
ものとか。
中央広場には5つの通りが集まっていました。こちらもそのひとつ。
広場に面したカフェテラス
通りに並ぶ商店の間口は狭く、店にはこまごまとした土産品などの商品が所狭しと並べ
られていました。
それら商店を眺めたり入ってみたりしながら、駐車場の方に向かいます。
公衆トイレのある建物付近の道路上に、なぜか傘がたくさん。
通りの右手100mほどにはドナウ川が流れていましたが、川沿いの道路からの町並み。
この建物はレストランかカフェのよう。
小さい街並みの観光を1時間ほどで終え、最後の宿泊地ブダペストに向かいました。
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