あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

太平洋戦争の開戦から80年、当日の新聞から

2021-12-08 18:36:10 | アーカイブ
 2021年12月8日(水)

 今日は、日本がアメリカやイギリスなどを相手に戦争を開始した太平洋戦争の開戦の日
から80年になります。

 わが家には、父が保存してくれた当日の東京日日新聞(現在の毎日新聞)が残っている
ので、その全面を紹介します。

 80年も過ぎているので紙面が変色しており、また現在の当用漢字とは違い難しい旧漢
字であり、紙面も縮小して小さいので読みにくいかもしれませんが、当時の雰囲気を感じ
てもら得ればと思い、まずは紙面全面の4頁文を。

  1面
 

  2面
 

  3面
 

  4面
 

 12月9日の夕刊になっていますが、12月8日発行とも括弧書きされています。

 これら各頁の上部を切り取ってのが、以下の4枚です。

 1面

 下部の地名のうち、新嘉坡はシンガポール、布哇はハワイ、比島はフィリピン、馬来半
島はマレー半島のことです。

 2面


 3面


 4面
 

 私は幼児だったので、開戦の日のことは全く覚えていませんが、わが家でも、翌年秋だ
ったかに胸の病気で勤めていた横須賀海軍工廠を退職して、埼玉県中部の寒村が生家だっ
た伯父一家の家に同居して厄介になっていた30代末期の父が、昭和19(1944)年
2月には招集されて、海軍下士官としてシンガポールに派遣されました。

 幸いなことに激しい戦闘には遭遇しなかったようで、敗戦とともに英軍の捕虜になった
ものの、英軍の扱いは友好的だったと聞いており、敗戦から1年後の昭和21(1946)
年夏に帰還することができました。

 一方、世話になった伯父の家の20代前半だった長男は陸軍軍人として招集され、南太
平洋のハルマヘラ島に送られて、補給の途絶えた前線で厳しい食糧事情に遭遇したと思わ
れ、戦病死して帰らぬ人となりました。

 なお、従兄の派遣されたハルマヘラ島には、映画俳優の池辺良さんも見習士官として中
国戦線から転戦されたようで、悲惨な現地のことなどを記したという「ハルマヘラ・メモ
リー」(中公文庫)を出版したことを知り、読もうと思いながらまだ果たしておりません。 

 太平洋戦争は開戦から4年8ヶ月余りに及び、昭和20(1945)年9月15日に敗
戦という形で終結しました。

 この戦争での犠牲者は、戦闘員が約230万人、民間人が約80万人と言われています。

 国民はこの戦争により大きな損失や被害、困難におちいり、戦死された方や空襲で亡く
なった家族の方などは、その後も長く深い悲しみに暮れています。

 このような悲惨な戦争は2度とくり返してはならないと考え、今月に入りNHKをはじ
め放送、新聞などでは回顧の報道が多数なされています。

 開戦の日を知る人も少なくなり、歴史の彼方に埋もれてしまいそうな開戦の日ですが、
もう一度ふり返り、いつまでも戦争のない日の続くことを祈りたいと思い紹介しました。




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