あるきメデス

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成人の日に地元の北野天神社へ(埼玉・所沢)

2022-01-11 22:17:55 | 所沢だより
 2022年1月10日(祝・月)

 成人の日の今日は朝から曇天で、新成人の門出の日としてはスッキリしないが、これも
自然の動きなので仕方ない。

 新年も もう10日も経過したので、曇天ながら市内の初もうでの参拝者が2番目と思わ
れる北野天神社へ遅いながら初もうでに出かけた。

 国道463号バイパスの大六天交差点近くから、県道179号・所沢青梅線の北側を平
行する市道を西進して、小手指(こてさし)小や小手指中の北側を進み、11時10分頃、
北野天神社へ西側の鳥居から入る。
     

 鳥居際にある当社の説明パネル


     
      西参道を進み、拝殿に参拝する。


      先に参拝していたのは、成人式を終えたばかりのご一家のよう。
     

 拝殿前に立つ地元小手指のシンボル「こてまる」君の前には、干支にちなむ虎さんも。
     


 反対側には、手づくりのトトロなどの人形が並んでいる。





 次に、拝殿の左手(西)奥に並ぶ2つの摂社へ。右は八雲社で左が稲荷社。





 その南側には大きな彰忠碑と忠魂碑が並び、彰忠碑の書は「元帥 伯爵 東郷平八郎書」
と刻まれていた。
     

 碑の横の摂社は小手指神社で、日清日露両戦役から終戦に至るまでの戦いに参戦して英
霊となられた方を祭った社のよう。



 社殿の前には「航空神社跡」碑も立っていて、拝殿内には航空関係ゆかりの、もと陸軍
航空士官学校長徳川好敏氏と、ほかの元航空士官学校校長などが参拝された板書がある。

 ちなみに、徳川好敏は日本国内で初めて飛行機により空を飛んだことで知られる。

 近くには、前田利家が天正18(1590)年に献栽したという「大納言梅」と呼ぶ梅
の木が立っている。
     
 前田利家は菅原道真の子孫のようで、小田原攻めの折にここに立ち寄ったが、幾度かの
戦乱で灰燼と化していたので社殿を再興し、1本の梅を献栽して武運長久を祈願したとか。

 傍らに、平成18(2006)年に建立した、この地・北野の「北野地名由来之碑」が
ある。
     


 その斜め前に、ワラで作られた神馬(しんめ)が立っていて、その説明もある。


 神馬の南側に2つの石碑がある。


 奥にあるのは 宗良親王遺跡。ここが小手指ヶ原合戦の際の宗良親王の御在陣跡だったよ
うで、その際に親王が作った和歌が刻まれている。
     

 右手前の歌碑には、ここ北野出身の俳優、左卜全(ひだりぼくぜん)の直筆で、「常
道の芸では 先がしれてる されば 道 遠き苦難の みちを求めん」と刻まれていた。
           


 境内中央部、手洗舎のそばに飾られた松やナンテン、ロウバイなど
     

 手洗舎より拝殿よりに立つ境内維持基金奉賛願い文に描かれていた江戸時代(天保頃)
の境内の様子。



 そばの絵馬掛けには、表裏にたくさんの新しい絵馬が。




 手洗舎の背後の辺りに祭られているのは文子天神社。

 養蚕や糸繰、裁縫、機織などすべて日本婦人の美徳を備えた「多治比文子」(はた神様)
という女神を祭る社のよう。

 文子は、千年も昔、京都の七条坊に生まれ、神託により天慶5(1055)年に邸内に
菅原道真公を祭ったのが北野天神社の発祥といわれているという。

 その近くから見た本殿の一部


 文子天神社の右手(南)には、諸神宮と呼ぶ建物が。

 社殿は室町期の再建とか。源頼朝が建久6(1195)年9月に延喜式内総社3132
座を勧請したので諸神宮と称し、徳川家光からの諸神宮領の寄進状が現存するという。

 ここ北野天神社も、延喜式内社のひとつ。

 手水舎の近くに立つ桜。今は枯れ枝だが、春先の花どきには注目を集める。
     

 境内広場の東南側には神楽殿が。


 神楽殿の左手(東南側)にある社務所で、厄除・招福御守を分けていただいた。



 神楽殿の右手の傾いた木は、尊桜(みことざくら)と呼び、日本武尊が東征の折にお手
植えされた桜の木の4度目のひこばえのようだ。


      その前には「尊桜の歌碑」がある。
     
 享和2(1802)年に地元所沢の倉片孝順が建てたもので、表には江戸の医師池谷
紀迪が詠んだ和歌「そのかミや移うへけんむさしのに にゐはりやまの櫻ひとときを」
と刻まれ、裏面には碑建立の由来や池谷の人となり、尊桜のいわれなどが記されていて、
所沢市内最古の歌碑という。

 境内をほぼ一巡したので、南西側の表鳥居に向かうことにする。尊桜の横から延びる
参道両側には、どのような所以か分からぬが正月だけのものらしい竹の列が並んでいた。

 何度か正月に初参りに来ているがが、今までは見た記憶がない。

 その左手には6個の力石が並んでいる。

 徳川時代末期から明治初期までに、力試しや記念に奉納されたようで、目方は実際より
2割加算して刻まれているとか。

      
 そのひとつには、弘化4(1847)年 四拾七貫余(176㎏余)などと刻まれてい
るので、実際の重量は141㎏くらいと思われる。

     
 表参道を右左折して二の鳥居から一の鳥居と下り、北野天神社を後にして県道179号
線に出た。
     

      県道からふり返る一の鳥居周辺
     

 すぐ西側の北野天神前交差点を左折して、南へ少しで細い流れの六ツ家川沿いに設けら
れた歩道を東進する。

     
 少し進むと川の右岸斜面に「小手指南緑地」と名付けた緑の森があった。土地所有者か
ら平成23(2011)年に市に寄付されたようで、市民が自由に利用できるようになっ
ている。

          
 その緑地付近の六ツ家川の流路。帰路として通過したところは、いずれもこのように三
面コンクリート張りで景観は乏しいが、県道のように車を気にせずに歩けるのが良い。

          
 しばらく川沿いの住宅地を進み、小手指南交差点から県道に入り、間もなくの大六天交
差点際のスーパーで買い物をして、13時近くに帰宅した。



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