フランスの南東部、ローヌアルプ地方の首府であるリヨンには、5月30日(木)に
訪ねました。
リヨン市の人口は約46万7千人、近郊を含めると約164万人が住み、都市圏とし
てはパリに次ぐフランス第二の規模になるようです。
リヨンはフランスの金融センターのひとつでもあり、フランスの銀行の多くの本店が
置かれていて、古くは永井荷風が横浜正金銀行の社員として滞在したこともあるとか。
私たちのツアーバスは、市街の南を流れるローヌ川を渡ってリヨンの市街地に入り、
さらに北を流れるソーヌ川を渡って右岸川沿いの道路を進みました。流れにかかる鉄道
の橋。
流れには、観光船らしいスマートな船が幾つか見られました。
世界遺産になっている旧市街の、丘陵上にあるフルヴィエールの丘に上がり、まずは
フルヴィエール大聖堂内を観覧しました。
そのあと、大聖堂のそばの展望広場に回ると、北側を中心に市街地が一望できます。
同じ彩りの屋根や、落ち着いた彩りの壁面を見せる建物がつづいています。日本では
見られぬ景観です。
ドームはオペラ座、左手前の塔のある建物はホテルのようです。
はるか北方に煙の見えるのは、発電所でしょうか…。
素晴らしい展望を楽しんだ後、バスは丘を下ってソーヌ川沿いに戻りました。
対岸の新市街のビル群。
川をさかのぼる観光船。
橋際にあったこの建物は何か分かりませんでした。
旧市街の町並み。フランスの都市ではいずこも同様に、建物の前に自動車がたくさん
駐車していました。
ほとんどバスで巡ったので、それらしいものは見られませんでしたが、リヨンは工業
化の始まった19世紀前半にヨーロッパ最大の絹織物・繊維工業都市となり、第二次世
界大戦中は、ドイツ軍に対するレジスタンス運動の拠点のひとつだったか。
日本との関わりとしては、明治になった日本で生糸の需要拡大のために、1872年
に富岡製糸場(世界遺産への登録を申請中)が作られましたが、その時招いたフランス
技師ポール・ブリュナ-はリヨン近郊の出身のようです。
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訪ねました。
リヨン市の人口は約46万7千人、近郊を含めると約164万人が住み、都市圏とし
てはパリに次ぐフランス第二の規模になるようです。
リヨンはフランスの金融センターのひとつでもあり、フランスの銀行の多くの本店が
置かれていて、古くは永井荷風が横浜正金銀行の社員として滞在したこともあるとか。
私たちのツアーバスは、市街の南を流れるローヌ川を渡ってリヨンの市街地に入り、
さらに北を流れるソーヌ川を渡って右岸川沿いの道路を進みました。流れにかかる鉄道
の橋。
流れには、観光船らしいスマートな船が幾つか見られました。
世界遺産になっている旧市街の、丘陵上にあるフルヴィエールの丘に上がり、まずは
フルヴィエール大聖堂内を観覧しました。
そのあと、大聖堂のそばの展望広場に回ると、北側を中心に市街地が一望できます。
同じ彩りの屋根や、落ち着いた彩りの壁面を見せる建物がつづいています。日本では
見られぬ景観です。
ドームはオペラ座、左手前の塔のある建物はホテルのようです。
はるか北方に煙の見えるのは、発電所でしょうか…。
素晴らしい展望を楽しんだ後、バスは丘を下ってソーヌ川沿いに戻りました。
対岸の新市街のビル群。
川をさかのぼる観光船。
橋際にあったこの建物は何か分かりませんでした。
旧市街の町並み。フランスの都市ではいずこも同様に、建物の前に自動車がたくさん
駐車していました。
ほとんどバスで巡ったので、それらしいものは見られませんでしたが、リヨンは工業
化の始まった19世紀前半にヨーロッパ最大の絹織物・繊維工業都市となり、第二次世
界大戦中は、ドイツ軍に対するレジスタンス運動の拠点のひとつだったか。
日本との関わりとしては、明治になった日本で生糸の需要拡大のために、1872年
に富岡製糸場(世界遺産への登録を申請中)が作られましたが、その時招いたフランス
技師ポール・ブリュナ-はリヨン近郊の出身のようです。
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なんと素晴らしい景色なのでしょう・・・!
この暑さでは涼しい室内で過ごせる事を考えるのが賢明ですね。
つづきも期待しています。
わずかしかできませんが、ほかの切り口でも幾らかは紹介したいと思います。
またご覧下さい。
私たちはツアーだったので、旧市街の散策はほとんど出来ませんでした。
リヨンの落ち着いた町並みを、ゆっくり散策してみたかったです。