あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

二子玉川の静嘉堂文庫美術館へ(東京・世田谷)

2017-04-28 18:40:18 | 美術館・博物館等の観覧
 2017年4月26日(水)

 連れ合いに誘われ、世田谷区にある静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)美術館で開催中の
展覧会の観覧に出かけた。

 西武池袋線から、東京メトロ副都心線、東急東横線、みなとみらい線直通のFライナー
と呼ぶ急行、特急並み電車で自由が丘まで行き、東急大井町線に乗り換え、12時過ぎに
二子玉川駅で下車する。

 西口にある高島屋横から北へ、二子玉川小の横を通過して丸子川沿いを西進し、国分寺
崖線(がいせん)の中腹にある静嘉堂文庫美術館への門を入った。


       
 近くには下草のアヤメが花を見せ、小さい流れを渡って右へ、緩やかな上り坂を進む。
     

           

 渡った流れの上流は、湿地のようになっていた。
 

 さらに、豊富な樹林の間を上がって行く。


 静嘉堂文庫の2つの建物が見える広場まで上がると、ロータリーのツツジが鮮やかな彩
りを見せる。
    

 右手にある文庫の建物は、大正13年(1924)の建築とか。 


 静嘉堂文庫は、三菱の第2代社長岩崎彌之助と、彌之助の長男で第4代社長の岩崎小彌
太により設立されたもの。その収蔵品は、東洋固有の文化財を愛惜した彌之助により本格
的に収集され、さらに小彌太により拡充されたという。

 彌之助の収集は、和漢の古典籍のほか絵画・彫刻・書籍・漆芸・茶道具・刀剣と広範囲
で、それに対して小彌太は、東洋陶磁を系統的に収集しているとのこと。

 美術館は、昭和20年(1945)の小彌太逝去後、その遺志により夫人から財団に国
宝など主要作品が寄贈され、さらに夫人の逝去後に同家に残る美術品と施設が寄贈され、
平成4年(1992)新館↓が建設され、今日観覧する静嘉堂文庫美術館が開館されたの
だという。


 現在の展示は「挿絵本の楽しみ~響き合う文字と絵の世界~」で、その狙いをリーフレ
ットでは以下のように紹介している(期間:4月15日~5月28日)。

 私たちは、古くから文字と絵を使って情報の伝達をしてきました。「挿絵本」は、まさ
にその2つの要素が支え合って大きな力を発揮しているものです。そこには、人々の知識
(情報)に対する多様な要望が反映されています。本展では、主に中国の明(みん)・清
(しん)時代(14世紀半ば~20世紀初め)と江戸時代の多彩な挿絵本をご紹介します。

       美術館の入口に掲示されていた案内
      

 会場内は、以下のようなコーナーに分けて展示されていた。
錦絵の中の文字  Ⅰ.神仏を巡る挿絵  Ⅱ.辞書・参考書をめぐる挿絵  Ⅲ.解説
する挿絵  Ⅳ。記録する挿絵  Ⅴ.物語る挿絵

 会場は撮影禁止なので、入手したリーフレットから展示作品の一部を紹介する。





          
       重要文化財 渡辺崋山「芸妓図」(実物はカラー)


 最初の「本草図譜」は、Ⅲ.解説する挿絵の作品ひとつ、真ん中の「環海異聞」はⅣ.
記録する挿絵、最後の渡辺崋山の「芸妓図」もⅢ.解説する挿絵の作品のひとつである。

 これら展示作品を一覧してみて、文字だけでは内容が分かりにくいものも、挿絵がある
ことで、より容易に理解できることがよく分かった。

 特に、Ⅳ.記録する挿絵では、司馬江漢(しばこうかん)の西遊旅譚や、間宮林蔵の東
韃紀行、松浦武四郎の手塩日誌と知床日誌、大槻玄沢の環海異聞など、私が名前を知って
いる人が記した作品があり、旅の記録でもあり興味深く観覧した。

 当ブログも文字と写真を併用することで、皆さんに内容をより分かりやすく理解しても
らえるのではないかと、この展示を見ることで再認識できたので、今後もそのような方向
で継続したいと考えている。

 観覧を終えた後にロビーから眺めた、敷地内や周辺の風景。






 観覧を終えたら14時前後になっていた。館を出てもう一度眺めた入口周辺の植え込み。




 まだ昼食前だったので、駅に向かって食事の出来るところを探しながら戻ることにした。
構内を下って門を出てさらに下って南東へ、丸子川の下山橋を渡る。
     
 往路の丸子川沿いは結構車の交通量があり、歩道もなく危険なので、南に向かう静かな
通りを進むことに。

 南側のマンション沿いの通りも緑が豊富で、シャクナゲがあちこちに咲きモミジなどが
柔らかな彩りを見せる。
       

        





      通りより奥にあるマンションへの道も豊富な緑が。
     

 左折した通りのわずかな歩道


      すぐ先を右折した南への通りには、「きしべの路」の名が。
      

 突き当たりにスーパー・マルエツがあり、そこを左折して東に延びる道は「砧(きぬた)
線跡歩道」と呼ばれ、新玉川線の前身である玉川電気鉄道(1907年開通)の砧支線跡
で、1924年に瀬田河原一帯から採取した砂利を、関東大震災からの復興が進む東京市
内へ運ぶためにつくられた路線だったという。
     
 平行して南側には、都道11号・多摩堤通りが走っているので、自転車と歩行者専用道
にしているよう。

 この通りも緑が多く、車を気にせず歩けるので安心な道だ。通り沿いに咲くベニバナト
チノキ。
       

     

 住宅地を北に延びる通りを幾つか見ながら東進したが、これもそのひとつ。


   この通りのマンホールには、ここを走っていたらしい電車のデザインが。
    

        旧中耕地駅跡の表示もある。
       

 高架になっている国道246号・玉川通りの下を抜けると南側は高島屋なので、店内を
東に抜ける。


   東側の通りに出るドアノブは、タツノオトシゴだった。
    


 二子玉川駅前まで戻ったが、適当な食事処がない。そばの二子玉川ライズと呼ぶ複合ビ
ルのひとつタウンフロントへ。案内所で聞いて7階のレストラン街に上がり、ピッツェリ
ア ドオーロ ローマというイタリアンレストランに入り遅い昼食をする。


 私の注文したのは、桜エビと菜の花のトマトソース(1,180円)


 連れ合いは、ずわい蟹とブロッコリー・マッシュルームのクリームソース(1,180円)
       

 店を出たらもう16時に近い。寄り道は止めて帰路も往路と同ルートの電車で戻った。

 なお、静嘉堂文庫美術館のサイトはこちらから。

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 当記事は翌日から書き始めたのですが、パソコン用の椅子に長く座っていると腰痛にな
り、何日かに分けたためにアップするのが遅れました。


 なお蛇足ながら、当ブログは前々回の投稿から「gooブログ」の有料版である「gooフォ
ト」に変更しました。

 なぜ変えたかというと、gooブログで使える画像容量の3GBを越えてしまったからで
す。開設以来11年2か月余りにアップした画像枚数は38,655枚となり、次の画像
をアップしようとしたら、画像容量を超えたというメッセージが出て、アップできなくな
ったのです。

 そのために画像容量が1TB(テラバイト)と飛躍的に増える有料に移行せざるを得な
くなり、すぐに契約手続きをしたのでした。

 有料サイトの月額使用料は477円(税込み515円)となり、もう10年も続けられ
る年齢ではないので、あとは画像容量を気にせず投稿できますが、いつまで投稿できます
やら…。ともあれ、投稿がストップするまで今後とも引き続きご覧下さいますよう、改め
てお願い申し上げます




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