あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

所沢の若山牧水歌碑

2007-01-04 21:35:33 | 所沢だより
 元旦のブログで、若山牧水ゆかりの「牧水青春ウオークin東京」
に参加したことを報告しました。

 その時もらった「牧水青春ウオーク」パスポート(下)に、次のよう
に記されていました。


『牧水の祖父、若山健海は1811年(文化元年)2月3日、埼玉県
所沢市神米金の農家に生まれました。健海は長崎でシーボルトに
医学を学び、1837年(天保13年)26歳の時、なぜか日向の坪谷
に居をかまえ、開業します。』

 また、別の頁に「全国若山牧水歌碑所在地一覧」があり、若山
健海の生家にも歌碑があることが分かりました。

 そこで今日、所沢市神米金(かめがね)の健海の生家にあると
いう牧水の歌碑を訪ねてみました。


 場所は、県道6号川越所沢線の下富交差点際です。




 交差点の南東側に小さな神社があり、社殿の左側を入ると、南
側の農家の一角にお目当ての歌碑がありました。ここが、若山
牧水の祖父、健海の生家なのです。

 歌碑には次の歌が刻まれていました。

    のむ(飲む)湯にも 焚火の煙(けむり) 匂ひたる
              山家の冬の ゆふけ(夕餉)なりけり

 歌碑のそばに、いきさつが記された説明板がありましたので、
あわせて紹介します。


 歌碑の裏には次のように記されていました。
 
   健海と牧水
 医師若山健海は文化八年この地に生れ、嘉永二年長崎に
種痘の伝わるや率先して蘭人モーニッケに学びその普及に
尽した西洋医術伝来史上の輝やかしい先見者。 その孫と
して宮崎県東郷村坪谷に生まれた牧水は中学時代から短歌
に志し、上京早稲田大学に入るにおよんで、祖父の生家を
なつかしみ数回ここに訪れ、のち大成して万人に愛誦される
幾多の名歌を遺した。
 昭和五十三年十一月吉日  
         若山牧水の歌碑を建てる会


 現在も、健海の子孫、若山信市さんが農業を営んでおられる
ようで、屋敷の南側は広い茶畑になっていました。

 「牧水青春ウオーク」パスポートには、全国28都道府県275
歌碑の場所とそれぞれの歌碑の歌が記されています。

 また、昨年12月2日~3日に開催された宮崎県大会や、元旦
の東京都大会に続き、6日(土)は大阪府大会、7日(日)は福岡
県大会、以下3月から11月の埼玉県大会まで、全国で15の牧水
青春ウオークが開催されます。

 若山牧水の歌を愛する人、また、このウオークで牧水に興味を
持たれた方、これを機会に大会に参加したり、旅行や別のウオー
キングなどの際に、全国の牧水歌碑を訪ねてみてはいかがでしょ
うか。
 

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