あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ふた旅(後編)・愛媛その6続(内子の町並み)

2007-03-20 22:33:04 | 四国遍路道ふた旅
 昨日報告した愛媛県内子町の、内子駅前のSLと内子の町並み、
特に国の伝統的建造物群保存地区に指定されている八日市護国
地区を中心に、もう少し紹介します。

=============================

 2007年2月18日(日)



 JR内子線内子駅前には、C12 231号SLが展示されている。

 このSLは、内子線を走った蒸気機関車のうち、最後の昭和44年
(1969)4月~昭和45年(1970)3月末まで走った蒸気機関車
とのこと。

 当時、貨物専用列車として、内子駅から伊予大洲駅間を、内子
町内や、この日と翌日歩いた小田川流域で生産される木炭や木材
を運んだという。

 町の中心街、本町通に入り、400mほどで左に入ると、大正5年
(1916)、大正天皇即位の大典を記念して建てられた歌舞伎劇場、
内子座がある。

 建物は、当時全国的に建てられた劇場の基本に習い、妻側を正
面にした木造瓦葺き2階建てで、回り舞台や花道などを整えている。

 その後、映画館や商工会館に転用され、部分的に改造されたので、
昭和60年(1985)に、総事業費7,020万円をかけて復元完成した
という。

 本町通りの中ほどにある下芳我邸(しもはがてい)。

 築後130年の旧家で、石挽きのそばと摘み草御膳が味わえ、
ギャラリーも併設している。

 少し先、伊予銀行内子支店の角を左に入ると、国の重要伝統的
建造物群保存地区に指定されている内子町八日市護国地区がある。

 電線を地中に埋設し、昔ながらの風情の町並みが約600mに
わたり続いている。


 国重要文化財の本芳我家(ほんはがけ)。

 木蝋(もくろう)の生産と海外輸出で財をなした旧家である
(非公開)。


 町並みには、竹材点や民芸品などの店、土産店、喫茶店、そば屋
などが並んでいる。



 内子の典型的な屋根と壁面を見せる建物。


 私が興味を持ったのが、この折り畳み式のぬれ縁。

 夜間はこのように折りたたんでおき、朝になると下のように使え
るようにする。(上と下は別の家)

 内子独特のものだと、使えるようにしていた人が教えてくれた。

 木蝋資料館「上芳我邸」(かみはがてい)。木蝋生産で財をなした
芳我家の分家の一つ。

 木蝋の生産工程や道具などを公開している。国重文である。

 指定地区の最奥、八日市・護国町並み保存センターまで行き、往路
を戻ったら、大森和ろうそく屋ののれんが出ていた。

 内子町で唯一の手づくり和ろうそく店。ハゼの実から搾り取るろうを
年輪のように重ねて塗りつける、独特の製法が見られる。

 

 

 
 

 

 
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四国遍路道ふた旅(後編)・愛媛その6

2007-03-19 17:41:00 | 四国遍路道ふた旅
 本日から、四国遍路後半の行程を報告します。なお、タイトルの
内、県別の番号は、初回の時と同様、前半からの通し番号とします。

============================

 第1日 2007年2月18日(日) 曇り一時晴
 =ウグイス鳴く小田川沿いを=



 6時20分に起床、6時55分朝食、7時35分にときわ旅館を出る。
雨上がりで暖かい感じ。伊予大洲駅の温度計は10度を示す。

 7時49分発松山行き車内はポカポカ。8時4分に内子駅に着く。
今日は霊場へのお参りはないので白衣は付けず、8時10分に内子
駅を出た。

 駅にあった内子の散策マップを見ながら、古い歌舞伎劇場、内子
座に寄り、国の伝統的建物群保存地区である八日市・護国地区の
通りに入る。


 地中化して電線や電柱のない通りの両側に、古い家並みが続く。
内子特産の木ろうの店、国重文の本芳我邸、上芳我邸を過ぎ、護
国町町並み保存センターまで往復する。

 まだ朝早いので、開店前の店、開店中の店など多く、観光客も
いない。興味を引いたのは、夜間引き上げておいた縁台を、下ろ
して使えるようにしていたこと。聞くと、内子独特の縁台の造りだ
という。

 戻る途中で、開店していた土産店にてお茶のお接待をいただく。
十字路に戻り、反対の東側に出て、国道沿いのコンビニ・サンクス
で弁当を購入した。

 小田川を渡ってすぐの、道の駅内子フレッシュパークに寄ったら、
ここにも弁当が置いてあった。補食用に草餅を買う。晴れてきた
ので菅笠をかぶる。


 国道379号に入り小田川沿いに進むと、今年初めてのウグイス
の鳴き声を聞く。でもまだ調子は何となくたどたどしい。ナノハナ
もあちこちで花を開いていた。


 国道には、2m幅くらいで、自転車通行可の歩道があり、安心し
て歩ける。観光梨園が2つ並んだ先で、長岡トンネル(392m)を
抜ける。

 すぐ先に、お遍路無料宿があった。扉を開けて入ると、若い男性
とテントを干していた自分と同年輩くらいの男性遍路が休んでいた。
若い人は入れ違いに出た。

 もう1人と、テント泊のことや、お勧めの宿とそうでない宿の情報
交換などをして、50分ほど滞在する。気温が上がりそうなので
スボン下を脱ぎ、無料宿を出た。

 すぐ先の下和田には、梨の直売小屋が幾つかある。短い和田
トンネル(190m)を抜けると、柿畑が増え、次の上和田には柿の
選果場もあった。


 桝木(かれぎ)で、小田川右岸の旧道に回ると、幾つかの製材工
場が目に入る。階段を上がって三島神社へ。

 社殿の木彫と木組みがなかなか見ごと。境内のベンチで昼食を
した。

 大瀬小の裏手に「大瀬の館米蔵」の表示があったので行っが、閉
館していた。国道に戻り、左に県道241号を分ける三差路には、
ログハウス調の河口橋バス停がある。


 乙成(おつなり)集落に、「曽我五郎、十郎首塚まで徒歩20分」
との表示があったが、寄り道は省略した。もう一度小田川右岸の
旧道に入り、1㎞足らず進む。

 柿畑が増えたが、幹は関東の柿の木より白っぽい。国道に戻ると
道路幅が狭まり、歩道が無くなる。間もなく番外霊場千人宿大師堂
がある。堂内は畳敷きで、遍路無料宿になっている。

 近くに、筏(いかだ)流し交流センターと筏流し資料館があったが、
やはり日曜で閉館していた。


 小田川の流れが急カーブする路木には、番外霊場、楽水大師が
ある。少し先では国道の拡幅作業が進められていた。

 梅津集落背後の急斜面には、石積みの段が何段も続き、柿畑が
斜面の上の方まで伸びている。


 小田川と吉野川の合流点、突合(つきあわせ)に着く。

 前回宿泊した徳岡旅館前の三差路を右折し、初めての国道380
号に入る。

 水元集落付近から、国道の対岸、小田川左岸に新しい道路の建
設が進められていた。石山橋そばの大久保商店に、ベンチがあっ
たので休憩させてもらう。

 橋向こうの新国道は完成済みで通行できるが、そのまま右岸の
旧道を進む。家並みが増え、小田町寺村に入る。

 小田高そばの街路樹は、赤い実がいっぱい付いている。「道の駅
小田の郷せせらぎ」に寄り、地元農産物などの販売品をひととおり
のぞく。


 内子町小田支所前から旧小田町の中心街に入り、15時47分、
ふじや旅館に着いた。宴会場もあり、にぎやかな歌声も聞こえる。
古い建物の2階の部屋に入り、洗濯機に投入して入浴する。

 夕食は18時から、1階の玄関を入ったところの部屋で。大きな
土鍋に牛肉、豆腐、カニ、コンニャク、うどん、白菜、シイタケなど
盛りだくさんの鍋物。刺身や、とろろもあり、鍋はとても食べきれ
ずに残してしまった。

 小田町の名物、たらいうどんのポスターがある。宿のご主人に
聞いてみたら、桐製だというたらいを見せてくれた。よく煮たやわ
らかいうどんが4、5人前入るとのことで、直径30cm位もあった。

 今日は1日暖か。ジャンパー着用は昼食時だけで済み、汗も
ほとんどかかず、距離も約20㎞でアップダウンもなく、初日の足
慣らしには好い1日だった。

〈コースタイム〉内子駅8:10ー内子の町並み探訪ー道の駅内子
フレッシュパーク9:25~33ー長前橋10:15ーお遍路無料接待所
10:34~11:25ー桝木橋11:55ー三島神社(昼食)12:14~57ー河口
橋13:20ー千人宿大師堂13:50ー筏流し交流センター13:55~14:02
ー楽水大師14:08~10ー突合14:35ー石山橋際・大久保商店14:55
~15:05ー道の駅小田の郷せせらぎ15:38~41ーふじや旅館15:47

(距離 20㎞、地図(1/5万) 大洲、久万、歩行地 愛媛県内子
町、歩数 36,500)
 
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四国遍路道ふた旅(後編)・出発日

2007-03-17 22:26:17 | 四国遍路道ふた旅
 今日は父母の墓参のため、埼玉県小川町の弟の家と菩提寺に行っ
て来ましたが、相変わらず風が冷たく寒い1日でした。

 今日から、先週末終了した四国遍路後半のレポートを始めます。
 
=============================

 2度目の四国遍路後半は、前半から戻って2か月余りの、2007年
2月中旬から3月上旬にかけて歩くことにした。

 今回は、結願して1番霊山寺に戻った後、岡山のIさん宅に泊まり、
3月10日(土)、11日(日)に開催される第20回瀬戸内倉敷ツーデー
マーチに参加する予定のため、調整日も設けて、それに間に合うよう
に日程を逆算して出発日を決めた。

 =出発日= 
 2007年2月17日(土) 曇後雨

 朝7時8分に自宅を出て、東京駅8時36分発東海道新幹線ひかり
365号自由席に乗る。曇り空で富士山は見えない。

 関西に入ったら雨となった。12時46分岡山着。13時22分発特急
しおかぜ22号で瀬戸大橋を渡って予讃線へ。冷たい雨が続く。

 松山に16時14分に着き、5分の乗換時間で同じホーム前方の特急
宇和海に乗り継ぐ。

 途中から天気は回復模様になり、16時52分、伊予大洲駅に降りた。

 まだ小雨が残っていたが雨具は着けずに宿に向かう。少し行き過ぎて
戻り、17時過ぎ、ときわ旅館に入った。

 前半の最後にお世話になった宿。若いご主人の気持ちよい対応と
食事や部屋が気に入り、もう一度お世話になることにしたもの。


 今回も部屋は暖かくなっていて、早速入浴し、ひな飾りのある部屋で
ひとり夕食をいただく。


 食半ばに若ご主人が来られ、遍路のことなどの話を交わす。若ご主人
は東洋大学野球部OBで、阪神の桧山選手と同期とのことだった。

 なお、ときわ旅館のアドレスは以下のとおり。
http://nttbj.itp.ne.jp/0893243634/index.html?Media_cate=populer&svc=1303

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四国遍路道ふた旅(前半)・愛媛その5

2007-02-01 18:23:45 | 四国遍路道ふた旅
 2007年を先日迎えたと思ったら、早くも1か月が済んで
しまいました。それにしても1月は、昨年とは大違いの暖かさ。
所沢もこの冬、まだ降雪はありません。

 2度目の四国遍路前半、最終日のレポートです。後半は、
今月中旬に再開し、3月上旬に88番大窪寺での結願を目指
す予定です。

==========================

 第27日 2006年12月7日(木) 雨
 =内子駅で前半の区切り=



 6時20分起床、7時に朝食。昨夜、毎日の行程をブログに
投稿していることを話したら、宿の若ご主人が早速探したよう
で、『もしかして「あるきメデス」がそうではないですか』と問わ
れた。

 四国遍路前半の最終日は雨になった。雨支度をして7時49
分にときわ旅館を出る。

 出発前、マスク、竹炭入りカイロ、ばんそうこう、まち針、あめ
などの入った袋と、次の44番大宝寺までの宿の入った「遍路
道中案内地図」をいただいた。

 大洲の中心街を抜ける国道56号を北へ向かう。歩道はある
が、トラックのしぶきを浴びぬよう、出来るだけ車道から離れて
進む。

 両側は、スーパー、電気、薬、本、衣料、レストランといった
チェーン店など、比較的大規模な商店が途切れなく続いている。

 それらの店が少なくなった頃、右手にガスに霞む円錐形の山
が見えてきた。

 その名も富士山、標高319.6mだから、日本一の富士山の
10分の1に満たないが、均整のとれた山容だ。

 松山自動車道大洲ICへの進入路際、交通量の多い道路に面
し、別格霊場十夜ヶ橋(とよがはし)永徳寺がある。

 弘法大師が、日が暮れたが泊まるところが無いので橋の下で
1夜を過ごしたが、夜明けまでが長く、10夜にも感じたという
ところ。

 橋の下に、弘法大師の寝姿の石像が祭られている。雨の中、
自転車で参拝に来られた地元の奥様から、あめ玉のお接待を
いただいた。


 1.5㎞ほど先で、松山自動車道をくぐり、JR予讃線の北側
の旧道に入る。ガスが低く垂れ込め、山すそまで下りてきた。



 新谷(にいや)の町並みを進むと、商店の一角が遍路無料接
待所になっている。休ませてもらい、お茶をいただいた。


 家並みがほぼ終え、国道に合するところには、神南(かんな
ん)堂と呼ぶ遍路休憩所の東屋がある。


 国道を1.5㎞ほど進み内子町へ。五十崎(いかざき)駅の
近くで国道に分かれて北側に入る。

 少し進むと幅広い草の道となり、気持ちよい遍路道が1㎞
ほど続く。


 車道に出て緩やかに下ると、町営の運動公園。野球場や
テニスコート、陸上競技場などがあり、池のほとりで、色鮮や
かなモミジの紅葉が雨に濡れていた。


 高架になっているJR予讃線内子駅に11時10に着いた。
ここが、区切り打ち前半のゴールである。濡れた雨具をビニ
ール袋に納め、白衣や菅笠を脱いだ。

 帰宅する明日までの通しきっぷをジパング割引で購入し、
内子駅11時41分発特急宇和海に乗る。松山駅で途中下車、
構内で昼食をして、1時間余り後の特急しおかぜ20号に乗り、
岡山駅に15時57分に着いた。

 迎えに来て下さった車で、Iさん宅に行く。Iさんとは、30数年
前、東京・霞ヶ関の職場が一緒、四国遍路の先輩でもある。

 奥様が、前半の区切りを祝い炊いて下さった心づくしの赤飯
や、珍しく入手したというシャコなどの夕食をごちそうになりな
がら、遍路の思い出や、職場の昔話などに話が弾んだ。

(コースタイム〉ときわ旅館7:49ー十夜ヶ橋永徳寺8:30~9:00
ー山宝炭店無料接待所9:35~54ー五十崎の遍路道へ10:34
ーJR内子駅11:10

(距離 11㎞、地図 大洲、歩行地 大洲市、内子町、歩数
 18,400)
     
 ちなみに、今回の歩行日程は26日(初日と最終日は半日)、
歩行距離731㎞(1日平均28.1㎞)でした。    〈前半完〉
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四国遍路道ふた旅(前編)・愛媛その4

2007-01-31 19:12:09 | 四国遍路道ふた旅
 第26日 2006年12月6日(水) 晴後快晴
 <43番明石寺>
 =鳥坂峠を越えて大洲へ=



 5時50分起床、6時30分朝食。お握りと牛乳、バナナなど
のお接待をいただき、7時10分に民宿とうべやを出た。好天
だが風はやや冷たい。


 県道31号を横切り、四国横断自動車道の工事現場近くから
遍路道へ。県道31号に出て少し進み、東屋のところから再び
山道に入る。

 200mほどは、くさりがついた急登なので、ゆっくりと上がる。

 あとは傾斜が緩み、宿から約1時間で標高480mの歯長(は
なか)峠に着いた。

 下から見えた送電線の鉄塔のところだ。小さいお堂にお地蔵
さんが数体並んでいた。

 下りは、展望のない杉の樹林を進み、工事中の四国横断自動
車道のトンネル横に出た。県道31号を少し下ると、歯長地蔵堂
がある。東屋もあったので休む。


 橋を渡らず、肱川左岸沿いに500mほど進み、右岸の県道
29号に回る。そばに番外霊場導引(みちびき)大師堂があった
のでお参りする。

 1㎞ほどは右を並行する旧道を進む。

 いったん県道に戻り、再び右手の旧道へ。松山自動車道の終
点、西宇和IC下を通過し、自動車道を2度くぐる。小さい森の中
の小さなほこらに、明石寺の奥の院、白王権現が祭られていた。

 山すその真っ直ぐな参道、途中に中務茂兵衛256度石が立ち、
43番明石寺(めいせきじ)に着いた。

 杉木立などの緑が豊富で、閑静な山すそにある。山門、鐘楼、
本堂、大師堂など、みな歴史を感じさせる。数本の太いモミジが
見ごろだった。

 前半の区切りの寺でもあり、無事ここまで歩けたことに感謝し
参拝、読経する。

 山門下から杉木立の中を上り下りして、宇和の町並みに入る。

 中町の通りは、旅館や酒蔵など、江戸末期から明治初期の家
がたくさん残り、その一つ、松屋旅館には、宿泊者や来館した
明治以降の著名人の名が掲げられていた。

 JR予讃線上宇和駅近くで県道29号に出て、すぐに東側の旧
道へ。「500m先遍路小屋」の標識があったので、昼食をしよう
と進んだが気づかず、宇和加茂局のそばで、県道に合流した。

 合流点に小さい芝生広場がある。県道の車の音が多生気に
なるが、シートを敷き、民宿とうべやさんお接待の弁当をいた
だく。

 広場には、交通安全を祈願する「安全の祈り」と記された、新
しいミニ地蔵が並んでいた。


 雲ひとつ無い好天となり、気温が上がり眠気とだるさを感じる。
その先も2か所、旧道を抜け、正信バス停先で左へ、鳥坂峠へ
の遍路道に下る。日陰の小斜面に、古い東屋があったので休
憩した。

 すぐ先、宇和島街道の要衝だったという鳥坂番所跡のそばか
ら、山道となる。

 上りが続くが、傾斜は緩めで幅も広く、かなりの人々の交流
があったことがうかがえる。

 しかし上り道はさすがに暑く、4日ぶりに大汗をかく。途中から
振り返ると、今通ってきた道筋が望まれる。

 鳥坂峠は標高470mだが、展望は得られず、すぐに下りに
かかる。

 杉林をトラバースすると、日天月天社という小さいほこらと、無
料宿泊小屋がある。林道に入り、途中の標識に従い下って国道
56号鳥坂トンネル北側に出た。

 少しだけ歩道が無いが、間もなく広い歩道が付いていた。国道
をどんどん下る。上りでは大汗をかいたが、下りの日陰は涼しい。
北方の展望が開け、雄大な山波が広がりが気持ちよい。

 2㎞近く下って右手に入り、番外霊場札掛大師堂に寄り参拝
する。前回は昼食をして、工事中の松山自動車道を見下ろした
のだが、すでに開通して料金所が見える。大師堂は無人だった。

 国道に戻り、さらにどんどん下る。川沿いの旧道に入り北只局
前を通過する。暗くならないうちに宿に入ろうと、ひたすら進む。

 松山自動車道下をくぐり、大洲の町並みに入った。おはなはん
通りなどの古い家並みも急いで通過、肱川から暮れゆく大洲城を
少しだけ眺め、17時ちょうど、ときわ旅館に入った。

 古き良き旅館のたたずまい。部屋は暖かくなっていて、布団も
敷いてある。洗濯機に入れて入浴、宿の若ご主人が、乾燥後、
きちんとたたんで持ってきて下さった。

 夕食は、広い部屋に1人だけで。旅館らしいきめ細かな味と飾り
付けで、おいしくいただく。

 最後の宿は、民宿とうべやさんのお勧めで来たのだが、若主人
の温かいもてなしと合わせ、大変気に入った。

(コースタイム〉民宿とうべや7:10ー山道入口(東屋)7:45ー歯長峠
8:05~15ー歯長地蔵8:55~9:04ー導引大師9:17ー稲生の旧道へ
9:54ー43番明石寺10:30~58ー宇和加茂局手前の広場(昼食)12:13
~40ー正信バス停13:37ー鳥坂番所跡手前の東屋13:54~14:00ー
鳥坂峠14:32ー鳥坂トンネル北14:58ー札掛大師堂15:33~38ー北只
局への旧道三差路16:11ーときわ旅館17:00

(距離 31㎞、地図 宇和島、卯之町、大洲、歩行地 宇和島市
 (旧三間町)、西予市(旧宇和町)、大洲市、歩数 53,700)
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四国遍路道ふた旅(前編)・愛媛その3

2007-01-30 19:19:36 | 四国遍路道ふた旅
 第25日 2006年12月5日(火) 晴
 <41番龍光寺~42番佛木寺>
 =宇和島市内を抜ける=



 5時50分起床、6時20朝食。夕食、朝食とも、別館2階の
部屋でいただく。野菜ジュースのお接待をいただき、おかみ
さんに見送られ、7時10分に三好旅館を出発した。


 古い民家の残る岩松川左岸から、右岸沿いの国道56号に
出る。通勤の車が多く、特に進行方向の宇和島方向への列が
続く。

 この交通量では、1710mもある松尾トンネルを排気ガスを
吸いながら歩く気にならず、西側を回る旧道へ。

 緩やかな上りが松尾トンネルまで続く。前回よりやや車が多い
感じだが、国道よりはるかに良い。

 旧道の松尾トンネル(約300m)内は歩道が無く、中間には
照明もないので、足元が見えないところもある。トンネルを抜け
て下り道となる。

 真珠貝破砕工場を過ぎ、大規模な採石場の反対側に、新し
い遍路道が出来ていた。

 遍路道は1㎞以上あるだろうか、柿木の集落まで続いた。
間もなく国道に合したが車を避け、西側の旧道を進む。

 1㎞足らずで工事中となり、国道56号へ回る。車の洪水で
騒音がわずらわしい。寄松の交差点から右へ入る旧道へ。
車が少なくなり、ホッとした。

 川沿いに出る手前に、番外霊場馬目木(まめき)大師が
あったので参拝する。

 背の高いイチョウがあり、落ち葉が一杯、お堂に積もって
いた。川沿いを500mほどで、宇和島の市街地になる。

 市街の真ん中の台地上に見える宇和島城の正面から右
に回り、中心街を通過し、アーケードの通りを横断する。


 NTTドコモショップがあったので入り、毎日幾つも着信する
迷惑メール対策をしてもらい、お接待の日本茶もいただいた。


 間もなく、別格6番霊場龍光院に着く。階段を上がった台地
上にあり、宇和島城や市の中心部の展望がよい。

 樹木の少ない開放的な境内に、四国八十八か所お砂踏み
場があった。かわいいお地蔵さんもある。


 宇和島駅の東側踏切を越え、国道320号へ。和霊町局で
最後の資金補充をする。北宇和島駅前を通過し、県道57号
に入る。

 上り坂にかかったところに、コンビニステーションと呼ぶ、無
人で飲料などの自販機が並ぶ場所がある。椅子と机が用意
され、前回も食事したところなので、今回もここで昼食とし、馬
目木大師の近くで買った弁当を食べた。

 県道57号は、光満川とJR予讃線沿いに北北東に少しずつ
上がって行く。陽が差し暖かくなったので、昼食後はジャンパ
ーを脱いだ。

 県道は広めの歩道があり、車も国道よりは少ない。市内の
あちこちで見た新春の宇和島闘牛のポスターが、梅林口バス
停にも貼ってあった。

 ちなみに、宇和島市のマンホールのふたのデザインは闘牛
である。


 家並みが少なくなり、急斜面に小規模の棚田も見える。新
屋敷バス停の先に、新しい遍路小屋21号光満があったので
休憩する。

 納札が数枚置いてあり、中に、同宿だった京都の人、途中
で会った鎌倉と鶴岡の人のもあり、元気に先行されていること
を確認した。

 この遍路小屋は開設したばかりのようで、真新しいノートに
は誰も記帳して無い。私がトップで記させてもらう。

 近くに、229度目の遍路を記した中務茂兵衛の遍路石が
立っていた。周辺では、四国横断自動車道の工事中である。

 県道を5㎞余り緩やかに上がって、ようやく拡幅工事中の
峠を越えた。予讃線務田(むでん)駅の手前で県道に分かれ、
広々とした田園地帯を北に向かう。


 2㎞足らずで41番龍光寺。久しぶりに鐘を突いてから参拝、
読経。山門は無く、石段上に本堂と大師堂が並ぶ。

 正面奥に稲荷神社もあり、サザンカが咲いていた。

 墓地の横から遍路道を上り下りして、県道31号へ出る。
この辺りも両側で四国横断自動車道の工事が進んでいる。静
かな里が、数年後はどう変わるのだろうか。

 明日越える歯長峠が正面に近づいてきた。


 龍光寺から40ほどで、42番佛木寺(ぶつもくじ)に着く。昨日
午後離れてしまった鎌倉のKさんが、お参りを終えたところ。
今日は歯長峠を越え、宇和町まで行くという。

 仁王門は古く、本堂の左に大師堂が並ぶ。鐘楼の屋根は、
四国霊場でもただ一つのかやぶきである。


 お参りを終え、500m前後で民宿とうべや。16時6に着いた。
おかみさんは居らず、親父さんが一人で世話をして下さる。

 洗濯機を借り、洗濯中に入浴。夕食は17時30分から。トロロ
汁などメニュー豊富で、おいしくいただいた。部屋は4畳半と狭
いが、暖房が良く利いてよい。

(コースタイム〉三好旅館7:10ー旧道へ7:44ー柿の木バス停8:48
ー祝森公民館9:12~20ーラッキーチェーン(旧道へ)10:18ー馬目
木大師10:25~29ーNTTドコモショップ10:55?~11:15ー別格6番
龍光院11:18~40ーコンビニステーション(昼食)12:23~49ー遍路
小屋21号光満13:41~55ー務田交差点14:16ー41番龍光寺14:37
~57ー42番佛木寺15:37~58ー民宿とうべや16:06

(距離 29㎞、地図 岩松、宇和島、歩行地 宇和島市(旧津島
 町、三間町含む)、歩数 47,200)
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四国遍路道ふた旅(前編)・愛媛その2

2007-01-29 22:58:38 | 四国遍路道ふた旅
 第24日 2006年12月4日(月) 曇後晴一時雨
 =柏坂を越えて津島へ=



 6時20分起床、7時からの朝食は、おかみさんと話しながら
いただく。昨夜はかなりの風が吹き荒れたが、朝になり治まる。
7時50分に民宿磯屋を出た。おかみさんが角まで見送って下
さった。

 御荘の町外れで雨が落ちてきたので、開店前のパチンコ屋
の軒下でポンチョを付ける。御荘の街路樹には、赤い実が
いっぱい付いている。

 坂道を北に上がっていると、後から大荷物の若い男性遍路
氏が追いつき、以後一緒に歩く。

 鎌倉市の人で、仕事を辞め、自分を見つめ直したいと遍路
に出たが、予想より厳しいという。12月下旬までの通し打ち
の予定で、野宿や善根宿などに泊まり、気の合った人に出会
ったら弾くというギターを片手に提げていた。

 国道56号は通勤者が多い。海の見えるところに、内海展
望所という東屋があったので休む。しかし今朝は気温が低く、
ポンチョを付けたままでも休むと寒い。

 真珠養殖のいかだを見下ろしながら内海へ下り、一昨年の
「トレッキング・ザ・空海」前夜祭会場だった思い出の場所、
ドーム形のDE・あい・21の手前から川沿いの遍路道に入る。


 500mほど集落を進み、民家の横から柏坂遍路道へ。竹杖
があったので借用する。広い土道を緩やかに上がる。かなり
ゆっくり上がったのと寒いので、上り坂だが汗も出ない。

 ところどころに野口雨情の歌碑が立ち、この地を詠んだもの
もある。


 番外霊場柳水大師そばの東屋で休んでいたら、ヒョウがパラ
ついてきたがすぐに止んだ。

 更に緩やかに上がり標高470mの最高点を過ぎ、番外霊場
の清水大師へ。小さいほこらだけで、名前のような清水はない。


 弘法大師ゆかりの日には、地元の人がお遍路さんに茶菓子
の接待をしたという、接待松を過ぎ、ビューポイントのつわな奥
に着いた。

 一昨年の「トレッキング・ザ・空海」で月岡祐紀子さんの屋外
コンサートを聴いたところ。海を見下ろす好展望地で、鎌倉の
遍路氏も感激する。

 緩やかな下りとなり、両側にはウラジロがたくさん伸びている。
送電線の鉄塔のそばの茶道休憩所にも東屋があり、休む。寒い
ので、一度脱いだジャンパーを着る。


 さらにウラジロの茂る緩い下り道を進み、川沿いの車道に出た。
150mほど戻ると、遍路ツバキがあるが、前回見たので寄らず
に先に向かう。

 弁当が無いので、どこかで調達したいが、遍路地図では5km
ほど先まで無さそう。もう13時になった。

 太陽が出ず寒さが気になる。ゆっくり歩きでは寒いので、どん
どん進んだら鎌倉遍路氏と離れ、見えなくなった。小さいがきれ
いな流れに、小魚がたくさん泳ぐ。

 上畑地の「泰山」という銘柄を掲げた造り酒屋、赤松本家酒造
前を通過し、国道56号沿いへ。

 国道下をくぐり芳原川沿いに進む。流れには、枯れススキが一
杯茂っていた。

 畑地小の先で橋を渡り、Aコープに入ったが、パンしかない。
パンを買おうとしたら店員が、道路向こうの農産物直売所にある
かも知れないと教えてくれた。

 行くと、「かも田の市」と呼ぶ農産物直売所で、幸いに弁当が
あった。そばに、11月15日にオープンしたばかりの歌先生設計
の遍路小屋19号津島・かもたもある。

 遍路小屋で遅い昼食をして、お接待に置いてあるポットの熱い
お茶とミカンを2ついただく。オープンに来た歌先生と山下さん
が記帳されたノートも拝見し、自分も御礼の記帳をする。

 鎌倉遍路氏は来ないので出発し、国道56号の北側の集落を
抜ける旧道を進み、15時56分に津島町の三好旅館に着いた。

 ここも前回大変気に入り、2度目の宿。部屋は暖かくなって
いて、ホッとする。風呂もよく、たっぷり浸かって冷え込んだ体を
温める。

 夕食は17時30分頃から。エビ、刺身、貝など、海の幸が一杯
でおいしい。1時間近くかけてゆっくりといただいた。

(コースタイム〉民宿磯屋7:50ー内海展望所9:38~52ー柏局手前
の三差路(遍路道へ)10:07ー柳水大師11:10~27ー清水大師
11:55ーつわな奥12:17~25ー茶道休憩所13:00ー国道横断14:05
ー遍路小屋津島・かもた14:33~15:08(昼食)ー三好旅館15;56

(距離 22㎞、地図(1/5万) 宿毛、岩松、魚神山(少し)、歩行地
 愛南町(旧御荘町、内海村)、宇和島市(旧津島町)、歩数
 40,100)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その16/愛媛その1

2007-01-28 21:41:10 | 四国遍路道ふた旅
 第23日 2006年12月3日(日) 曇
 <40番観自在寺>
 =松尾峠を越えて愛媛県に入る=



 5時50分起床、6時30分朝食。今朝は冷え込んだようなので、
厚いシャツにジャンパーを着て、軍手も着用し、7時20分に岡本
旅館を出発した。

 町外れのコンビニ、ローソンで昼食を調達し、西北に向かう遍
路道へ。住宅地の一角に、国史跡宿毛貝塚跡があった。

 縄文中、後期のもので、四国で最大規模のものだという。

 住宅地の外れから急坂を上がって行くと、宿毛湾や宿毛の
市街地の展望が開ける。

 
 舗装が途切れ、落ち葉がたっぷりの道を上がり、林間から
錦集落へ下った。


 3~40戸の集落を通過し、再び山道を上り下りして、両側に
池のある小深浦に出た。集落の間を抜けて車道に合する。少し
汗ばんできたので、ジャンパーを脱いだ。

 次の大深浦には、松尾坂口番所跡の説明板が立つ。東の番
所、甲浦とともに、土佐への出入りの監視所で、当時は1日に
2~300人の旅人で賑わったという。

 ポンカン畑の間を上がり、集落を抜けて、通夜堂にもなってい
る子安地蔵堂で小休止する。いよいよ県境の松尾峠への山道
になる。

 「頂上まで900m」の標識に、「交通ルールを守りましよう」とも
書いてある。この山道にもルールが必要なのだろうか?

 林間の視界が開け、宿毛湾とその向こうで回る12基の風力
発電用のプロペラが見える。


 9時40分、松尾峠にある松尾大師堂に着いた。昔は2軒の
茶屋があり、昭和4年(1929)に下の道路が開通するまで、
この峠道は、伊予と土佐を結ぶただ一つの街道だったという。

 長かった高知県の歩みが終わり、愛媛県、旧宇和島藩領に
入る。土佐国と伊豫国宇和島藩の古い石標も残っていた。


 愛媛側は、疑木の手すりのある緩やかな下りで、快適で明る
い林間の道。

 10数人の方が3か所ほどで、この辺に多いウラジロなどを
刈り払っていた。

 聞くと、下の集落の方で、年に2度、同様な作業をしている
とのこと。お陰で快適に歩けるのだ。感謝して下る。

 愛南町(旧一本松町)の最初の集落、小山に、「史蹟小山御
番所井戸」の説明板があり、そばの民家に残っている。

 奥様に聞くと、花などへの水やりに使っているとのことだった。


 太陽が出ず北風が冷たいので、再びジャンパーを着る。正午
を過ぎたので昼食の適地を探しながら進むが、風を避ける場所
がない。

 一本松の町並みを抜け、遍路宿である札掛宿を過ぎる。

 上大道集落に、「お遍路さん、集会所のトイレを使って下さい」
との張り紙があったので寄り、パラパラしてきた雨を避け、屋根
下にシートを敷いて昼食にした。

 動かないと手がかじかみ、寒い。今日は忘年例会で、芋煮を
楽しんでいるカントリーウオークグループのKさんにメールして、
早々に出発した。

 ところが、1㎞も行かぬところに「いっぷく堂」という遍路接待
所があった。畳敷きで風も避けられる部屋がある。せっかく
なので小休止し、お茶をいただく。

 個人のものなのでへんろ地図にも掲載してない。もう少し手前
だったらと、残念なことをした。  

 僧都川沿いに出て、左岸堤防を下る。「ホタルのいる川」の表
示があり、五月になるとホタルが飛ぶようだ。


 城辺町の町並みを抜けて御荘町に入り、中心街を進んで40
番観自在寺に着いた。

 前回、山下さんにお会いし、「トレッキング・ザ・空海」という、
よい思い出となる催しを教えていただいたところ。

 本堂は鉄筋で、堂内は明るい。納経所もその中にある。右手
の大師堂には、弘法大師ゆかりの大きな五鈷と三鈷が置いて
ある。


 境内には「栄かえる」という、親子3匹のかえるの石像があ
った。

 御荘の中心街を西に進み、15時35分に民宿磯屋に着いた。
おかみさんには「トレッキング・ザ・空海」前夜祭で大変お世話
になり、改めて感謝申し上げる。

 前回も泊まった2階の部屋に入る。洗濯はおかみさんがして
下さり、その間に入浴する。夕食は1階のこたつのある部屋で。

 おかみさんと、前回の思い出や、今回のあちこちでの交流など
を話しながらいただく。

 盛りだくさんの夕食で、もったいないが少し食べ残してしまった。
今日の最高気温は10度にならなかったようで、真冬並みの寒
さだった。

(コースタイム〉岡本旅館7:20ー貝塚上の遍路道へ7:55ー小深浦
の車道8:30~38ー子安地蔵堂8:50~58ー松尾峠(県境)9:40~
10:00ー車道へ10:25ー小山番所井戸10:41ー新田の東屋11:05~
12ー新惣川橋12:00ー上大道集会所12:23~13:11(昼食)ーいっぷく
堂13:23~40ー40番観自在寺14:45~15:11ー民宿磯屋15:35

(距離 23㎞、地図 宿毛、歩行地 宿毛市、愛媛県愛南町
 (旧一本松町、城辺町、御荘町)、歩数 38,400)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その15

2007-01-27 22:40:55 | 四国遍路道ふた旅
 第22日 2006年12月2日(土) 曇後晴
 <39番延光寺>
 =宿毛市内から打ち戻り=



 今日は距離が短いので、6時20分に起床、7時朝食。部屋は
こたつだけだったので室内は寒かったが、布団は暖かだった。
7時40分に小築紫の大島屋旅館を出る。

 国道321号を北へ、宿毛市の中心街に向かうが、朝の通勤時
刻なので、マイカーが多い。出がけにパラパラしてきたので、ザッ
クカバーは付けたが、ポンチョは出さずに済んだ。


 昨日と違い、海もその向こうの山なども霞んでいる。小さい峠を
過ぎて田野浦を抜け、道の駅すくもに寄る。高床造り御殿風の遍
路小屋11号がある。


 2階に上がると、宿毛湾の眺めがよい。

 道の駅には、レストランや、平屋5棟の海産物店などがあるが、
まだ開店前だった。

 遍路小屋で、若い女性遍路が休んでいた。大阪の人で、12月
20日過ぎまで通し打ちの予定とか。お勧めの宿の情報交換など、
1時間近く話し、ホットカイロを1つもらった。


 国道を進み、右カーブした先で松田川大橋を渡る。松田川の流
れに、カモメがたくさん浮いていた。

 土佐くろしお鉄道宿毛駅横の手前で高架を右折し、市内の中心
街に入り、今夜泊まる岡本旅館にザックを預ける。

 宿毛の中心街を東に抜け、松田川の宿毛大橋を渡って、延光
寺へ打ち戻りに向かう。

 橋の向こうで、延光寺を打ち終えた鶴岡の野宿遍路氏と行き交
う。何日か前に話したことを覚えておられ、「山形県遊佐町のウオ
ーキング大会に来るときには連絡を下さい」とのことで、納札を
交換した。

 南に並行していた国道56号に合し、次の信号で南側の遍路道
に入る。三差路に標識がないが、そばの作業場の方に教えても
らう。

 宿毛市立共同墓地横を経て国道56号に出て、戻り気味に北側
の旧道に回る。雲が増えて冷えてきた。風も冷い。黄色いキクが
花盛りで、サザンカも咲いている。1㎞ほどで再び国道に合流する。

 1.5㎞近く進み、北東に向かう遍路道へ。表示が無いので少し
迂回して別の遍路道に入り、39番延光寺に着く。38番金剛福寺
からまる3日の足どりだった。

 延光寺は、高知県最後の霊場。山門を入ると、延喜11年(911)
銘の、赤亀が梵鐘を背負った像がある。


 本堂で読経を始めたら、20人前後の団体遍路がやって来た。
12月に入ったが、土日にはやはりまだ巡拝バスの遍路ツアーが
あるようだ。

 もとの遍路道を戻る。食事によい場所がないので、国道に出る
手前の路傍で、立ったままで田んぼや山を見ながら、昨日、民宿
叶崎でお接待にいただいたおむすびを食べる。おむすびは海苔
付きで、リンゴも入っていた。

 風が冷たいので軍手を着用する。松田川を渡って市街地に戻っ
た角にある、宿毛歴史館に入る。

 吉田茂元首相など、幕末から昭和にかけて活躍した宿毛出身
の著名人20人の紹介や、企画展「一豊(かずとよ)土佐入国
功名のかなたに」など、30分近く観覧した。


 館のそばに、吉田茂の父と兄、竹内綱、明太郎顕彰碑と、その
実家があった。


 市内にはほかにも、宿毛ゆかりの人の生誕地などに、表示が
出ていた。

 14時47分、岡本旅館に入る。郷土料理が名物のようだが、
水道と風呂を工事中で、夕食は無い。

 9月に、料理に腕をふるったご主人が、入院3日、66才で急逝
し、後の処理が大変だったと、おかみさんが話された。

 夕食は、近くの焼き肉店兼居酒屋で。気温が低く、平地歩き
だけで汗をかかなかったので、毎日ずっと続けていた洗濯は休
んだ。

(コースタイム〉大島屋旅館7:40ー湊漁港8:10ー道の駅すくも8:42
~9:30ー岡本旅館10:20~22ー国道56号へ10:57ー39番延光寺
12:08~30ー中村の国道際(昼食)12:47~13:05ー宿毛歴史館
14:09~36ー岡本旅館14:47

(距離 22㎞、地図(1/5万) 宿毛、土佐中村、歩行地 宿毛市、
 歩数 35,900)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その14

2007-01-26 23:30:10 | 四国遍路道ふた旅
 第21日 2006年12月1日(金) 快晴
 =月山神社から大月へ=



 5時45分起床、6時20分朝食。弁当をお願いしておいたら、
お接待下さるとのことで、ありがたくいただく。7時に民宿叶崎
を出発した。

 そばの大津大橋に出たら、海に太陽が上がったばかり。雲
ひとつ無い快晴の空に、海からのすばらしい日の出を見ること
が出来た。


 叶崎の展望台に上がると、紺碧の海と岩礁の景観が見下ろ
せる。叶崎を詠んだ野口雨情の歌碑もあった。

 国道321号の脇ノ川トンネル(708m)を抜け、小才角の湾
に向かって下る。向かい風がやや冷たい。

 小才角の道路際で、今朝水揚げしたばかりの、みずみずしい
イカをたくさん干している。


 東屋のある小才角休憩所に、「土佐サンゴ発祥の地」の説明
板がある。

 徳川時代からこの辺りにサンゴの存在が知れていたが、土佐
藩では厳重に採取を禁止し、口外も禁じられていた。明治維新
後、この禁令が解かれ、サンゴ船による採取が行われたが、
その後乱獲で、大正12年(1923)にはほとんど中止状態に
なったようだ。

 その後は、五島、台湾、奄美などで採取するようになり、当地
では今なお、加工が盛んだという。


 岬を回り次の月灘へ大きく迂回する。港を見下ろす好展望地
に、歌先生の遍路小屋14号大月があったので休む。

 漁師の使つたらしい古い双眼鏡が置いてあった。


 眼下の港では、数人の漁師さんが網を繕っている。そばの道路
際で、かまどに湯を沸かし、身の赤いサツマイモを切ったのを蒸
そうとしていた。

 聞くと、「人参いも」といい、蒸した後で干して、もち米と一緒に
ついて、正月用のもちにするのだという。

 家並みの外れの急坂が、月山(つきやま)神社への遍路道。入
口に十八丁石があり、その先にも丁石が幾つか残っていた。

 簡易舗装が終わると落ち葉道。緩やな上り下りの後、小さい
流れを渡って車道に出た。

 500m余りで番外霊場月山神社。もとは神仏混合の霊場で、
明治元年(1868)に月山神社になったという。

 本殿背後の急坂上に、名のもとになった月形霊石があり、
本殿横に、安政5年(1858)建築と推定される大師堂もある。

 車道を北に進み、右カーブ点で直進する大月遍路道へ。前回
の遍路の際、出会った山下さんが、古い資料から見つけ出した
昔の遍路道を、復活しようと地元大月町の方々に呼びかけて
復活した道である。

 新しい切り株から最近整備したことが知れ、幅広く狩り払われ
ていて歩きやすい。

 展望台まで上がると、樹間から紺碧の海や対岸の好展望が得
られる。

 下りとなり、やや暗い常緑広葉樹林を抜け、枯れた流れの先
でゴロゴロ石の浜辺に出た。

 石の上を300mほど道路の堤防下を進み、堤防の端で車道
に上がる。

 暖帯林の山すその平坦地を1.5㎞ほど進んで赤泊(あかどま
り)の小集落へ。入口の赤泊神社には、町の文化財、赤泊太刀
踊りの説明があった。

 あらかじめご連絡し、11時にお訪ねする約束のNさん宅の近く
と思われる場所で、役場からお帰りになるNさんを待つ。ほどなく
来られ、やはりすぐそばだったお宅におじゃまする。

 訪問の目的は、古い遍路札を拝見すること。Nさんのお宅は、
江戸時代からの善根宿で、その頃の遍路札が残っていることを、
大月遍路道のことを見つけた山下さんや、その知人の竜馬16
さんから聞いていた。

 奥の間に用意された、米俵一杯に詰まった遍路札を見せてい
ただく。現在の印刷した納札と違い、全部手書き。19世紀前半
の文政、天保、文化年間が多いとのこと。

 研究者によれば、全部で10,579枚あり、北は北海道から南
は鹿児島まで全国から来ていたらしい。研究資料を拝見すると、
わが埼玉県も56枚あった。

 奥様が昼食まで用意して下さり、ごちそうになる。午後は集落
の草刈りに出られるとのことで、ご多忙の中で1時間余りも、
貴重な時間をさいていただいた。深く感謝申し上げて失礼する。

 谷間を緩やかに上がって左からの車道に合し、姫の井で国道
321号に戻る。国道には広い歩道があり、車も少な目。両側の
開けた開放的で明るい道筋。日差しは暖かく、穏やかな日和で
ある。

 右から県道352号、左から県道43号と合し、間もなく道の駅
大月。Nさんも協力されたという歌先生設計の遍路小屋9号大月
がある。売店で、ここの名物ポンカンソフトを買い、休憩した。


 大月町の中心街は歩道が無い。その上車の交通量が増え、側
溝の上を歩くようになる。西側の山上で、風力発電のプロペラが
7つ回っている。町外れには、全部竹製の遍路小屋2号大月が
あった。

 日が傾き風が少し冷たくなった。大月町から宿毛(すくも)市に
向かって下り、水量豊富な福良川を渡る。15時43分、小築紫
(こづくし)の港に面した大島屋旅館に着いた。

 ピカピカに磨かれた木の階段を上がり、港に面した部屋に入る。
入浴後、港の向こうの山に夕日が落ちた。洗濯はおかみさんが
して下さる。夕食は、タイの刺身など郷土料理をおいしくいただ
いた。

(コースタイム〉民宿叶崎7:00ー叶崎トンネル西7:20ー大月町へ
7:45ー遍路小屋14号大月(月灘)8:27~35ー月山神社9:19~33
ー大月遍路道9:46ーゴロゴロ石終わり10:18ーNさん宅(待ち時間
&昼食も)10:43~12:23ー姫の井局12:55ー道の駅大月13:55~
14:15ー遍路小屋2号大月14:45ー宿毛市へ15:15ー大島屋旅館
15:43

(距離 26㎞、地図(1/5万) 土佐清水、柏島、宿毛、歩行地
 土佐清水市、大月町、宿毛市、歩数 42,400)
 
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