あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…
2016年7月24日(日)
今日からときどき、5月28日(土)~6月3日(金)の7日間に巡った中欧5か国の
旅の中で撮った写真を、幾つかのジャンル分けして紹介します。
最初の今回は、中欧4か国の首都とドイツ・ドレスデン市内で市民の足となっている、
トラム(路面電車)やトロリーバス、そしてバスです。
各都市とも、足で歩いて観光した時間はわずかなので、これら交通機関をたくさん見か
けながらも、撮れたのはほんの少しだけでした。特にバスはたくさん見ていますが、カメ
ラを向けたのは限られたところだけでした。
最初はオーストリアの首都ウィーン市内を走るトラム。ウィーン市内は5月28日(土)
から30日(月)朝と、帰国前日の6月3日(金)に巡っているので、トラムはあちこち
で見ました。
これは連接車ですが何両編成なのか分からず、その中央部の側面はミカンのような果物
の広告に隠されています。
ウィーンの中心部は、リングと呼ぶ街路樹の多い環状道路に囲まれていますが、そのリ
ングを走るトラムを幾つか。
ウィーンのトラムは6路線あるようですが、市街地の中心部を走る1番、2番、71番
系統をたくさん見かけました。
こちらは2番の路線のよう。
車体の塗装色は3種類あるようです。
次はチェコの首都プラハのトラム(5月30日(月))。
大きなパンタグラフが目に付きます。
プラハのトラムは市内を縦横に走り、路地裏までも網羅しているようですが、観光時間
が短かったのでこれだけでした。
プラハ市内を走るバス
3番目の都市、ドイツ中東部のドレスデンのシュロス広場付近を走るトラム。ドレスデ
ンを訪ねたのは、5月31日(火)の午後でした。
車体側面には、小型自動車の広告が並んでいました。
2階建てバス、観光バスかもしれませんが…。
エルベ川のアウクストゥス橋を渡るトラム。
ドレスデンでは、切符はSバーン、トラム、バスに共通して使用できるとか。どの交通
機関でも乗り継ぎ自由のようです。
4都市目は、スロバキアの首都ブラスチラバを走るトロリーバス。6月1日(水)です。
ブラスチラバのトロリーバスは14の路線があるようですが、旧市街の中心部には乗り
入れていないとのこと。上と下の2つの写真は、移動途中のバスの中から撮ったもの。
ブラスチラバにはトラムも8路線あるようですが、巡ったのは中心部のわずかな距離だ
ったので、見かけませんでした。
最後、5都市目は6月2日(木)、ハンガリーの首都ブダペストのトラム。いずれも移
動中のバスから撮ったもの。
ブダペストのトラムは、いずれもシンボルカラーの黄色い車両のよう。
2系統は、ドナウ川沿いの国会議事堂前からくさり橋、エルジェーベト橋、自由橋など
ドナウ川にかかる橋や、対岸の王宮やゲッレールトの丘を眺められる路線とのこと。
上の2105号車は最新の車両のよう。
ブダペストのバスの色は皆ライトブルーとか。以下の2つのバスも乗っていたバスから
撮ったもの。
このトラムは側面の窓が多くて、展望はは良さそう。
こちらも2系統のトラムですが、赤レンガ壁の向こうの専用軌道を走っているので、下
回りの黄色い彩りが見えません。
さて、帰国前日の6月3日(金)に再び戻ってきたオーストリアの首都ウィーンの、リ
ンク周辺を走るトラムをもう少し。
↑71番路線↓
オペラハウス近くに停車中の2階建てバス。
オペラハウス前の停留所
こちらも、オペラハウスから近い交差点だったと思います。
このあとウィーン国際空港に向かい、翌6月4日(土)に帰国しました。
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第7・8日 2016年6月3日(金)~4日(土)
== ハンガリーのブダペストからオーストリアのウィーンに戻り帰国へ ==
最後の宿泊地、ハンガリーの首都ブダペストのホテル アクインカム ブダペストにて、
6時30分に起床して、7時25分頃からホテルのレストランで朝食をした。今朝は快晴
である。
バスに乗り、8時27分にホテルを後にして、帰国のためにオーストリアの首都ウィー
ンに向かう。ブダペストからウィーンへは、西北西に240㎞くらいかと思われる。
朝のラッシュ時なので、ウィーンの市街地を抜けるのに少し渋滞したが、郊外に出ると
高速道路は円滑に流れるようになった。
ウィーンに向かう高速道路E60号線は大型トラックが結構多く、周辺は緑豊富な畑作
地帯や緩やかな森林などの展望が広がる。
1時間半ほど走ると、たくさんの発電用風車の設けられた一角を通過した。
10時03分、店舗も併設しているガソリンスタンドに入りトイレ休憩に。ウィーンま
ではあと140㎞前後かと思われる。10時20分に出発した。
その先は平坦地が続き、ウィーンへの距離の中間辺りにある町ジュール(Györ)を通過
し、前後には麦やトウモロコシ、ラベンダー、ナノハナ畑などの広々とした展望が続く。
国境近くには再び発電用風車が増え、11時09分に国境のゲートに着いた。
チェックがあるのかゲートの前後は少し待たされたが、結局チェックらしいのは無く、
10時20分にゲートを出て4日ぶりのオーストリア国内に入る。
オーストリア側にも発電用風車が続き、一昨日ブラスチラバ城から見えたのは、この近
くかとも思われた。
正午を過ぎて間もなくウィーン郊外に入り、次第に建物が増えて市街地に戻った。バス
を下りて、12時24分に近くのレストランに入って昼食をする。
13時03分にレストランを出てバスに乗り、中央市場や金色の球体のゼツェスィオー
ン前↑など通過して、13時30分にオペラ座前↓でバスを下りた。空港に行くまで時間
があるので、15時までフリータイムとなった。
地図を見て、西側近くに2日目の5月29日(日)に訪ねなかった王宮庭園があると分
かり、その周辺を巡ることにした。
街路樹が続きトラムの走る通りを数分で王宮庭園に着いた。庭園の南側、道路側にドイ
ツの文豪ゲーテ(Goethe)の座像がある。
庭園に入って右手には、フランツ ヨーゼフⅠ世(Franz Joseph Ⅰ)の立像があった。
フランツ ヨーゼフⅠ世は、1848~1916年の間のオーストリア帝国の皇帝で、
オーストリア=ハンガリー帝国成立後はハンガリー国王も兼ねたとか。
68年に及ぶ在位と国民からの絶大な敬愛から、晩年は「国父」とも賞され、オースト
リアの象徴的存在だったという。皇后は、美貌で知られるエリザベートである。
木々の向こうに新王宮の建物らしいのが望まれ、芝生地で憩う人も。
左手、西方に回ると、古典派音楽の代表として知られ、ウィーン古典派三大巨匠の一人、
モーツアルトの銅像があり、手前の芝生には花でト音記号が描かれていた。
王宮庭園の北西側を占める新王宮に向かって園内を進む。王宮庭園側は新王宮の裏側に
あたるようだが、その入口前には騎馬像がある。
台座には「DIVI FRANCISCI I ROM IMP 」と記されているのでローマ皇帝かと思われ、
調べてみたが誰か分からなかった。
王宮庭園の新王宮側をもう少し回り込む。大きなボダイジュにたくさんの花が咲き、付
近に小さな池があり、池の噴水は変わったポーズの裸像だった。
庭園の北東側にはガラス張りの建物があり、たくさんの人が見える。
「蝶々の温室」のようで、中に入ると蝶々が優雅に舞い、子供だけでなく大人も楽しめ
るというが、時間が無いので入らなかった。
新王宮の入口付近に回って、建物やたくさんの飾り物などを眺める。
新王宮と旧王宮の間から、北側に抜けられないかと回ってみたが通れないので戻る。
王宮庭園の芝生地で憩う人々や、南側の建物↓などを眺めながら新王宮の西側から、街
路樹の続くリングの通りに出た。
北西に少しで、ヘルデン(Helden)(英雄)広場の入口に立つヘルデン門(ブルク門と
もいう)の前に出た。
5つのアーチの並ぶ門をくぐって英雄広場に入ると、右手(南東側)に半円形の新王宮
が広がる。
新王宮は、1881年から1916年にかけて建てられたネオ・バロック様式の建物で、
ハプスブルク家最後の王宮。1938年には、ドイツのアドルフ・ヒトラーがこの新王宮
のテラスからオーストリア併合を宣言したという。
新王宮内には、国立図書館の閲覧室や民俗学博物館などがあるらしい。
正面入口近くには、オイゲン公騎馬像がある。オイゲン公はフランスの出身、神聖ロー
マ皇帝レオポルト1世に将軍として迎えられ、1863年にはウィーンが20万を越える
オスマン・トルコ軍に包囲されたが、オイゲン公の活躍で防衛に成功したという。
英雄広場の反対側、北西側の中央部にはカール大公騎馬像もあった。カール大公は皇帝
フランツ1世の弟で、オーストリア軍を指揮してナポレオンと戦った将軍とのこと。
2本の足だけでバランスよく立っていて、ドミニク・フェルンコルンという彫刻家の傑
作のようだが、彼自身はこの騎馬像がバランスを崩して倒れる夢にうなされ、精神に異常
をきたしてしまったという話があるらしい。
広場の向こう北西側の樹間から、ゴシック様式が美しい市庁舎が望まれる。
ゴシック建築の名手フリードリヒ・フォン・シュミットの傑作で、完成は1883年と
いう。
実は王宮広場には、今回の観光初日の5月29日(日)午前に訪れていたのだがすっか
り忘れていて、帰宅後に記録や写真を見て思い出したのだった。
ヘルデン門に戻って王宮広場を出て、西側突き当たりのマリア・テレジア(Maria
Theresien)広場に行く。
広場の北西側には自然史博物館↑が、反対の南西側には同じスタイルの建物、↓美術史博
物館が対照的に建てられていて、広場は2つの建物の間にある。
広場の中央あるのが、広場の名のもとになるマリア・テレジア像。
マリア・テレジアは神聖ローマ皇帝カール6世の娘で、ハプスブルク・ロートリンゲン
朝の皇帝フランツ1世シュテファンの皇后であり共同統治者。オーストリア大公、ハンガ
リー女王、ボヘミア女王で、ハプスブルク君主国の領袖(りょうしゆう)であり、実質的
な「女帝」として知られる。
そろそろ集合地のオペラ座前に向かうことにして、トラムがひっきりなしに通過する往
路のリング通りを戻る。
往路では気付かなかったが、オペラ座の前には大きな噴水があった。14時50分にオ
ペラ座の前に着いた。
オペラ座前からバスに乗り、15時00分に出発して中心街から南東10㎞余りにある
ウィーン国際空港に向かい、15時40分頃空港に着いた。
搭乗手続きをして出国審査を受け、免税店などの並ぶ長い構内を進んで搭乗口のG11
番ゲート付近に行き、駐機場に出入りする各国の飛行機などを眺めながらしばらく時間を
待つ。
搭乗予定時刻は17時05分だったがなかなか搭乗を開始せず、出発予定時刻に近い
17時45分から搭乗が始まる。
往路では中間の4列並びの席だったが、帰路は右側窓側の席になった。
ウィーン国際空港17時50分発オーストリア航空OS-051便のB777-200
型機は、30分遅れの18時20分に離陸した。
飛行機はワルシャワ東方からロシア、サンクトペテルブルク付近を経て長大なシベリア
大陸北部を東に向かう。
機内食は19時50分頃配られ、その後は機内灯が消えたので、前座席背面のディスプ
レイで、半世紀前に見た映画「サウンド・オブ・ミュージック」を久しぶりに見たりして
過ごす。
長い長いシベリア大陸北部を通過してハバロフスク上空を過ぎ、北海道の西方辺りで日
本海に入り、日本時間4日(土)10時25分頃に朝食が出た。
やがて飛行機は日本海から東北上空に入り、窓からは稜線周辺に雪の残る東北の山並み
が望まれる。
成田国際空港には、到着予定時刻の11時55分より早い11時40分に着陸した。
預けた荷物を受け取り、宅配業者に依頼したりして、京成電車の成田空港駅12時47
分発の上り特急電車に乗り帰路につく。
(歩数 帰路の京成電車車中まで 10,700)
========================================
1か月余りかかり、ようやく8日間の旅のレポートを終えましたが、撮ってきた写真が
まだたくさんあるので、行程のレポートとは別の切り口で何回かに分けて紹介したいと考
えています。いつまでかかるかも分かりませんが、興味のある方はまた、時々のぞいてみ
てください。
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2016年6月2日(木)
== 世界遺産ブダペストの観光と郊外のドナウベント観光(後半) ==
午前中のブダペスト市内の観光を終え、午後は全員、選べるプランのうちの<Aプラン>
ドナウベント観光に参加する。13時26分にバスは出発した。
「ドナウベント」とは、オーストリアのウィーンからスロバキアとの国境を東に流れて
きたドナウ川が、国境を離れると急に向きを南に変えてブダペストに向かう。このドナウ
川が弧を描く辺りを「ドナウベント」と呼び、幾つかの名所旧跡がある。
それらのうち、エステルゴムとセンテンドレを訪ねるのが、午後の<Aプラン>の行程
である。
地下鉄1号線の起点駅のあるヴェレシュマルティ広場の近くからバスに乗り、ドナウ川
左岸に沿う道を上流(北)に向かう。
平行してトラム2号線の線路↑が走り、間もなく国会議事堂↓の横を通過する。
反対側のドナウ川も眺めながら進む。
郊外に出てドナウ川を渡り、西北西に向かう。民家の少ないところまで進むと、ナノハ
ナ畑が見えてきた。
中ほどを過ぎた辺りのPiliscsabaの町には大学があり、建物は第二次世界大戦後駐留して
いたソ連軍の兵舎を転用しているという。下は大学の校門と思われる。
町を出ると、西側の丘陵にはモトクロスのコースらしいものが見えた。
やがて、右手に平行して単線非電化の鉄道線路が近づき、しばらく併走する。
踏切を越えた辺りの線路際には新しいコンクリート柱が立ち、近く電化されるのではな
いかと思われた。
最初の観光地、エステルゴム(Esztergom)の駐車場に14時55分に着いた。ブダペス
トの北西約60㎞、スロヴァキアとの国境に近い町である。
エステルゴムはハンガリー建国の地で、マジャル族が9世紀にこの地に定住し初め、イ
シュトヴァーン一世が997年に初代ハンガリー王となり、ハンガリーの都として栄えた
という。
13世紀半ば、モンゴルの襲来で壊滅的な打撃を受けてブダペストに遷都されたが、
1715年からカトリックの総本山が置かれ、宗教上重要な町となり今日に至っていると
いう。
城壁のような建造物の横にある階段を上がると、大聖堂の正面が望まれる。建物は
1822年から50年かけて再建したとのことで、ドームの高さは100m、直径は
53.5mあるという。
大聖堂前の高い台座上に「Magyarok Nagyasszonya!」と刻まれた立像がある。どうやら
ハンガリーの聖母像らしいが詳細は分からない。
大聖堂の内部に入り、荘厳な内部を一巡して拝観する。祭壇画「聖母マリアの昇天」は、
1枚のキャンバスに描かれた祭壇がとしては世界最大とか↓。
ほかの祭壇画も皆大きく、きめ細かな銀細工の装飾を施した祭壇↑、16世紀初頭のル
ネサンス時代に造られたという赤い大理石のバコーツ礼拝堂↓、背後の大きなパイプオル
ガンなど、堂内のすべてに目をひかれた。
大聖堂を出て裏手の展望台に回り、ドナウ川や対岸のスロバキア方面、眼下の建物など
を眺める。
バス乗り場に戻る途中には、汽車スタイルの観光用の乗物が停車していた。
バスは15時35分に出発して次の観光地、センテンドレに向かう。
少し北上してから東に向かうと、間もなくドナウ川の流れが目に入る。一昨日夕方、ブ
ラスチラバからブダペストに向かった列車が後半、ドナウ川の見えるところを通過したが、
ちょうどこの辺りの対岸(左岸)になるようだ。
ドナウ川が見えなくなり緩やかな山並みの麓などを過ぎ、山上に古城↓の見えるところ
や、どの家も広い敷地の住宅地の続く町などを通過する。
16時35分にブダペストの北方約20㎞の町、センテンドレ(Szentendre)に着いた。
センテンドレは、14世紀にオスマン・トルコの襲撃から逃れてセルビヤ人やギリシャ
人達が来たのが始まりで、のちトルコの支配下におかれるが、17世紀末にはセルビア人
などが定住したようだ。
彼らの多くは手職人や商人で、町に独自の文化や習慣、建築様式などを植えつけ、20
世紀になると多くの芸術家が移り住むようになり、町には小さい美術館や画廊、博物館が
多いという。
小さな土産物店などの並ぶ石畳の狭い通りを数100m進んで、フェー(中央)広場ま
で行く。
広場は幾つかの細い通りが合していて、中央にあるのは18世紀後半に建てられた「商
人の十字架」で、この下にセルビア人の男が逆さまに埋められていると言われているよう
だ。
広場に面してブラコヴェシュテンシュカ(Blagoveshtenska)教会がある。
「感謝教会」という18世紀に建てられたギリシア正教の教会とか。広場には、ちょっ
と変わった手洗い場のようなものももあった。
ここでフリータイムとなり、17時30分にバス乗り場に集合となったので、広場周辺
を見てからバス乗り場に戻ることにした。雲が厚くなりポチポチと雨が落ちてきたので傘
を差す。
来た方向の反対側、斜め右手の緩やかな坂を少し進むと、別の教会があった。入口のポ
ーチ上には「Värqshàza」と記されている。
時間を見て、この辺りから戻ることにした。美術館らしい建物や郵便ポスト、街並みな
どを眺めながらフェー広場に戻り、往路をバス乗り場に向かう。
少し戻ったら、右手の建物の間からドナウ川の流れが見えた。小さな土産物などをたく
さん並べた店や、しゃれたカフェ、博物館らしい建物、この地方特産の琥珀(こはく)の
店の前などを過ぎる。
もう一度ドナウ川が見えたので川沿いの道路に回り、豊富な水量でゆったりした流れを
一望する。対岸に渡る小さい渡船場もあった。
元の通りに戻り、さらに続く店舗などに沿って進む。大きな街路樹には、クルミらしい
実が付いていた。
Y字路際の小さい電柱が倒れて道をふさぎ、パトカーが来て左手の迂回路に回るよう指
示していたので、それに従って平行する通りへ。往路で目に付いていたオールドカーのあ
る店の前で往路の道に合した。
左手台地上に教会らしい建物が見え、その一帯は豊富な木々に囲まれている。間もなく
バス乗り場に戻り、17時40分にバスは出発してブダペストに向かう。
バスは南下してドナウ川の橋を渡って少し川沿いを進み、ブダペスト市内まで5㎞ほど
のところにあるレストラン↓に18時10分過ぎに入る。
最後の夜の夕食は「フォークロアディナーショー」と呼ぶ、情熱的なハンガリー伝統の
音楽と舞踊を楽しみながら味わい、最後はツアーメンバーも呼ばれて一緒に踊ったりして
盛り上がる。
19時35分にレストランを出てバスに乗り、さらにこの後のお楽しみ、ドナウ川での
ナイトクルーズに向かい、20分ほどで乗船場に着いた。
何隻かが平行して並ぶ船の一番先の船に乗り、まだ明るさの残る20時にクルーズ船は
乗船場を出て下流(南)に向かう。船は我々だけの貸し切りである。
船は右岸側を走行するので、主に右岸のブダ地区の町並みを間近に眺め、少し冷たい風
を受けつつ移りゆく風景を楽しむ。
中の島であるマルギット島の南端にかかるマルギット橋をくぐると、左岸ペスト側河岸
そばにある世界遺産の国会議事堂が近づく。
正面にくさり橋やブダ側のゲッレールトの丘が望まれ、右に左にと皆さんカメラを間断
なく向けて、シャッターを切る手が休まらない。
ブダ側に、午前中訪ねたマーチャーシュ教会や王宮↑が近づき、薄暮が進んで幾分かラ
イトが目立ってきた。
エリザベート橋の上、ゲッレールトの丘に立つ自由の像も近づいてきた。周辺にはクル
ーズ船が幾つも並んでいる。エリザベート橋の下、がけを背にするのはルダシュ温泉のよ
う。
次の自由橋下を通過し、さらに次々に見えてくる建物を眺め、その次の橋の近くで左旋
回して上流に向かっての折り返しとなる。
帰路になると皆さんのシャッター回数もさすがに減って、ゆっくりと眺めている時間が
増える。
何度かの食事の席で、一番気兼ねなく同席させていただいたMさんから、一緒に写真を
と誘われたので私も撮らせてもらったが、ストロボが発光せずアンダーの写真になり残念
だった。
王宮のライトが往路よりいっそう目立ってきた。くさり橋にもライトが点灯し、両岸の
街灯も明るくなった。
国会議事堂際まで戻ると、ライトに輝く議事堂の影が水面に揺れ、世界一美しいと呼ば
れる国会議事堂が輝きを増す。
乗船場より少し上流まで進んで戻り、20時50分過ぎにクルーズ船を下りた。
バスに乗り対岸のブダ側に回ってホテルに向かう途中、ドライバーさんが国会議事堂の
対岸辺りで止めて、5分ほどの撮影タイムを取ってくれた。21時15分を過ぎて、すっ
かり暗くなった対岸に、国会議事堂が黄金色に輝いていた。
連泊のホテル アクインカム ブダペストには予定時刻の21時30分に戻った。
(歩数 12,600)
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第6日 2016年6月2日(木)
== 世界遺産ブダペストの観光と郊外のドナウベント観光(前半) ==
ハンガリーの首都ブダペストの、ホテル アクインカムにて6時25分に起床し、7時
20分頃からホテルの食堂で朝食をする。ホテルは、ブダペストの中心部よりやや北、ド
ナウ川の中州であるマルギット島の北端に架かるアールバード橋の右岸そばにある。
いつものバスに、今日午前中案内してくれる女性ガイド・ウェイグル(Veigl)さんも
乗り、8時30分にホテルを出発した。朝食を終えた頃は降っていなかったが、バスに乗
る頃には雨になった。
今日の予定は、午前中は世界遺産ブダペストの観光、午後は2つのプランが選べるよう
になっていて、<Aプラン>は郊外のドナウベント観光、<Bプラン>はブダペスト市内
の街歩きをしたい人向けの自由行動だが、全員が一昨日午後のドレスデンと同様に<Aプ
ラン>を希望したようだ。
ちなみにハンガリー共和国は、西のオーストリアから北のスロヴァキア、東のウクライ
ナ、ルーマニア、南にセルビア、クロアチア、スロヴェニアの7か国と接していて、面積
は日本の約4分の1の9万3千平行㎞余り、人口は約990万人で、そのうち首都ブダペ
ストは約173万人という。
2004年にEUに加盟したが、通貨は独自のフォリント(Ft)で、1,000フォリン
トが約400円である。
ブダペスト(BUDAPEST)は、町の中央を流れるドナウ川で東西に二分され、西側(右
岸)がブダ(Buda)、東側(左岸)がペスト(Pest)と呼ばれ、二つの地域が統合されて
ブダペストになったという。
ガイドのウェイグルさんによれば、「ブダ」はスラブ語でスラブ人の名、「ペスト」は
紀元前4~5世紀から住んでいたケルト人の言葉で、「かまど」のことだという。
雨に濡れるドナウ川右岸沿いを南下して、中心部にあるくさり橋の横から右岸(西側)
ブダの丘陵上にある「王宮の丘」に上がり、9時10分過ぎにバスを下りた。
雨なので傘を差して進み、マーチャーシュ(Màtyàs)教会のそばの三位一体(さんみ
いったい)広場に行く。
三位一体広場は、王宮の丘で最も賑やかなところ。広場の中央にバロック様式の三位一
体像が立っている。
18世紀に造られたもので、昨日訪れたブラスチラバと同様のペスト記念碑で、この町で
再び悪病がはやらぬよう魔除けとして建てられたという。
高い尖塔が目に付くマーチャーシュ教会は、15世紀のマーチャーシュ王の時代に、も
との聖母教会を大規模に改築したものとか。1867年にはオーストリア皇帝フランツ・
ヨーゼフとエリザベート皇妃の、ハンガリー王妃と王妃としての戴冠式が行われたという。
正面入口横のマーチャーシュ塔は高さ80m、もうひとつのベーラ塔は36mの高さ。
屋根にはカラフルなモザイク模様が施されている。
教会の北東側、ドナウ川を見下ろすところには「漁夫の砦(とりで)」と呼ぶ白亜の砦
がある。1896年に建国1,000年の記念建造物として計画され、完成したのは1902
年で、かつて砦を守ったのが漁師だったことから漁夫の砦と名付けられたらしい。
ハンガリー的な尖り屋根の塔が7つあり、ロマネスクとゴシック様式の混ざり合ったユ
ニークな回廊。砦の前の広場には、ハンガリーの初代国王、聖イシュトバーンの騎馬像が
ある。
騎馬像のそばで説明するガイドのウェイグルさん。
砦からは、東側眼下にドナウ川と対岸のペストの街並みが望まれるが、雨に煙って遠望
は利かない。
国会議事堂(世界遺産)
9時30分まで少しのフリータイムの間、砦の周辺を見て回ったが、マーチャーシュ教
会に入る時間はなかった。漁夫の砦の広場に面した建物。国旗が掲揚されているので国の
施設だろうか。
、
近くの刺繍の店↑に入り、説明を受けた後10時15分までフリータイムとなり、刺繍
の飾り物や衣装などの買い物を楽しむ人も。
店を出て、ドナウ川やペストの町並みを高みから見下ろせる遊歩道を進む。
遊歩道にあった水飲み場。何かの記念に造ったものらしい。
坂の途中からバスに乗り、10時30分に出発して同じブダ側下流の次の橋、エリザベ
ート(Erzsébet)橋の西側段丘上のゲレルト(ゲッレールト)(Gellért)の丘に上がる。
ここには2つの展望台があり、市内きってのビューポイントとか。
最初に高い方の展望台からドナウ川や両岸の街並みを眺めたが、三位一体広場と同様に
雨で霞み、期待したほどの展望は得られなかった。
それでも、ブダ側の王宮やその下に架かるくさり橋、くさり橋近くを移動するクルーズ
船、ペスト側の国会議事堂らしい建物などが望まれた。
数分間の展望で下の展望台に向かう。左手の城塞のような石積みの建物の壁面に、
1890年から1945年にかけての古いブダペスト風景の写真が大きく引き延ばされて
並んでいた。
5分足らずで下の展望台があるが、やはり雨のため同じような展望しか得られない。
展望台には、ブダペストがユネスコ国際遺産に認定されたことを記したパネルがあった。
さらに少し下のバス乗り場に向かう途中に、ホップに似た花が咲いていた。
バスは11時5分に出発してエルザベート橋を渡り、東側のペスト地区に入ってドナウ
川左岸沿いの通りを北進する。道路際の気温表示は20℃を示し、今日は涼しい。
対岸の、王宮↑や最初に訪ねたマーチャーシュ教会↓などを眺めながらくさり橋際まで
進む。少し先で折り返して戻り、インターコンチネンタルホテルの横からアンドラーシ通
りを東へ向かう。
くさり橋
インターコンチネンタルホテルの前には、Eötvös Jözsefと記された立像が見え、通りの
両側には、古い建物がたくさん並んでいる。
11時45分に英雄広場の近くでバスを下りたら、雨も上がっていて傘は要らなくなっ
た。英雄広場は、かつてハンガリーの主要民族だったマジャル族による建国1,000年
を記念して造られた広場。
中央に立つ建国記念碑は高さ35mあり、その回りに並ぶのは、マジャル族の隊長アル
バートを初め、ほかの部族長の騎馬像14体だという。
また、半円形の大列柱の間の像は、イシュトヴァーンやマーチャーシュ王など歴史に残
る国王や、ハンガリー独立や自由のために戦った近代指導者たち14人らしい。
英雄広場の周辺には、教会や美術館のような建物が幾つか望まれる。広場の西北側にあ
るのは国立西洋美術館。
アテネのパルテノン神殿を思わせる建物は、建国1,000年を記念して造られたとの
こと。館の前では催し物の準備が進められていた。
広場の南西側は現代美術館。国立西洋美術館と同じ設計者が1895年に建てたもので、
現代アーティストたちの作品を展示しているという。
東側少し離れて見えるのは、ヴァイダフニャト(Vajdahunyad)城。王が暮らす城ではな
くてヨーロッパ最大の農業博物館があり、外観の美しさから「城」と呼ばれているようだ。
やはり1896 年のハンガリー建国1,000 年祭のために建てられたという。
10分余りで英雄広場を後にした。西側の通りを横断して、南西に延びるアンドラーシ
通りの下を走る地下鉄1号線の英雄広場(ホーショク・テレ)(Hösök tere)駅に下る。
地下鉄1号線(M1)も、建国1,000年の1896年を記念して開通したもの。ヨー
ロッパ大陸部最初の地下鉄であり、ロンドンの地下鉄に次ぎ世界でも2番目に古く、世界
遺産に登録されている。
12時05分頃乗車し、ドナウ川に近い起点駅のヴェレシュマルティ広場(Vörösmarty
tér)までの8駅、10分足らずを乗車した。8駅でも駅間距離が短く、終点までは3㎞
前後のようだ。
近くのカフェ兼レストラン ジェルボー(Gerbeaud)に12時15分頃に入り、昼食を
する。ジェルボーは200年の伝統を誇る老舗で、ハンガリー貴族にも愛された店だった
とか。デザートは、その伝統的なケーキだった。
13時20分頃店を出て近くの通りからバスに乗り、13時26分にバスは出発した。
午後の選べるプラン<Aプラン>のドナウベント観光に向かう。(続く)
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2016年6月1日(水)
== スロバキアのブラチスラバ観光後ハンガリーのブダペストへ ==〈続き〉
ブラスチラバの旧市街フヴィエズドラヴォヴォ広場の西南端からSNP橋のそばまで移
動してバスに乗り、橋の西北、ドナウ川のほとりの高台にある、ブラスチラバ城に向かう。
マリアテレジアの側近の宮殿だったという、ロココ調建築の大統領官邸↑の横を通過し
てバスは上り坂を回り込み、14時50分頃、城のそばのバス駐車場で下りた。
さらに緩やかな坂を上がって門をくぐり、城内に入る。
ブラスチラバ城は、12世紀にはロマネスク様式の石造りの城があったらしいが、
1431~34年にかけてゴシック様式の城に改築され、その後オスマン帝国の侵攻に備
えて防備を強化して、1635~46年にかけての改築で、現在の外観がほぼ整ったとか。
16世紀にはハンガリー王国の首都になり、18世紀にはマリア・テレジアの居城にも
なるが、のち文化の中心がウィーンやブダペストに移り、1811年に大火災で荒廃し、
復旧したのは第2次世界大戦後らしい。
四隅に塔を持つことから、「ひっくり返したテーブル」とも呼ばれ親しまれているとい
う。門を入った広場に、モラビア王国のスヴァトプルク王(Svatopluk)の騎馬像がある。
15時10分まで少しの時間フリータイムとなった。内部の一部は国立歴史博物館にな
っているようだが、時間が無いので入口周辺を眺めるに留め、南側の展望台に行く。
眼下に満々と水をたたえたドナウ川やSNP橋が見下ろせ、その向こうに新市街の建物
群も望まれる。
西方遙かには、オーストリア国内の数え切れないほどの発電用風車が目に入る。
まだ時間が残っていたのでもう一度城の入口付近まで行くと、揃いの衣装をつけた男性
の列が出てきて、門に向かって下って行く。
博物館入口から中庭だけを眺めてから、門に近い一番高い展望台にも上がり、もう一度
ドナウ川やオーストリア方面を眺める。
展望台の一角では、見学に来た小学生らしいグループが記念写真を撮っていた。
時間が来たので門に向かって下り、門の近くの駐車場からバスに乗る。北方2㎞足らず
にあるブラスチラバ中央駅前で15時25分頃バスを下りた。
今日はこの後、15時53分発の国際列車ユーロシティの2等車で、最後の連泊地であ
るハンガリー首都ブダペストに向かう予定である。着駅ブダペスト東駅までの距離は約
203㎞のよう。
ちなみに、ユーロシティ(EuroCity、略称EC)とは、ヨーロッパにおける国際列車の
列車種別で、主要駅のみを停車する優等列車だが、一般に最高時速は200㎞以下で、
ICEなどの高速列車を運行している国では、これらに次ぐ種別と位置づけられているよ
うだ。なお、今日乗る列車は、プラハ-ブラティスラヴア-ブダペストを結ぶ系統らしい。
駅舎に入ると、コンコースのホーム側に大きな壁画が描かれている。1964年にフラ
ンチェスク・ガイドシュという画家が描いた、「社会主義叙情詩」と呼ぶフレスコ画だと
いう。
その下の電光掲示板には、ブダペスト東駅行きユーロシティの列車は10分遅れと表示
されている。
20分ほどフリータイムになったが、コンコースはかなりの人出で待合室らしいのも無
さそうないので、1番線ホームに入ってみた。
これまで訪ねたヨーロッパの鉄道駅と同様にこの駅でも検札は無く、誰でも自由にプラ
ットホームに出入りできる。
ホームに入ると、外はいつの間にか雷雨になっていて、かなりの降雨である。観光中は
暑かったが、この雨に会わなかったのは幸いだった。
5面あるプラットホームには、次々に列車や回送の電気機関車などが入線したり通過し
ていて、鉄道好きは見飽きない。
さらに雷雨が激しくなり雷鳴も増え、ヒョウらしい大ツブの塊も降ってきた。雷雨はな
かなか止まず、一方、列車の遅れ表示はドンドンと大きくなる。
たくさんの列車を見られたのは良いが、結局35分余り遅れて16時31分にブダペス
ト東行きのユーロシティ、EC-279列車は発車した。
ようやく入線してきたブダペスト東駅行き列車。
座席に置かれていた時刻表によれば、ブダペスト東駅までの間は途中5駅に停車する予
定になっていたが、次のNové Zàmky駅↓では28分ほど停車し、その次のStuùovo駅でも
15分停車するなどして、途中でさらに遅延が増える。
国境を越えてハンガリーに入ったと思われる辺りで、線路に平行して右側にドナウ川の
流れが見え、降り続いていた雨は次第に止み、ブダペストに近づくにつれて天気は回復し
てきた。
ブダペスト最大のターミナルであるブダペスト東(Budapest Keleti)駅に着いたのは、
予定時刻18時35分より約1時間半遅れの20時01分だった。
列車の先頭部を見ると、乗車時には1両だった電気機関車が2両になっている。どうや
ら電気機関車の故障で、遅れが積み重なったように思われた。
駅舎は、1884年に完成したイクレクティシズム様式と呼ぶ造りとか。完成当時は、
ヨーロッパでは最もモダンな駅舎とされていたという。
駅前広場に出て駅舎をふり返り、迎えのバスに乗る。
15分ほどで夕食をするレストランに行き、ハンガリアングヤーシュと呼ぶ夕食をする。
21時20分頃レストランを出て再びバスに乗り、今回の旅の最後、今日明日連泊のホ
テル、アクインカム ブダペストには21時40分頃到着した。
(歩数 8,600)
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第5日 2016年6月1日(水)
== スロバキアのブラチスラバ観光後ハンガリーのブダペストへ ==
連泊したチェコ首都のホテル、デュオプラハで5時30分に起床、6時30分から朝食
をして、7時30分にバスはホテルを出た。
今日は、今回の旅で最長の移動日。午前中はプラハから南東に約337㎞のスロバキア
の首都ブラスチラバに行き、観光後、さらに東南東に約200㎞の最後の宿泊地であるハ
ンガリーの首都ブダペストまでの予定である。
朝のラッシュで混雑するプラハ市街地を抜けて、木々の多い高速道を進む。
道路工事中のために一時渋滞した所を過ぎ、9時50分から10時10分までガソリン
スタンド兼店舗の店でトイレ休憩する。
10時52分頃、チェコ南東部の主要都市らしいブルノ(Brno)で、南に延びる国道2
号線に入る。緩やかな丘陵地帯に広がる町並みや草原地帯、大豆や麦畑などの広がる沿道
をさらに進む。
11時30分にチェコとスロバキアとの国境に着き、次のトイレ休憩。ドライバーさん
は、何らかの手続きでかなりの時間をとる。国境の検問所は廃止されていて、ガランとし
ていた。
11時49分に出発してスロバキア国内に入り、遠望の利く草原地帯を南下する。豊富
な水量を見せるドナウ(Dunaj)川を越えて、首都ブラスチラバ(Bratislava)市街に入った。
ドナウ川沿いを少し進み、12時35分にブラスチラバ城↓下の新しい吊り橋、SNP
橋のそばで下車する。道路際の気温表示は28度で、暑さを感じる。
ちなみに、SNP橋は車道の下に歩道があり、歩いて渡ることも出来るとか。南側の主
塔は展望塔にもなっていて、プラスチラバでは最高の地上95mの建築物で、展望台から
は市街全景が眺められるという。
スロバキアの首都ブラスチラバは、ドナウ川の両岸に広がりオーストリア・ハンガリー
国境に接し、ウィーンまでは60㎞程の距離。近郊には農地も多くブドウ栽培が盛んで、
ワインの産地としても名高いとか。人口は約41万人という。
なお、スロバキアの面積は、北海道の5分の3ほどの4万9千㎢余り、人口は約540
万人余りのよう。
ブラスチラバは、9世紀頃から長くハンガリー王国の一部で、1541年に当時のハン
ガリー王国の首都ブダがオスマン帝国に攻め落とされ、王位がハンガリー貴族からハプス
ブルク家に継がれるようになった。
のち首都がここに移され、1563~1830年の間は当地の聖マルティン大聖堂でハ
ンガリー王11人の戴冠式が行われ、マリア・テレジアもその一人。マリア・テレジアは
ブラスチラバ城に好んで居住し、町は18世紀頃大きく発展したという。
だが私はこのツアーに参加するまで、スロバキアの首都がブラスチラバという名の都市
であることは全く知らなかった。
スロバキアがチェコスロバキアから分離独立してスロバキア共和国になったのは
1993年1月で、EUに加盟したのは2004年5月だという。
SNS橋際から北に向かうと、その聖マルティン大聖堂が見えてきた。14世紀初頭に
建てられ、ブラスチラバで最古の教会である。
近くの広場には鉄製の前衛的な彫刻があり、細い通りを抜けた緑地には「BERNOLAK
1762-1813」と記された胸像がある。
ANTON BERNOLAKというスロバキアの言語学者でカトリック聖職者でもあり、最初の
スロバキアの標準言語を作った人らしい。
さらに少し進んで昼食をするレストランに入り、12時45分から13時35分まで魚
料理の昼食を味わう。
昼食後、若い男性ガイド、マイケルさんの案内で旧市街を回る。カフェテラスの並ぶ通
りを進むと、「モーツアルト」のプレートの掛かった建物がある。
6歳のモーツアルトがこの家の前で演奏したことがあることから「モーツアルトの家」
と呼ばれいるとか。建物は近年までオーストリア大使館だったようだが、現在は移転した
のかオーストリア国旗は掲揚されてなかった。
すぐ近くにはフランツ・リストが幼少の頃過ごしたという建物があり、やはり銅板のプ
レートが掲示されていた。
正面に見えるミハエル門に向かって進む。門といっても塔の方が目に付く建物は、旧市
街の城壁に幾つか設けられていた門のうちでただ一つ残る門で、16世紀に現在のような
ルネサンス様式に改築されたらしい。塔の部分は現在、武器博物館になっているという。
ミハエル門の近くまで進んで右折して、旧市街の中心のフラヴネー(Hlavné)広場に
出た。
広場の東北側、塔のある建物は旧市庁舎で、現在は市歴史博物館になっているようだ。
広場の中央部には大きな噴水があり、3階建ての建物はフランス大使館だろうか…。
東側の4階建ての建物には日本大使館があり、日本国旗が掲揚されていた。
13時55分から14時20分までフリータイムになったので、広場周辺を回る。ブラ
スチラバの町中には、ユニークな像や看板など、ストリートアートが多いのが魅力の一つ
とか。椅子にもたれかかるこの像もその一つ。
広場の片隅には観光用のミニバスが待機していた。建物を囲む中庭が見えたので入って
みた。何の建物か分からないが、小学生くらいの子どもたちが催しを終えたところだった。
広場の北側には、観光客目当てのテント張りの露店が並んでいる。小さな飾りや民芸品、
絵皿、人形などなどカラフルで、見て回るだけで楽しい。
東側の日本大使館の建物前にも衛兵のような彫刻がある。大使館の1階のウィンドウに
は、日本語のポスターも掲示されていた。
さらに回ると町並みをデザインした椅子や、騎士の彫刻なども見られた。
14時20分に集合して、東南へのリバールスカ・ブラーナ(Rybärsja Bräna)通りに向
かう。Panskä通りとの交差点際には、「下水道の掃除人」と呼ぶブラスチラバで最も人気
のオブジェがある。
西南に真っ直ぐ延びる、フヴィエズドラヴォヴォ(Hviezdoslavovo)広場に出た。通りの
東北端辺りに、スロヴァキア国立劇場(オペラ座)がある。
ウィーンの建築家の設計により1886年に建設された劇場で、フランツ・リストはこ
の劇場で15回オペラを指揮したという。
午後は気温が上がり暑いが、この長く延びる公園には広葉樹の街路樹が続くので、その
緑陰を進む。
ここにも幾つかの彫刻があり、中心部にはこの公園の名のもとになったスロバキアの詩
人 Országh Hviezdoslavの座像がある。
アメリカ大使館前を通過した辺りには、動物を抱く少女の像とクリスチャン・アンデル
セン(Christian Andersen)の立像があった。
アンデルセンはブラスチラバを訪問したことがあるようで、像にはアンデルセン物語の
主人公も掘られていた。
フヴィエズドラヴォヴォ広場の西南端まで進むと、三位一体像↑が立っている。像は、
伝染病ペスト終息の記念碑らしい。(続く)
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2016年5月31日(火)午後
== プラハ歴史地区とドイツ・ドレスデンの観光(後半) ==
昼食を終えて12時20分にバスに乗り、チェコの首都プラハからドイツ中東部の都市
ドレスデン(Dresden)に向かう。ドレスデンは、プラハからは北北西に約150㎞ほど
になるよう。
実はこの日の午後は、Aプランとしてドレスデン観光を、Bプランとしてプラハ市内の
町歩きを楽しむ自由行動という、2つのプランが選べるようになっていたのだが、27名
全員がドレスデン観光のAプランを選んだ。
プラハ郊外に出ると麦畑などの平坦地がしばらく続く。
やがて低いながら緩やかな山並みが見えてきた。
13時40分から14時近くまで、ドレスデンへ60㎞余りのところにあった店でトイ
レ休憩の時間をとる。
国境近くになると高速道路が無くなり、山間の集落を抜けたり幾つかの峠越をする辺り
は道路が狭まり、カーブの多い道が続く。
再び直線の多い高速道路となり、チェコ・ドイツ国境も分からぬうちに通過して、ドレ
スデン市内に入った頃には雨模様になった。
14時50分にドレスデンの旧市街、エルベ川にかかるアウクストゥス(Augustus)橋
近くでバスを下りた。雨は止んでいたが雷鳴が聞こえ、今にも降り出しそうな雲行きだ。
ドレスデンは、エルベ川沿いに栄えたザクセン王国の古都で、アウグスト大王の時代に
は全盛期を迎え、華やかな宮廷文化が繰り広げられた歴史的な街。
第二次世界大戦末期の1945年2月には、連合軍の爆撃で街そのものが徹底的に破壊
されたが、東西ドイツ統合後に再建が進んで往時の姿に修復されており、現在はザクセン
州の州都で、人口約52万人という。
橋の南側のテアーター広場で、ガイドの日本人女性(お名前はメモ漏れ)と落ち合い、
案内してもらう。
テアーター広場は、ゼンパーオーパー(Semperoper)(ザクセン州立歌劇場)、カトリッ
ク宮廷教会、ツヴィンガー宮殿↓(Zwinger)などに囲まれていて、中心にザクセン王の大
きな騎馬像がある。
それら周辺を見回しているうちに、ガイドさんから第二次世界大戦で破壊されたときの
様子を、写真で説明してくれる。
広場の西北は、毎日のようにオペラやバレエ、コンサートが上演されるというゼンパー
オーパーだが、現在は修理中のよう。
東側のドレスデン王宮↑の方に向かう。右手のバロック様式の建物↓はカトリック宮廷教
会。正式名称は三位一体大聖堂と言い、ザクセン州最大の教会のよう。
エルベ川沿いに回って、ブリュールのテラスと呼ぶ高みから川を眺める。石造のアウク
ストウス橋は、エルベ川に架かる最古の橋とか。
対岸は新市街である。現在は水位が低いが、何年か前の大雨では増水して沿岸に被害も
出たらしい。東側の長い橋はカローラ橋。
川沿いを少し東進すると、建物の間からドレスデン美術大の↑ガラスドーム(通称「レ
モン絞り器」)や、ブラウエン教会↓、ドレスデン王宮などの塔が望まれる。
1764年設立でドレスデン最古の大学、ドレスデン美術大学↑の手前を右折して、川
を離れた。
狭い通りのミュンツガッセ通りを南進し、ブラウエン教会(聖母教会)の前へ。
ドレスデンのシンボルともいえる教会で、1726年から17年かけて建てられたが、
第二次大戦の空襲で倒壊して廃墟になり半世紀近く放置され、1994年から再建が始ま
り2005年に昔の姿に蘇ったとのこと。
再建作業では、がれきの山から石材を拾い出し、その位置から使われていた場所を割り
出して再建に使われたが、使用できない石材も多く、かなりの部分は新しい石材が使われ
たようで、気の遠くなるような作業により現在の姿に蘇ったという。黒っぽい石材が空襲
を受けて焼けたもの。
少し先から見たブラウエン教会。
ドレスデン王宮に向かうと、クリーム色の建物が目に付く。タッシェンベルクパレス
ケンピスキーと呼ぶホテル。
ザクセン王が王妃のために建てたタッシェンベルク宮殿を再建したもので、アメリカの
オバマ大統領やロシアのプーチン大統領も宿泊しているという。
王宮のそばのノイマルクト広場には、ドイツ生まれの宗教改革の創始者、マルティン・
ルター(Martin Luther、1483~1546)の立像がある。
空が暗くなり、心配していた雨が落ちてきて雷鳴も増えてきた。ガイドさんは雷が嫌い
のようで、雷鳴を気にしながらもガイドを続けてくれる。
広場を横切り、ドレスデン交通博物館の横を通過する。
建物はザクセン王の居城だったレジデンツ城の一部で、厩舎や馬車置き場として16世
紀末に建てられたとか。
博物館は東ドイツ時代の1956年に開設され、地元ザクセン州や東ドイツゆかりの鉄
道車両などを保存展示しているという。
すぐ先、ドレスデン王宮のひとつ、シュタルホーフと呼ぶ建物の外壁に、高さ8m、全
長102mにわたり、約2万3千枚ものマイセン磁器タイルを使って、歴代35人の国王
らの行進する姿が、左から右へと年代順に描かれている。
中ほどにあるアウグスト2世は、ザクセン選帝国の首都ドレスデンを文化的中心地に変
え、ヨーロッパ中から芸術家や音楽家を宮廷に招聘し、バロック様式の宮殿を建設したと
のこと。隣は息子のアウグスト3世である。
ドレスデン王宮は第二次世界大戦で破壊されつくされたが、この壁だけは破壊を免れた
とのこと。陶磁器の作品としては世界最大級のようで、絵の下には歴代の王の名と年代が
記されていた。
出発したテアーター広場付近に戻り、カトリック宮廷教会やドレスデン王宮の横を通過
して、西側のツヴィンガー宮殿に入った。
アウグスト1世の時代の1732年に建造された豪華な宮殿で、18世紀のバロック建
築の最高傑作といわれているとか。やはり第二次世界大戦で崩壊したが、1992年に修
復されたという。
宮殿内には、アルテマイスター絵画館、武器博物館、数学物理サロン、陶磁器コレクシ
ョンの4つの美術館と博物館があるという。
宮殿を囲む広い中庭には4つの噴水があり、緑の芝生は雨に濡れてしっとりとした彩り
を見せる。中庭を横断して反対側に抜けて宮殿を出た。
ドレスデン王宮やカトリック宮廷教会の近くを通過してバスの駐車場に戻る。
バスは、16時12分にプラハに向かって出発した。
同じ道を戻る途中も雨は止まない。17時45分から18時までマクドナルドの店でト
イレ休憩をする。
峠越えになる頃には雨は上がった。晴れていたプラハ市内に戻り、ヴルタヴァ川沿いの
街並みを眺めながら進む。
バスを下り、旧市街に近いレストランに19時15分に入り夕食をする。
19時55分にレストランを出てバスに乗り、連泊のホテル デュオプラハには20時
30分過ぎに戻る。 (歩数 23,000)
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第4日 2016年5月31日(火)
== プラハ歴史地区とドイツ・ドレスデンの観光 ==
チェコの首都プラハのホテル デュオプラハにて5時40分に起床した。2階の部屋から
外を見ると雨模様である。
6時30分からホテルのレストランで朝食をして、7時45分にホテルからバスは出発
する。午前中は、世界遺産プラハ歴史地区の観光である。
バスに乗り込み、今日のプラハ観光のガイドをしてくれるのは、ベテラン男性ガイドの
Tさん。長くプラハにお住まいのようで、まずは自らの生い立ちを漫談調で話し始め、チ
ェコやプラハのこと、両側に次々に見えてくる建物の説明など、笑いを誘いながら説明が
続く。
ちなみに、チェコ共和国は面積約7万8千8百㎢余りで日本の5分の1弱、人口は約
1,050万人余り、EUに加盟しているが通過は独自のコルナで、1コルナは約5円と
みればよいよう。
首都プラハは、ヨーロッパ最大の中世都市で人口は約124万人、プラハ歴史地区は
1992年に世界遺産に登録されている。
建築の町とも呼ばれ、10世紀後半からのロマネスク様式をはじめ、ゴシック様式、ル
ネッサンス様式、バロック様式、さらに20世初頭のアールーボー様式から現代建築まで、
数百年を隔てた建築物が隣り合いながら調和した独特の景観を見せているという。
スメタナの交響詩「わが祖国」で知られる、雨に濡れるヴルタヴァ(モルダウ)川沿い
を進む。
8時15分頃、昨日夕食に向かうために下りた王宮庭園近くでバスを下りたら、雨はほ
ぼ上がり傘は要らなくなった。正門からのぞき見た王宮庭園。
昨日も最初に通過した、プラハ城の北門から入る。
第2の中庭から門をくぐり、第3の中庭に入って聖ヴィート教会(大聖堂)の前へ。
圧倒されるような大ゴシック建築の大聖堂は、14世紀にカレル4世により現在の建物
への改築が始まったが1420年にいったん中断され、現在の姿に完成したのは1929
年とのこと。
全長は124m、幅60mで、天井の高さ33m、一番高い南塔は96.5m、西側の
2塔は82mあるという。
第2の中庭に戻り、9時15分までフリータイムとなり、希望者は添乗員のKさんが案
内してくれるというので皆さんが後を追う。聖ヴィート教会の南側は、16世紀までの歴
代の王宮として使われたところ。
現在は大統領府として使われていて、チェコ国旗が入口上部に掲揚されていた。
第3の中庭の東側に回ると、赤レンガの美しい聖イージー教会がある。
920年の創建で、現在の姿は火災後の1142年に再建されたもの。城内最古の教会
だという。
その横から、緩やかに下る細い通りのイージー通りを少しだけ進み、北側の黄金の小路
に回り、聖ヴィート教会の東側部分の建物を眺める。
最後に聖ヴィート教会に入り、高いドームや、19世紀末から20世紀初頭にかけて造
られたという見事なステンドグラスの数々、祭壇などを一巡して眺めた。
入口から見て左側3つ目のステンドグラスは、チェコ出身でアールヌーボーを代表する
画家として知られるアルフォンス・ムハ(ミュシャ)の作品というが、祭壇側に柵があり
正面から撮ることはできなかった。
ミュシャの作品の一部分。
プラハ城西側の正門を抜けて、昨日夕方市街地の展望を楽しんだフラチャニ広場に9時
15分に集合し、東に向かって「新登城道」と呼ぶ長い階段を下る。
途中の壁面にはアルフォンス・ミュシャの胸像が掲げられていた。
さらに細い通りを抜けて、プラハ城南麓の繁華街らしいマラー・ストラナ広場に出た。
トラムが走り、そばに聖ミクラーシュ教会が望まれる。
教会は18世紀半ばに造られたもので、プラハ・バロック建築の頂点に立つといわれ、
1787年にはこの教会のオルガンでモーツアルトが演奏しているという。
東に延びるモステッカー通りへ。クラシックカーの止まる横を通過し、東端でマラー・ス
トラナ橋塔のアーチをくぐる。
すぐ先に、ヴルタヴァ川の細い分流、チュエルトフカ川の橋があり、振り返るとマラー・
ストラナ橋塔がどっしりと構え立つ。
左の低い方は12世紀の古い橋の一部で16世紀に改築され、高いゴシックの塔は
1410年に建設されたとか。
川の上流側にはかっぱの像があるとのこと。肉眼では見えなかったが、ズームアップで
撮ったこれがそうらしい。
ヴルタヴァ川のカレル橋の西岸に出た。川向こうの旧市街にはたくさんの塔が並び立つ。
カレル橋はプラハ最古の石橋で、カレル4世時代の14世紀後半~15世紀初めにかけ
てゴシック様式で建造されたもの。
全長約520m、幅約10mあり、両側の欄干には30体の聖人像が立っている。
ゆったりと流れるヴルタヴァ川や両側の建物群、聖人像などを眺めながら、橋を旧市街
に向かって進む。
左(下流)側中央部の8つ目、聖ヤン・ネポムッキー像は1863年の制作で橋上最古
の像とのこと。
下のレリーフに触れると幸運が訪れるといわれ、観光客が次々に触れていたので、私も
そのすきを見て触れて幸運を祈る。
その先3つ目、上流側にあるのは聖フランシスコ・ザビエル像。ザビエルが布教した東
洋の人達が、楯に乗った聖人をかついでいる。
対岸は旧市街で、橋のすぐ上流の突き出した一角にスメタナ博物館がある。
市街給水塔の管理棟として建てられ、1936年に博物館となり、チェコの大作曲家ス
メタナの自筆楽譜や日記、書簡、贈答品などが公開されているという。
橋を渡り終えて旧市街橋塔をくぐって旧市街に入る。ゴシック建築の旧市街橋塔は14
世紀末に建設されたもの。
橋塔をくぐって旧市街に入り、様々な建築や賑やかな通りを眺めながらカレル通りを進
む。
少し先で左折してクリム・ガラス宮殿前に出た。玄関をバロック建築の彫刻が囲んでい
る。18世紀初頭にハプスブルク大使のために建てられたもので、現在はプラハ市の資料
館になっているようだ。
さらに細い通りを抜けて、旧市街広場に出た。東にディーン教会の2本の塔がひときわ
目に付く。
広場は大変な人出で賑わっている。西側には旧市庁舎があり、塔の下部には二つの文字
盤を持つ天文時計がはめ込まれていて、9時~23時の間、毎時ちょうどになると仕掛け
が動き出すとのこと。
上の時計は、地球を中心に回る太陽と月など天体の動きを示し、年月日と時間を示しな
がら1年かけて1周し、「プラネタリウム」と呼ばれているらしい。
下の時計は、黄道と12宮、それに農村の四季の作業を描いた暦で、1日ひと目盛り動
き、「カレンダリウム」と呼ぶようだ。
広場に面した、モーゼル(Moser)と呼ぶガラス工芸店に入り、店員の説明を聞いた後
フリータイムとなり、精巧で美しいボヘミアンガラスの品々を各々眺めたり、買い求めた
りする。
私は特に買うものもないので広場に出て、周辺を少し巡ってみた。様々な建築様式の建
物が並び、どれが何様式か分からないがどの方向を見ても見飽きない。
広場の西北側にある聖ミクラーシュ教会は18世紀の建造とか。
広場の北東側にはヤンスキー宮殿がある。優雅なロココ様式の建物は、ゴルツ伯爵の依
頼で1755~65年に建てられたという。
広場の北側、ヤンスキー宮殿の近くにはヤン・フス像がある。ヤン・フス(Jan Hus)は、
15世紀のチェコにおける宗教改革の先駆者。本職はカレル大学の総長だったが、民衆に
分かりやすい説法で幅広い支持を得ていたという。
フスの像は、没後500年の1915年に造られ、周囲を囲むのはフス派の戦士や国家
再生の意味を込めた母の像らしい。
11時の天文時計が動く時刻が近づいたので、集合場所のモーゼルの店の近くに戻る。
動きを見ようと、時計塔の周りは大変な人だかりなっていた。
11時になると鐘が鳴り仕掛けが動き出したが、動いている場所を目で追っているうち
に終わってしまった。
動いたのは約40秒程度だというので、すべての動きを確認できなかったようだが、
1410年に造られたという天文時計の仕組みの精巧さには感心した。
旧市街広場を後にしてツェレトナー通りを東進すると、正面に火薬塔が見えてきた。
15世紀後半に建設された高さ65m、ゴシック建築の塔で、17世紀半ばに町がロシ
ア軍に包囲されたときに火薬庫として使われ、1886年に改築してから「火薬塔」と呼
ばるようになったという。
11時10分頃、近くのレストランに入り、早めの昼食をした。12時05分頃にレス
トランを出て火薬塔の下を進み、共和国広場へ。
ここも観光客などで賑わい、露店もたくさん並んでいる。
広場の西側はアールヌーボー様式の市民会館で、コンサートホールや展示会場、レスト
ランなどのある文化施設とか。
毎年恒例の国際音楽祭「プラハの春」はこのホールで開催され、スメタナ作曲「わが祖
国」の全曲演奏で幕を開けるという。
旧市街の東に出て、少し離れたバスの駐車地まで歩いてバスに乗る。午後の観光地、ド
イツ中東部のドレスデンに向かうため、12時20分にバスは出発した。(続く)
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2016年5月30日(月)〈続き〉
チェスキークルムロフの広場に面したレストランで昼食後、13時頃から13時45分
までのフリータイムとなり、回っていなかった通りに入り、商店のウィンドウや色とりど
りの建物などを眺めながら一巡して広場に戻った。
往路とは違う城の大きなアーチの下の橋を渡って、バスの駐車場に戻る。14時45分
にバスは出発して、北方約180㎞の行程を今日の宿泊地であるチェコの首都プラハに向
かう。
麦畑や平地林、そして点在する集落など起伏の少ない平原地帯を進み、16時~16時
33分、途中のマクドナルドの店舗でトイレ休憩をする。
ヨーロッパでは公園など公共の場所でもトイレは有料のところが多いが、マクドナルド
の店はほとんどが無料のよう。
7日間の移動すべてでお世話になったデラックスバス。
その後は、緩やかながら幾分か起伏ある地帯が増え、好天に浮かぶ雲など緑と青空の広
がる気持ちよい風景を眺めながら進む。
ナノハナ畑も見られる。
車線が増えてプラハ市内に入り、チェスキークロムロフよりかなり川幅を広げたヴルダ
ヴァ川を渡ったが、17時30分を過ぎて夕方のラッシュ時刻となり、鉄道線路のたくさ
ん並ぶ辺りから渋滞となり、20分余りはノロノロと停止を繰り返す。
渋滞区間を通過後、長いトンネルを抜けて市街地に入り、17時57分にプラハ城の近
くでバスを下りた。明日も観光するようだが、夕食のレストランへの近道のようなのでプ
ラハ城内を抜けて行くという。
プラハ城は、市街地の中心部を流れるヴルタヴァ川の西側にあり、旧市街は川を挟んで
東側に相対している。
ニセアカシアの咲く王宮庭園前を進み、北門をくぐってプラハ城内へ。
東側に大きな尖塔の聖ヴィート大聖堂を見ながら第2の中庭に入ると、コール噴水と呼
ぶ大きな噴水が、南側には聖十字架礼拝堂あった。
西側の第1の中庭を抜けて正門を出て、フラチャニ広場から城をふり返る。
さらに少し進んで、18時10分に夕食をするレストランに入り、魚料理の夕食を済ま
す。
19時10分にレストランを出てフラチャニ広場に戻り、東側眼下に広がるプラハ旧市
街の町並みや、その先の丘陵まではるかに広がる展望を楽しんだ。
遠くの丘陵上に見えるのは、TVタワーらしい。
往路を戻ってプラハ城の北側でバスに乗り、19時30分にバスはプラハ市内のホテル
に向かう。今日明日連泊のホテル デュオプラハ(Duo Praha)には20時15分に入った。
20時30分を過ぎてもまだ外は明るい。ホテル8階の部屋からは、南側の集合住宅な
どが一望できる。ようやく日没になったは21時近くだった。 (歩数 10,300)
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第3日 2016年5月30日(月) 晴
== チェスキークルムロフからプラハへ(チェコ) ==
今日は、オーストリアの首都ウィーンから西北西に約204㎞ほどバスで進んで、チェ
コの古都で世界遺産に登録されているチェスキークルムロフ(Cesky Krumlov)を観光後、
さらにバスで北に約180㎞走ってチェコの首都プラハ(Praha)までの予定である。
5時33分に起床、6時25分から朝食をして、バスは7時58分にウィーンのホテル
アメディアを出発した。
ウィーン市街地を抜けて郊外に出ると、広々とした牧草地や麦畑などの風景が広がる。
1時間近く走った辺りには、風力発電の風車が見られた。
しばらくは西進して、リンツ(LINZ)まで10㎞ほどのLANDZEITと呼ぶレストランや
ホテルを兼ねた店舗で、9時51分~10時12分にトイレ休憩をする。
間もなく、ドナウ川かと思われる広い川を渡って北進し、11時13分に国境を越えて
オーストリアからチェコに入った。国境に掲げられたチェコ国旗とEUの旗。
さらに緑豊富な沿道を進み、11時50分頃、チェスキークルムロフの観光用駐車場で
下りた。
チェスキークロムロフは、ヴルタヴァ(Vltava)川が大きく湾曲する場所にある町。
13世紀に南ボヘミアの貴族ヴィートコフ家の分家により城が築かれたのが町の始まりで、
14世紀初頭にはロジュンベルク家が支配して町は華々しく発展し、16世紀にはルネッ
サンス都市としての姿がほぼ出来上がり、繁栄は頂点となったという。
その後、エッゲンベルク家からシュヴァルツェンベルク家へと支配が変わるうちに近代
化から取り残され、そのお陰で最も繁栄した時代の風景が現代に残ったようで、1992
年に世界遺産に登録されている。
駐車場から城に向かう道路沿いは緑豊富で、ハマユウなどの花が咲いていた。
まずはチェスキークロムロフ城へ。城は13世紀にヴィートコフ家の分家、領主クルモ
ロフの居城として創建され、以後、各時代の所有者により増築が重ねられ、それぞれの時
代の建築様式が見事に調和した巨大な複合建築となったよう。ボヘミア地方ではプラハ城
に次ぐ規模の城塞とのこと。
門を入ると、眼下に大きく蛇行するヴルタヴァ川とその向こうに広がるルネッサンス時
代のままの町並が一望である。
町並みの展望を楽しんだ後、英語によるガイドの説明を添乗員のKさんの通訳により聞
きながら、渡り廊下でつながる城内や5つの中庭などを一巡した。
城の一番東側にある塔は、最初はゴシック様式で建てられたが1580~90年に現在
のルネッサンス様式に改修されたとのこと。
塔に近い「第2の中庭」を囲む建物には、いつの時代のものか分からぬ大砲が並ぶ。
塔の近くで城を出てヴルダヴァ川の橋を渡る。
円形に迂回して流れる川に囲まれた旧市街に入り、細い通りを進んで中心部にあるスヴ
ォルノスティ広場(Nam Svornosti)に出た。橋から振り返り見る城の一部。
異なる形の屋根が並ぶ3階建ての建物がビッシリと石畳の広場を囲み、たくさんの観光
客で賑わう。
緩やかな坂を上がって東側の展望スポットに出ると、チェスキークルムロフ城や町並み
が、最初の城からの眺めとは違う視点で眺められる。
展望スポットの場所は下図の赤丸のところ。
広場には、日本でもみられるベニバナトチノキが咲いていた。
スヴォルノスティ広場に戻り、13時過ぎから13時45分まで広場に面したレストラ
ンで昼食をして、14時30分までフリータイムとなる。(続く)
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