館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ひさびさだよ!じんざぶろう。

2006-06-24 10:04:00 | じんざぶろうログ







決して、ネタ切れ、ではないのだ。

何処ぞの「ブログ」では「猫」が暫らく、記事を賑わしていた。

おれ?

今、困っている!

最近まで、ご主人様の奥様の布団の中がすべてだった。(寝相がいいので、俺が、やりたいほうだいなのだ)。

が、この季節・寒くて・暑い!

布団の中は暑いし・・・外は寒いぞ!

多分俺は20時間くらい寝ている。場所探しが大変なんだ。

「梅雨」か!暑いし、寒いぞ!
どこが良いかな?




俺の出動の図。
ニャーニャー鳴く奴が多いが、俺はめったに鳴かない。
背中で語るのだ!
これ「外に出たいぞ」のポーズ。
で、ご主人様が、戸をあけて「語れよ!」と言って、お尻を蹴るんだ!
いてーだろう?




そう言えばこの時、無防備にもご主人様の布団で、腹出して寝ていたら「お前には野生の警戒心や野生の尊厳は無いのか!」とご主人様に怒られた!

暑くて、寒いぞ・・・・・
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今月のお勧めCDその2・「歌追い人」。

2006-06-23 06:29:18 | お勧めCD/LPなど


歌追い人

監督:マギー・グリーンウォルド(2000年/アメリカ)
主演:ジャネット・マクティア、エイダン・クィン、ジェーン・アダムス

1907年、アメリカ。当時の女性としては珍しく博士号を持つ音楽学者リリー(ジャネット・マクティア)は、NYの大学でまたもや主任教授の承認が認められなかった。NYの生活に絶望したリリーは、妹が入植地の教師をしているノースカロライナ州の山岳地帯アパラチアへ向かう。アパラチアのクローバー入植地学校では、妹のエレノアは“エルナ”と呼ばれ、同僚のハリエット、孤児のディレイディスとともに暮らしていた。都会で「山では野蛮な連中が蛮行を繰り返している」と聞かされていたリリーは、彼女の歓迎のためにと歌ったディレイディスの歌の素晴らしさに心底驚いた。それは学会ではすでに失われた歌とされていた、200年以上前のスコット・アイリッシュ移民の伝統歌そのままだったからであった。リリーは、山の人々の歌を録音し採譜して出版しようと決意する。

と言った、あらすじであり、そこから又「現地」の人々との「交流」「葛藤」「恋」などが、縦糸になって、ストーリーが展開されるのである。

ここまで、聞きかじり。
観に行きたかった!

パンフまで手に入れて、その時の僕は「東京」は遠かった!

パンフだけでそこに流れる「アパラチアン ミュージック」が想像された。
僕・マウンテンミュージックでも「アパラチアンM」が特に好きなのだ!

で、これにあやかっての「編集CD」でお茶をにごした。
ご覧のCDがそれ!

「ソング キャッチャー」の方は

ROSANNE CASH/IRIS DEMENT/DOLLY PARTON/EMMY ROSSUN などなど、が、やっています。

ロザンヌの「フェア アンド テンダーレディー」
ドリーの「フェン ラブ イズ ナウ」だけでも「買い!」である。

ドリーさん「老いてなお」現役ですな。
最近すごくいい!

「ソング キャッチャーⅡ」の方は

DOC WATOSON/ALMEDA RIDDLE/DOCK BOGGS/CLARENCE ASHLEY など、ガチガチのアパラチアンフォークです。
まあ、コレクターズアイテム、これ「初めての方」に聞かせて「トラッド」って良いだろう!などと言うと、「返事に困った」不思議な笑顔が返ってくる事を、確信する。

これら、そのメロや、タイムを手に入れ、少し、ソフィストケートすれば、素敵になるのです。

土台のしっかりした家は、改築に耐えるのだ!

構造計算に「粉飾」が無いのだ!

(オ サム)





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アカザ・・・最近見ますか?

2006-06-21 07:04:57 | 生活雑感



「アカザ」です。
実は、とっても気になっている「植物」です。

僕が「ご幼少」で「キャワイかった頃」荒地・小川の土手など、何処にでも「生えて」おりました。

最近見ないぞ!と気になって、「密かに」数年前から育てているのです。
で、若芽を摘んで「食べたり」しています。
雑草なので、種がこぼれ「庭のあちこちに」生えます。ほとんどを抜き取りますが、数箇所、残し続けています。
「なんでアカザなんか植えて、しかも、草取りの手間を増やして、それでも育てているの?」などと、女房に言われている。

「いやー最近外で見かけないでしょう?」「その内レッドデータブックじゃない?」と・・・・・・

「シロザ」と「コアカザ」は何処にでも生えているがあ!!!!!
「アカザ」見かけました?最近?????

これが、僕の最近の「気になっている事」である。
ブログ閲覧諸氏!貴方の周りでは、如何ですか?
情報お待ちいたしております。

あそこには有ったぞ!などの情報。貴重です。関東「アカザ地図」つくりまへんか?





こちら「シロザ」。まあ良く生えます。この撮影後「抜き取り」ました。

又、僕の観察では「赤と白」の中間のピンクに近いものもあるので、複雑。
僕の探しているのは、鮮やかな「赤」である。


アカザはシロザの変種。
アカザ科の代表的「野菜」はホウレンソウである。

シロザもアカザのこの白い(赤い)粉を落として「おひたし」で食べると、結構いけます。

農耕伝来の帰化植物「史前帰化植物」である。ユーラシア大陸原産らしい。

この白い(赤い)粉が紫外線などから、若い芽を守っているらしい。

秋・太くなった幹で「アカザの杖」を作ったらしい。
僕の「ご幼少」の頃、近所のご老人さまが、使っていた記憶あり。

で、昨年作ってみました。軽くて・丈夫ではある。
僕が、老いて、いずれ「この杖」を使うのか?

毎年作って「お仲間」に配るか!
ZEROさん待っててね!貴方の分も作りますよー。



おまけ・「コアカザ」の写真だ。
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1944年6月の親父。

2006-06-20 06:46:37 | 生活雑感



15年戦争末期、親父は船に乗っていた。
18歳で志願。
戦争の最中は、「戦艦長門」に乗って、副砲の「弾込め」をやっていたらしい。

1944年6月は「マリアナ沖海戦」で空母や多数の航空機を失い、敗戦へ突き進む結節点であったらしい(この辺り・先輩のZERO氏はめっぽう詳しい!)。
日本軍にとっては「フィリピンを奪還される」ことは、本土と南方資源地帯との連絡が途絶えることであり。戦争の敗北に大きく繋がるものであったらしい。この地域を巡る海戦が10月の「レイテ沖海戦」で、これに親父は「長門」に乗って、副砲の弾をエッチラ・ホッチラ運んだ訳である。
レイテは初めて「神風特攻隊」が行われた海戦でもあった。
この後、制空権を失い、悲惨な「沖縄戦」へと、泥沼に突き進むのである。

「長門」は敗戦後も生き残る。やがて米軍の「核爆弾実験」の標的に使用され、海の藻屑となっている。

このレイテは僕がご幼少の頃、親父と風呂に入ると良く聞かされた。

「副砲は船の中だから、船が沈まない限り死なねーんだ」
「海戦が終わると、機関砲を撃っていた連中は100人以上も死んだんだ」
「巡洋艦や駆逐艦が沈んでいくのが見えたな」
「椰子の実なんて馬のしょんべん(彼の発言に即しています。お許し下さい)みてーで、なんのけっぷり(味の方言)もしねー」(馬のしょんべん飲んだのかい?)
「死んだ戦友の為にも、もう1度アメリカをまかさなければ」

などなどである。

戦後は生業「みずのみ百姓(極小規模小作農)」の長男として、実家を継ぎ、嫁をもらって、百姓は妻が、自分は「会社勤め」となっていったのである。

どこの家もそうであったように、朝・昼となく良く働いた親父ではあった。
日曜は百姓であった。僕も4年生では「耕運機」を運転し、18までは「手伝わされた」訳である。

音に聞こえた「酒乱」であった。「酒」の上での「ご迷惑」は掃いて捨てるほど」あった。
僕の友人も沢山、その洗礼を受けた。
*四角い自動車が丸くなって帰ってきた。
*大酒の後、帰還。風呂に入って「熱い」と怒りだし、風呂のお湯をバケツですべて台所にぶちまけた話。
*殴られた母に「救急車」のご出動願った、息子の話。
まあ、こちらも1冊のほんになる。

晩年「酒」はめっきり弱くなった。息子に「酒はほどほどが良いぞ」などのたまっていた。


多分息子が「戦争」が嫌いになったのは、親父の風呂談議のおかげである。

そして、スマートな「酒のみ」になったのも、この親父のお陰だと思う。
酒は「楽しく」なくっちゃね!


そういえば「葬式」のはしばし、お清めなどでは、「酒乱の親父」が、親戚一同の盛り上がりの格好の「魚」になっていた。

49日の旅路の果て、花咲く棲家には「おいしい酒」はあるのだろうか?
無かったら、言ってくれ!
供えに、はせ参じるぞ!

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幻の花

2006-06-18 14:38:05 | 生活雑感
確実に、居なくなってみて「思い出の中にしか生きていない」と誰かが話された言葉が、分かった気がしている。もちろん、いい思いでばかりではない!そんなこんなも、やがて曖昧な・淡い色の、「僕にとって」都合の良い「思いで」が残っていくに違いないと、思っている。


疑問をそのままに、曖昧なままやり過ごすのはいやだった。
病院は死亡の翌日朝早く、事務長が来た。「本日、院長がご説明の用意がある」とのことだったが、告別式の後の可能日程にしてもらった。
告別式翌日に「質問・疑問を文書」にして持っていった。

16日に「たっぷり」話し合った。

明確な謝罪・文書での経過説明・教訓を生かす今後の病院の具体的約束が、引けない1線である。だが、「親父の死」を金銭で換算するのはいやだった。

院長・看護士長・事務長、こちらも3人であった。
2時間に及ぶ話し合いで何度も「謝罪」があった。
経過は文書でもらった(カルテ開示の意志もあった)。
「少なくとも、生きている間の別れに関して、医療の義務を確認し」「早い段階での家族への1報」を病院の体制に折りこむ等、院長責任で約束したい、と真摯に話していると感じた。

看護士長はやや、自己弁護があったが、院長などあまり弁解せず、話して良かったと思った。

不満は無いとは言えないが、絡まった糸を解きほぐす労苦や、これ以上の追求で巻きこむ家族・親戚と、納得どころが天秤にのり、謝罪を受け入れた。

皆、日常に戻らなければなあ・・・・・

「規格外」の人物であった。それは「ほめられる」分野で、ではない。
この親父の話など、次回記録して、親父のブログは終了にしよう・・・・・・


庭に
今年の菊が咲いた。

子供のとき、
季節は目の前に
ひとつしか展開しなかった。

今は見える
去年の菊。
おととしの菊。
十年前の菊。

遠くから
まぼろしの花たちがあらわれ
今年の花を
連れ去ろうとしているのが見える。
ああこの菊も!

そうして別れる
私もまた何かの手にひかれて。


    「幻の花」・石垣りん  詩集「表札など」より。







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