やっと「C」が終わった。で、デーに入った。先は長い!
Dの最初はディランだ・・・・・深い意味は無い。
御年は既に、60を超え、もうすぐ70になる。
62年デビューからすでに、40年以上も、第一線に立っている。
フォーク或いはロックのフィールドではまさに巨人である。
しかし、その賛否は又、結構はっきり分かれる方でもある。
その声・・まさに賛否あり!か?
その作品・ルーツはしっかりし、精神性確固たる、20世紀に生み出された「音楽」の偉大なるものと思う。
が、僕は「本人の」物はあまり好きではなかった。
今もって、多くはそうである。
だが、その作品、不思議と「他人」がカバーすると、感動さえする物になる。
ニューポート・フォーク・フェスでの逸話。(以下・ウイキペディアの引用)
>1965年頃から、後にフォークロックと呼ばれるスタイルに移行し、エレクトリック楽器を取り入れた演奏をするようになった。多くのフォーク・ソングの愛好者は、この行為を「フォークに対する裏切り」と見なした。 同年のニューポート・フォーク・フェスティバルで、ディランはバック・バンドを従えてステージに上がったが、従来のスタイルを希望するファンからブーイングを受けて、数曲演奏したのみでステージを降り、その後一人でアコースティック・ギターを持ってステージに戻ったというエピソードが残されている。
は、かなりの誇張。
彼はフォークを捨てた訳ではない。以降、確かに「ロック」寄りの作品は多いが、プロテストする姿勢・あからさまな「人間」の表現、毒もあって、当然の如く「権力」への擦り寄りなど微塵も無い。ウッディー ガスリーの精神を抱えたまま、音楽をやっている。
世界中のミュージシャンに多くの影響を与えたね。
翻って70年代・日本のフォーク。
あの吉田某など、ディランさながら、格好は真似たが(曲なども、パクリ多し)その深い精神性と、プロテストの心意気は、学ばなかった。
FOLKS(民衆・人々)の地平に立ってないから、平気で歌謡曲になっていった。吉田某含む、70年代売れっ子のエセフォークシンガー達の、情けなさが、ディランを聞くたびに、浮かんでくるのだ。
Dの最初はディランだ・・・・・深い意味は無い。
御年は既に、60を超え、もうすぐ70になる。
62年デビューからすでに、40年以上も、第一線に立っている。
フォーク或いはロックのフィールドではまさに巨人である。
しかし、その賛否は又、結構はっきり分かれる方でもある。
その声・・まさに賛否あり!か?
その作品・ルーツはしっかりし、精神性確固たる、20世紀に生み出された「音楽」の偉大なるものと思う。
が、僕は「本人の」物はあまり好きではなかった。
今もって、多くはそうである。
だが、その作品、不思議と「他人」がカバーすると、感動さえする物になる。
ニューポート・フォーク・フェスでの逸話。(以下・ウイキペディアの引用)
>1965年頃から、後にフォークロックと呼ばれるスタイルに移行し、エレクトリック楽器を取り入れた演奏をするようになった。多くのフォーク・ソングの愛好者は、この行為を「フォークに対する裏切り」と見なした。 同年のニューポート・フォーク・フェスティバルで、ディランはバック・バンドを従えてステージに上がったが、従来のスタイルを希望するファンからブーイングを受けて、数曲演奏したのみでステージを降り、その後一人でアコースティック・ギターを持ってステージに戻ったというエピソードが残されている。
は、かなりの誇張。
彼はフォークを捨てた訳ではない。以降、確かに「ロック」寄りの作品は多いが、プロテストする姿勢・あからさまな「人間」の表現、毒もあって、当然の如く「権力」への擦り寄りなど微塵も無い。ウッディー ガスリーの精神を抱えたまま、音楽をやっている。
世界中のミュージシャンに多くの影響を与えたね。
翻って70年代・日本のフォーク。
あの吉田某など、ディランさながら、格好は真似たが(曲なども、パクリ多し)その深い精神性と、プロテストの心意気は、学ばなかった。
FOLKS(民衆・人々)の地平に立ってないから、平気で歌謡曲になっていった。吉田某含む、70年代売れっ子のエセフォークシンガー達の、情けなさが、ディランを聞くたびに、浮かんでくるのだ。
>今もって、多くはそうである。
>だが、その作品、不思議と「他人」がカバーすると、感動さえ>する物になる。
同感です!
バーズ、カントリー・ジェントルメン、などなどを聴いて、ご本人を聴くと・・えっ??
余談ですが私の姉、追っかけ歴30年以上、頭下がります・・・
ちなみにディランの武道館ライブのジャケットは私の先輩が撮ったものです。
だからして、「30Th」のCDなど、ワンサカ、色んな方がカバーして、すんばらしかった。
このCD・「ジューン&キャッシュ」や「ルーリード」「ロザンヌ&MTカーペンター&Sコルビン」など秀逸。
でもって、最後はRマッギンと皆で、マイ バック ページスは盛りあがってます。
メジャーを指向して、皆、飲まれて行ったね。
で、潰れて、おかしくなって。
それで、歌止めた人達が、今、歌い始めています。
地方を回ってさ、この方たち、いいで。
「演劇や音楽の風刺、プロテストは世相を写す鏡であり、
世の中を変える程の力はない。所詮は庶民の娯楽だ」
って(わざと挑発的に)発言したら、
「うん。君が正しい」
と、アッサリ肯定された。
あれでちょっと自分の人生変わった気がします。
ってのが、重要かも?
さめて、変革は政治の仕事としても、肝心なのは、世論の包囲だったりするから。
↓
そうなんだ~?
あの吉田某など、ディランさながら、格好は真似たが(曲なども、パクリ多し)その深い精神性と、プロテストの心意気は、学ばなかった。
↓
だわな~?
こちらの、ジャンルも、BIGが死ぬ時代になりました。
P・シーガーなど、80後半突入です。
まだ、新譜にゲストなど出て、ホッ!