シカゴ音楽院に学び(1956~58年)やがて、ニューヨークへ。
ここで、マックス・ローチや、天才・名手エリック・ドルフィーと共演が、B・リトルを有名にしてゆく。「アット・ザ・ファイヴ・スポット」など、たまりませんですね。このファイブスポット・・・JAZZが語られるとき、必ず出てくるに違いないのだ。
この1961年の6月の録音の後、同年10月5日、尿毒症の合併症によりニューヨークで急逝した。
23歳での夭逝・・・・天才は早死にだ!
クリフォード・ブラウンの如く、ラッパを鳴らすに、ラッパらしい音(まあ、マイルスの対極かね?)で、フレーズのひらめきなど、ゾクゾク物である。
好きだね~~僕は。
写真・・リーダーアルバムにして、名盤。当然アルバムは少ない。
ペットはマイルスだけじゃないぜ!
おら、思うのだが、ある意味、mamaさんは天才!
http://www.youtube.com/watch?v=fbICpxfDlIM
って、血管を膨らませると、あぶね~ですよ?
脳梗塞になっちゃいまふ。