館林は、いわば、準農村。近年加速度を付けて、耕作放棄地が増え続けている。農家の担い手が居ない。何十年も場当たり的な農政に振り回され、コメを作れ、やれ作るな、転作したら補助金だ。
主食もままならないほど自給率が下がり、G7各国最低・・工業製品(わけても自動車)の輸出と引き換えに、農業を切り捨ててきた、農政の無残な結果が、令和の米騒動。
だが、要するに、生産コストも回収できないほどの米価に押さえつけられ、米を作る意欲を失ったこの国の農業を憂うべきだ。
5キロ3000円・・・3500円は高い?3000円・・・ちょいとお高いラーメンを3杯食ったらおしまいだ。天盛り蕎麦なら3杯は食えないぞ。
我が家は5キロの米は1か月だ。アメリカだって、フランスだって、イギリスだって、自国の主食には、その担い手を守るべく助成が行われているんだぞ。
高いと騒ぐ、消費者・・・危ない薬品漬けの、外国の農産物をそうして買い続ける危うさを、学ぶべきだ。
米を作るには、水利を守らなければならない。つまりは、水利を管理する集落の纏まりが必要だ・・・1人抜け2人抜け・・作り手が居なくなったとき、守るべき集落の集まりが崩壊する前に、主食たる米作りを、食べて、買って、守らないでどうするんだろう?
起訴されてから58年かぁ・・・青春も、人生も、すべて奪って、いまごろやっとだ。
お姉さん、立派だったなぁ・・・・(良かったね。巨悪に勝ったよ。)
裏金なんぞは、トカゲのしっぽ切りなくせに、国民は冤罪で苦しむ。
戦前は浅間山のすそ野のクマザサだらけの原野だった。群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢・・昔は、大字は応桑大屋原だったがな。満州磐石県駅馬に団長の清水圭太郎と共に入植し、戦後再入植した場所だ。
前橋近在の農家の次男三男が、新天地を夢見て満州に渡る。地域の指導者に組織されて満州に渡る。
夢破れ、命からがら逃げかえるが、帰っても営農する場所など、はなっから無い。指導者は、連れて行った責任からか、再入植地を求め奔走する。開拓団の全国組織を作り、県内の開拓団と交流し、行政と交渉して北軽井沢への再入植、笹小屋を作り雨露をしのぎ、沢の水を飲料水にし、広大な土地を作物が育ち、乳牛が群れる地にしていった。そんな苦難の面影は感じることはできないほどの、豊かな農村が今はある。
僕の女房殿は、清水圭太郎の孫であった。確かに貫禄のある爺さんであった。
その圭太郎・・・やがて、満州開拓とは、侵略に加担するものであったと、気づき、懺悔の本など出したな。僕が出会って1年ほどの歳月、ご存命であった。もう少し、沢山の話が聞きたかったものだ。