コンサート跳ねての、打ち上げは至福。
しかし、放心状態でもある。
わしゃ、乾杯の後、イワナのから揚げ係なので、必死に30匹揚げただよ。
しかし、楽しいなぁ・・・
皆、凄腕のミュージシャンなので、やがて歌になっちゃう。入魂の正剛ちゃんの唄。
放心状態は、さらに、酒の力も加わって、おぼろ・・・・
写真の中央で腕を組む、松島さんは自身の名曲「歴史」を歌ってくれたが、放心野郎は、写していなかった。
岡山のフォークシンガー、尾崎さんも、(皆、聞きほれて、ひそひそ、上手いね~~などと、ロストベーベー)歌ってくれた。
ここでも、放心野郎は、写真を撮っていなかった・・・
ウッドの荒居ベーベーの入魂の料理も、ほとんど写さず・・・酒ばかり煽っていたか?
旨いぜ!ピロシキ・赤飯おにぎりなのだ。
♪ 魚と野菜と、いい友達がおれば、他に何がいるのだろう 私のこの人生 ♪
きっと彼は、どこかの打ち上げの時に、詩を思いついたに違いない!
初対面の方も多かっただろう・・僕も、同じ輪のなかで会うのは2度目!
わざわざ、新潟から駆けつけてくれた、外山さんもいい声だわ・・・うらやましい・・・・
朋友、ウッドが続くだぜ!!
時々、オリジナルなど作れる音楽仲間に「ロストはオリジナルを作らないのか?」などと言われる。
言葉が、天から降ってきたら、作るさ。
笠木透という男は、自らのコンサートの終わりに、お客さんへのお礼のあいさつにいつもこんな話をしていた。
「僕らの唄は、ほとんどマスコミから流れることは無い。それは、人から人へ、手渡しのように伝えられ、広まったのです。そんな僕らの唄を、聴きに来てくれてありがとうございました。」
そうなのである。手渡されながら、伝わり、地方でいつくしみながら歌い継がれた歌が、僕はフォークソングたるものだと思っている。出来立ての唄がすぐフォークソングになるわけじゃない!
➀作る人と、その歌に共感し、自分のものだと抱きしめ、歌い継ぐアマチュアが居ることは、歌を育て、その歌が、市井の人々が台所に立って鼻歌交じりに歌って(時には示威行動の場でも良い)フォークソングにしてゆくと思っている。
➁ロストは、そんな、伝える側に軸足があるようだ・・・
➂何十年も館林という地方の小都市に歌っている。何度も足を運んでくれるお客さんは、聴いても年に2・3度か?それでも、同じ歌を聴きたいと言ってくることがある。ロストとしては、演目としては、「やりあきた・・」ような歌も、その名曲たる命が、同じ歌を歌わせようとするかのようだ・・
⓸そして、雑花塾含め、真のフォークシンガーたちは、アマチュア・プロを問わず、今も名曲を生み続けている。あの勢いで作り続けたら「製造物責任」を果たす間もなく、作った歌を置き去りにしてしまわないだろうか??そこに、ロストの出番もある。そんな名曲を手渡しで、僕の暮らす館林で、伝えるのがロストでいいんでないだろうか?
ロストがこの歌は、我が歌だと感じ、共感し、ロストの唄に色が染まって、まるでロストが作ったのかと・・・などと言われたら、本望だぜ!
作る仲間たちと、交流できることは幸せ!
また、素敵な歌と出会えるからね。
力のたまるコンサートだったよ!
写真・1次会の〆をミネさんに頼んだら、何故か乾杯になってしまったあ?変なぁ・・・
もっとも、2次会が終了したのは、1時半を回っていたから、その2次会の乾杯だったのかもしれない・・・
来年もやるぜ!丁々発の打ち上げ!!!!