館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

沖縄の声を聴く、ありがたい機会に恵まれたのだった。

2015-05-28 07:07:23 | 音楽を思う


コンサートなどでお世話になる、T県S市の保育園。

こちらの園長が主催して、実にありがたい機会に恵まれたのだった。



沖縄県読谷村・・・人口4万人弱・・・日本で一番人口の多い村だ。

貝塚時代には九州の影響を受けた沖縄最古の「箱型石棺墓」が出土した木綿原遺跡など国指定遺跡などあり、比謝川の河口付近にある渡具知東原遺跡か出土の爪形文土器は、沖縄の先史時代文化が約7000年前まで遡ることなど証明した村だ。

さて、その比謝川の河口・・・1945年(昭和20)3月末慶良間諸島を数日で総なめにした米軍は、4月1日、沖縄本島のここに上陸し、一般住民を巻き込んだ悲惨な沖縄本島での戦闘の開始となったのだった。有名な「チビチリガマ」「シムクガマ」もここにある。

戦後もすぐに住民から奪った土地に、米軍読谷補助飛行場が築かれ、村ぐるみで「基地返還」の戦いをつづけた村でもある。

その村会議員「國吉雅和」氏の講演を聴くことができたのだった!

文教厚生常任委員会(委員長)の役柄・・委員たちと一緒に、こちらへ保育園などの視察にいらっしゃって、その合間に「辺野古と沖縄について話を・・」との要請をうけて、この企画になったようである。
友人である園長からの誘いに乗って、僕も機会に恵まれたわけである。



1時間ばかりの時間だったが実に有意義だった。

立ち話ながら、少し深い話も出来て、名刺など交換でき「沖縄読谷村に来たら、会いに来てください」などと、うれしい言葉もかけてもらえたのだった。

「オール沖縄で辺野古に反対」と聞くが、実態は・・と、そこらが聴きたかったが、まさに、そこに視点があった話だった。

あっという間の1時間だったが、印象に残る話はいくつもあった。その一端を記載すれば・・・

1・自民党県連の幹事長までした翁長氏が、どこから辺野古反対に転じたか。
2・今の沖縄は、本当にオール沖縄で、反対の声をあげている。

そして、この転機になったのは、あの鳩山氏の「悪くても県外」の方針表明からだ・・・

あの時から、沖縄ではみんなが「本当のことを言ってもいいんだ・・」と、県民が思い、自ら声を上げ始めた・・・との話は、ずっと通い続けている僕には頷くものがあった。

確かに、ここ数年で、タクシー・飲み屋・ホテル・・・町のあちこちで人々から聞く声の変化は「反対の声」の高まりだものな。

「沖縄には沖縄タイムス・琉球新報」の2つの新聞があるが、両紙とも「辺野古反対」なのも大きいと言っていた。

そして、「読谷村は三線発祥の村・やちむん(陶器)の村・伝統工芸「花織」の村・琉球ガラスの村です。そうした文化を守りながら辺野古反対を戦っています。座り込み・歌を歌い・文化で静かに戦っています」という、ゲート前の県民の戦いの姿のレポは感動的だったなぁ。


また、僕の沖縄旅は、少し深まる予感がしただよ・・・・

今度は6月の末だなぁ・・・・


コメント (4)
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