館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

我夢土下座を聴く。

2009-07-14 06:27:12 | 音楽を思う


師匠の岡田京子さんから、コンサートの誘いがあった。
岡田さんを中心に、東京の若いお母さん達が、中心になって、企画されたようである。

「我夢土下座(カムトウゲザーと読む)」・岐阜の有名なアマチュアのフォークグループである。



場所は、東京の端っこか?合併で今、何市なんだろう?古くは統一劇場・今は「現代座」の本拠地ホールで行なわれた。
誘われて、すぐ「絶対行きたい!」と返事した。その時には、もう売り切れ寸前だったようだ。まあ、定員100程度に、このグループなら、さもありなん!である。



フォークがブームになって、新宿で馬鹿騒ぎしたり、「中津川フォークジャンボリー」が開かれたり、と70年代初頭には、街の公園には、アコースティックギターを持った若者が、溢れた時代があった。我がT市だって、そのような光景が見られた(俺もその中の1人だったか・・・)。

その多くのフォーク(もどき)・所詮はアメリカの輸入で、スタイルは真似たが、歌われる歌の、思想や中味を学ばなかったから、やがてニューミュージックなどに装いを変えてしまった。

フォークは、付きまとう「毒」もあって、マスコミは手を引き、もてはやさなくなった。

そんな時代の結節点に、「根っこを変えることを良しとしなかった」プロのシンガー達は、地道に小さな場所で歌うことを選び、アマチュアとして、地元で歌い続ける事を選んだ、人たちも居た。

まさに、そんな、アマチュアの日本の代表格がこの「我夢土下座」だった(多分、最初からプロは目指さなかった)。


我夢土下座のホームにGOだ!

懐かしい名盤のページもあった!



高石ともやとナターシャセブンの終わる頃、ナターシャに入り、やがて、笠木さんのフォークスで活躍、その後は坂庭さんのSAMと続いた、進藤了彦氏である。

そして、今はここで、アマチュアをやっている。
かなりやせたが・・・バンジョーにドブロにと、懐かしかった。



この人が、このグループの御大将「田口正和」氏である。



70年以降生み出された、多くのフォークの中で、日本中に広まった名曲の数々がある。マスコミが伝えることなく、それらを抱きしめて、人に伝えずにおれなかった市井の人々が、手渡しで広めたような、しかし、確実に日本中に広まっている曲がある。

僕らロストも、時々、人に呼ばれ歌など歌う場合、これらを歌うことがある。
そうすると、不思議と、客席のあちらこちらから、その曲を一緒に歌いだす場面が現れるのだ。

「我が大地の歌」「川のほとり」「あなたが夜明けをつげる子供達」「小さな町」「青春の歌」みな、このグループ無くして、生まれなかった名曲である。



客席は満員!

もう、結成39年だ。

彼らと、笠木透氏の提唱した「フィールド・フォーク」(フォークこそ、民衆が歌う歌だ)は、しっかり日本中に根付き・いまだ、日本のあちらこちらで、しぶとく展開されているように思う。
我がロストもそのフィールド・フォークの薫陶宜しきを得て、「あかんべ山コンサート」を地元で起こし、今、彼らに10年遅れて、29年であるのだ。
ここに、繋がっているのだ。


写真・主催のお母さんたちが、合唱団となって、岡田さんの曲を披露。



39年の彼らは、年をとった。

ちょっと音が外れたり・・と、練習も多分マイペースなのだろうな、と、思った。

が、その存在感は、身震いするほどだった。

かっこよかった!



2部では、岡田京子さんも、3曲披露。岡田さんは彼らと、もう10年にはなるか?「CD」を一緒に作ったのだ。

メンバーの1人・細田氏は、今転勤で我がG県の隣、T県にいるらしいが、かけつけていた。メンバーに呼ばれ、客席から1曲やったのだ。
彼の名曲「あなたが夜明けをつげる子供達」かな?と思ったが、「私に人生と言える物があるなら」であった。
んだが、それでも良かったね。
一緒に、くちずさみましたです。



気持ちよく・そして、又、館林で頑張るか!と、力を貰ったコンサートを後にした。

岡田さん・ありがとうね~~~!

東京も、ここらでは、野菜を作る農家が居るのか?

畑を見ると、うれしい僕であった。



側の無人の直売所。

みな、ワンコインは良いね。

ちと、T市よりは、量が少ないが・・・・
コメント (8)
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