館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

石川啄木と岡田京子。

2008-07-16 07:31:05 | 音楽を思う


暫くご無沙汰・ご無礼の日々が流れていたので、お会いするのが、怖く、そして、申し訳ない思いで一杯だった。
しかし、小さな集まりで、全くの側で、「岡田京子ワールド」に浸れたのは、やはし、幸せの一言だった。

僕の音楽の「師匠(と、僕が思っているのだが・・)」のような方である。

3年前になるかな?上野の水上音楽堂での「憲法フォークジャンボリー」で出演前の楽屋・そしてお互い出演後の客席で、なつかしい再会を果たして以来の、再会だ。

あの時は、ほんの10分か20分程度の、近況報告や、挨拶だけだったので、たっぷり2時間の今回の「岡田京子さんと唄おう」は充実だった。

師匠のミニプロフィールは以下だ!

岡田京子 (おかだ きょうこ)
 1932年、東京に生まれる。軍医だった父について中国(旧満州)を含む各地を転々として暮らす。原太郎・清瀬保二氏に作曲を師事。アジアの音楽と民族に興味を持ち、アイヌや朝鮮をテーマとする作品を多く発表。
 現代座の木村快の仕事に共感。40年間、舞台音楽の仕事で現代座と関わって来た。笠木透のフィールドフォーク運動を知り、安達元彦ともども自分の音楽の方向について大きな変更を迫られ、「めだか大学」や「歌の旅」の活動を開始し、今に至る。



館林では僕ら、そして隣町の大泉町では、Kさん夫妻が、岡田さんの馴染みで、もう10年ははるかに越えて、交流・コンサート、そして「音楽講座」のような「めだか大学」と言う定期の集まりでお世話になった。

その後主催する僕らの、力量や環境、僕らとくくる1人1人の構成員の状況の変化で、コンサートや「講座」も休止状態だった。



今岡田さんが、テーマ・題材に掲げて作曲している物は「石川啄木」だった。

事前に「石川啄木」情報は流れてきていたのだが、あの啄木が♪に乗る?ってのは、正直、想像を超えていた。

音楽の素養のある方は、♪をなぞり、唄ってみて欲しい・・・

「OOちゃん、あそびましょう~」の、あの、言ってみれば僕ら日本民族の持っている、音階で作られているのだ。



短歌として、詠む。
啄木など、教科書以上でも、以下でも無い程度の認知だ。

その短歌・・・なるほど~~とそらんじたが、これを「岡田メロディー」にのせると、ストンと体に落ちたから、驚いた。

短歌の、啄木の詠んだ心境の様なものが、体を包み、幾つかに、自らの共感が湧き上がったのだ。



休憩挟んで、2時間。

それにしても、もう「後期高齢者」の仲間入りとな?

とっても、そんな風には、見えませんな。

身も心も、その精神性・作品の質、どれを取っても「現役」でした。



側に居て、同じ音楽や空間に浸れ、幸せだった。
懐かしかった。



本番はねて、ちょっと「お茶」です。

その後、近況などあれこれ・・・・

僕も末席のさらに端を汚す「詩人会議」の大御所の詩人(秋村 宏氏)の詩に、作曲などの、試みも現在進行形らしい・・・
どんな曲なのだろう?

来年は、館林に来てもらおうと、思った。

20人くらい・・・小さな集まりのほうが、ふさわしいと思えた。



新刊の本である。同時代社刊である。興味のある方は是非書店へ!

僕も購入したて、まだ、読んでないのだ。

まったく、幸せな1日だった。

コメント (2)
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