24才の時、付き合いで講演を聞きに行ったことがある。
講演といっても私の立ち回り先だから、勉強の類いではない。
訪問販売に勧誘するための客寄せである。
講師は、当時60代後半の無名の女性。
その訪問販売の成功者であり、霊能者というプロフィールだった。
話の内容は、今で言えば綾小路きみまろ的な毒舌。
彼女の“予言”ではこれから先、老人はなかなか死ななくなると言う。
「死なないんですから、あなた、生きなきゃなりません。
長い老後をどうやって過ごします?」
老人は死ぬものだと思い込んでいた当時の私は
周りの聴衆と同じように笑った。
「同じ長いんなら、楽しく生きたいのが人情ですよ。
でもね、おおかたの老人は楽しくないんです。
何で楽しくないかというとね、お金が無いからですよ。
お金の無い老人は、嫌われます。
タダで人を使うので、近寄ったら損をするからですよ。
お金のある老人の周りには、人が集まります。
何で集まるか。
得をするからですよ。
子供や孫が離しませんよ、お小遣いがもらえるから」
よそのおうちの話として、やはり大笑いする一同。
とまあ、こんな口調で語る行き先は
「だから副業を持ちましょう。
この仕事をやってお金持ちになりましょう」
になる設定だ。
「老人が好かれるには、お金しかないんです。
老人の幸せは、お金で買えます」
彼女はきっぱりと断言した。
24才の私は、お金について
こんなにダイレクトに聞くのは初めてだったので、たまげた。
その驚きは、潔さと清々しさを含んだ小気味よいものである。
しかしながら、これは副業の勧誘が目的なので
聴衆の心をつかむために大胆発言は当然なのだ、と思い直す。
お金だけで幸せにはなれない…
心がけ一つで、きっと幸せになれるわ…
まだ青く清らかだった心の内で、ひそかに反論したものだ。
講師は老人について、もう一つ言及した。
「老人は臭いんです」
長年、配偶者の両親や自身の母親と暮らしたという彼女は
自身も例外ではないという注釈を付けて、そう言い放った。
清潔不潔の問題ではなく、消化機能の衰えによるものだそうだ。
飲んだり食べたりしたものの分解速度が遅くなるため
体内に残留して臭気を放つ。
若い者が老人を嫌うのは、お互いの性格以前に
この匂いによるというのだ。
匂いの程度には、個人差がある。
消化機能の衰え加減はそれぞれ違うし、飲み食いする物によっても変わる。
誰が嗅いでも悪臭と呼ばれるものから、感覚的なものまで千差万別だ。
しかし程度は関係ない。
うっかり近寄っては不毛な会話や労働を繰り返し
疲労と傷心を重ねるうちに、その匂いを脳が記憶してしまうという。
近寄ってはならない危険な香りとしてである。
「匂いは盲点です。
ただでさえ臭いのに、そこへ酒、タバコ、飲み薬
サロンパスに歯槽膿漏、虫除けのショウノウの匂いなんかが
足し算されたら、どうなります?
これで家族に愛されたいなんて、無理ですよ」
おおいに湧く会場。
匂いを中和させてくれるのは、お金しかない…
お金を配って我慢してもらうしかないのだ…
だからこの訪問販売を…と続く。
訪問販売の方はどうでもいい。
しかし老人と匂いの斬新な理論は、衝撃として私の心に深く刻まれた。
…あれから30年。
その“予言”は、少なくとも私に関しては的中していた。
彼女の言っていた、そのまんまの老人と暮らしているではないか。
誘われてシブシブ行った講演会だったが
今、ものすごく役に立っている。
老人を理解する大きな手がかりになっているからだ。
「無い」または「惜しい」
これでたいていケリがつく。
不可解かつ不愉快な発言の意味を考えて、苦しむことが無い。
匂いもしかり。
ああされた、こう言われたと数え上げて時間を割き
愛せない理由、好きになれない事情を探す必要は無い。
脳が「危険な香り」に反応しているのだ。
脳が嫌がってるんだから、しょうがないんだ。
それで終了。
老人を理解することは、やがて老人になる予定を避けられない
自分を理解することでもある。
私もいずれああなるのだ。
いや、すでにそうなっているかもしれない。
そこで「なんとなく…」ではなく、はっきりした理屈を知っていると
あきらめもつこうというものだ。
正しいか否かは、この際関係ない。
くっきり明快が、重要なのである。
というわけで、私の虎の巻をご披露させていただいた。
親孝行の三文字に縛られ、道徳心の葛藤に苦しんでいる人の
「なんとなく…」が、少しでも払拭されれば幸いである。
講演といっても私の立ち回り先だから、勉強の類いではない。
訪問販売に勧誘するための客寄せである。
講師は、当時60代後半の無名の女性。
その訪問販売の成功者であり、霊能者というプロフィールだった。
話の内容は、今で言えば綾小路きみまろ的な毒舌。
彼女の“予言”ではこれから先、老人はなかなか死ななくなると言う。
「死なないんですから、あなた、生きなきゃなりません。
長い老後をどうやって過ごします?」
老人は死ぬものだと思い込んでいた当時の私は
周りの聴衆と同じように笑った。
「同じ長いんなら、楽しく生きたいのが人情ですよ。
でもね、おおかたの老人は楽しくないんです。
何で楽しくないかというとね、お金が無いからですよ。
お金の無い老人は、嫌われます。
タダで人を使うので、近寄ったら損をするからですよ。
お金のある老人の周りには、人が集まります。
何で集まるか。
得をするからですよ。
子供や孫が離しませんよ、お小遣いがもらえるから」
よそのおうちの話として、やはり大笑いする一同。
とまあ、こんな口調で語る行き先は
「だから副業を持ちましょう。
この仕事をやってお金持ちになりましょう」
になる設定だ。
「老人が好かれるには、お金しかないんです。
老人の幸せは、お金で買えます」
彼女はきっぱりと断言した。
24才の私は、お金について
こんなにダイレクトに聞くのは初めてだったので、たまげた。
その驚きは、潔さと清々しさを含んだ小気味よいものである。
しかしながら、これは副業の勧誘が目的なので
聴衆の心をつかむために大胆発言は当然なのだ、と思い直す。
お金だけで幸せにはなれない…
心がけ一つで、きっと幸せになれるわ…
まだ青く清らかだった心の内で、ひそかに反論したものだ。
講師は老人について、もう一つ言及した。
「老人は臭いんです」
長年、配偶者の両親や自身の母親と暮らしたという彼女は
自身も例外ではないという注釈を付けて、そう言い放った。
清潔不潔の問題ではなく、消化機能の衰えによるものだそうだ。
飲んだり食べたりしたものの分解速度が遅くなるため
体内に残留して臭気を放つ。
若い者が老人を嫌うのは、お互いの性格以前に
この匂いによるというのだ。
匂いの程度には、個人差がある。
消化機能の衰え加減はそれぞれ違うし、飲み食いする物によっても変わる。
誰が嗅いでも悪臭と呼ばれるものから、感覚的なものまで千差万別だ。
しかし程度は関係ない。
うっかり近寄っては不毛な会話や労働を繰り返し
疲労と傷心を重ねるうちに、その匂いを脳が記憶してしまうという。
近寄ってはならない危険な香りとしてである。
「匂いは盲点です。
ただでさえ臭いのに、そこへ酒、タバコ、飲み薬
サロンパスに歯槽膿漏、虫除けのショウノウの匂いなんかが
足し算されたら、どうなります?
これで家族に愛されたいなんて、無理ですよ」
おおいに湧く会場。
匂いを中和させてくれるのは、お金しかない…
お金を配って我慢してもらうしかないのだ…
だからこの訪問販売を…と続く。
訪問販売の方はどうでもいい。
しかし老人と匂いの斬新な理論は、衝撃として私の心に深く刻まれた。
…あれから30年。
その“予言”は、少なくとも私に関しては的中していた。
彼女の言っていた、そのまんまの老人と暮らしているではないか。
誘われてシブシブ行った講演会だったが
今、ものすごく役に立っている。
老人を理解する大きな手がかりになっているからだ。
「無い」または「惜しい」
これでたいていケリがつく。
不可解かつ不愉快な発言の意味を考えて、苦しむことが無い。
匂いもしかり。
ああされた、こう言われたと数え上げて時間を割き
愛せない理由、好きになれない事情を探す必要は無い。
脳が「危険な香り」に反応しているのだ。
脳が嫌がってるんだから、しょうがないんだ。
それで終了。
老人を理解することは、やがて老人になる予定を避けられない
自分を理解することでもある。
私もいずれああなるのだ。
いや、すでにそうなっているかもしれない。
そこで「なんとなく…」ではなく、はっきりした理屈を知っていると
あきらめもつこうというものだ。
正しいか否かは、この際関係ない。
くっきり明快が、重要なのである。
というわけで、私の虎の巻をご披露させていただいた。
親孝行の三文字に縛られ、道徳心の葛藤に苦しんでいる人の
「なんとなく…」が、少しでも払拭されれば幸いである。
20年以上昔、父の看護のため金、土曜日だけ実家に帰っていました。
特に不潔、不衛生という部屋でもなかったのですが、寝たきり、おしめの父の部屋は我慢できないくらい臭かった。
どんな老人になろうと、臭いのだけは嫌だ、臭いのだけは駄目だ。
でも、老人臭なんだから、この身体からも漂い出るんだ・・・・・。
みりこんさんが出会われた、まるで教祖様のようなおばさん、
まぁ、なんと、小気味よい。
どんな年寄りにでもなったろうじゃないの、っていう気持ちになりました。
ちょっとお話がそれますが、今回の記事で思い出した事がひとつ。
子どもの絵画教室の付き添いで凄く話しが合って、好きなことも合うよい友人が出来たと喜んでいました。
彼女がランチに誘ってくれて楽しく食事を終えたあと、ちょっと付き合って欲しいところがあると
連れて行かれました。
◯◯レディース化粧品の洗顔石鹸販売のイベントでした。
片手だけをセッセコ、セッセコ、セッセコ、セッセコ洗い
「ほら、この洗顔料で洗うとこんなに綺麗になるんですよ」と洗ってない手を並べる。
アホか、ばかか、あれだけ一方を洗えばこれくらいの差はでるのは当たり前だのクラッカーだ。
全てはこの為だったのか、そのために私の趣味に合わせていたんだ。
彼女の顔も有るだろうから1本だけ購入して、不快感丸出しで帰りました。
何か後味悪いし腹は立つし嫌~な気持ちだった。
その人とはそれから付き合いはやめてしまいましたが、
その洗顔料、使ってみるとこれが結構よかったんですよ。
1年位続けたかなぁ。(使ってんじゃん)
臭いのは、耐えられませんね。
きついこと言われるよりきつい(笑)
結婚の決め手になるのは、恋心より
本当は相手の匂いだという説も、近頃は言われてますけど
匂いって自分が思う以上に重要だと思います。
この時の匂いの話には、母親の火葬を思い出して納得しました。
母親は30代でしたが、焼いた時、薬の焦げた激しい匂いが
充満していました。
薬の威力や、身体が弱ると分解できなくなるという理屈に
即座にうなづけたわけです。
◯◯レディース(笑)
ヤエさん、やってますよ。
販売はしませんけど、ゲロまずの健康飲料もらったことがあります。
友情を利用して買わせるのは、嫌ですね。
わかった時の、あの虚しさ(笑)
あ、全部このためだったのね…って。
化粧品、下着、保険、貯金、健康食品、健康器具、互助会。
あらら、仲良しと思っていたのは私だけだったんだわ…
そうよね、私が人からそんなに好かれるわけないじゃないの…
こんなんばっかりよ。
でも役には立ちました。
損得無しで仲良くなった人のありがたみが増します。
石鹸がなかなか良くて、その後も使ったというのが
すみこはんらしくて好きだわ!
看護の「か」もかじっていません。
その7カ月の間一番気持ちに引っ掛かっていたのは
父は末娘に下の世話をされる事をどう感じているのだろう、という事。
一番がんばって看護している二番目の姉のように笑い飛ばしながらパパッと出来ない私は
どんな顔をしながら、何を言いながらやれば良いのか分からなかったから。
私自身が恥ずかしかったし、気にしているだろう父が可哀想だったし・・・・・。
「すみちゃんにこんな事さしてすまんなぁ」「何言うてんの、当たり前のことやんか」
こんな感じで7カ月が過ぎたように思います。
でも、7カ月というのは父にとっても回りにとっても幸せでした。
本当は後1年位はお互いに幸せだったと思いますけど。
距離や忙しさを理由に、うまく逃げる人はたくさんいます。
週末に行くことを考えたり、乗り物に乗って向かっている間も
看護って行われていると思うんですよ。
お父様は嬉しかったと思います。
残された者は色々考えてしまいますけど、それは
「私は本当に愛されていたのだろうか?」
という疑問とセットのことが多いです。
愛されていたから身を任せてくれて
たとえぎこちないお世話だったとしても
受け入れてくださったと思います。
娘達が入れ替わり立ち代わり、果報なことです。
そういうお家は栄えますね。
去年父親を家で介護して看取った友人は、おしめの交換で
ヒザを痛めました。
ずっとひざまづいて交換してたから。
介護ベッドは自動で上に上がるのを
亡くなった後で思い出したと笑っていました。
義母「年金って良いわ。誰にも頭下げずに済むでしょ」
公務員だった義父の遺族年金で悠々自適の義母。
もらって当然とばかり。
私「いやいや、お義母さん、日本の年金制度は賦課方式なので、今お義母さんがもらってるのは、現役世帯が納めたお金だから、堂々と言わない方が良いですよ」
義母「そうなの?じゃあお父さんが納めた年金はどこに行ったの?」
私「既に上の世代へ支給済です」
義母「あら、私はお祖父さんから毎月年金の半分をもらってたのよ」
私「ということはダブルで頂いてるのですから、尚の事小さくなっていて下さい」
年寄りの感覚ってすごいなと思った出来事でした。
今の年寄りって、生まれた時から今までの
科学や文化の発達が激しかったから、ついて行けないまま
独自の感性を編み出したんじゃないかと時々思います。
お見事!って言うしか反応のしようがない。
以前は「それ、違うんじゃないかな?」と思うようなことがあれば
こっちも躍起になって正そうとしていた。
それも多分愛だった。
今頃は投げたね。
よそで笑われりゃいいや、怒られりゃいいや、って放置。
そういえばつい先日、ルイーゼの義理親が宅食を取り始めたんよ。
その発表がヨシコからありました。
親の晩ご飯をしなくてよくなったので、実家に前より長居しますって
私に伝えたかったらしい。
「宅食なんて、気がしれないわ。飽きるわよ」とヨシコ。
「えらいわ、山奥でバイクだけだと買い物も大変だしね」と私。
「私は出歩くのが好きだから、宅食を取る気はないわ」とヨシコ。
「お義母さんが出歩けるのは
誰かに連れて行ってもらってるからじゃん」と私。
「そうか、あの人達、足が無いもんね。
足の無い人は宅食しか無いわね。
足が無いと大変ねえ」
勝ち誇るヨシコ。
お金のことをおアシというけど、こういう人のお金には
アシが生えて逃げて行っちゃうんだな、と思いました。
少し前に みりこんさんのブログを知って
夜な夜な楽しい記事を読みふける日々です(笑)
文章力には脱帽で・・・凄く感動しています。
皆さんのコメントにも笑わせて頂きました。
皆さん、楽しい方達ですね。
気の効いたコメントも出来ませんが
時々覗かせて頂きますね。
皆さんのコメント、楽しいでしょ(笑)
本文よりコメントの方がよっぽど充実してんじゃん
といつも思います。
気軽に遊びにいらしてくださいね。
嫁の務めとはいえ、嫌いな人を嫌いではないはずだと自分を言いくるめ、お世話を長いこと続けるのは、大変な疲労感でしょうに。
自分の感情を素直に認めると、また、新しいやり方が見つかるものだ、とみりこん姉さんから教えられた気がします(^-^)
ヤエさんに限らず、解決が難しい人って、はぐらかすよ。
「うちのおばあちゃんにはお金がありますから」とかさ。
可愛い者には配ってるけど、そうでない者には惜しんで
報酬に見合わない労働をさせるから、おかしくなるわけで
それは可愛くない者にまで配るお金が足りないからで
つまりそれはお金が無いんだっちゅうねん。
もつれてる人はゼニカネの現実より、愛せない理由の方を重んじる。
こんなに悪い人に、私はここまでしてあげています…
の状態を好むね。
辛い辛いと言いながら、そこから出るのを本人が拒む。
人間の不思議な習性よ。
般若の面って、口元は笑ってるみたいよね。
表は微笑み、裏は業火に焼かれていると
最終的にああいう表情になる。
ヤエさん、おばあちゃんの入院ですごく元気になりました。
心をどうにかするより、やっぱり離れるのが一番。