
私は子供の頃、アレルギー体質だったように思う。
最初に遭った災難は、4才の頃。
当時は中華そばと呼ばれていた、ラーメンの出前だ。
その頃の私は、大人の食べ物に興味を示すようになっていた。
少しもらって食べた途端、両足のカカトに突っ張るような違和感を感じる。
真っ赤なブツブツがみるみる広がって、痒いのなんの。
すぐに近所の医院へ連行されたものの、診察を受ける頃には跡形もなく消えており
医師には症状が確認できなかった。
母の方も商売人の立場上、近所の店の品物で異変が起きたと口にするのをはばかり
出前の中華そばが原因とは言えなかったので、うやむやになった。
その後、トッピングのシナチクだけ食べたことがあるが
やはりカカトに斑点が発生した。
一つ下の妹も中華そばに同じ反応を示したが
彼女はそれ以前に、冬になると手の指が乾燥して血がにじんだり
いつもヒジの内側やヒザの裏側がかぶれていたため
母は私達を連れて、あちこちの病院巡りをするのがライフワークだった。
半世紀以上前、アレルギーなんて言葉は今のように一般的ではなく
どこへ行っても皮膚病として片付けられていた。
今思えば妹のあの症状は、かの有名なアトピーというものではなかったのか。
やがて私は小学生になった。
中華そばを食べてカカトに問題が起きたことなどすっかり忘れていたし
もう大丈夫かどうか実験するチャンスも無かった。
2軒隣にあった中華そば屋は、すでに店を閉じていたからである。
そんな私に、虫刺されという新たな問題が降りかかる。
この辺りではブト、地方によってはブヨと呼ばれる小さな虫が
私を苦しめるようになった。
幼稚園の頃と違って行動範囲が広くなり
草むらでも遊ぶし、学校の校庭にもたくさんいた。
特に通学路に沿って流れるドブ川は、奴らのパラダイスであった。
ひとたび刺されようものなら、プーッとマンジュウのごとく腫れ上がる。
顔や腕も腫れるが、昔の女の子はスカートなので足の被害が多発した。
引力の関係か、足が一番重症だった。
特に、太ももの内側を刺されたら悲惨。
柔らかいので敵も取り組みやすいらしいが、柔らかいだけに被害甚大である。
縦15センチ、横10センチ、高さ3センチくらいの熱を持った立方体が
突然太ももの大半にへばりつく。
こうなると足の形が変わってしまって、歩きにくい。
腫れた皮膚は真っ赤になるばかりでなく、えらく固い物質に変化するため
足を片方ずつ前に出すという歩行の動作が難しくなるのだ。
一週間ぐらいはガニ股移動。
病院へ行ってもたいした塗り薬は無く、じきに病院をあてにしなくなった私は
問題の立方体にオロナイン軟膏を塗り
その上に薬局で買った冷湿布を貼るという新療法を開発。
こっちの方が早く腫れが引くのだ。
湿布すると、腫れて熱を持った広範囲は楽になる。
ただし、敵に刺された一点は汁まで出てひどく痒い。
しかし湿布をしているため、掻きむしれない。
この世の不条理を感じる日々であった。
毎年これじゃあやっとられんので、そのうち子供なりに色々考える。
そして虫の多い真夏より、身体がまだ今年の毒に慣れていない初夏と
敵が有終の美を飾ろうとする秋がよく腫れることを究明。
真偽は確かではないがそう思い、初夏と秋を警戒して
湿布の在庫管理に余念の無い私であった。
また、敵は黄色を好むらしいのも知った。
帽子の色は黄色に決まっており、雨降りの前のムシムシした夕方なんて
みんなの帽子に群がるからだ。
何とかならないものかと思案したが、帽子を脱ぐと頭をやられそうで
勇気が出なかった。
祖父と父の不仲、明日にも離婚しそうな父母の夫婦関係
母の胃癌、意地悪な同級生…
私は色々なことと戦う子供であった。
だが、ブトのヤツがもたらす熱い立方体とも同じウェートで戦った。
5年生になって、突如として救世主現る。
救世主…それはパンタロン。
当時「ピンキーとキラーズ」というグループの歌が大流行していた。
ボーカルのピンキーがはく「パンタロン」という名のおしゃれズボンも
メジャーとなった。
やがて県内都市部にあるデパートの子供服売り場にも
パンタロンが並ぶようになる。
ピンキーに憧れていた私は、親にパンタロンをねだった。
おしゃれのつもりで入手したパンタロンだが
足全体を布地で覆うことによって、敵の襲撃がピタリと止まった。
刺されてからあれこれやるより、まず隠して刺されないようにする…
あれが予防の大切さを知った最初だったように思う。
こうして私は、図らずも熱い立方体に別れを告げることができた。
中学になると制服がスカートになったので、再び奴らに狙われることになるが
小学生の頃みたいには腫れず、やがて私のアレルギー時代は終わった。
成長して体質が変化したのかもしれない。
しかし私の性根が、ブトよりもっと強い毒を保有するようになったのも
一因ではないかと考えている。
最初に遭った災難は、4才の頃。
当時は中華そばと呼ばれていた、ラーメンの出前だ。
その頃の私は、大人の食べ物に興味を示すようになっていた。
少しもらって食べた途端、両足のカカトに突っ張るような違和感を感じる。
真っ赤なブツブツがみるみる広がって、痒いのなんの。
すぐに近所の医院へ連行されたものの、診察を受ける頃には跡形もなく消えており
医師には症状が確認できなかった。
母の方も商売人の立場上、近所の店の品物で異変が起きたと口にするのをはばかり
出前の中華そばが原因とは言えなかったので、うやむやになった。
その後、トッピングのシナチクだけ食べたことがあるが
やはりカカトに斑点が発生した。
一つ下の妹も中華そばに同じ反応を示したが
彼女はそれ以前に、冬になると手の指が乾燥して血がにじんだり
いつもヒジの内側やヒザの裏側がかぶれていたため
母は私達を連れて、あちこちの病院巡りをするのがライフワークだった。
半世紀以上前、アレルギーなんて言葉は今のように一般的ではなく
どこへ行っても皮膚病として片付けられていた。
今思えば妹のあの症状は、かの有名なアトピーというものではなかったのか。
やがて私は小学生になった。
中華そばを食べてカカトに問題が起きたことなどすっかり忘れていたし
もう大丈夫かどうか実験するチャンスも無かった。
2軒隣にあった中華そば屋は、すでに店を閉じていたからである。
そんな私に、虫刺されという新たな問題が降りかかる。
この辺りではブト、地方によってはブヨと呼ばれる小さな虫が
私を苦しめるようになった。
幼稚園の頃と違って行動範囲が広くなり
草むらでも遊ぶし、学校の校庭にもたくさんいた。
特に通学路に沿って流れるドブ川は、奴らのパラダイスであった。
ひとたび刺されようものなら、プーッとマンジュウのごとく腫れ上がる。
顔や腕も腫れるが、昔の女の子はスカートなので足の被害が多発した。
引力の関係か、足が一番重症だった。
特に、太ももの内側を刺されたら悲惨。
柔らかいので敵も取り組みやすいらしいが、柔らかいだけに被害甚大である。
縦15センチ、横10センチ、高さ3センチくらいの熱を持った立方体が
突然太ももの大半にへばりつく。
こうなると足の形が変わってしまって、歩きにくい。
腫れた皮膚は真っ赤になるばかりでなく、えらく固い物質に変化するため
足を片方ずつ前に出すという歩行の動作が難しくなるのだ。
一週間ぐらいはガニ股移動。
病院へ行ってもたいした塗り薬は無く、じきに病院をあてにしなくなった私は
問題の立方体にオロナイン軟膏を塗り
その上に薬局で買った冷湿布を貼るという新療法を開発。
こっちの方が早く腫れが引くのだ。
湿布すると、腫れて熱を持った広範囲は楽になる。
ただし、敵に刺された一点は汁まで出てひどく痒い。
しかし湿布をしているため、掻きむしれない。
この世の不条理を感じる日々であった。
毎年これじゃあやっとられんので、そのうち子供なりに色々考える。
そして虫の多い真夏より、身体がまだ今年の毒に慣れていない初夏と
敵が有終の美を飾ろうとする秋がよく腫れることを究明。
真偽は確かではないがそう思い、初夏と秋を警戒して
湿布の在庫管理に余念の無い私であった。
また、敵は黄色を好むらしいのも知った。
帽子の色は黄色に決まっており、雨降りの前のムシムシした夕方なんて
みんなの帽子に群がるからだ。
何とかならないものかと思案したが、帽子を脱ぐと頭をやられそうで
勇気が出なかった。
祖父と父の不仲、明日にも離婚しそうな父母の夫婦関係
母の胃癌、意地悪な同級生…
私は色々なことと戦う子供であった。
だが、ブトのヤツがもたらす熱い立方体とも同じウェートで戦った。
5年生になって、突如として救世主現る。
救世主…それはパンタロン。
当時「ピンキーとキラーズ」というグループの歌が大流行していた。
ボーカルのピンキーがはく「パンタロン」という名のおしゃれズボンも
メジャーとなった。
やがて県内都市部にあるデパートの子供服売り場にも
パンタロンが並ぶようになる。
ピンキーに憧れていた私は、親にパンタロンをねだった。
おしゃれのつもりで入手したパンタロンだが
足全体を布地で覆うことによって、敵の襲撃がピタリと止まった。
刺されてからあれこれやるより、まず隠して刺されないようにする…
あれが予防の大切さを知った最初だったように思う。
こうして私は、図らずも熱い立方体に別れを告げることができた。
中学になると制服がスカートになったので、再び奴らに狙われることになるが
小学生の頃みたいには腫れず、やがて私のアレルギー時代は終わった。
成長して体質が変化したのかもしれない。
しかし私の性根が、ブトよりもっと強い毒を保有するようになったのも
一因ではないかと考えている。
打算ばっかりで行動は最小限にセーブし、口数だけ二人前。
現実に腐ってる自分と、思い描く良い子の自分のギャップに
気づかないからこそ、その落差の分だけ苦しんでいたな~。
極端な例だけど、道で行き倒れている人がいたら
救急車を呼んだり介抱したり家に連れ帰ったりはせず
何もしないで通り過ぎ、いつまでも振り返り振り返り
「かわいそう」を連発するタイプ。
それを自分では優しさだと思っていた。
こんなに良い子なのに幸せになれないのはなぜっ?!
なんて、運命を呪ったもんよ。
腐りきった今、過去に苦しんだことで身をもって知った
数々の体験が、現在進行形で苦しんでいる周囲の人を
多少は安心させる材料になることがある。
この先どうなるかを知っている事柄なら
怯えて苦しんでいる人を励まし、実際に行動することができる。
あ~、無駄じゃなかったな、と思う。
腐ってるなら、いっそ腐りきって別の食品になりたいわね。
そんなみりこんさんの言葉だからこそ素直に私の気持ちに落ちるし
そんなみりこんさんの知恵だからこそ私は実行しようと思う。
お追従ではなく。
漬けたのをせっせと食べてるんだけど、今年はまだ誰もくれないわ。
嬉しいような淋しいような(笑)
ラッキョウはそのまま食べるのもおいしいけど
みじん切りにしてマヨネーズと和えたら
おいしいタルタルソースになるよ。
豪華にしたい時は、それにゆで卵やパセリを加えると
つまらぬフライがご馳走になります。
ギャーギャー言わなきゃ生きられない人って
自分を取り巻く人や事柄の何もかもを掌握したい人なのよね。
全部掌握して思い通りに動かし、自分だけが住みよい世界を
構築したい。
大それた野望よ。
それをワガママとか自己中と呼ぶんだけど。
人や事柄を全部思い通りに動かすなんて、神様じゃあるまいし
まあ無理よね。
能力が追いつかん。
だけどおバカさんほど神様になりたがる。
バカだから、能力が足りんことがわからん。
神様になったらなったで、責任や実力が問われることも知らん。
自分にはそれがちゃんとあると思ってる。
実際の能力と憧れる能力とのギャップが、騒音。
ギャップが大きいほど、騒音は激しい。
私は元々いい人じゃないんだけど、いい人じゃないだけに
「いい人と呼ばれたい」という願望は長いこと持ってた。
その間は苦しかった。
何かする前に、感謝されるかどうかの結果を期待して値踏みするから
結局手をこまねいて何もできなくて
後から「心配はしました」で終了。
何もしないくせに、自分じゃやった気になってた。
それなのに、いい人と呼ばれるためのお手伝いをしてくれない人や
邪魔する人…つまり親や亭主がとにかく憎たらしくてさ。
そもそもこの時点で、全然いい人じゃない(笑)
今も腐ってるけど、ほんと腐ってたね。
だからすみこはんの「ほっとけない」に
美しく清々しい温かさを感じています。
確かに良い効果が沢山ありそう。
私も明日から数個食べてみようと思います。
若い頃は数年毎年せっせ、せっせ根気よく掃除してらっきょう漬けてたこともありました。
自覚ありますね。
誰にでも適用しようとしてた。
おせっかいだった。
「身になる」をどの程度要求されているかを察知する。
これを肝に銘じておくようにしなくちゃ。
しかし・・・・
基本、人の事はほっておけばいいのだ。
良い人にならなくったっていいんだ。
ソロソロ私も楽にならなくては。
良かったです!
ホッとしました。
軽くても痛みやしびれが続くようなら、病院行ってくださいね。
ヒザのじん帯は思わぬことでゆるむものです。
ご主人、バイパス手術ですか。
大変でしたね。
そうそ、そちらにもうるさい爺がいらっしゃいました(笑)
良かれと思って何か言っても、本人それどころじゃないので
放置に限りますよ。
痛いのはご主人、すみこはんじゃない。
相手の身になって考えるのは良い事かもしれないけど
身になってあげなくていい人もいます。
暴言吐きという人種は、自分の身になって考えてもらうことを
必要としない人種です。
苦しみの続く人は、優しい人が多い。
優しさ…つまり相手の身になって考える想像力が豊かなので
誰にでもそれを摘要してしまう。
つい習慣で、必要としてない人にも平等にやろうとする。
たいていの人は喜んでくれて、嬉しく思ってくれるんだけど
その優しい人の身近な人物…配偶者だったり親だったり
職場の人だったり…生活するにあたって一番肝心な人物が
身になって考えてもらうことを好まないのは
よくあるこの世の法則。
当然ながら報われるどころか、刃物でえぐられる。
良いことのはずなのに、通用しない人がいる。
自分はおいしいと思ってプレゼントした料理を
目の前でまずいと言われて捨てられた気分。
ショックの連続よ。
そこに出口の無い苦しみが生まれる。
本当に相手の身になってものを考えるというのは
「身になる」をどの程度要求されているか察知する
感性じゃないかと、感性の無い私はこの頃思うのよ。
感性は持って生まれたものだから、途中で身につけるのは難しい。
だから困難な相手に対しては、投げるに限る。
ただしこの感性、クセモノなんじゃ。
生まれつきあってごらんよ。
気の使い過ぎでとっくに死んでるよ。
静かで優しくていい子は、あの世から早くオファーが来る。
感性が乏しいから、おせっかいでやかましいおばちゃんや
口で暴力振るうおじちゃんになる。
あの世でもいらんわな、やかましいから。
で、静かになるまで病院とかで寝かせて熟成させる。
感性の乏しさと生命力は連動しているのかも。
少なくとも私は長生きできるような気がしてきました(笑)
私もスキップは自重します。
年を取って貴重になる部品は足と眼。
最近ラッキョウを毎日食べるようになって、なぜか眼が絶好調。
悪いわけではなかったんだけど、ショボショボしなくなった。
アイメイク、乗る乗る(笑)
そんなに痛くない。
良かったです。
お騒がせ致しました。
他の方々のコメントにも
そのコメントに返されるみりこんさんの回答にも
ビンビンと反応していたんです。
ここにみりこんさんがいて下さることが有り難くて
心強くて、安心して私の大変を過ごしていたんです。
相方の癌や腸閉塞、そのためのバイパス手術
為を思って言うことも素直に聴きよらん。
そんなややこしい時に、イ、イ、痛あ~い痛あ~い
雨の中をすっころんで右足が痛い。
孫に傘を差し掛けてやろうと横飛びでスキップしてたら、ス、ステーン!!!
すっきょろびです。
全く年寄りは年寄りらしくおとなしく動かないと。
67歳は
るんるんスキップはいけません。
めったな事ではお医者に行かない私だけど
明日も痛みが残っているようなら行かないと、かも。
車盗まれたり、
相方が弱ったり、
何の罪もない私が(本当か?)すっころんだり。
宝くじジャンボ買っておくんだった。
(宝くじはちと違うのかな)
まず母親が笑顔になれないと、家に明るい陽は射しません。
別の仕事を探してみるのは、とてもいいですね。
そう、ダメ元でいいのよ。
自分が笑顔になるために行動を起こす。
とりあえずでいい、できること、身近なことでいい。
ヤケでも当てつけでもない、純粋に幸せになりたいから動いてみる。
いい仕事が見つかる見つからないは関係ない。
行動が大事。
口うるさい爺がいるって、本当にきつい。
この世の地獄よ。
でも生活するには、その地獄の暴言や命令を聞かなくちゃならない。
その暴言や命令は、おしなべて理不尽な内容。
どんなに辛く苦しいことか。
反論したこともある。
その命令は聞けないと言ったこともある。
てもね、説明しても、それを理解できる言語能力が無いんじゃ。
何言ってるのか、わからんらしい。
すべて口ごたえとして、ますますヒートアップ。
本当は頭が悪いんじゃ。
頭の悪さを隠したいから、見抜かれる前、指摘される前に
声の大きさと言葉のトゲで先にカウンターパンチ。
それがああいう人のやり口なんじゃな。
歩く凶器は誰よりも臆病な、コンプレックスのかたまりだった。
うちは舅だけど、これ、亭主だったらやってらんないわよ。
ヨシコはよく耐えられたな、と思うけど
よく考えりゃ、私に攻撃が来てたから安全だったわね(笑)
割れたガラスの上を裸足で歩くような日々だと思います。
私も一緒に歩きたいです。
やがて足の裏が進化して、下駄になるまで!
今の仕事を終わらせる様に、いくつか応募してみました。
私も 自分の幸せの為に何ができるのか?
少し動いてみます。 ダメ元だもんね。
ありがとう ございます。
とっても 嬉しいです。本当に 知り合えて良かったデス。
えらそうに何か言える立場か!
黙ってても腹立つのに、もの言うな!
暴言って、言われた方はずっと心の中から消えないもんね。
爺、婆に捨てられそうなんじゃないの?
先に捨てちゃえば?
身体まで痛めてしまうよ。
小さい子を抱えているわけじゃないので
その気になったら女一人、どうとでもなるよ。
本人同士の話し合いは無理なようだから
弁護士に依頼した方がいいと思う。
婆もまとめて訴訟起こしてやりんさい。
弁護費用は、厳しいようなら法テラスに電話して相談しんさい。
離婚訴訟もやってるから。
長期分割にしておいて、慰謝料が入ったら完済するといい。
自分の心と身体を守らなきゃ。
以上は私の本音。
ここで訴訟を起こさない理由を探すようだったら、まだ大丈夫。
自滅を待てる。
にっちもさっちもいかない時は、自分にとって最悪の状況とは
何かを考えてみるのよ。
私はよく、自分に生活保護を受ける覚悟があるかを考えてた。
母子手当も同じようなもんだけどさ、生活保護も
子供が未成年で学校行ってる間の方が受けやすいから。
でも、覚悟はできなかった。
うちの母親、所属は県庁だけど市役所勤めだったんさ。
資格があれば誰でも受給できるとはいえ、田舎のことさ…
母親に恥をかかせることになるのは、ま、必然。
古い公務員って、そうなのさ。
プライドで仕事してるようなところがあるから
その子供が税金のお世話で食べるって、耐え難い屈辱らしい。
母と私はなさぬ仲だから、結果として父に怒りの矛先が来るわね。
毎日ギューギューやられるであろうことは目に見えてたので
それはできなかった。
そのうち子供が成人して、教育費も生活費もいらなくなって
母子手当の受給資格も無くなったし
自分だけなら何とか食べられるような気がしてきた。
そしたら、浮気、浮気とあれほど苦しんでいたのが
どうでもよくなってた。
不思議なもんねえ。
私は身体が丈夫だったし、何より夫は浮気者ではあるけど
口数は少なかった。
幸運にも比較対象が家にいたから、口数が少ないのは楽ちんと
わかってた。
比較対象、アツシ。
有責者のブンザイで逆ギレざんまい。
そっちの爺とそっくりだと思う。
起きてから寝るまで、何にでも引っかかっては暴言吐いて
当たり散らしてた。
もうね、狂気以外の何ものでもない。
こいつをどう傷つけてやろう、と画策する悪意が伝わってくる。
私は居続けられなかった。
あ、だから家出したんだっけ。
だから南風さんの厳しい状況、よくわかります。
耐える者のそばには、耐える者をナメてるヤツがいるものです。
辛抱も度を越すと、耐えてるんだか、ナメられてるだけなのか
わからなくなるものです。
敵は気が小さいので「怒らせたら何するかわからない女」になるのも
立派な防衛手段です。
身体が大事ですから、しばらく避難できる所や
先の生活手段を考えるのは、実行するしないはさておき
必要だと思います。
爺はどうでもええから、南風さんの幸せだけを
お祈りしていますよ!
ブトより 生きてる爺に!
弱ってる時って 虫刺されもなかなか治らないでしょう?
ジイの 罵詈雑言
本当に ツッコミどころ満載で、言い返したいのをグっと我慢した。
動画で 撮っといてネットに上げるべきだったって 今頃思ってる。
無表情で 知らないフリするのが 最良。
自滅して行くのを 待つ。のも もう無理かな~~
って 自問自答してる。
あ~~あ イケンシタモンジャロカイ・・・・
あれ、痒いんだ~!
キー!ってなりそう。
赤と緑!
そりゃまた華やかなパンタロン!
パンタロンって、もう死語よね(笑)
裂けるとリンダ、困っちゃう。
歌いながら帰るの、すばらしいですね(爆)
私も万一そういうシチュエーションになったら
ぜひ見習いたいと思います。
家の表と裏にカメを置いて、必ず溜め水。
ホースの水がかけにくい所の植木鉢に
ササッとひしゃくでかける用。
ボウフラの保育器になってる。
迷惑千万。
いつもひっくり返してやるんだ。
気持ちはわかるのよ。
水道なんか無くて、お風呂の水を
井戸まで汲みに往復していた時代の人達でしょ。
染み付いてるから、言ったって聞きやしない。
知らずに水を入れてる、その古くて汚らしいカメ
アツシの元愛人がくれたものだと、いつか暴露しそう。
そちらじゃブトウって呼ぶんですか!
知らなかったわ!
長ズボンをはいて花壇の手入れをしてたんですが、しゃがむとお尻の部分が伸びるじゃないですか。
ちょうどパンティのラインのところが腫れ、痒くて堪りません。
ブトはハッカ系のにおいが苦手らしいので、ミントの葉っぱをぶら下げてておりましたのに、何の効果もありませんでした。
パンタロン!懐かしい響きですね。
私も子供の頃に持っていました。
赤と緑の4枚はぎで今にして思うと、すごい派手なパンタロンでした。
昼休みにみんなでドッチボールをしていた時の出来事。
ボールをしゃがみながら受け止めた瞬間、つなぎ目が裂けて山本リンダの衣装みたいになってしまいました。
膝のところでハンケチで縛っても裾はヒラヒラするもんですから、帰りは狙い撃ちを歌いながら帰宅したことを思い出しました。
まさかぶよと同じいきものだったとは!!笑
やつらはアレルギーじゃなくてもこわいですよ。
蚊の威力なんて目じゃないくらい痒くて腫れるんですよね
みりこんさんほど重症にはなりませんけど
本当にこれからは嫌な季節です涙
祖母がもったいない精神の人でして…
まあもう90なのでその世代の人はみなさんそうかもしれませんが…
庭に桶やらなんやらを置いて水をためます。
家庭菜園にやるそうな。
見つけ次第、水を捨て桶も没収。
子供の遊び場で蚊やぶとうを育てるのやめていただきたい。
部屋もガラクタが散乱!
いらんもんは捨てて片付けろというと
まだ使う時がくるかもしれないと…
使う時が来る前に死んでるから心配ない!
部屋の整理してからポックリ逝け!
と本人を目の前にして言うのが
鬼孫と言われる所以です笑
次男もこの体質を受け継いだらしく
小さい頃は蚊やブトに刺されると、困ったことになっていました。
この子は腫れるのではなく、全て水ぶくれになって汁が出る。
朝、パシャマを脱がせるというより、水ぶくれの水と薬で
皮膚にくっついたパシャマを「はがす」感じ。
心配しましたけど、成長と共に大丈夫になりました。
暑いので、子供にはつい肌を出した格好をさせがちですが
無防備だと「刺してください」と言ってるみたいなもんだからね。
子供は汗かきだけど、露出さえすれば涼しいってわけでもないので
涼しい素材の服を探してみるのも楽しいと思います。
祖父母と暮らしていると、良い面もたくさんあるけど
昔の人って、窓や戸を開けっ放しにするじゃん。
今どきは悪い虫が増えてることや、皮膚の弱い子供が増えてることを
いまいち理解しきれない。
いちいち言うと険悪になるし、険悪になったところで
改善は見込めないし、身が細る思いよね。
やっぱりパンタロンで防御が安全ね。
この頃、急に手足が長くなったようで、去年のハーフパンツがツンツルテンになってます。
ここは思いきって120センチサイズを、しまむらで2本購入。
少しダボダボが涼しい?かな(^-^;
ヤッパリ、アレルギーの子どもは腫れやすいのですね。
妹さんも、お可哀想に…。
お母様のご心痛、お察しいたします。
先ず予防!
頑張ります((o( ̄ー ̄)o))