殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
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崖っぷちウグイス日記・14

2022年12月19日 15時57分39秒 | 選挙うぐいす日記
白いポインセチアを選挙事務所の入り口に置いた引退議員その2

つまりTさんは、私の隣に座る夫に気づいた。

「よぅ、ヒロシ!久しぶりじゃのぅ!

ここでドライバーやりようたんじゃとのう」


Tさんが夫と顔見知りなのは、選挙戦が始まった頃に彼から聞いていた。

夫が、今は亡き父親を連れてサウナ通いをしていた頃

同じようにサウナ好きのTさんと度々顔を合わせていたという。

その時は、いかにも夫をよく知っている口ぶりだった。

後で夫にたずねたら

「たまにサウナで挨拶するだけで、話はしたことない」

と素っ気ない返事だったのはともかく

Tさん、昼間は選挙事務所に詰めて夕方には家へ帰るので

夜のドライバーを務める夫とはずっとすれ違いだったのだ。


選挙事務所に集まっている人々の前でいきなり呼び捨てにされ

夫は会釈をしながらもムッとした表情だった。

しかしTさんは気にせず、人前で妙なことを言い始める。

「わしゃ、前にヒロシからゴルフクラブを買うたことがあるんじゃ」。


夫は強く否定した。

「人違いですよ。

僕はゴルフクラブを売ったこと、ありません」


基本的には夫を信用しない私だが、この時は同意。

ゴルフ好きの人が自分のクラブを人に譲ることはよくあろうが、夫はしない。

女遊びのために、他人から預かった香典を流用したり

我が子の月謝やお年玉を盗んだりと、のぼせたら何をしでかすかわからない夫だが

ゴルフクラブだけは売り飛ばさない確信を持っている。

なぜなら彼のゴルフクラブは全て彼の父親、つまり義父アツシが吟味した物だからだ。


ゴルフがさほどうまくない夫は

シングルの腕前のアツシとラウンドすることは無かったが

アツシは夫の年齢やゴルフ界の流行に合わせ、折々にクラブを新調してやった。

家庭を顧みない暴君の父と、異様に父を怖れる息子は決して良い関係ではなかったが

ゴルフクラブは唯一、この奇妙な父子にとっての絆だった。

夫が、そのクラブを人に売るわけがない。

大切だからというより、人に売ったら足がつくからだ。


買った人間は、絶対しゃべる。

毎日のようにゴルフに行くアツシの耳に、入らないはずがない。

そうなったら、どんなに怒られるか。

夫が一番怖れるのは、ゴルフ関係のことで父親に怒鳴られることだった。


「いや、十年ぐらい前、ヒロシからアイアンを1本買うたよ」

夫の否定を気にせず、Tさんはしれっと言う。

アイアンは、アツシが最もこだわっていたアイテムだ。

夫がそんな恐ろしいことをするわけがない。

それ以前に夫とTさんは、ゴルフ道具を売り買いするほど親しくない。


「絶対に違います。それは僕じゃありません」

夫は顔色を変えて、なおも否定するが、Tさんは引かない。

「いや、買うた。間違いない」

そこからは押し問答が始まった。


そもそもTさんは、夫に対して非常に失礼なことを言っているのだ。

県内のゴルフ業界で、アツシは有名人の一人。

プロとラウンドするのはごく日常で、プロ昇格テストの審判員や

大きな大会の競技委員もやっていた。


今はどうだか知らないが、昔はテストや大会の運営に関わるためには

もちろんプロ並みの実力が条件。

しかしもっと大事なのは、それぞれの開催会場のバカ高い法人会員権の所有者であること。

千万単位の投資をさせることで、一般客よりも良さげな地位を与え

会員の虚栄心をくすぐるという一種の株主優待である。


アツシの会社が危なくなった原因の一つとして

あちこちに持つ会員権の値打ちが、不況で下がったことが数えられるのはともかく

アツシや、彼に個人会員権を買い与えられていた夫にとって

ゴルフ関連の売買なら会員権一択であり

個人的にチマチマと道具を売買する行為は恥という認識があった。


言うなればTさんは先程から、夫に恥をかかせ続けているのだった。

ゴルフが好きなのはけっこう、クラブの売り買いもけっこう。

しかしゴルフは、会員権の有無という格差が大前提の面倒くさいスポーツだ。

その常識を知らない人間は、人前で軽々しいことを言うものではない。


買った、売らないの押し問答で、選挙事務所は険悪な雰囲気に包まれた。

Tさんはただの嘘つきだと思っていたが、ひょっとして認知症の前触れかもしれない。

そういえば、ここで公言していた引退理由も変だった。

「自治会長を引き受けたから、忙しくて議員ができなくなった」

普通は逆だろう…私は首をひねったし、聞いた人たちも納得しなかった。

が、それをおかしいと思わない彼の頭は、すでにおかしいのかも。

こんな人が議員を続けて税金から給料をもらうのは間違っているので

引退して正解だと思ったものだ。


時計はもうすぐ8時。

開票が始まるから、止めなければ…

ゴルフクラブどころじゃないぞ…

そこで私はTさんに問うた。

「それで、そのアイアンはお買い得でしたの?」

意外な質問に少し間が空いたものの、彼はサラリと答える。

「18万」


嘘、確定。

どんぶり勘定の夫が、そのように中途半端な値段で売るはずがない。

5万とか10万のキリのいい数字にするはずだ。

薄汚れた古ギツネみたいな外見のTさんもまた

他人のゴルフクラブに大金をポンと出す、酔狂な人物には到底見えない。

そんな経済的余裕があるのなら、ショップで新品を買った方がよっぽどいいではないか。


さらに10年前と言えば、アツシは最期の入院中。

その何年も前から会社は倒産しかけていたため

アツシが夫にゴルフクラブを買い与える余裕は無かった。

ということは、Tさんが買ったと主張するアイアンはかなりの中古品。

ビンテージ物ならいざ知らず、元値がいくらであろうと18万の値は付かない。


こんな大嘘を言うのは、皆の前で金持ちぶりたいのと

選挙カーのドライバーを務めた夫を自分の弟分に仕立てたい目的からである。

田舎では顔見知りが多いので、ちょっと知っている相手を見つけると

こういう手を使ってマウントを取りたがる年配者がよくいるのだ。

ここでムキになるのはバカバカしいので、私は明るく言った。

「18万!そんなお金があったら、私は旅行に行く!一人旅がいい!」


「あら、一人よりも旦那さんと行けばいいじゃない」

手伝いに来ている奥さんたちの一人が言ったので、しめしめと思い

「夫婦で行くと、世話が大変じゃないですか?」

と振る。

「わかる!疲れに行くみたいなものよね」

「嬉しいのは家を出る時まで」

「ここにいるご主人さんたち、よ〜く聞いておいてよ」

女たちはワイワイと旅の話で盛り上がり、ゴルフクラブの話はかき消えた。


夫はかなり腹を立てていて、シロクロをはっきりさせたかったようだが

開票の第一報が入ったのでそれきりになった。

かわいそうだが、仕方がない。

《続く》
コメント (2)
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