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殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…それぞれの想い・10

2022年07月24日 10時44分51秒 | シリーズ・現場はいま…
冷蔵庫に並んだ野菜ジュースの缶を指差し、松木氏はなおも叫ぶ。

「これは、〇〇社のお中元じゃ!

ワシが持って行くつもりで買うとったのに、どうしてくれるんじゃ!」


ここで説明しておこう。

地元の取引先へ中元歳暮を配達するのは、松木氏の仕事。

大手取引先には、本社から多少値の張る進物が直送されるが

本社があまり意識してない小さな取引先には

松木氏が本社からもらった予算で進物を買い、彼が届けることになっている。

普段は寝て暮らしても、夏と冬の一時期は多少なりとも仕事があるわけだ。

彼はこの仕事を気に入っているらしく、この時期はなぜか得意げである。



「ワシの机にあったけん、届いたモンか思うた」

夫が言うと、松木氏は勝ち誇ったような顔になり

声のトーンを落として吐き捨てた。

「あんた、泥棒じゃったんじゃの」


大好きなチョコレートやアイスならまだしも

大嫌いな野菜ジュースで泥棒扱いされたのではたまらない。

夫は逆上した。

「やかましい!買うて戻しゃええんじゃろうが!」


松木氏は取り合わず、軽蔑の笑みすら浮かべて溜息混じりに言う。

「戻して済む問題じゃあなかろう…横領じゃけんのぅ」

「ワレが紛らわしいことしといて、何ぬかしょんね!」

「見逃すわけにはいかんのぅ。

これは本社に報告せんと」

「ナンボでも言ええや!ジュースが何じゃいうんね!この給料泥棒が!」

仕掛けておいて急に逃げるのが、松木氏の常套手段。

例のごとく事務所を出て行ったので、バトルは終わった。


しかし取引先へ行くはずの野菜ジュースは、冷蔵庫でバラバラになっている。

いくら腹が立ったといえ、そのままにしておくわけにはいかない。

夫は本社の進物担当に事情を話し、弁償するから金額を教えて欲しいと頼んだ。

「松木氏さんに渡した予算は3,500円です。

別に野菜ジュースでなくてもいいですから、適当に買っといてください」

担当者がいとも簡単に言ったので、スーパーへ行きがてら家に寄ったというわけ。

私に聞いて欲しかったのだろう。


「あんなヤツと仕事なんかできん!今日で辞める!」

怒りのおさまらない夫。

腹を立てるのも無理はない。

缶入りの野菜ジュースは重たいので、普通は買ったその足で持って行く。

すぐに持って行けないのであれば、車に置いておけばいいものを

わざわざ事務所に戻って車から降ろし

自分の机でなく夫の机を選んで放置するのは不自然きわまりない。

うっかり屋の夫が、間違えて開封するように仕向けたと考えていいだろう。

いかにも松木氏らしさ全開の、みみっちいトラップである。


それにまんまと引っかかり、泥棒扱いされた夫の無念は察するに余りある。

松木氏の手口は、私が子供の頃から体験してきたものだ。

他人と生活するとは、そういう無念が付いて回ることである。

「うちの子に限って」「うちの嫁に限って」という大前提が無いため

ボヤボヤしていたら、たちまち泥棒や犯罪者、性格異常者に仕立てられてしまう。


それを回避するためには、信頼関係を築くのが大切だと世間ではよく言う。

笑わせんな。

世の中には最初から、そういう関係性を結ぶことを徹底拒否する人間の方が多い。

こちらの存在を認めてしまったら、自分の立場が脅かされるとなれば

向こうも必死になるものだ。



そういうわけで話を戻すが、私は松木氏の仕掛けた罠が職場放棄でなく

お中元だったことにいささか安堵していた。

腹立ち紛れに職場を離れたということにされた場合、時間は取り戻せないが

品物が争点なら、買えばいいのでリセットが可能だからである。


「わかった」

私は夫に言った。

「でも、今日は辞めん方がええよ。

今日辞めたら、泥棒が見つかって辞めさせられたことになる。

事実はそうじゃなくても、その方が面白いけん、人はそう言うもんよ。

3,500円で泥棒にされてもねぇ」

「そりゃあそうじゃけど…」

「同じ辞めるんなら明日、あいつを殴って辞め。

泥棒より乱暴の方がマシじゃが」


それで納得したのかどうか知らないが、夫は落ち着きを取り戻し

「とりあえず野菜ジュース買いに行くわ」

と言って出て行った。


この一件は先月、松木氏がS物産に値上げの電話をし

田辺君を怒らせたことが発端になっているのは、最初からわかっている。

松木氏はあれ以来、夫を会社から追い出す決定打を考えていたようだ。


彼は前々から、夫を追い出して自分が成り替わるべく

色々やってくれていたが、やることはせいぜい嘘や告げ口だった。

しかし今回、品物を使って積極的行動に出たのを見ると

早急に夫を葬りたいという強い意思が感じられる。

田辺君がよっぽど恐ろしかったのだと思う。

夫がいなくなれば、田辺君の介入は無くなるので

今後は彼の影に怯えなくて済むからだ。



さてその後、スーパーで野菜ジュースを買った夫が会社に戻ったところへ

ちょうど田辺君がやって来た。

親友の顔を見てホッとした夫は、先ほどのバトルの話をした。

と、田辺君は、その場で松木氏に電話をかけた。


「出ないだろうな」

かけながら、つぶやく田辺君。

S物産の件以降、ダメ押しをしておこうと何度か松木氏にかけたが

一切出ないという。

が、この日の松木氏は電話に出た。

罠が成功したという達成感で、気が緩んでいたのかもしれない。

《続く》
コメント (6)
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