新人、園田君が退職するまでのスケジュールは、こうだ。
彼が入社して10日目の金曜日。
夕食を終えた夫と私と長男は、テレビを見ながら
藤村の悪口を言っていた。
「園田君を勝手に採点して、減点1とか2とか言うとるみたい」
「ホンマか」
「チラッと見ただけじゃけど、あれはパワハラじゃ思う」
「またやりよるんか、それじゃあ続く者も続かん」
「試用期間いうのを勘違いしとるんじゃ」
「止めてやりんさいや」
「現行犯でないと、難しかろうのぅ」
ちょうどその時、長男の電話が鳴った。
園田君からである。
このタイミングに、長男は大きくもない目を見開いて驚く。
神田さんが辞めた翌日、雇って欲しいと言って来た時もそうだが
タイミングが良すぎるあまり、かえって引かれるのは
園田君が持って生まれたものなのかもしれない。
「ちょっと聞きたいんっすけど
藤村さんって、どういう人なんすか?」
彼がその質問をした理由は、やはり藤村の減点発言だった。
「朝の挨拶の仕方が気に入らんとか、ダンプまで全力疾走せんかったとか
何でも減点、減点言われるんっすけど、あれ、すげ〜嫌なんっすよ」
「やっぱり、そういうことをやりよったんじゃね。
あいつはアホじゃけん、気にしなさんな」
「減点が、本採用に響くことはないっすか?」
「関係ないよ」
「大丈夫っすかね?」
「大丈夫。
さっき親父にも言うたんよ。
次に目の前でやっとるのを見たら、親父が注意するけん」
「わかりました…話して良かったっす」
園田君はホッとしたのか、翌日の仕事について
長男と明るく会話して電話を切った。
かわいそうに…我々は園田君に同情した。
藤村は高校で野球部だった。
野球部上がりの男には、二通りある。
高校野球で培った努力と根性を仕事で活かすタイプと
誰にでもすぐ、野球部だった大昔の過去を持ち出し
いつまでも過去の栄光にすがりつくタチの悪いタイプ。
藤村は後者である。
監督だかコーチにでもなったつもりで
園田君をオモチャのように扱っているのだ。
全力疾走しなければ減点なんて言い出すあたり、それ以外の何物でもない。
藤村の悪癖の犠牲になっている園田君が気の毒でならず
家族一同、気をつけてカバーしようと話し合った。
しかし翌日の土曜日は藤村が休みだったので、何事も無く終わった。
そして日曜日の夜。
園田君から長男にラインが入る。
「熱が出たので、明日病院に行くから休みます」
長男は、少々当惑気味。
病欠の届けをラインで、しかも同僚に出す…
これはどんな業界でも認められないからだ。
彼は藤村が入れたのだから、藤村に届けるか
それが嫌なら夫に届けるのがスジである。
が、そういう初歩的な常識を知らないから
仕事にあぶれていたのであり、体調が悪いのであれば仕方がない。
長男は、「わかりました、お大事にね」と返信。
ついでに我々は、今までの経験から仮病だろうと話した。
園田君は、おそらく月曜病。
金曜日に長男と話して落ち着いたものの
また明日から1週間…と思うと、つらくなったのだと思う。
そして月曜日、園田君は休んだ。
彼は申告通り、病院へ行ったのか…
明日は来られるのか…
シフトの問題もあって、夫や息子たちは心配していた。
しかし昼になって、園田君の行動が判明。
月曜日の朝、園田君が行ったのは病院ではなく本社だった。
本社へ行った園田君は、受付で言った。
「社長と話がしたい」
が、社長は不在ということだった。
末端の子会社に所属する、いち社員の面会要請に
社長が応じる慣例は無いので、本当に不在だったかは不明。
代わりに永井営業部長と
パワハラ講習で面識のあった石原部長が応対した。
園田君は、個室で2人と話をすることになった。
彼の主張は、こうだ。
藤村の減点発言には、もう耐えられない…
昨日の夜、もう会社に行きたくないと女房に言ったら
女房が怒って家を追い出された…
行く所が無いから車で夜明かしをして、朝一番にここへ来た…
入社初日、本社に行って地理を知っていたために
こういうことになったようだ。
普段ハイテンションの人は、時に大胆なことをやらかすものだ。
藤村はその日のうちに本社へ呼ばれ
こってり絞られたのは言うまでもない。
が、これといった懲罰は無かった。
園田君は憎い藤村に、ひと泡吹かせてやりたくて
いきなり本社へ乗り込んだのだろうが
あんまり大胆なことをすると周りが面食らう。
藤村の悪行よりも、園田君の頭の心配が先に立って
物事の本質はかすんでしまったようだ。
息子たちは園田君のやったことに
「オトコじゃのぅ!」
と感心しきりだったが、本社はそうはいかない。
不満を持った子会社のいち社員が
いきなり本社へ乗り込んで社長に面会を求めるという
前代未聞の出来事は、セキュリティ上の大問題。
そこで、監視カメラの設置が検討され始めた。
そうよ、会社とはそういうもの。
藤村の人格に疑問を持ったり、明るい職場を作ろうと努力したりと
心に関するソフト面に触れることは極力避けて
あくまでハード面にこだわり、話をそっちに持って行きたがる。
だからあなたの会社だって
「こんなボンクラに、なぜ給料を与えるんだ?」
とたずねたいような人が、周りに迷惑をかけながら
のうのうと出勤しているだろう。
組織とは、そういうものなのだ。
園田君は、そのまま退職した。
数日後、彼の住む町を愛車で走る姿を目撃した社員がいるので
奥さんの怒りはおさまったのかもしれない。
ともあれ会社では、次の運転手が必要になる。
藤村は夫が止めるのも聞かず
隣の市の同業者に人材調達を依頼した。
同業者、つまりライバルに社員の紹介を頼むほど、愚かな行為は無い。
恩を売られ、仕事に食い込まれて身動きが取れなくなる。
そして同業者が紹介する人材は、すべからく厄介な人物。
良い人であれば、その同業者が使っているはずである。
いらないから、回してくるのだ。
そして先日、同業者に紹介された40代半ばの人が面接に訪れた。
わざわざ隣の市からお越しなすったものの、ひと目でアウト。
夫が言うには、『眉紋(まゆもん)入り』だったからである。
眉紋とは、眉毛に施す入れ墨のこと。
眉毛に海苔を貼り付けたように、太く描いた入れ墨をするのだ。
その正視し難い様相は、おしゃれ用の眉タトゥーとは一線を画していて
よその地方は知らないが、この辺りの反社系の中に
ごく少数存在する。
大変見苦しいものの、服を脱がなくても
ひと目でそれとわかる利便性はある。
施術は、背中と違って非常に痛いらしい。
とうに廃れたと思っていたが、中年でも施す人がまだいたのだ。
恐れおののいた藤村が事務所から逃走したため、夫が対応。
少し世間話をし、断って帰ってもらった。
だから今も運転手募集中である。
《完》
彼が入社して10日目の金曜日。
夕食を終えた夫と私と長男は、テレビを見ながら
藤村の悪口を言っていた。
「園田君を勝手に採点して、減点1とか2とか言うとるみたい」
「ホンマか」
「チラッと見ただけじゃけど、あれはパワハラじゃ思う」
「またやりよるんか、それじゃあ続く者も続かん」
「試用期間いうのを勘違いしとるんじゃ」
「止めてやりんさいや」
「現行犯でないと、難しかろうのぅ」
ちょうどその時、長男の電話が鳴った。
園田君からである。
このタイミングに、長男は大きくもない目を見開いて驚く。
神田さんが辞めた翌日、雇って欲しいと言って来た時もそうだが
タイミングが良すぎるあまり、かえって引かれるのは
園田君が持って生まれたものなのかもしれない。
「ちょっと聞きたいんっすけど
藤村さんって、どういう人なんすか?」
彼がその質問をした理由は、やはり藤村の減点発言だった。
「朝の挨拶の仕方が気に入らんとか、ダンプまで全力疾走せんかったとか
何でも減点、減点言われるんっすけど、あれ、すげ〜嫌なんっすよ」
「やっぱり、そういうことをやりよったんじゃね。
あいつはアホじゃけん、気にしなさんな」
「減点が、本採用に響くことはないっすか?」
「関係ないよ」
「大丈夫っすかね?」
「大丈夫。
さっき親父にも言うたんよ。
次に目の前でやっとるのを見たら、親父が注意するけん」
「わかりました…話して良かったっす」
園田君はホッとしたのか、翌日の仕事について
長男と明るく会話して電話を切った。
かわいそうに…我々は園田君に同情した。
藤村は高校で野球部だった。
野球部上がりの男には、二通りある。
高校野球で培った努力と根性を仕事で活かすタイプと
誰にでもすぐ、野球部だった大昔の過去を持ち出し
いつまでも過去の栄光にすがりつくタチの悪いタイプ。
藤村は後者である。
監督だかコーチにでもなったつもりで
園田君をオモチャのように扱っているのだ。
全力疾走しなければ減点なんて言い出すあたり、それ以外の何物でもない。
藤村の悪癖の犠牲になっている園田君が気の毒でならず
家族一同、気をつけてカバーしようと話し合った。
しかし翌日の土曜日は藤村が休みだったので、何事も無く終わった。
そして日曜日の夜。
園田君から長男にラインが入る。
「熱が出たので、明日病院に行くから休みます」
長男は、少々当惑気味。
病欠の届けをラインで、しかも同僚に出す…
これはどんな業界でも認められないからだ。
彼は藤村が入れたのだから、藤村に届けるか
それが嫌なら夫に届けるのがスジである。
が、そういう初歩的な常識を知らないから
仕事にあぶれていたのであり、体調が悪いのであれば仕方がない。
長男は、「わかりました、お大事にね」と返信。
ついでに我々は、今までの経験から仮病だろうと話した。
園田君は、おそらく月曜病。
金曜日に長男と話して落ち着いたものの
また明日から1週間…と思うと、つらくなったのだと思う。
そして月曜日、園田君は休んだ。
彼は申告通り、病院へ行ったのか…
明日は来られるのか…
シフトの問題もあって、夫や息子たちは心配していた。
しかし昼になって、園田君の行動が判明。
月曜日の朝、園田君が行ったのは病院ではなく本社だった。
本社へ行った園田君は、受付で言った。
「社長と話がしたい」
が、社長は不在ということだった。
末端の子会社に所属する、いち社員の面会要請に
社長が応じる慣例は無いので、本当に不在だったかは不明。
代わりに永井営業部長と
パワハラ講習で面識のあった石原部長が応対した。
園田君は、個室で2人と話をすることになった。
彼の主張は、こうだ。
藤村の減点発言には、もう耐えられない…
昨日の夜、もう会社に行きたくないと女房に言ったら
女房が怒って家を追い出された…
行く所が無いから車で夜明かしをして、朝一番にここへ来た…
入社初日、本社に行って地理を知っていたために
こういうことになったようだ。
普段ハイテンションの人は、時に大胆なことをやらかすものだ。
藤村はその日のうちに本社へ呼ばれ
こってり絞られたのは言うまでもない。
が、これといった懲罰は無かった。
園田君は憎い藤村に、ひと泡吹かせてやりたくて
いきなり本社へ乗り込んだのだろうが
あんまり大胆なことをすると周りが面食らう。
藤村の悪行よりも、園田君の頭の心配が先に立って
物事の本質はかすんでしまったようだ。
息子たちは園田君のやったことに
「オトコじゃのぅ!」
と感心しきりだったが、本社はそうはいかない。
不満を持った子会社のいち社員が
いきなり本社へ乗り込んで社長に面会を求めるという
前代未聞の出来事は、セキュリティ上の大問題。
そこで、監視カメラの設置が検討され始めた。
そうよ、会社とはそういうもの。
藤村の人格に疑問を持ったり、明るい職場を作ろうと努力したりと
心に関するソフト面に触れることは極力避けて
あくまでハード面にこだわり、話をそっちに持って行きたがる。
だからあなたの会社だって
「こんなボンクラに、なぜ給料を与えるんだ?」
とたずねたいような人が、周りに迷惑をかけながら
のうのうと出勤しているだろう。
組織とは、そういうものなのだ。
園田君は、そのまま退職した。
数日後、彼の住む町を愛車で走る姿を目撃した社員がいるので
奥さんの怒りはおさまったのかもしれない。
ともあれ会社では、次の運転手が必要になる。
藤村は夫が止めるのも聞かず
隣の市の同業者に人材調達を依頼した。
同業者、つまりライバルに社員の紹介を頼むほど、愚かな行為は無い。
恩を売られ、仕事に食い込まれて身動きが取れなくなる。
そして同業者が紹介する人材は、すべからく厄介な人物。
良い人であれば、その同業者が使っているはずである。
いらないから、回してくるのだ。
そして先日、同業者に紹介された40代半ばの人が面接に訪れた。
わざわざ隣の市からお越しなすったものの、ひと目でアウト。
夫が言うには、『眉紋(まゆもん)入り』だったからである。
眉紋とは、眉毛に施す入れ墨のこと。
眉毛に海苔を貼り付けたように、太く描いた入れ墨をするのだ。
その正視し難い様相は、おしゃれ用の眉タトゥーとは一線を画していて
よその地方は知らないが、この辺りの反社系の中に
ごく少数存在する。
大変見苦しいものの、服を脱がなくても
ひと目でそれとわかる利便性はある。
施術は、背中と違って非常に痛いらしい。
とうに廃れたと思っていたが、中年でも施す人がまだいたのだ。
恐れおののいた藤村が事務所から逃走したため、夫が対応。
少し世間話をし、断って帰ってもらった。
だから今も運転手募集中である。
《完》