殿は今夜もご乱心

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行いと運命・9

2019年11月29日 09時37分16秒 | 前向き論
C社が工場を牛耳るようになって25年。


工場は全国にある関連企業の中で


連続ワースト・ワンの営業成績を誇るようになった。


こういうことは一般に公表されないが


義父は地主という立場に加え、かなりの株を保有していたため


文書で、あるいは企業の人の口から


情報が入りやすい面があった。



輝かしい成績は、当然である。


次々と交代する工場長は、東京本社から来る窓際さん。


着任するとC氏に小遣いを渡され


時に恫喝、時に仏壇参りで締め上げられながら


定年までの数年をC社の犬として過ごすのが


慣例になっているのだ。



無事に定年退職を迎えることが最大の目標なので


業績アップどころの騒ぎではない。


工場で働く人たちも、ほぼ同じ状態。


給料が東京レベルだから、我慢もできるというものだ。



C社の栄華はこのまま続くと、誰もが思っていた。


C社の勢いは、それほどすごかった。


もちろん、我々も続くと思っていた。


世の中って、そういうもんよね‥と。



ところがある日‥


E氏と見た霊園の夢が終わり


義父に最期の入院が迫っていた頃のことである。


企業の東京本社から連絡があった。


「工場を閉鎖することになりました」



万年ワースト・ワンの業績もさることながら


企業側にとって最も大きな問題は


急に厳しくなった暴力団排除条例だった。


野良犬のごとき振る舞いで会社の品位をおとしめ


いけないおクスリの噂も絶えない


C社のような暴力団関係者と取引きをすることが


上場企業にとって命取りになる時代になったのだ。



排除のために月日と努力を重ねるより


閉鎖して撤退する方が簡単‥


本社はそう結論を出した。


ついては誘致の際に交わした契約にのっとり


義父が所有する工場の土地を全部買い取りたいというのが


企業側の要望である。



土地についての契約は、大まかに言うと3つあった。


まず、義父が工場を誘致した時に買った土地の半分は


稼働が開始されてから3年後


企業側が倍額で買い戻すというもの。


よって、義父が工場の土地を買うためにした借金は


その時チャラになっている。



この契約が無ければ、C社に仕事を奪われた時点で


義父の会社は土地の借金によって潰れていただろう。


また、C社に仕事を奪われた義父が悠長でいられたのは


土地の借金が消えた安堵感が


危機感を上回っていたからだった。



それから2番目の契約だが


半分こにする土地は、企業側が工場の建つ奥の方


義父は一般道に繋がる進入路を含む前の方というもの。


バブルの終末期だったのもあろうが


全国展開を進める企業は


現地の地主を大事にする風潮があった。


今では考えられない大サービスの契約である。


これによって義父は


土地のキモである進入路を所有し続けることができた。



C社にその道路を使い続けられる義父の歯がゆさは


察するに余りある。


しかし、この道路を持っていたおかげで


C社は義父の会社の社員にだけは手出しをしなかった。


社員は守られたのだ。



そして3つ目が、これ。


「工場を閉鎖する場合、義父の所有する半分の土地は


購入時と同額で企業側が買い取る」


この契約が実行されることは、まず無いと思っていた。


しかしついに、その時がやって来たのだ。


まさか工場がC社を置き去りにして逃亡するなんて


考えてもみなかった。


置き去りって、鬼畜の親がやるものだと思っていたが


会社もやるらしい。



土地売買の手続きは、病人の義父に代わって夫が代行した。


「くれぐれも内密に」


企業側は何度も念を押したという。


C社に知られたら、どんな行動に出るかわからないからだ。


C社に伝わる恐れがあるため


工場にもギリギリまで知らされなかった。



こうして売買は秘密裏に行われ


義父の口座には大金が振り込まれた。


しかし、義父には霊園につぎ込んだ借金がある。


その借金と利息のために


事業資金が回らなくなって借り入れた借金もある。


これらによって、全額を銀行に押さえられたので


義父には1円も入らず、残念そうだった。



一方、我々夫婦は、義父のやらかした借金が多少減って


ホッとした。


義父の会社は、もう持たないとわかっていた。


倒産に備え、できるだけ身軽になっておきたいという


最大の望みも叶えられて満足だった。


また、図らずもこの望みが叶ったことで


この先に、倒産ではない何かが待っているような気がしたのも


確かである。




それから半年後、C社は初めて閉鎖を知らされる。


そりゃ驚いて、ひと騒ぎあったようだ。


しかし企業側も工場も、すでに人事その他の準備を終えていた。


工場はあれよあれよという間に解体され、さら地になった。



突然ドル箱を失ったC社だが、当面は威勢が良かった。


工場が逃げたので仕事が無くなった‥


なんて言ってはいられない。


毎月、組に納める上納金は


仕事が減っても負けてはもらえないのだ。



C社は急いで次のターゲットを探さなければならなかったが


このご時世だ。


工場のようなおいしい獲物は、なかなか見つからない。


さらに問題が‥。


一般道に繋がる進入路だ。


義父の持ち物だった時は自由に使っていたものの


次の持ち主は、C社にとっては東京の知らない会社。


封鎖されたり、脅しのきかない相手に転売されたら


仕事はおろか家にも帰れなくなる。



ここで企業側は、C社に買い取りを持ちかけた。


「進入路を買いませんか?工場の跡地も付けます」


C社は買い取るしかなかった。


大型車両が通ってもビクともしない道路を作るのは


ものすごくお金がかかる上に


土地の構造上、新たな進入路を作るのは不可能だからだ。



企業側は、義父から買い取った金額とほぼ同額で


C社に進入路とさら地を売った。


つまり道路をエサにして、お荷物になるはずだった工場の跡地を


損益無しで処分したのだった。


このあたり、見事と言うしかない。


C社は今、土地を買った借入金の返済が大変らしい。


《続く》
コメント (2)
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