殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

行いと運命・8

2019年11月25日 14時03分08秒 | 前向き論
義父母とは、生涯二度と関わらない‥


そう心に決めて家を出た私は


夫と子供たちとの自由な暮らしを満喫していたが


数年後には両親と行き来するようになった。


夫が耳の手術をすることになり


誓約書や保証人の署名捺印をする段階で


義母が接触を求めたことがきっかけだった。



義母は相変わらずだが、義父の方はすっかりおとなしくなり


私にかなり遠慮しているように感じた。


嫁の家出がよっぽどこたえたのか


あるいは加齢と病気と会社の経営不振で心身が弱ってきて


大きな声が出せなくなっただけなのかは不明だ。




この頃も、マンモス霊園の夢は続いていた。


そう、これはもはや仕事ではない。


夢なのだ。


今までにつぎ込んだ金を諦めきれない義父と


金を引き出すのがうまいE氏とで見る夢なのだ。



出資金の借り入れと、その利息によって


義父の会社は衰える一方だったが


義父はE氏を信じ続けた。


その根拠は、E氏が義父の金で贅沢をする様子が


全く無いというものだった。



住まいは親から引き継いだ豪邸だが


高級品を身に付けるでもなく、古い車に乗り続けるE氏。


義父がだまされたのは、そこだった。


彼の観察眼は、鋭いほうだ。


しかし人の心には興味が無いため


外観だけで全てを把握した気になり


人の胸の内を知ろうとしない。


そもそも嫁いびりがライフワークだった男に


人の内面や実情がわかるわけはないのだ。



また、E氏は頃合いを見計らって


霊園の予定地に看板を立てたりもした。


こういうソツの無さが、彼にはあった。


現地でそれを見せられた義父は


いよいよだと喜んでいたものである。



かなり後になって、我々夫婦も見に行った。


7〜8メートルはある大きな看板で


絵画のように美しい霊園の完成図を背景に


霊園の名前、それから義父とE氏で作った会社の名前と


電話番号が描いてあった。



「この看板も、オヤジから引き出した金で作ったに違いない」


「人をだますって、大変なんじゃね」


夫婦でそう話したが、義父を止めることはしなかった。


止められないのだ。


誰かを信じたら一直線、誰にも止めることはできない。



そう言ったら聞こえはいいが、これは悪癖である。


人を見る目が無いという悪癖だ。


怪しげな相手ほど強く惹かれ、身も心も捧げて尽くす。


それを止められると、ますます入れ込んで手がつけられなくなる。


浮気の時も全く同じ展開だ。


この悪癖は遺伝するらしく、我が夫も同じパターンを繰り返している。




そうこうしているうちに


霊園と幼稚園を一緒にやるはずだった僧侶が亡くなった。


準備期間が長過ぎたので、年を取ってしまったのだ。



霊園の計画は頓挫するかに見えたが、E氏はものともしない。


申請を一からやり直すということで


またもや出資金の増額をねだるのだった。


が、その頃の義父は、すでに後期高齢者。


しかも病人だ。


金を貸す銀行は無かった。



金が出ないことを知ると、E氏はパタリと寄り付かなくなった。


義父のほうも病気が重くなり、霊園の造成どころか


自分が霊園に入りそうな状況なので、儲け話は自然に立ち消えた。


25年に渡って見続けた夢の終結は、静かなものだった。



失意の義父は最期の入院をすることになった。


晩年の5年弱を病院のベッドで過ごすが


親友のはずのE氏が見舞うことは無かった。



E氏に流れた金は、軽く1億を超えていた。


この金の使い道は、彼一家の生活費だと思われる。


なぜなら8年くらい前だと思うが


E氏の自宅が競売にかかっていることを知ったからだ。


彼も大変だったのだ。


1億も、家族5人が25年で使えばつつましい生活費。


おしゃれや新車どころではなかっただろう。



この頃にはすでに、E氏と義父で作った霊園用の会社は


義父に内緒で閉じていたと思われる。


会社が無くなれば、出資金は戻らない。


義父に残されたのは、借金だけである。




E氏は義父の見舞いには来なかったが、葬式には来た。


普通なら顔を出しにくい所へ、平然と行ける‥


それが天性の詐欺師というものだ。


彼に巻き上げられた金のうち


義父が回収できたのは、香典の1万円のみであった。


E氏は今も元気だ。




さて、義父が町外れに土地を買って誘致した工場を


ご記憶だろうか。


誘致後は、地主としてトップの取引先になり


優遇されるはずだった。


しかし工場長の新築祝いに小汚い壷を贈ったため


現金を贈った同業者のC氏に仕事をかっさらわれた件である。



C氏の経営するC社は、長らく順調だった。


車両は次々に増え、いつも忙しそうだ。


給料がいいのと、新車に乗れるという理由で


義父の会社を辞めてC社へ転職する者も何人かいた。



C氏は、後継者である若い息子と非常に仲が良かった。


気に入らないことを見つけて事務所に怒鳴り込むのも


気に入らない社員をエアガンで狙うのも


いつも父子一緒。


ここに時折、企業舎弟として所属する組の人が加わった。


工場はC氏父子に牛耳られたまま、25年の歳月が流れた。


《続く》
コメント (2)
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