殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

チュンタロー

2017年01月16日 10時46分19秒 | みりこんぐらし
「いつも家族でワイワイガヤガヤ。

嫁姑?ハハハ!気にしません。

だって家族ですもの」

私はそんな人物だと思われているはずだ。


が、それは違う。

私は家事全般を引き受けながら

台所のフキン一枚、自由に取り替える権限を持たない嫁である。

勝手なことをして姑の逆鱗に触れ、ゴタゴタするのが嫌だからだ。


当然だが、モメたら腹が立つ。

元々根性悪なので、自分がきついことを言うのはわかっている。

一発で絶望の淵に追い込む自信がある。

それを抑えるのは、まことに骨が折れる。

抑えるより予防の方が、心身共に楽なのだ。


言うなれば、嫁業界のチュンタロー。

チュンタローとは、この辺りの方言で

「不甲斐ないヤツ」という意味である。



友人は、私が滅多にトイレへ行かないのを不思議がる。

会ってから別れるまで、一度も行かないからだ。

もよおさないのだから、仕方がない。


トイレが遠いのも、私がチュンタローだからである。

たびたびトイレに走ったり、下痢や便秘でトイレにこもる‥

つまり密室に姿を消し、誰にも干渉されない時間を多く持つのは

姑と暮らす私にとって贅沢な時間だ。


なぜなら私は忙しい。

主婦ときどき事務の身で、簡単に忙しいと言いたくないが

大人ばかりの5人暮らしは

各自の起床時間や帰宅時間が大幅に異なるため

家庭というより民宿や寮みたいだ。


この5人の中に老人が混ざっていると、さらに忙しい。

偏食がひどく、特別扱いのご馳走を好む姑の食事は

彼女の好物の肉料理以外、三食とも別あつらえになることが多い。


しかも老人は、思い立ったことがすぐに解決されなければ気がすまない。

この芸能人誰だっけ、背中のカイロが熱い、ここが散らかっている‥

いつ呼ばれても、すぐ返事をして駆けつけられる臨戦態勢でなければ

不満と不安は疑惑へと進化する。

「わざと返事をしなかった」「聞こえないふりをした」

「やりたくないのを態度で表した」などの誤解が生じるのだ。

他人と暮らすというのは、そういうことである。

誤解を防ぐためには、呼ばれても聞こえない二階のトイレで

グズグズする暇は無い。


姑の白髪も染める。

同じように暇を持て余して訪れる、彼女の友人の接待もある。

誰も聞かない思い出話や、長い言い訳にも付き合う。

いつ、何を言い出しても対応。

よって、私の腸と膀胱は鍛えられている。



姑と暮らすとは、24時間、気を使い続けることでもある。

高齢女性の洗濯物は乾きにくい。

乾燥しやすいTシャツなんか着ないし

起きるのが遅いので洗濯が一番後になるからだ。

夕方、取り込む時間に乾いていないことが多い。


中でも乾かないのが、尿漏れ対策の下着。

乾いてないからと、一枚だけ残してはならない。

その光景が、人一倍寂しがり屋の姑を傷つけることを私は知っている。

昔の彼女は血気盛んだったので、嫁の帰りが遅い時

私の洗濯物だけが故意に外へ残されていた。

何度も見たその光景は、悲しいものだった。


自分のやって来たことは、のちのち自分を苦しめる。

なぜ悲しいのか、寂しいのか、姑本人は一生気づかない。

しかし私があの頃感じていた何倍もの悲しさ、寂しさに

さいなまれるのは確かだ。


そこでダミー。

あえて他の家族の数枚を取り込まずに残し

寄り添ってぶら下がる光景を演出する。

何が気に入らないんだか‥みたいな態度を取る時は

このように些細なことが原因だったりするのだ。


また、老人は人の失敗が嬉しい。

特に自分と同じ、物忘れや勘違いが嬉しい。

先日、たまに出た仕事から帰った私は

頭からかぶる型のエプロンを後ろ前に着ていた。

それを発見した姑の喜ぶまいことか。

指をさし、手を打って大笑いし続ける彼女と一緒に私も笑う。


エプロンを着る時間ももどかしく

急いで夕食を作らなければならない者の気持ちは

経験の無い彼女には一生わからない。

わかって欲しいとも思わない。

わかってくれたからといって、何をしてくれるというのだ。

そんな甘えは、すでに無い。

「あんたもボケが始まったみたいね!」

勝ち誇る姑と一緒に、ハハハと笑うしかないチュンタローである。


夫の姉は嫁いで37年、毎日実家へ帰って来る。

父親の会社の経理をやっていた頃は堂々としていたが

数年前に舅の借金を片付け

取られそうになっていた家を我々夫婦が買い戻して以降は

静かに家へ入り、玄関脇の応接間を経由して

母親の待つ居間へ忍び込むようになった。

そこで数時間を過ごし、帰りも同じ経路をたどる。


つまり義姉は、毎日来ていないことになっている。

会社を手伝うという理由が消え、実家が親の持ち物でなくなった現在

毎日の里帰りの正当性が薄れたからだ。

「365日、絶対来る」という事実は

この母娘の間では存在しないことになっている。


来ていないことになっているのだから、私も気づかないふりをする。

週に何度か、多めに作ったおかずなどを持たせる時は

「たまたま来ていた」という設定に協力。

「お義姉さん、今日は来てる?

ああ、良かった!

たくさん作ったから、どうしようかと思ってたんよ」

などとサービス。

ここまでやらなければ、楽しい我が家は作れないのだ。


仕事や家庭の待遇に苦悩する人は多い。

「人間関係がどうの、ブラックだのと言う前に

ここまでやってみろ!」

人に聞こえないようにつぶやく、チュンタローの私である。
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする