殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

介友

2013年08月05日 16時15分17秒 | みりこんぐらし
  「庭のクチナシ(八重咲き)でもごらんください」




50才を過ぎると、友人の大半は

実の親、または義理親の介護に関わっている。

介護体験中の友人…介友は増加の一途をたどり、会えば老人話に花が咲く。


彼女らが口を揃え、胸から絞り出すように言うのが、これ。

「何が情けないといって、自分がこんなに小さい人間だと思い知ること」

些細なことにカチンと来るのは、いたしかたない…

そこでおのれの心の狭さを思い知り、苦しむ自分が嫌になるという。

特に強く感じるのは、お金、食べ物、小姑に関する時だというのも共通。


聞き役に回ってヘラヘラするのが私の常であるが

それは達観しているからではない。

私もまた、些細なことでムッとしたり、カッとしては

心の狭さに改めて驚く繰り返しである。

その内容があまりにもセコくて細かいため

口に出すのをはばかっているだけだ。


ただし、義理親を養い、家事を引き受け、小姑が毎日帰って来る我が家の場合

お金、食べ物、小姑なんかで、いちいちカチンカチン来ていたのでは

頭蓋骨が凸凹になってしまう。

私のカチンは、時間関係が多い。

老人特有の遠慮や意地で、食いつぶされる時間の喪失だ。


義母ヨシコが「卓上用のホウキとチリトリを知らない?」と言う。

さんざん探したが見つからないので、何に使うのかたずねると

そこで初めて「廊下に植木鉢を落とした」と告白。

散らばった泥の後始末をして欲しいが

ストレートに言いにくいので、卓上ウンヌンから入る。


「病気で力が抜けた…足が悪いからしゃがめない…」

長い事情説明の後は

「泥が乾いて、片付けやすくなったんじゃない?アッハッハ~」

との励ましをたまわる。

その頃、家にあったはずの卓上ウンヌンは

「便利そうだから、今度買おう」になっている。


最近は外出許可が出ないので、あまり家に帰ってこなくなった

入院中の義父アツシだが、帰るといつも「温まるものが食べたい」と言う。

ここで鍋焼きうどんなんか出しても、アツシは温まらない。

病気で体温調節ができないため、無理もなかろうと同情し

あれこれ試みるが、やはりアツシは温まらない。

カニで鍋、和牛で焼肉あたりで、やっと「温まった」と満足するアツシ。

アツシの言う温まるものとは、高いもののことだと

ようやく理解した次第である。

養われる手前、高いものを食べさせろとは言いにくいようだ。

アツシは温まろうが、こちらの財布は冷える。


目的達成のため、とりあえず変化球で様子を見る…

遠慮が美徳だった世代の人と暮らす家では、よくある光景かもしれない。

ここで私は、変化球の真意を知るまでに費やした時間を惜しんでしまう。

ついでに、彼らに遠慮させてしまっているのではないかと

うっかりと、そして殊勝にも、自分をかえりみたりなんかしちゃう。


本当は、そんなことを考える時間こそ惜しむべきなのだ。

親がいて、子がいる…それでいいはずだ。

ああ、私は小さい!大物になりたい!と思ってしまうのである。



さて介友の一人、お馴染みの八重さんである。

65才の彼女は、90近い姑さんを介護しながら暮らしている。

認知症の姑さんはピンピンしているが

ご主人のほうが病気になって入退院を繰り返すようになった。


先日、久しぶりに会ったら

「この間、大変だったのよ」と言う。

ある夜、八重さんは急に目の前が真っ暗になった。

しゃべろうにもロレツが回らず、立ち上がろうにも足がいうことをきかず

四つん這いになって、部屋をぐるぐる回るしかなかったそうだ。


ちょうど家族と実家に来ていた娘さんは、驚いて電話をかけた。

お寺に…。

少し前に書いた、あのタケノコ寺である。


「母の様子が、おかしいんです!」

娘さんは住職に訴えたが、住職は晩酌の後だったので

駆けつけるのは翌朝ということになった。

やがて落ち着いた八重さんは、そのまま就寝し

翌朝訪れた住職は、お経をあげて帰った。


「何かに取り憑かれたようだったって、娘が怖がってねえ。

 私もお経をあげてもらって、安心したのよ」

八重さんは、恐怖の霊体験を真顔で話してくれた。


八重さん…私も真顔で言った。

   「それ、たぶん脳梗塞よ」

「え?でも、私はお経をもらって楽に…」

   「小さい血管だったから、それですんだと思う」

「ええっ?」


ロレツが回らない…四つん這い…何かに取り憑かれたよう…

10年前と昨年、脳梗塞で倒れたヨシコの症状とそっくりである。

初めて見たら、その様子は恐いかもしれない。

親の異変であれば、さらに恐いかもしれない。

が、娘も40近いオトナである。

いくら信心深い一家でも、病気と霊を間違えたではすまない。


お坊さんは何で尊敬されるかというと

古来、民衆より物知りだったからである。

お布施のために何でも霊で片付けて

「念のため病院へ」の一言が言えない人は、僧侶をやってはいけない。


   「娘さんによく言っておいて。

    今度そんなことが起きたら、お寺じゃなくて

    脳神経外科に電話しなさいって。

    お寺にも言っておいて。

    必要なのは、お経じゃなく点滴だって」

八重さんはその後、脳神経外科に行き、軽い脳梗塞の痕跡が発見された。


いまどきの老人は長生きするから、逆縁もあり…私は最近、よくそう思う。

日頃のすったもんだなんて、気にしてる場合じゃないのだ。

疲れ果ててこっちが先になったら、腹立たしいどころじゃない。

自分を甘やかし、どうでもこうでもとにかく生きながらえるのだ。

こんなにあてにならないバカな娘だって、実際にいるんだから。


   「いいかえ?私の具合が悪くなったら病院へ…」

息子達に言い聞かせるが

「あんたは死なん!」

と断言された。
コメント (20)
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