「鹿が好き」
この季節になると、道に落ちているんですよ…鹿のツノ。
長らくお休みさせていただきました。
留守中も来てくださっていた皆様、本当にありがとうございます。
さて、義母ヨシコは3月中旬に無事退院して自宅療養の後
本日二度目の入院をした。
二個ある胃癌のうち、急ぐほうの一個を内視鏡で切除し
今回は、残る一個の手術をする。
前回退院した時、午前中に病院を出たヨシコは
迎えに来た夫の姉カンジワ・ルイーゼと共に
自宅と反対方向の遠い町へ向かい、食事や買物を楽しんで夕方帰還した。
「内視鏡手術とは、すごいもんだ…そんなに元気なら大丈夫だろう」
ということで、一応用心のために長男を残し、我々夫婦は自宅へ帰った。
翌朝電話をしたら「病人を放って帰った」と、たいそう機嫌が悪い。
反省した我々は、その日から実家へ泊まることにした。
以来ヨシコは、一人になるのをひどく嫌がるようになった。
病人が一人を不安がるのは自然なことかもしれないが
ヨシコの場合、他に理由がある。
「不安、不安」と言い続けておれば、女中が泊まり込みで家事をしてくれる。
この女中、無給の上に生活費まで出してくれるお人好しだ。
女中の名は、みりこんという。
そういうわけで、みりこん女中は家に帰れなくなった。
ヨシコにはもう一つ、不安な理由がある。
入院中の義父アツシが勝手に外泊許可を取って
透析の合間を縫い、週に二度三度と帰宅するからだ。
一人で歩くことも、着替えることもできないアツシの帰宅は
実際には病身のヨシコのいらだちと義務を増やし、回復を遅らせるだけだった。
アツシの帰宅中は昼夜を問わず、常に男か
男並みの力を誇るみりこん女中が待機していなければ
ヨシコはおちおち寝てもいられないのであった。
アツシのほうは「ヨシコが心配、心配」と、やたら連発する。
急に夫婦愛に目覚めた…と言いたいが、実はそうではない。
アツシの入院生活も、はや5ヶ月…とにかく帰りたくてしかたがないのだ。
心配、心配と言っておれば、家族の誰かが迎えに来て
連れて帰ってくれる。
アツシはそれに味をしめたのであった。
妻が自分の外泊を歓迎しないので、アツシは「歯が痛い」と言い出した。
歯医者を口実に外出許可を取り、そのまま事後承諾で外泊に持ち込む寸法だ。
アツシのこの試みは、最初の1回だけ成功し、後はうやむやになった。
透析患者は薬の関係で、気軽に歯科治療ができない。
容体急変の恐れがあるため、治療後はすぐ病院へ帰ることを義務づけられて以来
なぜかアツシの歯は、痛まなくなったようである。
ヨシコが「お父さん、お父さん」と追いかけていた頃には
振り向きもしないで逃げ回り
自分が動けなくなったら、今度は「ヨシコ、ヨシコ」と追いかけ回す。
死ぬまで歯車の噛み合わない夫婦は多い。
今回、ヨシコの入院で起きた大きな変化は
ルイーゼと少々仲良くなったことである。
親が刻一刻と死に向かって歩み始めると、さすがのルイーゼも心細くなるようで
彼女と私は、このたび初めてお互いの携帯番号を交換した。
そういうことは生涯起きないと思っていたが
世は無常…起きる時には起きるらしい。
ルイーゼだけでなく、刻一刻と死に向かって歩み始めたご当人達も
やはりいろいろ考え始めたようだ。
ここにきて、身辺整理を始めたいと言い出した。
完全に自力では不可能になってから
「やる、やる」と言い始めるのが、彼ららしいところ。
アツシは「会社の経営から引退したい」と言い
ヨシコは「家を片付けたい」と言った。
夫と私は驚愕し、顔を見合わせた。
何に驚いたか。
彼らの英断にではない。
病床で死を待つアツシが
まだ会社を経営していたつもりだった錯覚に…である。
ヨシコが半世紀かけてため込んだ、おびただしいガラクタや荷物を
二人で片付けさせられる恐怖に…である。
会社のほうは、どうにでもなる。
すでに甘い汁など一滴も出ない、ひからびたゾウキン状の会社を見放し
新しく別会社を立ち上げる計画は、すでに以前からひそかに進めている。
失敗しても、つぶれても、かまわない。
何をしてでも生きて行くし、法律というものがあるので、必ずケリがつく。
が、家のほうは無法地帯。
裏庭や倉庫や納戸、押し入れに戸棚…恐ろしいことになっている。
きれい好きには二通りある。
家の内外、どこもかしこも美しいのと
家をきれいに保つために、舞台裏は大変なことになっているのと、だ。
はい、もちろん後者。
我々は1年の計画を立てて、とにかく捨てまくることにした。
任せると言いながら、捨てようとすると
「それは高かった」
「いらないんじゃなくて、取っておいただけ」
止めるヨシコ。
「今はガラクタ!」
ヨシコの悲鳴をBGMに、ガシャンと捨てるのはけっこう快感だ。
「それはステンレスなのよ」
「そう、プラチナじゃない!」
「この人形は誰それさんがくれたもので…」
「もう死んだ!」
家事の合間に、捨てまくっている。
ところで、ヨシコの入院する病院へ勤務している
夫の昔の浮気相手、E子。
あれほど親しげにすり寄ってきたものの、一度も病室をのぞかない。
彼女は外来勤務なので、当たり前といえば当たり前だが
ひとこと言わせてもらおう。
「この役立たずが!」。
この季節になると、道に落ちているんですよ…鹿のツノ。
長らくお休みさせていただきました。
留守中も来てくださっていた皆様、本当にありがとうございます。
さて、義母ヨシコは3月中旬に無事退院して自宅療養の後
本日二度目の入院をした。
二個ある胃癌のうち、急ぐほうの一個を内視鏡で切除し
今回は、残る一個の手術をする。
前回退院した時、午前中に病院を出たヨシコは
迎えに来た夫の姉カンジワ・ルイーゼと共に
自宅と反対方向の遠い町へ向かい、食事や買物を楽しんで夕方帰還した。
「内視鏡手術とは、すごいもんだ…そんなに元気なら大丈夫だろう」
ということで、一応用心のために長男を残し、我々夫婦は自宅へ帰った。
翌朝電話をしたら「病人を放って帰った」と、たいそう機嫌が悪い。
反省した我々は、その日から実家へ泊まることにした。
以来ヨシコは、一人になるのをひどく嫌がるようになった。
病人が一人を不安がるのは自然なことかもしれないが
ヨシコの場合、他に理由がある。
「不安、不安」と言い続けておれば、女中が泊まり込みで家事をしてくれる。
この女中、無給の上に生活費まで出してくれるお人好しだ。
女中の名は、みりこんという。
そういうわけで、みりこん女中は家に帰れなくなった。
ヨシコにはもう一つ、不安な理由がある。
入院中の義父アツシが勝手に外泊許可を取って
透析の合間を縫い、週に二度三度と帰宅するからだ。
一人で歩くことも、着替えることもできないアツシの帰宅は
実際には病身のヨシコのいらだちと義務を増やし、回復を遅らせるだけだった。
アツシの帰宅中は昼夜を問わず、常に男か
男並みの力を誇るみりこん女中が待機していなければ
ヨシコはおちおち寝てもいられないのであった。
アツシのほうは「ヨシコが心配、心配」と、やたら連発する。
急に夫婦愛に目覚めた…と言いたいが、実はそうではない。
アツシの入院生活も、はや5ヶ月…とにかく帰りたくてしかたがないのだ。
心配、心配と言っておれば、家族の誰かが迎えに来て
連れて帰ってくれる。
アツシはそれに味をしめたのであった。
妻が自分の外泊を歓迎しないので、アツシは「歯が痛い」と言い出した。
歯医者を口実に外出許可を取り、そのまま事後承諾で外泊に持ち込む寸法だ。
アツシのこの試みは、最初の1回だけ成功し、後はうやむやになった。
透析患者は薬の関係で、気軽に歯科治療ができない。
容体急変の恐れがあるため、治療後はすぐ病院へ帰ることを義務づけられて以来
なぜかアツシの歯は、痛まなくなったようである。
ヨシコが「お父さん、お父さん」と追いかけていた頃には
振り向きもしないで逃げ回り
自分が動けなくなったら、今度は「ヨシコ、ヨシコ」と追いかけ回す。
死ぬまで歯車の噛み合わない夫婦は多い。
今回、ヨシコの入院で起きた大きな変化は
ルイーゼと少々仲良くなったことである。
親が刻一刻と死に向かって歩み始めると、さすがのルイーゼも心細くなるようで
彼女と私は、このたび初めてお互いの携帯番号を交換した。
そういうことは生涯起きないと思っていたが
世は無常…起きる時には起きるらしい。
ルイーゼだけでなく、刻一刻と死に向かって歩み始めたご当人達も
やはりいろいろ考え始めたようだ。
ここにきて、身辺整理を始めたいと言い出した。
完全に自力では不可能になってから
「やる、やる」と言い始めるのが、彼ららしいところ。
アツシは「会社の経営から引退したい」と言い
ヨシコは「家を片付けたい」と言った。
夫と私は驚愕し、顔を見合わせた。
何に驚いたか。
彼らの英断にではない。
病床で死を待つアツシが
まだ会社を経営していたつもりだった錯覚に…である。
ヨシコが半世紀かけてため込んだ、おびただしいガラクタや荷物を
二人で片付けさせられる恐怖に…である。
会社のほうは、どうにでもなる。
すでに甘い汁など一滴も出ない、ひからびたゾウキン状の会社を見放し
新しく別会社を立ち上げる計画は、すでに以前からひそかに進めている。
失敗しても、つぶれても、かまわない。
何をしてでも生きて行くし、法律というものがあるので、必ずケリがつく。
が、家のほうは無法地帯。
裏庭や倉庫や納戸、押し入れに戸棚…恐ろしいことになっている。
きれい好きには二通りある。
家の内外、どこもかしこも美しいのと
家をきれいに保つために、舞台裏は大変なことになっているのと、だ。
はい、もちろん後者。
我々は1年の計画を立てて、とにかく捨てまくることにした。
任せると言いながら、捨てようとすると
「それは高かった」
「いらないんじゃなくて、取っておいただけ」
止めるヨシコ。
「今はガラクタ!」
ヨシコの悲鳴をBGMに、ガシャンと捨てるのはけっこう快感だ。
「それはステンレスなのよ」
「そう、プラチナじゃない!」
「この人形は誰それさんがくれたもので…」
「もう死んだ!」
家事の合間に、捨てまくっている。
ところで、ヨシコの入院する病院へ勤務している
夫の昔の浮気相手、E子。
あれほど親しげにすり寄ってきたものの、一度も病室をのぞかない。
彼女は外来勤務なので、当たり前といえば当たり前だが
ひとこと言わせてもらおう。
「この役立たずが!」。