殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

シルク・ドゥ・女房

2009年07月07日 16時25分48秒 | 女房シリーズ
「あら、いいシャツ!」

ミエは、まずそう言ってほめてくれる。

「よく似合うわ!」

ここまではいい。


「…シルク?」

ミエは必ず聞く。

いまどきシルクのシャツなんか着るモンがいるものか。

「ううん、化繊よ」


ここからがミエならではのリアクション。

「ええ~っ?」

この世の終わりのように、おおげさに驚く。

「ごめんなさいっ!失礼なこと聞いて!」

てっきりシルクだと思った…

私はいつもシルクだから、あなたもそうだと思った…

ミエの中では、シルクでないシャツを着ている者は恥ずかしいらしい。


また、別の日。

スーパーで、子供の好きなアイス…ガリガリ君をカゴに入れていた私。

ハーゲンダッツを手にしたミエとばったり。

お互いに、子供の好物だと話す。


「え…!」

ミエは、口に手を当てて立ち尽くす。

「ごめんなさい…目の前でこんなもの買って、恥をかかせてしまって…」

本当に申し訳なさそうに言う。

ま、こんなふうにミエと会うと

誰もがたちどころに「貧乏」「あわれ」の方角へ誘導されるのであった。


悪い子ではないのだ…悪い子では。

優しくて気の利く、4つ年下の知人は

つきあうのにちょっとした心の準備が必要なだけだ。


お互いがまだ若い頃、夫の職場と彼女の家が近所だったので

顔見知りになった。

かわいい「腰かけ事務員」だったミエから

交際中の彼と、最近交際を申し込まれた男性2人のうち

どっちにしようか…と相談された。


どっちも知らないので、金持ちで兄妹が少ないほう…と適当に答えたら

本当にその通りにして、じきに結婚してしまった。

以来、その責任?から、付かず離れずの関係である。


結婚して、旦那は普通だが親戚が金持ちという一族に

仲間入りしたミエは、どんどん変貌していった。


自称「ええとこ」へ嫁いだ自負から

両親二人で、職人系の家内工業を営む実家のことも

いつしか「事業」と形容するようになった。

「実家の事業が忙しくて…」

「やっぱり実家が事業をしている関係上…」


やがてその「事業」に、ミエも参画することとあいなる。

同居の嫁姑関係が深刻なので、見かねた実家の親が

「昼間だけでも息抜きに…」と招き入れたのであった。

以来、小遣いをもらいながら実家を手伝うという

どこかの娘さんと同じ生活を続けた。


「みりこんさん、まだパートに行ってらっしゃるの?パートに」

「パートは大変よねぇ…私には無理だわ…人に使われるパートは。

 体、気をつけてくださいね」

そんないたわりの言葉も忘れない。

気配りの人なのだ…ミエは。


嫁いだ娘が実家の商売を手伝う…この形態は

我が町においては、夫の姉…うちのカンジワ・ルイーゼが草分けだと思う。


30年近く前の昭和、それは田舎ではタブーであった。

朝から晩まで滞在するルイーゼの車が見えないように

父親はガレージのシャッターを閉める係…

来客に見つかった時は「今、たまたまちょこっと来たところ」と

全力で隠蔽するのは母親の係であった。


苦節二十有余年…

彼らの努力は実を結び、嫁いだ娘が実家で働く行為は

晴れてメジャーとなった。

雨の日も風の日もコツコツと実家に通い続け

その道を切り拓いたルイーゼは努力の人であり、先駆者なのだ。


「あの家もやってるんだから」という安心感は

幾多の事業主に、嫁いだ娘や外孫を手元に置く喜びをもたらしたであろう。

給料を他人にやるより、娘にやったほうがよっぽどいいし

娘のほうもよそで働くよりずっと楽で、子守りとごはんもついてくる。

有るものは、利用するべきだ。


ミエもまた、その一人であった。

それを容認した最初の嫁として

私までもが少々誇らしい気分である(冗談だよ)。


さて、やがてミエの弟が結婚。

娘もかわいいが、しょせん他家の嫁…

息子夫婦もそばに置きたくなったミエの両親は

再三にわたって、自分たちとの同居をうながした。

しかし、嫁いだ娘が入り浸る家へ、誰がのこのこ戻るというのだ。

そんなことをするバカは、私くらいのもんじゃ。


嫁がどうしても首を縦にふらなかったので

母娘して「ボロ嫁」「バカ嫁」とさんざんであった。

言われるままに同居していたら

「クソ嫁」くらいには昇格できたかもしれない。


やがて弟夫婦に子供が生まれた。

母娘は、さっそく産院へ駆けつける。

嫁は、母娘が部屋に入ってからお祝いを置いて出て行くまで

何を話しかけてもひと言も答えず

背中を向けて、ずっと窓の外を見たままだったと言う。


この話をミエから聞いて、その場に居合わせた者たちは大爆笑。

ミエはなぜ笑われるのか意味がわからず、ポカンとしていた。

私にこの嫁さんほどの根性があれば

人生はもっと違ったものになっていたかもしれない。

しかしながら、実家の手助けがあったとはいえ

姑を最期まで看取ったミエを尊敬もしている。


先日、久しぶりにミエ母娘と会った。

「バカ嫁が弟をそそのかして、自分の実家のそばに家を建てやがったから

 これからお祝いを持って行く」

のだそうだ。


「あれほどこっちへ帰って来るように言ったのに

 実家にばっかりくっついて!」

と母娘で怒っている。

「私のように、事業を手伝っているならいざ知らず!」


これで2~3日は笑える…と喜んだ私であった。
コメント (16)
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