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殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…それから・3

2020年12月29日 13時33分55秒 | シリーズ・現場はいま…
シュウちゃん、長男、夫の聴取があった数日後

次男の聴取が行われることになった。

今回は商工会議所が借りられないそうで

場所は町内のホテルにある小会議室。


今回の聴取に際し、私と次男の準備は念入りだった。

藤村の行いを本社に知らしめる

最大にして最後かもしれないチャンスがようやく巡ってきたのだ。

次男はおしゃべり上手な口先男なので安心感はあるが

それだけに万全な形にしたい。


私は彼が話そうと考えていることを聞いて

推奨かストップかを決めた。

ストップをかけたのは、現場の者にしか理解できない事柄。

相手は現場を知らないホワイトカラーなので

わけのわからないことをつらつら並べると飽きられたり

説明に時間がかかって、肝心なことが耳を素通りしてしまうからだ。

また、次男にとってはぜひ紹介したいエピソードでも

それが上役の石原部長に響くとは限らない。

立場が違えば、響きどころが全く違うものだ。

そのため、話す内容を“推奨”、“特に推奨”に分類し

“特に推奨”の事柄を早めに話すよう、打ち合わせた。


そして当日。

録音付きの聴取は、まず石原部長の説明から始まった。

「今回起きている問題を正しく見極めるために

今日は第三者である君の話を聞きたい。

君はこの問題をどう思ってる?

正直に話してもらいたいんだ」


次男は答える。

「じゃあ、正直に話します。

本社に恩があるから我慢していますけど

僕も何回、藤村さんを訴えようと思ったかわかりません」

「ええっ?どうして?」

「いつも解雇するとか、クビと言われるからです」

「ど…どんな時?」

「有休を取る時や、修理で経費を使う時。

神田さんが入ってからは、ほとんど毎日になりました」

「なんでっ?」

「男はみんな辞めさせて、女だけのハーレム作るけん

お前らは早く辞めろって」

「……」

「ハーレムができたら神田さんを主任にするけん、男は邪魔って。

僕のダンプも売り飛ばすって、いつも言ってます」

「…昇進の決定権や、車両の売却の権限なんて

藤村さんには無いんだよ?」

「藤村さんは、あると言ってます」

「なんてことだ…それは僕でも訴えるわ。

…それで君は、藤村さんに何も言い返さないの?」

「それパワハラよって、何回も言いました。

でも藤村さんは、俺はパワハラ教育、受けてないから

何言うてもええんじゃ、って」

「……」

愕然とする石原部長。

パワハラ教育を受けてないから何を言ってもいい…

これこそ次男と打ち合わせた、“特に推奨”のエピソードである。


石原部長は、いい人で通っている。

会社でいい人と言われる人物は、仕事に対して真面目なものだ。

そして仕事のかたわら

責任者に任命されたパワハラホットラインにも

真面目に取り組んでいる。

パワハラについて社内の誰よりも勉強しているし

定期的に社内講習も行っていて

もちろん藤村も、彼の講習に何度も参加しているのだ。

それを「パワハラ教育を受けてない」なんて言われたら

石原部長の面目は丸つぶれ。

この怒りは、他の者には計り知れないランクだろう。


石原部長は、震える声で言った。

「今度、藤村さんから解雇と言われたら、すぐ僕に電話しなさい」

「はい」

「他にも話したいことがあったら、今ここで全部話して」

だから次男は、チャーター業者との癒着を始め

無茶な仕入れや経費の無駄使い、配車の偏りなどを全部言い

石原部長と永井部長は頭を抱えた。


やがて質問は、藤村と神田さんの関係へと移る。

石原部長が、ターゲットを藤村1本に絞った瞬間である。

「藤村さんと神田さんを見ていて、どう思った?」

「事務所でいちゃいちゃして、気持ち悪かった」

「藤村さんが交際を申し込んだというのは、本当?」

「本当」

「藤村さんは、そんなことしてないと言うんだよ」

「僕は神田さんから相談を受けたんで、間違いありません」

「……」


腕組みをしたまま、しばらく沈黙していた石原部長は

思い切ったようにたずねた。

「藤村さんが神田さんに

セクハラと受け止められるようなことをしたのを

見たことがある?」

「尻を触りょうるの、何回も見た」

石原部長は絶句し、テーブルに突っ伏した。

「手もつないどったし、神田さんは藤村さんから

日に何回もいやらしいラインが来るけん、嫌と言うとった」

石原部長からはもう言葉が出ず、聴取は終わった。


「僕、喉が渇きました」

商工会議所と違って、ここはホテルなので

次男は飲み物をねだる。

石原部長と永井部長と3人でコーラを飲みながら

雑談をして解散した。


その翌日、某機関から本社の社長宛に三通目の文書が届く。

中には藤村と神田さんがやり取りした

おびただしいラインの書き起こしが添付されていた。

神田さんが証拠として、某機関に提出したものである。

《続く》
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現場はいま…それから・2

2020年12月27日 12時08分32秒 | シリーズ・現場はいま…
石原部長と永井部長が行う聞き取り調査は

商工会議所の一室で始まった。

シュウちゃんをトップバッターに長男、夫の順で一人ずつ来いという。


1時間後、シュウちゃんは会社へ戻ってきた。

内容を聞く暇も無く、次は長男が商工会議所へ出発。

とはいえ内容も何も、シュウちゃんは天然なお爺ちゃんで

面倒なことは「年じゃけん、忘れた」で済ませるタイプ。

だから調査の内容を聞いたって、あまり参考にならない。


次に行った長男の話によると、全ての発言を

ボイスレコーダーに録音することに同意を求められたので

はい、と返事をしたそうだ。

それから石原部長は、神田さんの悪口を言ったかどうかをたずねた。


「言ったかもしれませんが、よく覚えていません」

長男が答えると、石原部長は言った。

「君もか…困ったねぇ。

悪口を言ったか言わないか

言ったとしたらどんな内容かを知りたいんだ。

この問題は、君たち2人が

無線で神田さんの悪口を言ったことから始まったと

藤村さんは言っている。

だけど君たちの話も聞かないと、正しい判断はできない。

僕は何が本当なのか、事実を明らかにしたいんだ。

神田さんは、できれば会社に戻りたいと言っているし

会社としても、神田さんに今まで通り働いてもらいたいんだ。

そうすれば穏便に解決できるからね。

そのためには事実関係をはっきりさせて

これからどうしたらいいかをみんなで考えたいと思っているんだよ」


石原部長と初めて話した長男は、感じの良い人だと思ったが

話す内容には失望したという。

やっといなくなったプレデター神田を会社に戻すなんて…

何もわかっちゃいない…

この人も藤村の嘘を信じているんだ…。


長男は石原部長の発言をそう受け取ったが、これ、実は違う。

石原部長は、教科書通りの手順を踏んでいるだけだ。

パワハラホットラインの責任者として、それなりの知識を持つ石原部長は

まず穏便に解決する道を探っている。

シュウちゃん、長男、夫と、下から順に呼ぶやり方がそうだ。

先にシュウちゃんと長男から、悪口を言った確証を取りたいのである。


最高に理想的な穏便は、シュウちゃんと長男が悪口を言ったことを認めて

神田さんに心から謝罪し、2人を許した神田さんが訴えを取り下げて

何事もなかったかのように働くことである。

そうなれば慰謝料がいらないし、代わりの社員を雇う必要も無いので

無駄な経費を使わなくて済む。

本社の危機にこれをやり遂げれば、石原部長の株はグンと上がるはずだ。

次は常務か専務で間違いない。

だから彼は、無理とわかっていても

一応その路線を辿らなければ次へ進む気になれないのだ。


そして神田さんが会社に戻りたいというのは、建て前である。

結婚や引っ越しを知らせるハガキに、よく書いてあるだろう。

「お近くへお越しの際は、ぜひお立ち寄りください」

だからといって本当に立ち寄られたら困る、あれと同じよ。

お金目当てで訴えを起こしている者は

「戻りたい…働きたい…

でもあの人に傷つけられて、もう仕事は無理かも…」

このスタンスを保つ必要がある。

「あんなとこ、二度と嫌!ツ〜ン!」

これと比較すると、某機関や会社の心象が違うし

慰謝料の額が変わる場合があるからだ。

石原部長はそれを感知しながらも

自身に都合のいい、元のサヤ路線を尊重したがっているに過ぎない。


ともあれ若いモンは常に

事態が自分の思い通りになることを熱望しているものだ。

それ以外の方向へ向くと簡単に絶望するが、この絶望が事態を悪化させる。

ふくれたり、恨んだり、ヤケになった結果

あらぬことを口走ったり、喧嘩になり、嫌われて自滅することが多い。

だから前夜の講習で、私は長男に言ってあった。

「本社の方針が、あんたの予測とかけ離れていた場合は

あんまり喋らず、一旦終了に持ち込んで帰って来い」

とりあえず、どんな様子かを聞かなければ仕切り直しができないからだ。


40才の中年息子に過保護かもしれないが

バカが変な女を会社に入れて、その女から訴えられ

張本人のバカからは罪をなすられるなんてこと

滅多に起きるものではない。

ここは母親が、乏しい知恵をあてがうしかないじゃないか。



さて長男は、物忘れの多い無口君を装って帰って来た。

話すのは石原部長だけで、その横に座る永井部長は終始黙っていたそうだ。

石原部長とは、そういう話になっていたのかもしれない。


こうして前座は終わった。

トリは夫である。

彼と石原部長は、会えば親しくおしゃべりをする仲。

石原部長はやはり

シュウちゃんと長男の悪口説に持ち込みたい様子だった。


「そうですね、それが一番穏便ですね。

でも石原さんのことだから、もうそんな段階じゃないって

わかっておられるでしょう」

夫はやんわりと言い、私との打ち合わせ通り

配車にまつわるエピソードを話した。

「癌になったから配車はもうできない」

夫にそう言いながら、次男には

「親父の配車に協力するな」

と言った件である。

「こういう人だから、会社がゴタゴタするのは当たり前ですよ」


この具体的なエピソードは効き目があったようで

石原部長のみならず永井部長も驚いて、顔を見合わせていたそうだ。

それからは、夫の目から見た藤村の行状をたずねられ

夫が答えるというやり取りが続いた。

彼らの注目は、シュウちゃんや長男から藤村へと移ったのだ。


やがて質問は、神田さんのことに及んだ。

「もし戻らせたら、また一緒に働けるか」

という問いに、夫は

「僕はかまいませんが、本当に具合が悪いんなら

藤村さんと一緒に働けないでしょう。

それに運転に向いていませんから、続かないと思います」

と答えた。


そんなにヘタなのか…経験を積んだら何とかならないか…

石原部長はなおも問う。

神田さんを戻らせて丸く納める理想的解決を

諦めきれない様子だ。

しかし夫は首を振った。

「パワハラの告発の次は、事故ですよ」

石原部長は、これで諦めがついたようだ。


もちろん、全ての会話は録音されている。

これを第三者に聞かせてもいいかと問われたので

夫は、どうぞと答えた。

第三者とは、河野常務や弁護士だろう。

望むところである。


こうしてこの日、夫の発言によって

シュウちゃんと長男が生け贄となる事態はまぬがれた。

そして石原部長の疑惑は、ようやく藤村に向けられ始めたようだ。

私がそれを確信した理由は

部外者ということで予定に無かった次男の聴取が

日を変えて後日、行われることに決まったからである。

《続く》
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現場はいま…それから・1

2020年12月24日 22時08分02秒 | シリーズ・現場はいま…
《前回までの経緯》

63才と高齢化した我が夫に代わって

会社を仕切るようになった本社の回し者、56才の藤村は

取引先で働く女性ドライバー、48才の神田さんを気に入り

今年の盆明けに、こっちへ転職させた。


ゲス同士の2人は、同じ穴のムジナとして仲良くやっていた。

しかし11月、藤村が神田さんに愛の告白をして以来

険悪になった。

神田さんが藤村を訴えると言い出したため

夫がそのことを本社の社員に伝える。


社員から事情を聞いた藤村の上司、永井営業部長は

自ら解決するべく、二度に渡って我が社を訪れた。

一度目は神田さんの事情聴取

二度目は藤村、神田さん、我が夫、そして長男を交えた

五者サミットである。


しかし、藤村と似たり寄ったりの永井部長が出たところで

収拾がつくはずもない。

二度目の話し合いで永井部長は終始、藤村の擁護に徹したため

感情的になった神田さんは退職を宣言し

週明けに、某機関へ訴え出た。


数日後、某機関から本社の社長宛に郵便が届く。

「あんたとこの社員の神田さんから、訴えが出ている」

という内容の文書である。

この問題は、本社の顧問弁護士の一人が対応することになった。


《その後》

訴えられたのはまず我が社と、それを統括する本社。

それから特定の個人名が添付されていた。

藤村、長男、社員のシュウちゃん72才

そしてなぜか夫の計4人である。

藤村はパワハラとセクハラの罪

長男とシュウちゃんは神田さんの悪口を言った罪

夫は、積込み終了時に

クラクションを鳴らす合図をしなかった罪だそう。


藤村は打ちひしがれていたが、夫、長男、シュウちゃんの3人は笑い

話を聞いた私も笑った。

そう、ここは青くなるところではない。

笑うところなのだ。


事態が本当に深刻で、他に方法が無い場合は別として

お金目的の場合は訴える相手が多いほどいい。

慰謝料のためである。

今後、審査が進むにつれて事実関係が明らかになってくると

名前を挙げられた者は黒、グレー、白の三種類に分けられていく。

最初にできるだけ多人数の名前を挙げておけば

どこかで引っかかる可能性が増えるではないか。


藤村と長男の名前が挙がることは確信していた我々だが

ほとんど無関係のシュウちゃんと夫まで

告発の対象になるとは考えなかった。

神田さんは元々、賢い女性とは言えなかったが

そこまでとは思わなかったからである。


しかしこれで、彼女の目的がお金だとはっきりした。

傷ついて思い余った挙句ではないので

我々も反省したり、彼女に同情してやる必要は無さそうだ。

気が楽というものである。

このことについてシュウちゃん、夫、長男の3人は

何ら気にしていない。


ともあれ最初の訴えは、神田さんの一方的な言い分。

今度は、こちら側が事実関係をはっきりさせ

弁護士を通じて提出する番だ。

ここで登場したのが本社の取締役総務部長、石原氏。

60代の彼は、数年前に発足した

パワハラホットラインの責任者でもある。

魑魅魍魎うごめく本社の中で

数少ないマトモな人という定評の彼は、社命により

永井営業部長と2人でこの問題に取り組むことになった。


石原部長はまず藤村を本社に呼び、数回に渡って事情を聞いた。

数日後、聞き取り調査の終わった藤村が元気を取り戻したことから

ひとまずは彼の主張がまかり通ったと推測できた。

藤村の主張とは、長男とシュウちゃん

そして今回、新たに悪人として名前の挙がった夫の3人が

陰で神田さんをいじめていることを知り

自分が彼女を守ろうと一生懸命になり過ぎて

誤解が生じた…というものである。


それから数日後、今度は夫たちから聞き取り調査をすることになり

石原部長と永井部長がこちらへ来ると決まった。

この聴取は会社の事務所でなく、商工会議所の一室で行われるという。

「会社は盗聴器が仕掛けられているかもしれない」

藤村が、そう主張したからだ。

そこまで神経質になる必要は無いと思うが

後ろ暗い藤村にとっては大事なことらしく、そういうことになった。


聴取はシュウちゃん、長男、夫の順番で1時間ずつ行われる。

3人とも「あ、そう」といった感じで、緊張のかけらも無い。

やましいことが無いので、当たり前である。

緊張しているのは嘘をついている真犯人、藤村だけだ。


良い機会なので、私はその前夜

夫と長男に聴取される側の心得を少し伝授しておくことにした。

夫には、いつもの癖でヘラヘラするなと言う。

なぜなら向こうには、事情聴取というご大層な名目で

はるばる来てやったという尊大な気持ちがある。

どんな上役も、例外は無い。

ヘラヘラしていたら、事態を真剣に受け止めてないと思われて

損だからである。


それから、いつぞや藤村が

「俺は癌だから、もう配車はできない」

と夫に言っておきながら、次男には

「親父の配車に協力するな」

と言った、この件だけは絶対に話すようにと念を押す。

藤村の人間性が一発で伝わる、わかりやすいエピソードだからである。


長男には

「不平等、不公平を絶対に口にするな」

と言った。

藤村のことを話す時、これらの言葉を使わないのは骨が折れるだろうが

この熟語が出ると、上役は途端に拒絶反応を示し

あと先の話をちゃんと聞いてもらえない。

上役とは、そういう生き物なのだ。

これらの言葉を安易に発して損をする人間を

実に数多く見てきた。

よって、言わない方がいいというのが私の意見である。


神田さんのしたことに当惑したり逆上するほど、我々は純粋ではない。

人を雇うとは、こういうことが付いて回るものだ。

義父の会社だった頃にもあった。

こんなことでいちいちビビッていたら

会社なんか、やっていけないのである。


とりあえず、メリークリスマス!


《続く》
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再び・現場はいま…12

2020年12月05日 09時01分40秒 | シリーズ・現場はいま…
「この人がいたら、みんなが不幸になるんです!」

神田さんは藤村を指差して言った後

「私、もう辞めます!」

突然の退職宣言をすると、事務所を出て帰ってしまった。


とり残された永井部長、藤村、夫、長男。

「…自主退社だよね」

永井部長は藤村にそう言い、藤村はうなづく。

欲しかった自主退社の言葉を手に入れた2人は

早くも神田さんのダンプに誰を乗せるかを話し始めたので

夫と長男は仕事に戻った。


神田さんのダンプの乗り手を探すのは、難しいだろう。

だって彼女のだけ、ノークラッチ。

今どきは、大型ダンプにもオートマチックがあるのだ。

運転が楽なので初心者向けだが、力が弱くて小回りがきかないので

道路を行ったり来たりする単純な運搬作業に使われることが多い。

クラッチを駆使する現場仕事には向かないため

男のダンプ乗りにとってはパッとしない乗り物といえよう。


藤村は早い段階で神田さんに目をつけ

彼女のためにノークラッチダンプの購入を押した。

つまり彼女もまた、ダンプ購入前の早い段階から

こちらへの転職を決めていたのだ。

ノークラッチを言い訳にすれば

きつくて技術のいる現場仕事に行かなくて済み

楽で簡単な運搬仕事だけに専念できる。

ノークラッチダンプは、神田さんを釣り上げたい藤村にとっても

実際に働く神田さんにとっても都合の良い車であった。


藤村の考えでは、また女性を雇えばいい。

神田さんが入社した時点で、候補者はすでにいたからだ。

亭主が酒乱で有名な、神田さんの元同僚である。

その人はすでに神田さんから、藤村の変態ぶりを聞いていたため

転職する気は失せていたが

藤村だけは、この話がまだ生きていると思い込んでいた。


ともあれ神田さんが怒って帰り、永井部長も帰った後で

藤村は彼女がダンプのキーを持ち帰ったままなのを思い出した。

どこの会社でも、運転手は終業すると

ダンプのキーを事務所に返して退社するのが義務になっているが

なぜか彼女だけは自分のバッグに入れて持ち歩いていたからである。


翌朝、藤村は神田さんに、ダンプのキーを返すよう電話した。

一緒に保険証も返し、退職届の印鑑を押すように、とも伝えた。

すると神田さんは

「今日と月曜日は、用があるから行けません。

火曜日の朝、行きます」

と答えた。


この返事が生意気だと不満を持った藤村から

火曜日と聞いた夫は、後で私に言った。

「行く気じゃわ」

どこへって、例の公的機関である。

「月曜に行くつもりじゃ」

なぜ、そんなことがわかるのか…

それは我々にとって常識の範疇だった。


毎週土曜日、神田さんだけは休んでいいことになっていたので

月給のうちだから、わざわざ来る気はない。

その土日を利用してLINEなどの証拠を整理したり

知り合いに相談して知恵をつけ、準備を整えてから

月曜日、おカミに訴え出る。


そこでアドバイスに従い、診断書をもらいに病院へGO。

もちろん保険証返すな、退職届の印鑑押すな…などのアドバイスもある。

体調を崩したとなると病院へ通う必要があるし

回復するまでは、社員として給料の80%の非課税休業補償を

会社から支給させて、生活を維持する権利があるからだ。


こうして後ろ盾を得てから

敵にとって全てが後の祭りとなった火曜日に

敵と対面してダンプのキーを返す。

キーを持ち帰ったというのはあまり聞かないが

このプログラムは、業界でよくあることなのだ。


火曜日、藤村はキーを返しに来た神田さんから

告発の事実を告げられた。

彼女が去ると、すぐ永井部長に連絡。

その後は本社に呼ばれて、その日は戻らなかった。

また長男のせいにしたことは、わかっている。


行きがけの駄賃ではないが、神田さんも

藤村と長男のダブルでやられたと主張するだろう。

事実、彼女は次男にそう言った。

藤村個人をチマチマと攻撃するより

藤村の所属する本社と、彼女の所属するこっちの二社を

相手取ることができるからだ。

お金になるとなれば、この際何だってやるものよ。

かまわない。

肉を切らせて骨を断つ所存だ。


それで長男に嫌気がさして辞めたとしても、仕方がない。

元々、彼には合わなかったのだ。

それを義理や恩のために我慢させていた、我々親も悪かった。

40才の彼は老後が近い。

ここらで自由になるのもいいかもしれない。

当の長男は、とりあえず一人いなくなったので

気が楽だと言っている。


ただ、神田さんが事務職であれば彼女の主張は全面的に通るだろうが

藤村の下心を知りながら、彼の保護を前提に

まだ女性を受け入れる準備ができていない会社へ入り

男と同じ給料を受け取りながら

周囲の我慢と譲歩を受けて働こうとしたのは彼女の意思である。

ママさんバレーを始めて日の浅い人が、まかり間違って全日本チームに入り

レシーブができなくて怪我をしたのと似たようなものだ。


男性中心の職場で、女性の社会参加を阻んだ見せしめとして

とことんやられるのか。

それとも双方の言い分を考慮した、正義に近い判断が下されるのか。

時節やタイミングによって多少変化するであろうこの辺りが

私の関心事である。


ともあれこの問題は、本社の顧問弁護士が対応することになった。

藤村の嘘は、弁護士によって明らかになるだろう。

それでもおそらく、本社は藤村をかばう。

変態でもだ。

人に性(さが)があるように、会社にも性がある。

直接雇用の人間をかばうのは、会社という組織の本能なので

どうしようもないのだ。


藤村は、神田さんの別れたご主人の職場へ行き

訴えを取り下げるように頼んだり

本社や例の機関に呼び出されたりと、このところ忙しそうだ。

ちなみに本人は、営業と言い張っている。


そんな中、会社の健康診断の時期が来たので、夫は病院へ行った。

こんな毎日だから、さぞ悪くなっているだろうと覚悟していたそうだが

胃潰瘍が治っており、胆嚢に2つあったポリープが無くなっていて

医師も驚いていたという。

なんだかんだ言っても、健康第一。

我々夫婦は手を取り合って喜んだものである。


とりあえず現場は今、こんな感じです。

ではまたいずれ。

《完》
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再び・現場はいま…11

2020年12月02日 10時02分32秒 | シリーズ・現場はいま…
何もかも長男のせいにして、逃げ切る策の藤村。

藤村を信じるというより、ほとんど共謀の永井部長。

絶望する長男。

事務所は重苦しい雰囲気に包まれていた。


この時のことについて、後で長男は私に言った。

「急に悪者にされたことより

親父が何も言わなかったことの方が悲しかった…」

自分もいい年だから、親にかばってもらおうとは思わないが

まるで他人事のように知らん顔だったのが情けなかったという。


「貝が出たんよ」

私はそう答えた。

夫は口下手なので、とっさに気の利いたことを言えず

貝のようにおし黙るしかないのだ。


長男を妊娠中の新婚時代

私が酔ったオジさんにいきなり絡まれた時も

隣に居た夫は終始無反応。

そのオジさんが夫の知り合いだったにもかかわらず

ただ眺めるだけだった。

その表情は平然、あるいは恍惚として見え

何と冷たい人よ…当時はそう思ったものだ。


酔っぱらいが立ち去ると、夫はごく普通に言った。

「災難だったね」

私の驚きと絶望が、おわかりいただけるだろうか。

これが我が夫、ヒロシである。

自分の身は自分で守らなければ…

この時に悟った私は、自身の弁舌を頼りに生きることにした。


以後も似たような体験を重ね

危険を感じると貝に変身するシステムは理解した。

浮気を繰り返すような男は、どこか故障しているものだ。


それでも長く暮らすうちに、いい人なのがわかった。

口で人は守れないが、その分、こまめな行動でカバーしている。

不甲斐ない貝への変身が、結果的に良い方向へ向いたことも何度かあり

気にするほどではないのもわかった。

一番の収穫は、自分と家族を口で守れるようになったことだろう。


余談になるが、妊婦の私に絡んだ酔っぱらいは

何年も後、寸借詐欺でお縄になった。

市内ではスポーツ関係の世話役として知名度があり

好人物と認識された人なので

皆は驚いていたが、私は胸がすいた。


ともあれこのような体験から、長男の情けない気持ちはよくわかる。

「わかるよ…悲しいし、悔しいよね」

これは個性じゃけん、仕方のないことなんよ…

代わりに父さんは子供を叩いたり、きつい言葉を浴びせたりを絶対にせん…

気分で家族に当たることも絶対に無い…

あんた、小さい頃から父さんのご機嫌をうかがったことなんか

一回も無いじゃろ…

それで十分じゃないか…

口で自分の身を守れるようになりんさい…

今のボキャブラリーじゃあ、まだ手薄ということよ…

長男にはそう話し、彼も笑顔になったのでホッとしたものだ。



さて、現場に戻ろう。

永井部長は、全てを長男の責任にして一件落着にしようとした。

「ま、そういうことだからね。

君もよく考えて、藤村さんに従ってください。

会社の悪口を言ったことに関しては後日、誓約書を作成して届けます。

今後、会社の悪口を言わないという文書にみんなでサインをしたら

藤村さんを通じて本社に提出してください。

約束を破って、また悪口を言ったり

サインを拒否した場合は退職してもらいます」


永井部長の愚かな頭の中を想像するのは困難だが

彼の目的は、この誓約書だったのではないかと思う。

彼は、神田さんが労働基準局監督署へ訴えるのを止めたいのだ。

会社にとっては最高に迷惑かつ不名誉なことなので

取締役として未然に防ぎたいのは当然である。


会社の悪口を言わないなどと子供っぽい表現をしているが

これはおそらく、守秘義務に関する誓約書のことだ。

10何年か前から、医療機関や介護施設、金融機関などで

職員にサインさせるのが慣例になっている。

サインさせれば大丈夫というわけではないが

永井部長は、きちんと解決したことを上に見せるため

実は長男よりも神田さんの誓約書が欲しいのだと思う。


しかし悲しいかな、彼は危機管理の初心者。

謝罪を忘れている。

下手な小細工をせず、藤村が神田さんに心から謝ればよかったのだ。

藤村は頭を下げたくないばっかりに嘘をつき

何につけ我が社憎しの永井部長もそれに乗ったが

長男の責任で押し切るなら

長男に神田さんへの謝罪をさせなければ片手落ちだ。


その謝罪を神田さんが受け入れたら、和解成立となる。

納得しなければ和解の努力を続け

和解が無理であれば、第三者を挟んで示談交渉に進む。

危機管理は小細工より、誠意ある謝罪が先なのだ。

この基本中の基本を忘れて、コトが収まるわけがない。

こんなおバカさんを取締役に任命し

危機管理をさせる本社の行く末は暗そうだ。


また、長男に謝罪をさせなかったのは

彼らが嘘をついている証拠である。

嘘をついて無実の者に罪を着せることはできても

謝罪までは、なかなかさせられるものではない。

もっとも、長男に謝罪までさせようとしたら

永井部長は今頃、長男の手で藤村ともども病院送りだろう。



ともあれ藤村のスケベ問題のはずが

とんでもない方向へ行ってしまった。

永井部長は名奉行のつもりで得意満面

藤村は難を逃れて安堵の表情を浮かべ

父親は依然として貝。

それを眺める長男の頭に、退職の二文字が浮かんだその時だった。

「私のことはどうなるんですか!」

神田さんが叫んだ。


「だからね、あなたも誓約書が来たらサインをしてくださいね」

立ち上がり、帰ろうとする永井部長。

「私が藤村さんから受けた被害は、何も解決してないじゃないですか!

気持ちが悪くてごはんが食べられないし

夜もちゃんと寝れないんですよ!」

食い下がる神田さん。


「お気の毒ですね、お大事にね。

誓約書のほう、お願いしますね」

そう言いながらドアに向かう永井部長の前に

立ちはだかる神田さん。

「待ってください!

今日は藤村さんが私にしたことを

はっきりさせるんじゃあなかったんですか!」

「だから僕がマコト君に取締役部長として厳重注意をして

はっきりさせたでしょ?

それで誓約書にサインをすることになったんでしょ?」

のらりくらりとかわす永井部長。


「何が誓約書ですか!

そんなもん書かすんなら、藤村さんに

パワハラとセクハラをしない誓約書を書かせてくださいよ!」

「君ね、終わったことをだね

そういうふうに蒸し返すのは、どうかと思うよ?」

「終わってません!

何も解決してないじゃないですか!

私は被害者なんですよ!

私が受けた心の傷は、どうしてくれるんですか!」

「そう言われてもねえ」

「あなたがたは最初から、何もしてくれるつもりがないんですね!」

「何をして欲しいんですか…」

「藤村さんに謝ってもらいたいです!」

「それは…」

「この人がいたら、みんなが不幸になるんです!」

プレデター神田は、藤村を指差して吠えた。

《続く》
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再び・現場はいま…10

2020年11月30日 09時29分52秒 | シリーズ・現場はいま…
夫に配車権を返上しておきながら

次男には、父親に協力するなと平気で言える藤村。

その藤村が、今度は河野常務と永井営業部長の来訪を告げた。

何かがおかしいと感じたのは

2人の来訪を伝えた藤村に、緊張が見られないからだった。


本社からエラい人が訪れる時、彼はいつも緊張する。

後ろ暗いところがあるからだろう、捕らえられた熊のように

巨大を揺らしてウロウロしながら

「何だろう、どんな用件だろう」と案じるのが常であった。

それが今回は、2人も来るというのにリラックスしている。

ということは、用件がわかっているのだ。


そしてその用件とは、藤村にとって都合の良い内容に違いない。

だからその内容は、2人が来るまで秘密にしておく必要がある。

つまり常務と部長を呼んだのは藤村で

彼らの来る用件が、想像を絶する内容なのは確かだった。


藤村と一緒に働くようになって数年

彼が吐く数々の嘘に、お人好しの夫はまんまと騙されてきた。

しかしもう、その手は食わん…いや、食わさん。

神田さんに愛の告白をしたことにより、変質者扱いの藤村が

起死回生を目論んで吐く嘘は、お世辞にも巧妙とは言えないだろう。

しかし国柄の違いから、あまりにも大胆な嘘をつくために

うっかり騙される日本人は多い。

よって、家族に心構えを説くことにした私だった。



こうして準備を整え、我々は当日を迎えた。

常務と部長は、午後1時に来るという。

「今朝、神社にお参りして来た」

夫は昼休みに帰った時、私に報告した。

少々、怖がらせ過ぎたか。

いや、これぐらいでちょうどいいと思い直す。


そして運命の午後1時。

私は家で、まんじりともせずにその瞬間を迎え…

と言いたいところだが、ちょうど農協の用事でうちに来た

友人のモンちゃんとしゃべり倒していた。


で、会社に来たのは永井部長1人だった。

常務は急きょ、来ないことになったそうだ。

病みあがりの常務に、急用が入るとは考えにくい。

おそらくは藤村のために、わざわざ来る価値無しと判断したのだろう。


会談の席に着いた永井部長は

夫、藤村、神田さんの3人に加え、なぜかうちの長男を呼んだ。

そして永井部長はまず、長男に言った。

「君が社内の人間関係を滅茶苦茶にしているそうだけど

それについて何か言うことがありますか?」


寝耳に水の長男。

「僕ですか?」

驚く長男に、永井部長は続けた。

長男が社員とグルになって神田さんをいじめていること

藤村の言うことを聞かないこと

会社の悪口を言っていること

社員を扇動して、藤村に反抗していることなどを挙げ

呆然としたままの長男に言った。

「会社がゴタゴタするようになったのは、君が原因なんだろ?

反省して態度を改めるつもりが無いなら、左遷を考える」


役付でも何でもない長男に

転勤でなく左遷と言う永井部長のアホはともかく

藤村の罠は、これだった。

無関係の長男を突然、争いの渦中に巻き込み

藤村は何もかも長男が原因ということにするつもりだったのだ。


長男は反論した。

「会社を滅茶苦茶にしようなんて考えていませんが

藤村さんの配車がおかしいのは事実なので

おかしい時はおかしいと言います」

「じゃあ君は、藤村さんに楯突いていることを認めるんだね?

そうか、やっぱり君がみんなを揉ませていたのか」

「そういうことじゃなくて…」

「君ね、経験が長いからって、配車に口を出したらいけないよ。

藤村さんが配車をやってるんだから、逆らわずに言うことを聞かないと。

できないのであれば、よそへ行ってもらうしかないんだ。

ねえ、藤村さん」


永井部長の隣でニヤリと笑う藤村を見た時

長男はテーブルをひっくり返して

永井部長と藤村を殴り倒したい衝撃にかられたが

「会社は直を守る」

という私の言葉を思い出して我慢したという。

同時に、何を言ってもダメなんだと悟ったそうだ。


永井部長はなおも続けた。

「神田さんは、ここが運転手を募集していると聞いて

応募した人なんだ。

それを女だからという理由でみんながいじめたら

上司の藤村さんが神田さんに気を使うのは当たり前でしょ。

そしたらそれが気に入らなくて、もっといじめるなんて

男性として恥ずかしくないの?」


ことの経緯というものは、ちょっと順番を並べ換えたり

新しい登場人物を加えると違う話になる。

藤村が神田さんに目をつけて入社させ

異様な優遇を続けたあげくに愛を告白して振られ

パワハラとセクハラの告発におびえながら気まずい日々を送っている…

藤村はこの事実をかき消し

全ての発端が長男のいじめというストーリーを考え出したのだ。


このストーリーは、藤村を変態認定から救うだけではない。

罪を着せられた長男は、怒って辞める。

続いて夫も、怒って辞める可能性が出てくる。

煙たい2人がいなくなれば、藤村の天下。

熟練者2人が去ったことで、本社の目は人員補充に向けられる。

やがて全ては忘却の彼方だ。


そんなことを考えつく藤村も藤村だが

大嘘を信じて踊る永井部長の方も、前からわかってはいたが尋常ではない。

彼らを同胞認定してあげよう。

永井部長もそうであるならば、今までの数々の愚行が腑に落ちるというものだ。


もちろん長男の受けた衝撃に、母の胸は痛む。

いきなりこんなことになって、どれほど驚いたことだろう。

が、同情ばかりしていられない。

長男はボヤッキー。

日頃から気に入らないことが多く、何につけ不満をボヤくし

相手に直接言うこともある。


この子は、義父の会社が危なくなってから入社した

6才年下の次男と違い、まだマシな頃に就職したので

古き良き時代を少しばかり知っている。

じいちゃんの会社だから自由がきくし

社員にも良くしてもらって生き生きと働いていたが

薔薇色期間を体験した分、今の環境を残念に思う気持ちが強い。

良く言えば昭和の職人気質、悪く言えば融通のきかない長男の性質が

魑魅魍魎の跋扈する今の会社に合わないことは

以前から私の危惧するところだった。


彼とは何度も話し合ってきた。

しかし改善は見られないまま、現在に至っている。

今回、断片的に聞こえてきた彼のボヤきや批判を

藤村に利用される羽目になったのは

長男にとって良い薬になったと思っている。

そう思うしか、ないではないか。

時間を巻き戻すことはできないのだ。

《続く》
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再び・現場はいま…9

2020年11月28日 10時33分02秒 | シリーズ・現場はいま…
22日の日曜日と、23日の月曜日は連休。

癌は眉唾だろうが、藤村が夫に配車権を返還したのは

ひとまずの進展に思えた。

もちろん配車権だけが戻っても全面解決にはならないが

とりあえず小さな一歩は踏み出せたことに

夫も私もホッとして、晩秋の休日を楽しんだ。



が、24日の火曜日。

藤村は朝一番で、次男に言った。

「明日の分から、お前の親父が配車するけど

絶対に協力するなよ」


藤村が配車権を握るまでは

次男がチャーターの発注を担当していた。

発注歴が長いため、台数がたくさん必要な時も

必ず集めるという定評が次男にはあり

彼もそのことを誇りにしていた。

藤村はそれを奪い取って自分で発注するようになり

そのうち自分に迎合しない業者を切り捨て

最終的にリベートをくれるM社に絞った経緯がある。


「親父にチャーターを集められるわけがない。

あんなにようけ、集められるのはワシしかおらん。

お前が協力せんかったら、親父はすぐ根を上げて

ワシに配車を返す。

そしたらまた、ワシがやる。

じゃけん、絶対に協力したらいけんど」

元々おかしい藤村だが、とうとう狂ったのではないか…

次男はそう思ったが、彼は大真面目だ。


「僕らは親子じゃけん、親に協力するのは当たり前じゃ」

次男が言うと、藤村は怒り出し

「ダメじゃダメじゃ!

ええか?絶対に協力するなよ!」

と言った。

次男はあまりのバカらしさに、呆れたという。

「バカ村(次男は彼をこう呼ぶ)は、親子の情を知らんのかも。

かわいそうなヤツじゃ…」


夫に一旦、配車を返すふりをして根を上げるのを待つ…

そして夫が降参したら、天下晴れて自分が配車を行う…

これが連休の間に考えた、藤村の作戦であることはわかった。

配車をやめたら、M社からのリベートが終了するのを思い出したのだ。

ついでに癌は、やっぱり嘘だった。

仕事を続ける気、満々じゃないか。


昼に帰宅した夫に、次男の話を伝える。

「そこまで腐っとるんか…」

人の言うことには、あまり動じない夫だが

今回はさすがに驚いていた。


「バカたれが…罠仕掛けたつもりか」

「昭和の少女漫画よ、トウシューズに画鋲よ。

腐っとるんが基本人格じゃけん、油断したらいけんよ」

夫はわかった…と答えたが、トウシューズは知らないと思う。


ちなみにトウシューズに画鋲とは、昔のバレエ漫画にあった話だ。

発表会で主役を射止めたヒロインに嫉妬したライバルが

ヒロインのトウシューズにこっそり画鋲を仕込んで怪我をさせ

自分が主役を奪おうとするストーリー。

卑怯でゲスな行為に接した際、私はついそう言ってしまうのである。



その日の夕方、色々考えたのであろう藤村は夫に言った。

「工場が、ワシにどうしても配車をして欲しい言うけん

工場だけワシがするわ」

彼の言う工場とは、神田さんの古巣である。

夫が黙ってにらみつけると、藤村はそそくさと帰って行ったという。

ここしばらくは他にチャーターを雇う仕事が無く

社内のダンプで事足りるため、夫の業務に変化は無い。


翌25日、水曜日の夕方。

事務所に居た藤村をつかまえて

神田さんは何やら激しく文句を言っていたという。

何を言っていたのか知らないが、藤村は困り果てた様子だったそうである。


翌26日の木曜日。

藤村は夫に伝えた。

「明日、河野常務と永井営業部長が来る」

単独ではそれぞれよく来るが、よっぽどのことが無ければ

この2人が一緒に来ることは滅多に無い。

仲が悪いわけではなく

永井部長は常務の後継者と目されているため

常務の代理として動くことが多い。

本人と代理が連れ立って行動しても仕方がないというのが

合理主義者、常務の考えだからである。


「何で?」

夫がたずねると、藤村は

「わからん」

と答えた。


しかし夫は何かあると言い、それを聞いた私も同意した。

「わからんわけがない。

藤村が呼んだんよ。

神田さんが始末に負えんけん、面倒になって上に投げたんじゃわ」

「ワシもそう思う」


だが常務を引っ張り出すとなると、藤村では始末に負えない理由を

はっきりさせなければならない。

たかだか人間関係のイザコザで、永井部長だけでなく

常務にまでお出まし願うには

それなりのもっともな理由が必要になるからだ。


常務は自分からフラリと来ることはしょっちゅうで

会社に復帰した翌週の16日にも夫の顔を見に訪れ

10分ほどで帰った。

しかし今回、わざわざ来訪予告をするからには

何か重い理由が存在するはずだった。

そして常務の来訪を夫に伝えた藤村が

その理由を知らないと言うのは、非常に怪しい。


藤村には、常務が来る理由がわかっているのだ。

それは、彼が神田さんにした愛の告白ではない。

自分が変態だと上司に告げて、神田さんの始末に来てもらうなんて

我が身だけが可愛い藤村は絶対にしない。

先週、神田さんの話を聞きに来た永井部長も

藤村が可愛いので、常務には本当のことを言ってないはずだ。

必ず裏がある…夫も私もそう考えた。


「藤村は、何か別のストーリーを思いついたと思う。

罠かもしれんけん、気をつけて」

私は家族を前に、かの民族の習性をレクチャー。

自分が助かるためなら、どんな創作も捏造もやる…

それは想像を絶する内容かもしれない…

しかし驚きのあまり、ひるんではならない…

だからといって激昂したら、相手の思うツボ…

すぐに決着をつけようとせず、冷静に反撃のチャンスを待て…

などなど。


そして息子たちには、改めて念押しする。

「母が実子を守るように、会社は直(ちょく)を守る」。

常務も部長も、決して味方だと思うな…

正しいとか間違っているなんて関係なく、藤村は擁護される…

それを思い知っても、絶対ヤケになるな…

これは世の法則なのだ…

法則を知らない人間は、ヒスを起こして辞めるしかなくなる…

辞めるのはかまわないが、人を恨んで辞めるのではなく

冷静な時に堂々と辞めろ…。

《続く》
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再び・現場はいま…8

2020年11月25日 20時56分47秒 | シリーズ・現場はいま…
藤村が神田さんに愛の告白をして断られた…

16日の月曜日に、このことを次男から知らされた夫は

翌17日の火曜日の朝、本社営業部の今井課長に電話をした。

「ちょっと相談があるんですが…」

こちらの藤村が新入社員の神田さんに交際を申し込み

怖がった神田さんは告発を口にしている…

個人的なことなので関与したくないのは山々だが

2人の様子からトラブルに発展する懸念がある…

万一、問題が公になった場合、発生場所が会社の事務所なので

本社に迷惑がかかるのを心配している…

という内容。


伝える事柄は、事前に打ち合わせていた。

絶対に抜かしてはいけないのが、会社の事務所という部分。

これさえ言えば、藤村の本当の姿は伝わる。

職場で女の尻を追いかける、スケべな月給泥棒という実態だ。


そして藤村と神田さんの仕事ぶりには、あえて触れない。

まず藤村に対する疑惑を本社に持たせれば

黙っていても彼らは調査を開始する。

こういう暇つぶしが大好きな会社なのだ。


子供でも大人でも、疑問を持った事柄を調べて

真相を発見するのは楽しいものよ。

探偵気分で探してもらおうではないか。

それは本社に華を持たせる意味合いもあるが

人から聞いた話より、自ら調べたことの方が強く印象に残り

二度と忘れないからである。


「事務所で?」

今井さんは最初にそう聞き返したという。

「藤村さんが?」

ではないことから、藤村の行動に意外性を感じてないとわかる。

藤村が、会社で女に告白するようなバカだと納得しているのだ。

やはり今井さんは、藤村を嫌っていた。


「わかりました。

この件は僕に任せてください

ヒロシさんは藤村さんの近くにいるので

何かあるといけないから、出ない方がいいですよ」

今井さんは言った。


翌日、18日の水曜日。

夕方4時に、永井営業部長が会社を訪れた。

神田さんの聞き取り調査に来たという。

今井砲は炸裂したようだ。


神田さんに告白して以来、彼女と顔を合わせにくくなった藤村は

外出ばかりしていて例のごとく留守。

とはいえ営業部の社員は、自分の予定を毎日パソコンへ入力して

社内に公開する義務があるため、永井部長は藤村の予定表を見て

不在の確認をしてから訪れたのかもしれなかった。


しかし永井部長は、以前から何かと藤村をかばう。

嘘と芝居とおべんちゃらで生きる藤村と彼は、同類だからである。

調査と言いながら、藤村擁護のネタを探しに来たに違いなかった。


話が始まると、夫は気を利かせて事務所を出た。

そのため神田さんが何を話したのかは不明だが

話は1時間半に及んだという。

その後、永井部長は深刻な表情で帰って行った。


翌日、19日の木曜日。

藤村は、朝から緊張していた。

夕方、河野常務から呼び出されているという。

前日に行われた神田さんへの聞き取り調査の結果

永井部長は藤村をかばいきれないと考えて、常務に下駄を預けたのだ。

何も知らない藤村はソワソワしながら

相変わらずどこかへ行ったり帰ったりしていたが

午後になると、早々に本社へ行った。


翌日、20日の金曜日。

藤村、この日は前から予定が入っていた関西出張なので

1日中、来ない。

よって、前日に常務から何を言われたかは不明。


藤村の留守がわかっているからか、午後になって突然

ダイちゃんが来た。

この人、今は窓際の嘱託パートだが

いやらしいほどの細かさが武器なので

社内で生じる疑惑の内偵には、たいてい参加する。

今回は河野常務の命令により、藤村問題を調べに来た様子だった。

が、それは表向きで、本当は我が町にある

背脂ギトギトラーメンを食べたかったのだと思う。


翌日、21日の土曜日。

夫が出勤すると、藤村も来ていた。

そして彼は言った。

「神田のことが本社にバレた」

当たり前じゃ…ワシが言うたんじゃ…

夫は思ったが、黙っていた。


そして藤村は続けた。

「ワシ、癌かもしれんのじゃ。

配車はもうできんけん、来週からよろしく」

木曜日に常務から言われたことをボヤくと思っていた夫は

あまりの肩すかしに驚き

「そうなん?お大事にね」

と言った。


昼に帰って来た夫は、この経緯を嬉しそうに報告し

「これで元通りの会社になる」

と言った。

私はそれを聞いて

「おめでとうございます」

と言ったら、涙が出そうだった。

配車なんか、どうだっていい。

この数ヶ月、苦しんできた夫の心が晴れて嬉しかったのだ。


夜、このことを聞いた息子たちも

「藤村をやっつけた」

「これでM社を切れる」

と喜び、来週以降の配車について夫と相談を始めた。


しかし、喜んでばかりはいられない。

「信用したらいけんよ」

私は釘を刺した。

そりゃ、いつまでも一緒に喜び合っていたいさ。

だけど藤村の癌は、多分嘘。


私は家族の誰よりも、かの民族の特質に詳しい。

藤村の癌発言は、彼らの好むドラマチックストーリーだ。

あちらのドラマでもわかるだろう。

話が行き詰まると、不治の病で同情や涙を誘って誤魔化す手口。


私の同級生もそうだった。

嘘ばっかり言って皆を翻弄し、怒りを買うと

自分は白血病だの、ハタチまで生きられないだのと

涙ながらに告白していた。

これを言われると、誰も責められなくなるものだ。


しかし、いつまでもピンピンしているし病院へ通う様子も無いので

病気はどうなったのかとたずねると、「奇跡が起きて治った」

あるいは「あれは親の話」と言って逃げる。

彼らの常套手段である。


藤村が本当に癌だったらどうするのかって?

1日も早く退職して、治療に専念するがよかろう。


ともあれ常務に呼び出された藤村は

パワハラとセクハラの件を癌の告白で逃げたようだ。

しかし異常に高額なチャーター料金の方は

明確な数字が出ているので逃げられなかった。

常務に厳しく叱られ、何もかも嫌になって

配車を返したと思われる。

《続く》
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再び・現場はいま…7

2020年11月22日 09時41分01秒 | シリーズ・現場はいま…
藤村が神田さんに愛の告白をし、振られた…

次男からこれを聞いた我々は、もちろん大笑いした。

割れ鍋が、とじ蓋に断られて大恥をかいたのだ。

こんなに面白いことがあろうか。

今回のシリーズに取りかかった当初は、予想だにしなかった展開である。


「必ず幸せにします!」

神田さんにそう言ったって、ヤツは借金持ちだ。

そして3人だか4人だかと結婚、離婚を繰り返し

誰も幸せにできなかった輝かしい実績を持っている。

うち1人を除いて、相手はフィリピン人ホステスという国際結婚の熟練者。

ちょっと前までは、同じくフィリピン人ホステスのテレサと結婚目前だった。

彼女が祖国へ里帰りした途端、コロナで疎遠となったまま

現在に至っているが、今回は国内結婚でいいのか。


「お母さんの面倒も見ます!」

と言ったって、一人っ子の彼は認知症の母親と暮らしている。

この上、母親をもう一人増員する経済的余裕があるのか。


「2人でこの会社をやって行きたい!」

そんなこと言ったって、お前の会社じゃねえし。

万年学生のまま結婚、結婚と急ぎながら

相手を幸せにできる根拠を何一つ持たない小室圭じゃあるまいし

理論崩壊もはなはだしい。


そんな変なのに魅入られた神田さんは気の毒ではあるが

最初から藤村の下心を知りながら

自分は楽な仕事に従事できるよう画策した。

それだけではない。

彼女は藤村を操り、自分と仲良しのチャーターを呼ぶように仕向けた。

そいつらと一緒に楽な仕事をむさぼり

藤村の女房気取りで会社を牛耳っていたのは事実。

それを今さら若い娘のように怖がるのは、厚かましいというものだ。



やがて、浮かれて笑い転げた束の間が終わると

我々は真剣な表情になった。

上司が部下に求愛した場合、部下が合意すれば秘密は守られる。

しかし合意に達しなかった場合、相手の受け取り方によっては

パワハラにセクハラのダブルハラスメントになる。

これが公になったら、無傷では済まない。

部下への告白は、天国か地獄かの大博打なのだ。


その博打に藤村は負け、神田さんも気が弱っている。

これは千載一遇のチャンスではないのか。

逆襲するなら今だ。

我々は、この問題を発展させるか

それとも「面白かったね」で終わるかを話し合うことにした。


まず意見を聞くのは、夫。

彼には過去、自分の愛人を会社に入れて共に働いた実績がある。

経験者の意見に耳を傾けるのは当然ということになった。

「藤村とは順番が違う!

親の会社に愛人を入れるのと、雇われの身で新入社員を狙う差は大きい!」

夫は強く主張しつつも

「早めに本社の誰かに連絡した方がいい」

と言った。


その理由として、神田さんがいきなり見ず知らずの常務に電話をして

藤村のことを訴える可能性は低い…

藤村の幼稚な性格上、このまま放置していたら

神田さんに何をしでかすかわからない…

どっちもガキだから、こじれて事件になったり

労働基準監督署へ駆け込まれたら、社長を始め会社全体が迷惑を被る…

自分は報告義務を怠ったことにされ、責任追求は免れない…

これらの事柄が挙げられた。


義父の会社だった頃、似たようなことがあったのを

夫は忘れていなかったようだ。

社員が取引先の女子事務員をデートに誘い

チューを迫ってトラブルになったというものだが

向こうの顧問弁護士まで登場して揉めた。

シチュエーションは違えど、人の気持ちは紙一重であり

本人や周囲の受け止め方次第でどうにでも転がる様子を

我々は実際に見ていたため、ここは用心する必要があった。


息子たちは、「チクれ!チクれ!」の合唱だ。

私もそれに加わった。

従来の私であれば、一応は止めるふりをしたかもしれない。

人のしたことを…しかも思いっきり恥ずかしいことを

誰かに告げ口するなんて、かわいそうだわ!

なんて道徳家ぶって反対意見なんぞ言ってみせ

3対1の多数決で負けて、薄笑いを浮かべるパターン。


が、藤村に、もうそんなことはしない。

人の道や慈悲にこだわって、我々は彼の態度に我慢を重ねてきた。

だけどそんなもの、彼には通用しなかった。

思い返せば、夫の愛人どもも同じく。

情けをかければ、どこまでもつけ上がりやがった。

こんなヤツらに心を砕くのは、時間の無駄である。

よって満場一致、本社の誰かに話して対処をゆだねると決定した。



となると、誰に話すかが問題になる。

ここは慎重な人選を行わなければならない。

一発でコトを大きくするには、人選が鍵になるからだ。


常務を始め身分が上の人は、内々で済ませたがるのでダメ。

本社の耳に入れると、最初に神田さんへの聞き取り調査が行われるはずだが

長年、人の上に立ってきた人物は効率的な動きが身に付いている。

エラい人が遠くからわざわざ来て、親身に話を聞いたという形を取れば

告発者の気持ちが八割がた治まるのを知っているのだ。


これでひとまず静かにさせ、一緒に働くのが嫌なら…と転勤を提案してみたり

合間で「どうだね?大丈夫かね?」と、気にかけるふりをしながら

実際は何もせず、自己都合退職を待つ。

厄介な問題で騒ぎ出す人間の多くは、長く勤めないことを知っているからである。


会社組織というものに、物事の善悪はあまり関係ない。

特に今回のようにテーマが破廉恥で、どっちもどっちの傾向が強い場合は

自動的に上を守るようにできている。

よってエラい人は、ヒラの神田さんより上の藤村を庇いつつ

穏便に片付けるからダメ。


かといって藤村の前任、松木氏のような下っ端も

ただの噂で終わるからダメ。

若いのも、権力が無いからダメ。

程よい中間層に位置する人物が望ましい。

地位にある程度の重みがあり、上層部の信頼は厚いが

まだ自己判断は許されていないため

必ず上に相談する人でなければならない。

ちょっと下の者が知っているとなると

上はもう、内々で収めるわけはいかなくなるからだ。


中間層となると、私や息子たちはよく知らない。

夫には心当たりがある様子なので、人選は彼に任せることにした。


翌日、夫は本社営業部の今井課長に電話をした。

彼は営業部のNo.3である。

一番上が河野常務、次が永井営業部長、その次が50才の今井さんで

藤村を含む営業部社員のまとめ役。

営業部のボーナス査定も、この人がやる。


夫が今井さんに決めたのは、本社で数少ないマトモな人というだけではない。

少し前、藤村が彼に暴言を吐いたからだ。

理由は知らないが、夫は今井さんと藤村の双方から

その時のことを聞いていた。

今井さんの話では急に興奮して、ひどい言葉を浴びせたという。

かたや藤村のほうは、「今井に喝を入れてやった」という武勇伝だった。


「今井さんは藤村を嫌っとるけん、絶対に動く」

夫はそう言った。

パーフェクトな人選である。

《続く》
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再び・現場はいま…6

2020年11月19日 17時15分42秒 | シリーズ・現場はいま…
引退すると思われた河野常務の復帰は、本当に嬉しかった。

復帰によって何かが変わるのを期待するほど、我々はウブではない。

常務に何かしてもらおうと目論むほど、ヤワでもない。

しかし夫にとって最大の理解者であり、唯一の庇護者のカムバックは

大きな安心感をもたらした。

この安心感が、今の夫には必要だ。

安心は自信に繋がるからである。


「藤村の留守を喜んでどうする!

逆じゃ!逆!

そもそもあのバカタレが増長したんは、あんたがナメられたけんじゃ!

ヤツがあんたの顔色をうかがうぐらい、ギューギューやったらんかい!」

私の本心はこれだが、優しい夫にそんなことができないのはよくわかっている。

外で他人をギューギューできる男は、家でも同じだ。

仕事では厳しく、家庭では静かで穏やかな男なんて

あんまりいるものではない。

逆ならたくさんいるけど、そんなのはいらんし

社会人としても家庭人としてもちょうどいい男性は

どこかの心がけの良い女性とくっついて私の所へは回ってこない。

だから無い物ねだりはしないことにしている。



さて先日…正確には今週の月曜日のことである。

夕方、仕事が終わった次男は

神田さんから「相談がある」と言われ

2人きりの事務所で話をすることになった。

本性はどうあれ、父親に似て人当たりのいい次男は

神田さんのお気に入り。

藤村を除いては、社内で唯一の話し相手だ。

話の内容が彼の両親に筒抜けなのは、考えないらしい。


神田さんは開口一番、こう言ったそうだ。

「私もう、仕事辞めるけん」

次男はヨッシャ〜!と手を叩きそうになったが

神田さんが真剣なので自粛したという。


神田さんの話すところによると

“事件”が起きたのは11月6日の金曜日、時間は昼どき。

午前中に河野常務復帰の一報が入り

続いてM社から400万の請求書が届いた日である。


その時、神田さんと藤村は事務所で弁当を食べていた。

蜜月が終わり、お互いに避け合っていたが

この日はたまたま、2人きりの状況になった。


ちなみに弁当だが、藤村は神田さんと一緒に取り始めた宅配弁当。

この宅配弁当の会社は以前、神田さんが勤めていた所で

弁当を取るようになったのは彼女の推薦によるものである。

神田さんも当初は仲良く食べていたが、藤村との間が冷えてきた頃

宅配を断って外食するようになった。

しかしこの日は、買った弁当だった。


その弁当を食べている時、藤村が突然立ち上がると

神田さんの前に来て言った。

「前から好きでした!」

驚く神田さん。


「僕と結婚を前提に交際してください!」

驚く神田さん。


「必ず幸せにします!」

驚く神田さん。


「子供さんに会わせてください!

お母さんの面倒も見ます!」

驚く神田さん。


「広島へ来て、僕と一緒に暮らしてください!

僕が毎日運転しますから、一緒に通勤しよう!」

驚く神田さん。


「2人でこの会社をやっていきたい!

神田さんの支えが必要なんだ!」

驚く神田さん。


「お願いです!イエスと言って!」

神田さんはノー!と叫ぶと事務所を飛び出した。

そしてダンプへ逃げ込み、午後の始業を待った。


それからというもの、神田さんは気分が悪くなり

翌日からの土日は会社が休みなので寝ていた。

9日の月曜日になっても気分の悪さは続き

出勤して藤村の顔を見るのが怖くなったので

4日間、休むことになったそうだ。


一方、藤村も同じく9日から休んだ。

河野常務は9日から出社することになっていたので

藤村は恐怖のあまり、体調を崩したと思っていた。

彼の休みも4日間続き、我々はよっぽど常務が怖いのだと

ほくそ笑んだものである。


しかし、全く違っていたのだ。

藤村は、神田さんに愛の告白をして玉砕。

そのショックで体調を崩したのだった。


2人はそれぞれの立場で具合が悪くなり

4日後、13日の金曜日から出勤した。

神田さんは表向き、いつもと変わらない様子だったが

藤村はこの日を境に、外出が頻繁になった。


ここでも我々は、常務の復帰で落ち着かないんだろう…

常務は急に来るから、それが嫌で逃げ回っているんだろう…

と思っていた。

まさか神田さんにプロポーズ大作戦をしかけていたとは

夢にも思わなかった。

そして振られたために、神田さんと顔を合わせられなくて

逃げ回っていたなんて誰が考えつこうか。



「私、怖くて、気持ち悪くて

もう続ける自信無いけん、辞める。

でも辞める時は、藤村さんのことを全部言う」

神田さんは目に涙を浮かべ、次男に言った。


「う…うん、それがええんじゃない?」

笑いをこらえながら、そう答えた次男は

河野常務の携帯番号を教えた。

「常務なら、ちゃんと話を聞いてくれるよ」


これでも次男は、神田さんに同情しているという。

若くてイケメンならまだしも

ただいたずらに巨大で不細工なおじんから

突然、愛を告白された精神的ショックは大きいと言うのだ。


一応は神田さんを励まし、事務所で別れた次男。

この件を真っ先に伝えた相手は父親、つまり我が夫だった。

夫は腹を抱えて大爆笑したという。

「親父があんなに笑ったの、久しぶりに見た」

満足そうな次男。

思えばここ何ヶ月、終わった年寄りとして扱われ

不遇の日々を送った夫であった。


ここで男どもが首を傾げるのは、藤村の精神状態。

神田さんの前夫が取引先にいると知って

嫌悪感を丸出しにして以来、彼女は飽きた女として

藤村の視界から消え去ったのではないのか…

という疑問である。

藤村が毎日、神田さんの悪口を言うのを聞いていた夫は

まだ信じられない様子だ。


が、そもそも藤村は、神田さんに下心を抱いたから入社させたのだ。

元ダンが取引先にいると知って幻滅はしたものの

やはり気になるから、しつこく悪口を言い続けたと思われる。

こういうことになって、やっとわかった。


急な告白は、やはり河野常務の復帰と

チャーターの高額な請求書が原因。

以前お話ししたが、やはりチャーターの請求書が届いた時

藤村は、船を使った4日連チャンの大量仕入れに走った。

あれと同じだ。

一つの事柄を隠したい時、もっと目立つ大きな事柄を行えば

最初の一つはかき消される…それが藤村のセオリー。


常務は復帰する、請求書は来る…

パニックに陥り、血迷った藤村のハートは神田さんに向けられた。

病みあがりの常務に打ち明けるのは、留守中の悪行ではなく結婚の報告。

「僕たち、結婚しま〜す!リンゴ〜ン!」

これで全てリセットできると思っている藤村は

やっぱりバカだった。

《続く》
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再び・現場はいま…5

2020年11月17日 11時38分49秒 | シリーズ・現場はいま…
向かいの工場で前代未聞の納入ミスをした神田さんは

出入り禁止となった。

工場と夫には長年の付き合いがあるので

厳重注意や取引停止などの大事には至らなかったが

双方の折り合いをつけるために、神田さんの出禁という措置に落ち着いたのだ。


「わからんかったら、聞きんさい」

夫は後で神田さんに言ったが、彼女は黙っていたという。

「ホンマにかわいげの無いヤツじゃ」

夫は機嫌が悪かったが、私はそうではないと思う。


コトが起こった時、藤村は恐れて事務所から出なかった。

“この会社のトップ”と認識していた親分は逃げ

“会社が潰れそうになり、お情けで雇ってもらっている年寄り”

そう認識していた、その年寄りが出てきて事態を収める…

彼女はこの衝撃に言葉を失ったのだ。

それを言うと夫は、「そんなタマじゃない」とせせら笑う。

けれども女とは、そういうものである。

自身の計算が最初から間違っていたと知った

神田さんの衝撃は大きいはずだ。


私はこれによって、何かが動くような気がした。

とはいえ私が注目するのは神田さんではなく、夫の行動である。

憎たらしい神田さんのミスで、夫は立場上、二つの道を選択できた。

一つは今回、夫が取った行動。

そしてもう一つは、神田さんを解雇に持ち込むことだ。


ミスの後始末ができるのは、夫しかいない。

重機で向かいの工場へ駆けつけるには、短距離でも公道を通る。

重機で公道を走るには大型特殊免許が必要だが

これは社内で夫しか持っていない。

そして一旦、荷下ろしをした商品をサイロと呼ばれる穴から引っ張り出し

短時間で正しい場所へ移動させる技術は夫しか持っていない。


だから夫がグズグズして、なかなか後始末をしてやらず

大ごとにして本社へ報告すれば、神田さんのミスは拡散される。

本社から取締役を呼んで工場への謝罪をさせれば、藤村の無能も公になる。

河野常務が不在の今、誰も何もわかっちゃいないんだからどうにでもなる。

藤村や、彼の前任だった松木氏ら

本社の中途採用者たちが常習する針小棒大の手口だ。


根性曲がりの私なら、この手口の誘惑にしばし迷うかもしれない。

神田さんと藤村の2人を同時に陥れるには、絶好の機会だ。

しかし夫は、迷わず神田さんを救済する行動に走り

神田さんが出禁になったことも藤村や本社に言ってない。

今後は神田さんを行かせなければいいことであり

話をつけた夫が黙っていれば済むことだからである。


私は常々、夫は強運だと思っている。

浮気三昧で家族を泣かせ、他人にも多大な迷惑をかけてきた人間にしては

天から愛され過ぎると思っている。

彼が本当に強運だとしたら、ここだと思うのである。


ともあれ停滞している事柄が動き始める瞬間は

思わぬ事態と一緒に訪れる。

その時に慌てず騒がず、自分にできることを精一杯やっていれば風穴が開く。

穴から吹いてくる風は、歓迎すべきそよ風とは限らない。

冷たい強風かもしれないが、それでも息はつける。

その風が、事態を転がしていく。


転がる先が、自分たちにとって良い方向なのかどうかはわからない。

自分たちにとって良い方向である時は、他の誰かにとって悪い方向だったり

またその逆もあるが、気にしない。

一生懸命生きていれば、気にならない。

そんなことが、長く生きていればわかるようになる。



それから1週間後、正確には11月6日。

我々に嬉しいニュースが届いた。

腰の手術で長期休暇を取っていた河野常務が、週明けから復帰するそうだ。


手術以来3ヶ月半、このまま引退すると言われていた。

やっと先月、つたい歩きができるようになったとも聞いていた。

しかし即決断主義の常務がいないことで、我が社はもちろん

本社グループ全体は混乱していた。

そこで社長の強い希望を受け、残留することになったのである。

常務が復帰する…

大きな安心感に浸りながら、私は思った。

これが風穴だったのだ…。



常務は9日から、杖をついて出勤を始めた。

こちらに顔を出すのは、まだ先になるという。

そして常務の復帰と同時に具合が悪くなった人が、こちらに2人。

藤村と神田さんである。


2人は9日から、同時に休み始めた。

どちらも体調不良だそう。

「2人でおデート…」

「まさか…」

そう言いながらも、目障りな2人がいないので夫は楽しそうに働いていた。


藤村は4日間、休んだ。

「血圧が上がって冷や汗が出て、腹が痛うなって震えがくるんじゃ」

電話で夫に欠勤の理由を説明したが、我々は常務に会いたくなくて

不登校みたいになったと思っていた。


常務の復帰を知らされた6日、M社から10月分の請求書も届いていた。

400万円ちょっとプラス税。

一社分のチャーター料金としては、新記録の高額だ。

そりゃあね、1日4万円のチャーターを毎日5台ずつ

20日ほど呼べば、どうあがいてもそうなる。

請求書を見た藤村は、頭を抱えていたという。

常務は全てに目を通すので、もちろんこの請求書も見る。

その後、罵倒されるのは火を見るより明らかだ。

藤村の体調不良の原因はこれだと、誰だって思うだろう。


一方、神田さんも4日間、休んだ。

しかし休み始めた初日、仕事で市外を走っていた長男が

孫らしき幼児を連れてスーパーへ入る神田さんを目撃したので

病気でないことは知っていた。


「辞めるかもしれない…」

私はチラリと思った。

どんな仕事でも、辞めていく人は休むようになるものだ。

彼女は入社して日が浅いため、まだ有休が付かない。

それでも連続で休むからには、決心が堅いような気もした。



そして5日後の13日、2人はそれぞれ出勤した。

夫が話すところによると、神田さんは休む前と変わらないが

藤村は様子がおかしいらしい。

今までは日がな一日、事務所でふんぞり返っていたのが

チョコチョコと外出ばかりしているそうだ。


「常務が来るのが怖いんかね」

「落ち着かんのじゃろう」

我々は話し合ったが、とりあえず藤村の留守が増えたため

夫はリラックスできると言う。

それを聞いて、良かったと思った。

《続く》
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再び・現場はいま…4

2020年11月15日 09時51分38秒 | シリーズ・現場はいま…
藤村の邪心から始まった神田シフトは

彼が神田さんを見放した後も続いていた。

藤村の子供っぽい性格からして、飽きた女への優遇は

あからさまに取りやめるはずだ。

しかし藤村は神田シフトを解かず、無駄なチャーターを呼び続けている。


そして彼が呼ぶチャーターは

隣町にあるM社のダンプに絞られるようになった。

神田さんと一緒に近距離を往復する仕事は

これまで二社、あるいは三社で分担されていたが

いつしかM社のチャーターばかりになったのだ。


この状況から考えられるのは、裏リベートしかない。

経営者側の人間でない者が配車を握ると

裏リベートの誘惑が高確率で訪れること…

どんなにしっかりした人でも、お金の魅力には勝てないこと…

我々はそれを経験で知っていた。


会社が義父のものだった頃の話だが、夫は恋愛や駆け落ちに忙しいので

社員が配車係をしていた時期が何度かあった。

それぞれ経験の長い、しっかりした人だったが

ことごとく裏リベートを受け取るようになり、発覚しては辞めて行った。

不道徳を犯し、社長に合わせる顔が無くて辞めるのではない。

自分だけが裏で得をしたのがバレた場合

社内の仲間として生きて行けないからである。


なぜ裏リベートが発生するかというと

誰しも、楽で燃料を食わない仕事を独占したいからだ。

そして、それが長く続けば言うことはない。

チャーター業者が配車係に取り入って、1回につき幾らという密約をし

良い現場へ優先的に回してもらうのは、利益と直結した効率の良い働き方である。


また、リベートを受け取る方も

良さげな現場を選んでやるだけなので、さほど罪の意識は無い。

彼らはこの行為を、業者が自分だけにくれるご褒美と信じている。

しかしその現実は、わずかな金ですぐに飛びつくとバカにされているからこそ

話を持ちかけられるのであり

そのわずかな金で会社や仲間を裏切るようそそのかされているに過ぎない。


配車の癒着は、たいてい発覚する。

毎日、仕事の終了時にチャーターが提出して帰る伝票と

癒着相手から届いた請求書と照らし合わせると

仕事の内容が数字で浮かび上がるため、事務に慣れた者には一目瞭然だ。

裏リベートを受け取る社員は、本業が運転手なので

事務にはおおむね疎い。

そのため、黙っていればわからないと思い込んでいるのだった。


藤村は以前にも、この配車をめぐって別の会社と癒着した前歴がある。

河野常務が気づいて雷を落とし、夫と次男に配車を戻したが

夫が年を取ったので、配車の仕事は再び藤村へと移った。

今回、常務は腰の手術で長期療養中。

一度吸った甘い蜜の味は忘れられないものだ。

お目付役がいないため、藤村はやりたい放題である。


我々は、藤村が金に困っているのを知っている。

リベートの話を持ちかけられたら、飛びつくのは間違いない。

彼がM社からリベートを受け取っていれば

そりゃ、神田シフトはやめられないだろう。


夫は、M社だけに絞る危険性を藤村に忠告した。

よそから複数のチャーターを呼ぶ場合

できるだけ二社以上の業者に声をかけるのは業界の鉄則だ。

一社に絞れば連絡が楽になるが、いざという時に困るからである。


チャーターがたくさん必要になった時

絞っている一社だけでカバーしきれない場合は他の業者を探すが

うちが忙しい時は、よそも忙しいものだ。

当然、チャーターの争奪戦になるが

普段から呼んだり呼ばれたりの付き合いをしてない業者は来てくれない。

繁忙期が終われば見捨てられるのが、わかっているからだ。


それだけではない。

浮き沈みの激しい建設業界、絞っていた一社が倒産したり

台数を維持しきれなくなって減車することもある。

そしてそのようなことは、突然起こる。

日頃から、助けたり助けられたりの関係を複数の業者と結んで

セーフティネットを用意しておかなければ

チャーターを集められないばっかりに

儲けどきに儲けられないという情けない事態になる。

仕入れも販売も、取引先は一社に絞らない…

これは単価の大きい業界の常識である。


夫は、リベートのことには触れずにそれらを説明し

そこの社長が信用に値しないことも付け加えた。

しかし藤村は生返事をするだけで、改める気配は無い。

この態度こそ、癒着の自白に等しかった。


日を追うにつれてわかってきたが

藤村は最低でも毎日5台は入れる約束をしてしまったらしい。

仕事が少ない時にも5台来るからだ。

半日で帰らせる日もあるが、伝票は8H

つまり8時間分で切られている。

そうしなければ、藤村のリベートが減るではないか。


彼は肝が小さく、M社の社長はケチなので

1台につき1日数百円の小金で話がついていると思う。

500円としても、5台で1日あたり2,500円。

それでも1ヶ月分まとまれば、良い小遣いになる。


夫はこの様子を見て心配しているかというと、これが全然。

「藤村も神田も、もう詰んどる。

あとはあの2匹が、どうやって自滅していくかを見るだけじゃ」

と、むしろ楽しみにしていた。

加齢という不可抗力によって各種の権限を失い

一時はしょぼくれていた夫だが

やがて権限に付いて回る責任から解放されたのだという結論に達し

楽しまなくては損だと言う。


藤村のやっていることを告発するつもりは、全く無い。

前にもお話ししたが、そんなことをしたらバカを見るのはこっちよ。

藤村の悪業を判定する役目の上層部が、みんなやっているからだ。


車両、携帯電話、OA機器を始め

本社グループを全部数えたら数百台になるであろう自動販売機…

数がハンパないので、裏マージンや裏リベートの宝庫である。

高齢化が進む一方の上層部だが

これがあるから辞められないという一面もあるのだ。

おいしいのもだが、ケースによっては

証拠を完全に隠滅してから退職しないと晩節を汚すことになる。

よって取締役一同は藤村でなく、告発者を葬ろうとするだろう。

どうでもいい藤村をかばうより、そっちの方が早くて確実だ。



M社のチャーターたちは、今や我が物顔…

神田さんはその中で女王気取り…

藤村は相変わらずのバカ…

鬱々とした日々は続いた。

胸突き八丁、ここが辛抱のしどきというのは

夫も私も長い経験からわかっていた。


そして一週間後、正確には先週末

藤村は初めて、神田さんを向かいの工場へ納品に行かせた。

なぜ急にそんなことをしたかというと

例のごとくM社のチャーターを呼びすぎて余ってしまったから。


こんな時にどうするかを見るのも

リベートをもらっているか否かの判断基準になる。

藤村が迷わず神田さんを外して、チャーターを残したとなると

M社はお小遣いをくれる大切なお客様で間違いない。


さんざんチヤホヤした後での方向転換は

神田さんにとって屈辱だったが、従うしかない。

彼女は大きな顔をして新しい現場に行ったが

2回ほど往復した後、工場から連絡があった。

「納入場所を間違えている」

事故も怖いが、このような納入ミスも同じレベルで怖い。

規格外の異物が混入すると、場合によっては賠償問題になるからだ。


夫はすぐさま重機で駆けつけて、謝罪。

神田さんが間違って荷下ろしをした商品を引き上げて

正しい納入場所へ移した。

さしものプレデター神田も、この時ばかりは

「すみませんでした」

と夫に謝ったそうだ。


ついぞこの間、大きな口をたたいた相手に助けられて

悔しかったことだろう。

ついでに神田さんは、向かいの工場から出禁を言い渡された。

《続く》
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再び・現場はいま…3

2020年11月12日 11時12分10秒 | シリーズ・現場はいま…
藤村から疎まれるようになった神田さん。

追いかけられているうちは、嫌よ嫌よと言いながら

まんざらでもなかったらしいが

距離を置かれるようになると面白くないらしく

ふてくされた日々を過ごしていた。


藤村もまた、神田さんの運転が危なっかしいことを始め

支給された作業着を着ないことなどを夫に愚痴るのが日課になった。

まるで姑だ。


そんなある日、夫は向かいの工場へ配達に出た。

このお得意様は、事前の計画的な納入もあるが

部署によっては急な発注もある。

なにしろ近いので10分足らずで済むため

そういう時は夫が積込みの合間に対応している。


夫の留守に、神田さんが会社へ戻って来た。

オペレーターがいないので、彼女は夫の携帯に電話をした。

携帯番号を交換しているからではない。

各自の番号は、事務所に貼ってある。


「どこ行っとんね!早う積込みしんさいや!」

プレデター神田(マロンさん命名)は当たる所が無くて

今度は夫に牙をむいたのだった。

シャー!


彼女は早く積込みを終えて、再び古巣の工場へ配達に出たかったらしい。

これは、運転がヘタクソで積込みができない運転手にありがちな心境。

イライラして気がせくというのか

少し待って状況を把握する余裕が無いのだ。


夫は、神田さんの命令的な口調に腹を立てた。

「じゃかましい!配達中じゃわい!」

神田さんも負けてはいない。

「はよせぇや!」

物静かな夫も、これにはさすがにキレた。

「わりゃ何様じゃ!誰に向いてモノ言よんな!」

少し沈黙した後、神田さんは「フン!」と言うと電話を切った。


神田さんの入社以来、これまでは夫が一方的に短くしゃべって

何かを伝えることは何度かあった。

たいてい、だらしないダンプの停め方に対する指導だが

神田さんは返事をするでもなく、無視が定番。

しかし今回は、記念すべき初の会話であった。


「とんでもない女じゃ!」

私に一部始終を訴えた夫は、かなり怒っていた。

あんたが付き合ってた女たちも、似たようなもんだったけど…

と思うが、言わない。



藤村、神田さん、夫の3人は、三者三様のストレスを抱えていた。

彼らも面白くなかろうが、長男や社員は以前から

もっと面白くない状況に置かれていた。

血迷っていた藤村が毎日、神田さんを中心にした配車を組んでいるからだ。


その手法は、長男を始め社員は出仕事…

つまり、よその会社のチャーターに入らせることである。

運転手とダンプをセットにして1日8時間、貸し出すのだ。


チャーターの仕事は、きついのが常識。

忙しい時に呼んで手伝わせるのもチャーターだが

自分の会社のダンプにはやらせたくない仕事を

よそのダンプにやらせるのもチャーター。

遠い、燃料を食う、危険、車が傷む、タイヤがすり減る…

そういう現場へはチャーターを送り込み

自社のダンプを楽な現場へ回すのは

社員を優遇する意味でも、経費を抑える意味でも

経営者にとって当然の心得である。


このきつい出仕事に、わざと長男や社員を行かせるのは

ひとえに神田さんのため。

運転がヘタな彼女は、古巣の工場しか行けない。

そして彼女は、無愛想な長男を恐れていた。


問題を解決するには、長男を引き離すしかない。

そこで長男を出仕事に行かせる。

神田さんに厳しい目を向ける他の社員も、行かせる。

チャーターは早出残業が当たり前なので

神田さんの出勤前に会社を出て、退勤後に戻る。

よって長男たちが、彼女と顔を合わせる機会は無くなる。


社内の人間を外へ追い払うことで、手薄になった社内の仕事は

よそからチャーターを雇ってやらせる。

近くて楽な仕事だから、喜んでナンボでも来る。

おいしい仕事を手放したくなくて、藤村にペコペコする者も出てくる。

藤村は、これが嬉しい。

そして神田さんは、藤村が用意したペコペコメンバーに指示を出したり

ペースリーダーとして彼らを先導して走ったり、楽しくお仕事ができる。


この神田シフトによって

彼女の勘違いが増幅したのは言うまでもないが

ともあれ社員を不利なチャーターに出し

よそから雇ったチャーターに金を払って楽な仕事をさせる…

これは人心の面からも経費の面からも完全に間違った配車。

常識の逆をやっているため、同業者の間ではすでに笑い者になっている。


働く者の気持ちを全く考えず、経費を湯水のごとく使い

私情全開で何もかも滅茶苦茶にしてしまう…

藤村に配車を握られるとは、こういうことなのだ。

長男や社員の気持ちは察するに余りあるが

神田さんが入ってまだ3ヶ月にも満たないので

今のところ、彼らは自制して様子を見ている。

申し訳なく、またありがたいと思っている。


さて、ここに次男が出てこないのは、人当たりのいい彼が

藤村と神田さんのお気に入りだから。

はなはだ身勝手だが、仕事のできない人間は

そもそも身勝手なものだ。

身勝手だから、役に立たなくても平気で給料をもらえる。


そして兄弟で同じ仕事をするのは、我が家の身勝手。

兄弟が同じ会社にいたら、どうしても周りの人々に気を使わせる。

そのペナルティとして、多少の波をかぶるのは当たり前だ。

平等に扱って欲しいだの、ひどいだのと

甘ったれた不満に浸る気は毛頭ない。

そんな些細なことで感情を揺らしていたら、この業界では生きていけない。

当の次男は何ら気にせず、自分の行きたい仕事を自由に獲っては

一人で出かけている。

《続く》
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再び・現場はいま…2

2020年11月10日 12時14分44秒 | シリーズ・現場はいま…
「みんなが私をいじめる…」

神田さんは藤村に泣きついたが、彼は取り合わなかった。

別れた旦那が取引先に居るという現実が

藤村の脳内に充満していた桃色の雲を吹き飛ばしたのだ。

女性は運転が穏やかなので事故の可能性が低く、安く雇える…

彼が女性運転手に抱いていたイメージは、崩れ去っていた。


穏やかな運転どころか男より荒く

もはや藤村を含む誰もが案じる事故予備軍。

技能給や資格給、経験給の類いが付かないため

基本給だけで雇えるメリットも、すでに都市伝説。

修理代の方が高くつく。

仕事のほうは、彼女が夏まで勤めていた取引先しか行けないので

配車がうまく回らず、チャーターを雇ってカバーするから

余計な出費がかさむ。

しかも女性には言葉や態度に気を使う必要があり、何かと疲れる。

業界の常識をようやく理解した藤村だった。


本社初の女性運転手ということで、鳴り物入りで迎えたスターが

フタを開けてみれば全く使えず、経費を食いつぶすばかり。

この上、事故でも起こされたら引責は免れない。

業界の常識を理解すると同時に、神田さんが自分の立場を脅かす

危険な存在だったことにようやく気づいた藤村は

彼女を疎ましがるようになっていた。


が、ちょいと遅かった。

神田さん、近頃は社内で“班長”と揶揄されている。

彼女が前に勤めていた会社なので取り組みやすいらしく

仕事では必ず先頭を走り、仕事が終われば

チャーターの伝票を集めて取引先のサインをもらったり

取引先から勝手に翌日の予定を聞いて采配を振るったりと

すっかり親分気取りだ。

「小学校にようおるじゃん。

頼まれもせんのにプリント配ったり

みんなに指図する出しゃばりの女子が。

あれよ」

息子たちは笑う。


神田さんが小学生並みなのはともかく、すでに彼女は自分のことを

藤村に次ぐNo.2だと思い込んでいる。

のぼせている間にあれこれと夢を並べる藤村の発言が

彼女を勘違いさせてしまったのだ。

こうなったらもう、止められない。

特に女は、のさばると手がつけられない。

そのままのさばらせるか、揉めた挙句に切るかの

どちらかしか選択肢は無くなるのである。


こういうことは、よくある。

夫の愛人たちもそうだった。

妻にする、専務にするなんぞと、うっかり口にしては勘違いさせ

別れる時に詐欺と言われて揉める。

相手が愚かなほど、揉める。


藤村が女性運転手ばかりを集めるアマゾネス計画を企てていた頃

構想が現実化したあかつきには、彼女をトップに据えると約束した。

これは長男が藤村から直接聞いている。

「いずれ、この会社は女ばっかりになる。

給料の高い男は雇わないから、いい所があったら

今のうちに転職した方がいい。

神田さんの部下になるのは、嫌だろうし」


このように不用意な発言をする、それが藤村である。

発言の裏を読めば、単純な藤村の本心がわかるではないか。

藤村は神田さんに肩書きを付けるつもりであること…

彼も神田さんも長男を煙たがっていること…

つまり彼らのパラダイスをこしらえるためには

長男が邪魔だということだ。


夫も邪魔ではあるが、もう年なので退職は時間の問題。

そこで長男の追い出しを図り、奇妙なことを言ったのだが

残念ながら長男は、そんなことを言われて凹むようなタマではない。

ご期待に添えず、申し訳ないことである。


ともあれ計画が頓挫した今、藤村にとってそんな約束はとっくにホゴだが

神田さんの方はそうはいかない。

人間、自分にとって都合のいいことは、いつまでも忘れないものだ。

いずれアマゾネス軍団のトップになるつもりだから

親分の練習に余念が無い。


藤村は、これも気に入らなかった。

親分は自分のはずだからである。

自分が獲得した新しい取引先から神田さんを引き抜いたのは

内情を知っていて便利と思ったからで

自分の代わりに威張らせるためではないのだ。



さて、シュウちゃんに注意されたことを言いつけたものの

何の措置もしなかった藤村に腹を立てた神田さんは

彼と一緒に取って2人で食べていた昼食の仕出し弁当を解約した。

彼女なりの報復であるらしかった。


冷える一方の藤村と、ますます燃える神田さん。

2人の間の溝は日増しに深くなり

孤立した藤村は、夫にすり寄るようになった。

「神田さんに辞めてもらうには、どうしたらいいか」

今のところ、すり寄って相談するのはこれ。

もちろん、神田さんを辞めさせるにあたって

自分は無傷であることが大前提。

夫に変わって人事権を得たとはいえ、彼は人事のことを何も知らない。

威張って面接するのを知っているだけだ。


とはいえ、よそへ勤めた経験が無い夫もまた詳しいわけではない。

そこで質問は、OL時代になぜか面接もやっていた私に回ってくる。

「いったん入社させた正社員を

こっちの都合で辞めさせることはできない。

何かできるとしたら配置転換しか無い」

藤村にはそう伝えるよう、夫に進言。

配置転換の権限など、藤村にありはしない。

本社に配置転換を頼んで、怒られたらいいのだ。


一方で神田さんも孤立していた。

当たり前だ。

最初から藤村の言うことを鵜呑みにして、夫のことを

“会社が潰れそうになり、お情けで雇ってもらっている年寄り”

と認識しているため、見下げて口をきかず

おはよう、さよならの挨拶もしない。

息子たちも社員も同じ扱いだったので

今さら彼女を相手にする者はいない。


そこで目下の仲間は、チャーターの数人。

藤村の悪口大会で盛り上がっているらしい。

しかしその内容はもちろん、藤村の耳に入っている。

こういうことは、伝わるものなのだ。


それによれば藤村は、詐欺だそう。

罪状は、約束したのになかなか上の肩書きを付けてくれないことと

まだ修理して欲しい所があるのにそのままであること。

神田さんにとっては、これが詐欺ということになるらしい。


藤村は詐欺と聞いて恐れおののき、ますます夫にすり寄った。

改心したのではない。

揉める前に夫に近づいておいて

何もかも夫のせいにできる土壌を作っておかなければ

自分が危ないからだ。

そして神田さんをますます嫌うようになった。

《続く》
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再び・現場はいま…

2020年11月08日 10時14分53秒 | シリーズ・現場はいま…
決算が終わり、昼あんどんの藤村が

大赤字でクビになるかと楽しみにしていたら、何も起きなかった。

なぜならトータルでは、かろうじて黒字だったからだ。

藤村が独断でやり始める前の「貯金」が、ヤツの暴挙をカバーしていた。

それを自分の手柄と思い込み、いい気になる藤村。

残念だ。


さて現場は今、神田さんが熱い。

48才、バツイチ、孫ありの新人女性運転手、神田さんである。

8月の盆明けに入社して以来、彼女は一生懸命

頑張っておられるそうだ。

本人がそう言うのだから、そうなのだろう。


9月の初め、彼女に与えられた新車の大型ダンプは

すでに何度も修理を繰り返している。

端的に言えば、ヘタだからだ。

にもかからわず、ぶっ飛ばすので

社員や同業者はもとより、通り道で行き交う他人までが

事故を心配している。

息子たちは、ある資格の申請をわざと引き延ばしている。

この資格を取ったら、責任が彼らに及ぶ恐れが出るからだ。


ヘタクソは、ぶっ飛ばすものなのだ。

彼女が前の会社でやっていた仕事は

郊外の山合いにある会社から

山間部の仕入れ先まで商品を取りに行く往復。

広くて交通量の少ない道路を走っていればよかったので

実力を問われることは無かった。


しかし彼女は今回、沿岸部の会社、つまり我が社に転職した。

運搬先は今まで通り、彼女が前に勤めていた会社だが

今度は町の中を通り抜けなければならない。

田舎町でも山奥村より人や車は多く、信号もたくさんある。

ヘタクソがヘタクソと呼ばれる所以は

慣れない場所や苦手な場所を少しでも早く通り抜けようと

無意識にスピードを出してしまうところにある。


この癖を持つ者は、何年やっても上達することはない。

つまり向いてないのだ。

向いてないのだから、頭の中は早く走って終わることでいっぱい。

大型車両が周辺に及ぼす音響や風圧などの影響なんて、考えられない。


毎回、砂ぼこりを舞い上げながら会社に戻ってくる彼女を見かねて

我が社の最年長、72才のシュウちゃんが注意した。

「スピードを緩めて、もうちょっと静かに入りんさいや」


シュウちゃんの注意は正しい。

彼女が今まで働いていた、ポツンと一軒家状の所と違い

うちの会社の向かいには工場がある。

ISO基準を満たした、言うなれば社内の環境にも厳しいが

社外にはもっと厳しい工場で、我が社のお得意様の一つである。


この工場は火を扱うので、粉塵(ふんじん)を嫌う。

粉塵とはチリ、ホコリの類だ。

お掃除パタパタのチリ、ホコリではなく

砂ぼこりや道路の磨耗で生じる微細なアスファルト片などのことである。

これらの粉塵、つまり微粒子は火気と相性が良い。

砂ぼこりやアスファルト片だけでなく、小麦粉でも爆発が起こるのだ。


もちろん粉塵が発生すれば、即爆発というわけではない。

距離は十分あるし、常識的に考えても起こり得ない。

しかし企業として予防する姿勢は、世間体を整える意味で大切だ。

よって工場も我々も、粉塵に対する意識は高い。


が、それ以前に構内、つまり会社の敷地は徐行が鉄則だ。

これは、どこのどんな会社でも同じである。

スピードを緩めないまま構内に飛び込んでくる神田さんに

注意をする者はいない。

藤村は何も知らないし、夫は彼女と口をきかないからだ。

そこでシュウちゃんが、親切で注意したのだった。


神田さんは、これにキレて叫んだ。

「一生懸命やりよるのに、女じゃ思うてバカにしやがって!

お前らが陰でウチの悪口言いよるんは知っとるんど!」

この発言により、神田さんは一生懸命やっているつもりで

彼女の一生懸命は、飛ばすことだと私は認識したのだった。


ちょうどその場に居合わせた長男は

“お前ら”と言うからには、自分も入っていると思い

シュウちゃんの仇を討つべく2人に近づいた。

そしてきつい一言でとどめを刺すのを楽しみに

神田さんの矛先が自分に向けられるのを待った。

しかし神田さんがきびすを返し

事務所に座る藤村の所へ駆け込んだので、反撃のチャンスは失われた。


「下品って、ああいうことを言うんだね」

帰宅した長男が、私に報告する。

「あなたの母親は上品だから、さぞ驚いたざましょ」

そう言ってみたものの、返事が無かったのはさておき

神田さんの一生懸命発言は、間違っている。

自分なりの一生懸命を通せばいいというものではない。


彼女は男並みの給料が欲しくて、自ら男の世界に入ってきた。

それなら、男並みの仕事をするのが当たり前だ。

女だと思ってバカにする者は誰もいない。

彼女がバカにされていると感じるなら

男に追いつこうとする努力を怠り、女を武器にして甘える狡さが

そう感じさせているだけである。


神田さんは、藤村に泣きついた。

「みんなが私をいじめる…」

しかし藤村は、もう以前の鼻の下を伸ばした藤村ではなかった。

その数日前、神田さんのプライベートについて

衝撃的なことを耳にしていたからだ。

神田さんがアルバイトとして8月まで勤めていた会社に

彼女の別れた旦那が工場長として勤めているという事実である。


我々は次男から聞いて知っていたが、藤村には黙っていた。

「世の中にはそういう人もいる」

その程度の印象であり

わざわざ藤村に聞かせるほどのことではないと思っていたからだ。


神田さんの前職であり、神田さんの別れた旦那が勤める会社は

今や我が社の新しい取引先となっている。

何も知らなかった藤村は、そこへ足しげく出入りするうちに

その会社の人から聞いたのだった。


民族性の違いなのか、離婚と再婚を何度も繰り返して

今は独身だからなのか、そこのところは不明だが

藤村は大変なショックを受けたらしい。

結婚や交際といった真面目なものでなく

遊び相手として神田さんを狙っていた藤村は

毎日のように顔を合わせる男が神田さんの前夫と知って

気分が一気に氷点下。

彼女を以前のようにチヤホヤしなくなった。


《続く》
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