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殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…それぞれの春・6

2021年04月20日 08時37分13秒 | シリーズ・現場はいま…
噂のクラッチ名人ヒロミと、私の出会いは約20年前に遡る。

40年前、我々夫婦が新婚時代を過ごしたアパートに

当時は中学生と小学生だった三姉妹が住んでいて

親しく交流していたことは、以前の記事でお話ししたことがあるが

ヒロミはその三姉妹の長女、ミーヤのママ友だ。

数年後、我々夫婦は夫の両親と暮らすためにアパートを出たが

三姉妹とは町で会うたびに、ペチャクチャとおしゃべりをして現在に至る。


ヒロミはいつも姉御肌のミーヤにくっついていたため

私とも顔見知りになった。

中肉中背の地味な顔立ちだが、良くも悪くも子供っぽい子で

その明るさと賑やかさは凄まじい。

浅黒くキメの荒い肌や、深めのほうれい線が無ければ

2人の小学生を持つ30過ぎのお母さんとは思えなかった。


当時のヒロミは宅配会社に勤めていたが、やがて離婚して2人の子供を引き取り

隣町の実家で両親と暮らすようになった。

そのためヒロミとミーヤは疎遠になり、私とも会うことが無くなった。

離婚の理由は旦那が働かなくなったのと、暴力。

それが原因で喧嘩が絶えなかった。

ヒロミの明るさや賑やかさは、その裏返しだったのかもしれない。


離婚する前、旦那の問題を県北に住む姑さんに訴えたところ

姑さんはお手製のキムチをたくさん送ってくるようになった。

キムチを売って生活の足しにするように、との思いやりだ。

ヒロミは一時期それを売っていて、私も買ったことがある。

ヒロミからもミーヤからも何も聞いてないが

このキムチと苗字から、ヒロミの旦那は隣国の人だと見当がついた。


ヒロミは離婚後もしばらく、宅配会社に勤めていたが

やがてレンタルモップの会社に転職した様子だった。

会社の車でルートセールスに回るヒロミを

町でよく見かけるようになって知ったのだ。


さらに数年後、コンビニのレジで再会。

レンタルモップの会社を辞め、今はここで働いていると言った。


それからさらに数年後

市内にある生コン会社の大型ダンプを運転するヒロミと、路上ですれ違った。

今度は運転手になったようだ。


宅配会社にいる時から、彼女は折に触れて言っていた。

「大型免許を取って、ダンプの運転手になりたい」

職を転々としていたヒロミが夢を叶えた様子なので、良かったと思った。

しかしそれも束の間、じきに町で見かけなくなった。


そしてさらに数年が経ち、ヒロミは我が社に現れた。

求人を出していたハローワークから連絡が来た時

夫は担当者から名前を聞いたが、誰だかわからなかった。

女性というのだけ把握したものの、神田さんのことがあるので

あまり喜ばしい連絡ではない。

しかし松木氏と夫の意見は、妥協で一致していた。

「とりあえず誰でもいいから入れて、空いたダンプを一旦ゼロにしようや」


応募したのがミーヤのママ友ヒロミだと、夫が知ったのは面接の時。

松木氏との打ち合わせ通り、面接もそこそこに

ヒロミは4月からうちで働くことが決まった。

クラッチ名人の評判を聞いたのは、その後である。

入社予定の新人の名前が社内で公表された時

息子たちを始め社員は皆、彼女の所業を知っていた。


ダンプの運転では半クラッチを駆使するが

ヒロミはこの半クラッチが苦手なのだそう。

マズい半クラッチ操作を繰り返していると、当たり前だが壊れる。

摩擦熱でクラッチが焼けた状態になり、ダンプをスムーズに動かせなくなるのだ。

次々とダンプのクラッチを焼き、居づらくなって退職…

しかし愛想だけはいいので面接では気に入られ、就職は決まるが

次に勤めた所でも複数台のクラッチを焼き、やはり居づらくなって退職…

これを繰り返す恐怖の女ドライバー、ヒロミの名は

業界にとどろいているという。

知らなかったのは、面接をした松木氏と夫だけだった。


クラッチを焼くぐらいで、どこが恐怖なのだ…

修理すればいいことじゃないか…

人はそう思うだろう。

しかしダンプの世界でクラッチを焼くのは、恥とされている。

ヘタくその証明だからである。


それだけではない。

一度クラッチが焼けたダンプは、“弱る”。

ダンプは普通車と違い、重たい車体に重たい荷を乗せて

勾配の強い道を往来するのが仕事なので、頻繁なクラッチの切り替えが不可欠だ。

クラッチが生命線と言っても過言ではないため

クラッチを焼いて弱ったダンプは、残りの人生?を半病人として過ごす。

交換したクラッチは滑りやすくなったり

また逆に、引っかかって入りにくくなることが多いからだ。

クラッチ操作で無理をするために故障が増えて、ダンプの寿命も短くなりがちである。


クラッチ焼けは、不運なアクシデントではない。

運転手の正しい操作で回避できるものだ。

何度も発生させてしまう場合、結局はダンプの運転手に向いておらず

この先も上達の見込みは無いといえよう。


とはいえクラッチを焼くのも転職するのも、それはヒロミの自由だ。

しかしヒロミの毒牙にかかり、調子の悪くなったダンプは

彼女が去った後も残る。

運転手たちが心配するのは、そのダンプが自分に回ってくる恐れだ。


たびたび故障するのは決定事項だが、ダンプは会社で故障するとは限らない。

路上で突然起こるかもしれず、それが仕事の中断や

悪くすると事故に発展する可能性が無いとは言い切れない。

ヒロミがいなくなれば、それらは自分の責任になるのだ。

あちこちの会社のダンプを壊しながら

それでも明るくダンプ乗りを続けようとするヒロミの技術と神経に

皆が恐れおののくのは当然である。



さて、ヒロミの入社が決まるとさっそく

同業他社で営業をしている夫の親友、田辺君が来た。

この3月まで、ヒロミは田辺君のいる会社で働いていたのだ。


「すぐ辞めるけん、大丈夫」

ヒロミの評判を知らずに入社させたことを軽く後悔する夫を

田辺君は優しく慰めるのだった。

「うちは3台、やられた」

とも言った。

全然、慰めになってないじゃないか。

《続く》
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現場はいま…それぞれの春・5

2021年04月15日 09時27分03秒 | シリーズ・現場はいま…
大手ゼネコンのOBで、フィリピン人の妻を持つスガッちの入社により

藤村の口数は格段に減った。

無理もない。

ゼネコンとフィリピンに詳しいスガッちの前で

「どこそこのゼネコンの取締役は、俺とツーカーの仲」

「俺はフィリピンにモテる」

などのホラを吹くわけにはいくまい。


しかし、これで諦める藤村ではない。

彼は今も、M社の社長に責められている。

専属にして毎日仕事をやる約束で、M社から裏リベートを取っていたのだから

約束が違うと文句を言われるのは当然だ。


藤村との密約を取り付けた社長は、よその仕事に見向きもせず

こちら1本に絞っていた。

藤村の配車に応じるべく、無理をしてダンプの新車も購入したし

裏リベートを捻出するために、架空請求という危ない橋も渡った。

藤村が配車権を失ったからといって

はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。


切られた時のセーフティネットを確保しないまま

取引先を1本に絞るのは経営者として愚かな行為だが

そんなことを知る社長ではない。

1本に絞ると連絡や請求が楽で、接待交際費などの経費が節約できるからだ。

その楽と安上がりに飛びついた社長は今、死活問題に直面している。

窮状を訴える相手は、藤村しかいなかった。


「藤村が苦しんどるのは、はたから見てもわかる」

夫は楽しそうに言う。

「切羽詰まっとるけん、また何かやらかすよ」

私も笑いながら答える。

「もう、詰んだろう…手は無いはずじゃ」

「あいつには、嘘という手がある。

油断したらいけんよ。

何か言われても即答しなさんな」


この会話が現実のものとなるまで、さほどの日数はかからなかった。

先日の退社時、佐藤君が長男に言った。

「マコト君の有休が1日残ってるから消化するようにって

藤村さんが言ってたよ」


長男、いつの間にか藤村の手下になっていた佐藤君とは

ここしばらく絶縁状態だった。

にもかかわらず、急に近づいてきたのをいぶかしく思ったそうだ。

しかし、もっといぶかしいのは有休というテーマ。

営業所長の肩書きを奪われ、ヒラの営業マンになった今の藤村は

有休を管理する立場に無い。

しかも有休消化を促すなら年度末の3月中に言うべきで、今じゃない。


長男の警戒に気づかず、佐藤君は明るく続けた。

「それから、親父さん(夫のこと)の有休もまるまる残ってるから

今月まとめて取って欲しいって、藤村さんが…」


あんたぁ、何サマね…長男は吠えた。

「何で藤村が、ワシらの有休にゴチャゴチャ抜かすんじゃ。

それを何であんたがそんなこと言うて、ワシとこへ来るんじゃ。

藤村の丁稚(でっち)が、えらそうに。

ワシに直接言ええ、いうて藤村に言うとけ。

ボコボコにしちゃるけん」

佐藤君は、ふくれっ面で帰って行った。


帰宅した長男から話を聞いた私は、すぐにピンときた。

夫に連休を取らせて休ませ、その留守を狙って配車に干渉し

M社のチャーターを呼ぶつもりである。

長男の有休は、おまけに過ぎない。

騙す相手である夫と、藤村が恐れる長男には直接言えないので

佐藤君を伝令に使ったのだ。


藤村の考えたドラマは、こうだ。

夫が休みの間、積込みは長男にやらせる。

夫の代わりにはならないが、どうにか務まりそうなのは

長男しかいないからだ。

運転手にオペレーターをさせるのだから、長男のダンプは動かない。

すると長男の代わりに、チャーターを1台余計に雇わなければならない。

夫と一緒に配車をしている次男は、長男が抜けて多忙のため

藤村への牽制が手薄になるかもしれない。

そこですかさず、配車をカバーしてやるという名目で勝手にM社を呼ぶ。

一度呼んだら最後、以前のようにガンガン呼べばいい。

夫が出社する頃には、形勢逆転済み。

藤村が軽い頭に描いた図なんぞ、容易に想像できる。


しかし、この策は失敗だ。

なぜなら夫は長い社会人生活で、有休を取ったことが一度も無い。

義父の会社だった頃は、有休をわざわざ取るまでもなく

自由にデートや駆け落ちをしていたし

今の会社になってからも有休とは無縁だった。

そもそも休みたいと思ったことが無いので

自分に有休があるのかどうかすら考えたことも無いのだ。


有休を取れと言われたことも無いし

取りたいとも思わないまま10年が過ぎた。

義父が死んだ時は、3日だか4日だかの忌引き休暇で済み

あと先はお陰様でこれといった厄災も無く、健康に働かせていただいている。

夫にとって有休は、猫に小判。

目の前にぶら下げられても、興味が湧かないのだ。


一方で終わった男、藤村にとって夫の有休は

返り咲きのために残された貴重なチャンス。

有休消化を促す時期や権限は、この際関係ない。

嘘でも何でも、とにかく邪魔な夫を休ませる必要がある。

連休が取れると吹き込んでやれば、飛びつくはず…

藤村は、怠け者の自分と重ね合わせて考えた。


しかし、面倒なことがある日や叱られそうな日を選んで休み

早々に有休を使い切る藤村と、雨の日も風の日も必ず出勤する夫では

ハナから勤労意欲が違うのだ。

もっとも夫の場合は、家に居ると女房から邪魔にされ

グズグズしていると母親から厄介な用事を言いつけられるので

仕事の方がマシと思っているのかもしれない。



こうして藤村の作戦は、長男のブロックもあって不発に終わった。

このように些末な手口を思いつくからには

藤村もいよいよ手詰まりになっている様子。

しかし我々は、バカどもにかまけているわけにはいかない。

なにしろ4月1日から、クラッチ名人が入社しているのだ。


で、そのクラッチ名人だが

入社してみたら、知り合いのヒロミじゃんか。

ガ〜ン!

私と薄い交流のあった20年前は、確か宅配便の営業所に勤めていた。

ヒロミは珍しくない名前だし、離婚して姓が変わっていたので

入るまで気がつかなかったのである。

《続く》
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現場はいま…それぞれの春・4

2021年04月13日 11時27分39秒 | シリーズ・現場はいま…
スガッちが仕事を求めて、夫の所へ来たのは2月の下旬。

面接は本社から河野常務が来て、松木氏と夫を交え

3月初旬に行われた。

大手ゼネコン大好きで、資格や免許が大好物の常務は

一も二もなく採用を決め

スガッちは3月半ばからパートとして働くことが決まった。



重機の免許は持っているものの、操縦はできないスガッちに

夫は一つの提案をした。

初出勤まで2週間あるので、その間に1回

遊びがてら会社に来て、動かし方を練習したらどうかというものだ。


テキトー人間の夫にしては、えらく慎重な提案だが

私も重機のペーパーなので、気持ちはよくわかる。

道路を走るという共通した目的のために作られた普通車と違い

様々な仕事に合わせて、たくさんの種類がある重機は

機種ごとに操作方法が異なるからだ。


重機を扱えない人間を助手に雇っても

助かるどころか迷惑というだけではない。

失敗するとダンプの破損や人命にかかわり

「ごめん」で済まない一大事になる。

そのような懸念が無きにしもあらず、といった悠長な類いではなく

実際に起こるのだ。


大昔、会社に入り込んだ夫の愛人は

夫から手取り足取り乳取り、愛の指南を受けて

重機の練習をしていたが

実際の積込みにチャレンジした途端、一発目でよそのダンプを潰した。

もちろん弁償。

ダンプの運転手の生命に別状が無かっただけでも

不幸中の幸いだった。

業界では、このようなアクシデントがよくある。


そして、うちのような商売をする会社は

商品を船舶で入荷するため、敷地は海に面している。

うちでは幸いにもまだ無いが

重機もろとも海に転落する同業者は、たまにいる。

そのような事態になった場合、まず責任を追及されるのは

指導する立場になってしまった夫。

だから夫にしたら、入社までに少しでも覚えてもらいたいのだ。


特にこの春から、会社には新しい重機が入った。

重機のトップメーカー、コマツ製で

今までの2倍の大きさになり、3倍のパワーを誇る。

慣れた夫でも、最初は戸惑ったという。

少しは予習しておいた方がスガッちのため、引いては皆の安全のためである。


けれどもスガッちは、来なかった。

余裕のある暇な日を見つけて、夫は何度か電話で誘ったが

ことごとく断られた。

その理由は、日当をもらえないのに行くのは損という

スガッちにとってはしごく正当なものである。

「習うのは入社してからでいい」

彼は、その意志が硬かった。

予想していたとはいえ、夫の失望は大きかった。


こうして3月15日から、スガッちは入社した。

入社の際の健康診断で、肝臓、腎臓、心臓、胃腸…

血圧、血糖値、尿その他…

検査項目のほとんどにおいて驚異的な数値をたたき出し

「これじゃ病人だ。

何とかして入社を断ることはできないのか?」

と本社から連絡が来たが、あとの祭り。


失望したままスガッちを受け入れ、何の期待もしていなかった夫。

しかし日を追うごとに元気になってきた。

重機の方は練習させてもサッパリだそうだが

突発的な近場の配達を代わりにやってくれるので

ずいぶん楽になったという。

現場監督だった経歴から、仕事の流れや商品の種類をよく知っていて

客あしらいがうまく、伝票仕事にも慣れている。

改めて教えなくても、様々なサポートをしてくれるそうだ。

仕事がしんどいのは、積込みの合間に行く配達や

伝票切りなどの細々した仕事が原因だったと

夫はスガッちが入社して初めてわかったらしい。


しかしスガッちが最も本領を発揮したのは

藤村対策においてだった。

大手ゼネコンのOBという経歴に、藤村は少しおとなしくなった。

藤村が何か偉そうなことを言おうものなら

「フフン」と鼻で笑われるからだ。


しかもスガッちの妻は、フィリピン人。

藤村は、別れた2人の奥さんがフィリピン人で

コロナ勃発までは、やはりフィリピンホステスのテレサと付き合っていた。

そのため、何かといえばフィリピン女性の心身について

下品な内容を大声で話し、まず男の興味を引いてから

もっと聞きたがる相手を取り込む方式を用いてきた。

つまり藤村とくっつく男は、おしなべてドスケベということである。


しかしスガッちは現役だ。

スガッちの前で、得意げにフィリピン女性の愛と性について語ることは

もうできはしない。

これは藤村の牽制に役立った。

夫が楽になったのは、この件も大いにある。


ただし、スガッちがこぼす妻リンダの愚痴には閉口している様子。

「失敗した、騙された言うたって、自分が選んだんじゃないか。

毎日聞かされるのが面倒くさい」

吐き捨てるように言う。

お陰で私の株は確実に上がったようで、以前にも増して気を使い

大事にしてくれるようになった。

リンダさまさまである。



さて、スガッちだけでは終わらない。

この4月から会社にもう一人、新人が入った。

50才の女性運転手だ。

空いている1台のダンプに乗せるためである。


息子たちが話すには、この女性、業界ではちょっとした有名人で

「クラッチ名人」と呼ばれているそうだ。

そのクラッチ名人がうちに来るということで

息子たちも社員も色めき立った。


クラッチ名人…その名の由来をお話ししよう。

あちこちの同業者に勤めては、クラッチを焼いて次々にダンプを壊し

居づらくなって転職を繰り返す…

つまりクラッチ操作がヘタ過ぎて、乗ったダンプを必ず破壊へと導く

恐怖の女ドライバー

それがクラッチ名人の正体であった。

《続く》
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現場はいま…それぞれの春・3

2021年04月09日 11時13分57秒 | シリーズ・現場はいま…
さて3月半ばから、夫に相棒ができた。

名前はスガッち。

取引先の大手ゼネコンA社で現場監督をしていたが

去年の3月に60才で定年退職した、私と同い年の男性である。


スガッちは現役時代から会社へよく遊びに来ていて、夫と仲が良かった。

夫は退職して会えなくなったのを淋しがり

私の方は、A社に送るややこしい請求書を

スガッちが代わりに作成してくれていたので

それが無くなって淋しがったものだ。


しかし今年の2月。

「仕事、無い?」

彼はそう言って、ひょっこり会社にやってきた。


A社は東京に本社のある大企業なので、退職金が多い。

家でも建てて悠々自適の老後を送るつもり…

退職前、彼はそう言っていたし、誰もがそう思っていた。

けれども違ったようだ。

退職金がそろそろ底を尽きそうなので、どうしても働かなければならないと言う。

その事情は聞くも涙、語るも涙。

ただし本物の涙は語る方だけで、聞く方は笑い過ぎて涙が出る物語だ。


退職金が無くなった原因は、彼が10年ほど前に晩婚でもらった

フィリピン人の若い奥さん、リンダ。

出会いはご多聞にもれず、酒場の客とホステスの関係だった。


独身で結婚歴無しと言うから結婚したのに

後から本国に置いてきた子供が2人現れて

スガッちは騙されたと思ったが、後の祭り。

養育費ということで、まず有り金をむしり取られる。

あちらの人は、お金が入ったら一族に分けるのが当たり前だそうで

長い独身生活で貯めた預貯金はみるみる消え、ボーナスも素通り。

そしてこの度もらった退職金は数回にわたって

半分以上を実家に送金されてしまった。


呑気なスガッちだが、さすがにこれは途中で止めた。

しかしリンダは納得しない。

「家族が助け合うのは当たり前。

家族を大切にしない人とは、離婚します。

退職金は全部、慰謝料です」

考えや習慣の違いに言葉の壁が重なって

言い出したらきかないリンダの性格は、この10年で思い知っている。

全額を慰謝料に持って行かれるより、半分でも残る方がマシ…

スガッちはそう考えて、止めるのを諦めた。


しかしそれでは終わらず、引っ越しが追い打ちをかける。

会社の家賃補助で住んでいた高級アパートだが

補助が無くなったら生活して行けないので、家賃が半分くらいの部屋へ移った。

けれども安い部屋は当然ながら

今まで暮らしていた部屋よりもレベルダウンする。

リンダはそれがお気に召さない。

結局は退職して以来、10ヶ月の間に3回引っ越した。


一から十まで全て引っ越し業者任せだったので

残りの退職金は、この引っ越しでさらに目減り。

最終的に今まで住んでいた隣の市を見限って

我々の住む市内に移り、わりと近くに落ち着いた。

田舎は家賃が安いからだ。


こちらへ落ち着くと、リンダは運転免許を取りたいと言い出した。

ダメと言うほどのことでもないので、自動車学校へ行かせる。

免許を取得すると、リンダは車が欲しいとねだり始め

スガッちは彼女が望む新車を買った。

この車が、退職金のフィナーレだった。


そんなわけで、スガッちは働かなければならなかった。

ゼネコンの現場監督だったから、資格や免許は豊富。

彼は再就職に自信があった。

が、あちこち当たってはみたものの、極度の肥満がネックとなって玉砕続き。

最後に来たのが夫のところだった。


その時期はちょうど本社の意向で、夫の助手を探していた。

船頭の一人だったはずの夫が、重機オペレーターと化して半年

本社が夫の身体を心配し始めたのだ。

それは思いやりというより、本社の体面を守るためであった。


というのも神田さん問題の勃発以降、次々にトラブルが起きた一時期

本社から取締役が訪れる回数が増え

問題解決のための指導や話し合いをするようになった。

指導や話し合いを重ねたって、何ら解決できないのはともかく

彼らが事務所に滞在する時間だけは増えた。


彼らの滞在中、どうしても目に入るのは夫の多忙。

夫を交えて話し合おうにも

藤村が呼びまくったチャーターの積込みに忙殺される夫は

悠長に座る時間など取れない。

誰かに交代させようにも、夫レベルのスピードが無ければ

渋滞が起きて現場は混乱する。

どんな業界でもそうだが、“動かせる”と“こなせる”は

全く違うのである。


その修羅場的状況を目の当たりにした彼らは一様に驚き

感心した後で、いちまつの不安を覚えた。

高齢を理由に窓際へ追いやっておきながら

社員の何倍も働かせては整合性が無いではないか。

そして最も恐れたのは、高齢の夫が倒れたら労災は必至という懸念である。


なにしろ神田さん事件が、現在進行形。

神田さんは、藤村のセクハラとパワハラが原因で

軽度の鬱病になったと診断され、労災が適用された。

この上、夫が死ぬか倒れるかして

またもや労災ということになったら恥の上塗りだ。


そこで彼らは、夫の助手を雇うという結論に至った。

夫の仕事を手伝ったり、積込み作業を交代するパートを雇うのだ。

労災の懸念を払拭するには、藤村を辞めさせればいいことだが

それだけは考えない彼らであった。


夫は、自分に代われるオペレーターなんていないと思っている。

自信という精神的なものではなく、これは物理的な問題。

熟練したオペレーターは、おいそれと市場に出回らないからだ。

それぞれの勤務先で大切にされるので、転職は考えない。


倒産や撤退で勤務先が無くなれば転職するだろうが

良いオペレーターは、会社が無くなると同時に他社が引っ張る。

だから職探しの必要は無い。

夫の代わりを務められるオペレーターであれば

よそで高給を取っているので、パートなんかで来るわけがないのだ。

よって夫は

「また変なのが来て、振り回されるのはまっぴらごめん」

そう言って断った。


しかし本社は、そうはいかない。

夫が倒れたとしても、事前に何らかの手は打ったことになるため

労災責任は免れる。

そういうわけで、切り傷に湿布を貼るような彼らの発案により

夫の助手を募集することになった。


そこへスガッちが、仕事を求めて登場。

現場監督だったので重機の免許は持っているが

完全なペーパーで戦力にならないのを夫は知っていた。

のんびり屋でケ・セラセラ体質のスガッちは

たまに会う知り合いとしては楽しいけど

一緒に働くとなると疑問符がつくのもわかっていた。

その根拠は、全国的に名の知れた大企業に勤めておきながら

定年後は嘱託になったり、子会社へ出向させる斡旋も得られないまま

スパッと切られたからだ。


しかし他に応募する人もいなかったし

変なのと働くよりは、気心の知れた人の方がまだマシかも…

夫はそう考えて、入社させることにした。

《続く》
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現場はいま…それぞれの春・2

2021年04月08日 11時15分31秒 | シリーズ・現場はいま…
自業自得…

藤村と癒着していたM社が仕事を失ったことを指して

私は前回の記事をそう結んだ。

いつも優しい!私にしては、なかなか冷たい言葉である。

なぜそう言ったのかをお話しさせていただこう。


M社は元々、隣町で小規模の土木建築業を営んでいた。

しかし十数年前、仕事に使っていた1台のダンプを

たまたまチャーターとして貸し出したところ

土木工事よりも純益が高いことを知った。

つまり本業がうまくいかないので、宗旨替えをしたのだ。


M社にはしっかりした娘婿がいて

本業と、ダンプのチャーターの両方をうまく運営していた。

しかし舅にアゴで使われる日々が嫌になった娘婿は

一昨年、会社を辞めた。


長年、仕事を娘婿に任せきりだったM社の社長は困った。

突然の喧嘩別れだったので、何もわからない。

そこで社長が頼ったのが、なぜかうちの次男。

次男は10年余り前、ダンプの新車ができ上がるまでの短期間だが

M社でアルバイトをしたことがあり、娘婿と親しかったのだ。


近年のM社は本業の土木より

チャーターの方に重きを置くようになっていたので

土木は知らないがチャーターに詳しい次男は

ほぼ毎日、社長からかかってくる電話の相談に乗った。

仕事の手順を教えたり、取引相手を紹介したり

我が社の仕事でも、M社のチャーターを優先的に使ったものだ。


そのまま1年ほどが経過して、社長も成長したのか

M社が何とか回るようになったゴールデンウィークのことである。

次男は社長から、九州は博多への社内旅行に誘われた。

M社にある使わない土木機械を

次男の口ききで高く売却できたお礼という話だった。


ところが当日、M社に行ってみたら

社長の乗用車が停めてあり、参加者は社長夫婦だけ。

そりゃまあ社長と、会社の経理をする奥さんだけでも

一応は社内旅行に違いない。

社員旅行でなく社内旅行と言ったのは、そういう意味だった。

そして旅行の運転手は、次男に決定済みだった。


こんな場合、塩の効いた男であれば、利用されたと知って腹を立てるだろう。

しかし次男は、自分の運転が信頼されていると思ってしまうタイプ。

こういう性格なので、人からよく頼まれごとをされたり

時にはあからさまに利用されるが、本人は一生懸命取り組む。

その光景をはたから見て、バカにされているのではないかと感じることもあるが

「声をかけられるうちが華」と、彼自身は何ら気にしていない。


私も、気にしないようにしている。

母親の感情としては、我が子のお人好しをあわれに思い

利用する相手に腹を立てることもあるが

誰かのために東奔西走する過程で、彼は着々と知識を身に付けているからだ。

そういう人生の歩み方が向いている子もいるのだと思い

若くて体力のあるうちは、どんどん利用されればいいと考えている。

人を見る目は、実戦でしか養われない。


ビジネスホテルに泊まり、社長夫婦の運転手兼カバン持ちとして過ごした

一泊二日の安旅行…

帰宅した次男から、その思い出話を聞いた私は

この子らしいと思って笑い転げた。

しかし夫は、社長のケチとコモノぶりに

「バカにしやがって!

あいつらを博多へ投げたまま、一人で新幹線乗って帰りゃえかったんじゃ!」

と、怒りをあらわにしたものだ。

夫なら迷わずそうすると思い、また笑った。


ともあれこの一件でM社の社長が

仁義を欠いた人間であることは証明された。

仕事で付き合うのは警戒した方がいい…

と思っていたら夏が来て、63才の誕生日を迎えた夫は窓際に追いやられた。

M社は配車権を握った藤村に取り入り、小遣いを渡す約束をして専属になった。

見事な寝返りであった。


そのまま年末を迎え、やがて年が明けた。

3月になって、藤村は自身の悪行で失脚。

配車権を取り戻した夫がM社を切ったため、M社は自動的に仕事を失った。

それがM社と我々の、今までの経緯である。



そして先日、仕事が無くなって切羽詰まったM社の社長は

再び仕事を振るよう、藤村にせっついた。

夫と次男を無視して藤村1人にぶら下がっていたため

仕事をせがんだり、文句を言う相手は藤村しかいない。


配車権を失った今、どうすることもできない藤村は困った。

M社からの小遣いが入らないのも困るが

社長を怒らせて裏リベートのことを暴露されたら、もっと困る。

藤村は考えあぐねたあげく、M社の社長と松木氏との面談を提案した。

藤村と社長とで、さんざん足蹴にしてきた夫には怖くて頼めないので

松木氏に頼んで夫を説得してもらい

仕事を回すように頼んでもらうという回りくどい方法である。

夫か次男に直接頼めばよかろうに

後ろめたいことがあると、直球は投げられないものだ。


昨日、その面談があった。

面談に臨むにあたり、M社の社長は彼なりの準備をしていた。

神田さんと組んで何かと我が社を揉ませ

藤村の子分として横柄にふるまい

あからさまに夫を見下げる言動を取っていたM社の運転手

通称“チョンマゲ”を解雇して、彼が乗っていたダンプを売ったという。

チョンマゲを辞めさせれば、夫の怒りがとけるだろうと踏んでの措置だ。

コモノ社長にしたら

「ここまでやったんだから、振り向いてくれてもいいだろう」

という目一杯の誠意らしかった。


が、それは無駄であり、誠意とは言えない。

社長はチョンマゲの悪行を知りながら見て見ぬふりをして

取引先がメチャクチャになるのを待ち

藤村王国の設立に加担していたと白状したも同じである。


また、チョンマゲ一人を辞めさせたからといって

M社が救われるわけではない。

社長が夫や息子たちをバカにして、藤村を崇めたてまつるから

社員もそれに倣うのだ。

むしろ、一人で犠牲になったチョンマゲが気の毒である。


面談は決裂に終わった。

「配車のことは、ようわからん」

松木氏はそう言って、のらりくらりとかわし続けた。

松木氏と夫は面談の前に打ち合わせをして

何が何でも逃げ切ると決めていた。

藤村が邪魔な松木氏と

次男の博多旅行以来、M社を忌み嫌う夫との利害は一致しているのだ。


しかも社長、松木氏との面談に手ぶらで来た。

初対面の相手に仕事を頼むのに、手ぶらは無い。

プライドだけは高い松木氏に、ちょっと高級な菓子折りでも渡せば

結果は多少、違ったかもしれない。


面談が不発に終わった社長は、藤村を激しく叱責して帰って行ったと

目撃した次男が言っていた。

社長はこれであきらめるのか、懲りずに別の手を考えるのかは知らないが

いずれにしてもM社の将来が暗いことは確かである。

《続く》
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現場はいま…それぞれの春・1

2021年04月06日 09時02分07秒 | シリーズ・現場はいま…
夫の会社は今、落ち着いている。

会社が落ち着いているというより、夫が落ち着いているから

会社も落ち着いているのだろう。


昼あんどん改め変態の藤村は、相変わらず会社に来る。

営業所長の肩書きを外されて本社営業部のヒラ社員に降格し

こちらとは無関係になった彼だが、行く所が無いので毎日来て

事務所に座っている。


次長に格上げされて、こちらへ再赴任した松木氏は

もちろん気に入らない。

来年は65才、どうあがいても定年退職が待っている彼は

最後に回ってきた大役職を満喫したいのに

藤村が横で偉そうにしているのは我慢ならない。


「どっか営業に行ったら?」

追い払おうとする松木氏。

「いや、まだやることがある」

つまらぬ理由を並べて居座る藤村。

2人の船頭は、このやり取りでお互いに牽制し合っている。

怠け者同士が泥仕合をしているうちは、夫は安全なのだ。


この3月、夫と次男に突然降って湧いた転職話は保留のまま。

2人の意向としては、話が進んでも立ち消えても

どっちでもよくなったらしく、運命に任せるつもりのようだ。


その話はまた後日させていただくとして

夫たちの余裕は、藤村が握って離さなかった配車権が

3月下旬、正式に戻ってきたことに由来する。

配車に始まり配車に終わる我々の業界では

利益と効率と安全を左右する配車権さえ取り戻せば

おおかたのことは解決するのだ。


配車権を取り戻した夫は即日、藤村と癒着していた地元のチャーター業者

M社を切った。

続いて少し遠い地域にあるチャーター業者、K社も切る。

当然ながら藤村は気に入らず

「地元のM社と、台数の多いK社をキープしていないと

いざという時にダンプが集まらないじゃないか」

などと連日に渡って干渉を続けた。

裏リベートを受け取るためと、裏リベートが発覚しないよう見張るために

藤村は何としても、こちらへ顔を出して監視する必要があるのだった。


しかし夫は、藤村の干渉を完全無視。

藤村の考える“いざ”と、我々の認識する“いざ”は全く違うし

万一、本当の“いざ”来たとしても、他の対処方がいくらでもあるからだ。


しかもこの二社は、こちらへ呼んでもらう以外に

これといった仕事を持たない。

呼んでやっても、呼ばれる可能性は皆無の“芸者商売”だ。

本物の芸者はそれでいいが、他社のお情けにすがるばかりで

お返しのことなど1ミリも考えない会社と付き合うのは無駄である。


…と、藤村の息のかかった業者を切る理由を並べ立てたが

実は最も重大な理由が存在する。

3月末、両社の架空請求が発覚したのだ。


我々を含む本社グループの各社は

毎月、請求書が届いた端から本社へ転送する。

転送と言えば聞こえはいいが、通勤の道すがら

これら転送品を我が社から本社へ届けるのは、藤村の“お仕事”。


請求書をこちらで開封して確認する作業は、数年前に省かれた。

経理部長のダイちゃんに勧められていた新興宗教の入信を拒否したために

風当たりが強くなった頃だ。

私をクビにするつもりで、少しずつ仕事を減らすのだろうと思っていたし

当時、藤村は日本語が苦手で漢字を読めないなんて知らなかったので

「ヤツが確認するんだろうよ」

くらいにしか思わなかった。

しかしヤツは、単に郵便物が届いたらすぐ

本社へ運ばなければならないと思い込んでいただけらしい。


ともあれ、どこの会社も同じだが、請求書は納品伝票と一緒に届くものだ。

本社経理部は、請求書に表示した金額と

納品伝票の合計金額を確認した上で

全社まとめて支払いを行うシステムになっている。


3月は本社の決算月。

本社経理部は請求書と納品伝票を突き合わせる確認作業を

通常よりも熱心に行った。

そこで、チャーターを呼ばなかった日にも

請求が発生していると気がついた。

また、1台分の伝票しか無いにもかかわらず

2台分の請求をしている水増し請求もわかった。

念のために前月分も調べてみると、やはりある。

つまりM社とK工業は複数月に渡って

複数日の架空請求や水増し請求をしていたことになる。


二つの会社の請求書が、複数の同じミスを犯すことは

まずあり得ない。

そして、図らずもこのようなミスが発生した場合は

取締役か営業が謝罪に飛んで来るのが常識だが、二社とも沈黙したまま。

確信犯であることは明白である。


大きな金額ではなかったため、次回の支払いで相殺することになったが

二社の信用は地下まで落ち、切るには持って来いの条件が整った。

そのことを藤村に伝えると何も言えなくなり

夫は心おきなく二社を切り捨てた。

藤村に迎合し、運転手までが夫を見下げる言動を取っていたM社とK工業を

夫が許すわけがない。


二つの会社がなぜ、こんなアホなことをしでかしたかというと

藤村に渡すリベートのためだ。

最初は1台呼んでくれたらナンボ…という約束で

藤村に現金を渡して渡していた二社だが

これに味をしめた藤村は、二社を専属にした。

それはチャーター業者にとって嬉しいことだが、問題は藤村に渡す現金。


まとまった金額になると、社長のポケットマネーでは追いつかないし

裏金は必要経費に計上できない。

これは限りなく真実に近い想像だが

二社の社長はそれぞれ、藤村に現金を貢ぐのを渋り始めたのだと思う。

藤村ごときに尻尾を振るのは、せいぜいその程度のコモノだ。


そこで藤村が思いついたのが、架空及び水増し請求。

月のうち1回か2回、行かないのに行ったことにしたり

2台のところを3台にして請求すれば

本社から二社へ支払われた金額の中から、藤村の裏リベートが確保できる。


事務をかじっていれば、簡単に見つかると理解できるが

事務未経験の藤村にはわからない。

経理や支払いを含む全てを自分が取り仕切っている…

そう豪語する藤村の言葉を社長たちは信じた。

人間、自分に都合のいいことは信じたがるものだ。

そしてバカとバカはすぐに意気投合して

もっとバカなことをやらかすものなのである。


この一件は、金額が20万と多くなかったことから

背任や横領ではなく単純な請求ミスで片付けられ

支払いの終わった前月以前の請求書が調査されることは無かった。

我々は不満だったが、これが本社のやり方。

追求して調べたら忙しくなるばっかりだし

経理部の無能までが明るみに出て叱責され、いいことは何一つ無い。


なまじこの件を糾弾すると、経理部が火の粉を被る恐れがあるだけでなく

取締役たちが焦り始める。

藤村のやったことは、取締役たちが裏でやっていることと同じだからだ。

彼らは藤村ほどバカではないため、もっと巧妙ではあるが

取締役に目をつけられると自分の身が危なくなるので

見て見ぬふりをするのが慣例となっているのだ。


藤村が不問に付されたのは残念だが、我々とて配車権が戻れば文句は無い。

K工業の方は遠いので知らないが、隣町のM社は早くも仕事に困窮し

ダンプを1台、手放すという話。

仕事が無いと、たちまちダンプの維持費が重くのしかかる…

それがこの業界である。

自業自得だ。

《続く》
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現場はいま…攻防戦・5

2021年03月06日 15時00分51秒 | シリーズ・現場はいま…
トンジの前例を持ち出して

人の気持ちが変わりやすいことを長男に話した私は

いよいよ本題に入った。


「ところで君、佐藤君の国籍を考えたことがありますかいの」

「……」

長男はポカンとして私の顔を見た。

「そこまで考えを巡らせんと、大人とは言えん。

同胞の絆は、友情より強いんよ。

あんたにとっては寝返りや裏切りでも

あの人たちにとっては同胞を大切にした美談になる」

「…母さんは知っとったん?」

「はっきり確認はできんけど、おそらく」

「何で…」

「何年も前になるけど、佐藤君がこっちにおった時

料理を教えてもらったのを知っとるよね?

あの人は料理が好きじゃけん、説明がわかりやすかったけど

教えてくれた料理はナムルと冷麺。

他にオムライスとか、色々聞いたけど

ナムルと冷麺ほどの熱意は感じられんかった。

その時に、あれ?と思うたんよ。

お客さんと、北の太った坊っちゃんのことを話した時にも感じた。

いっつも人の話に口挟んでくるのに、この話題になったら毎回沈黙。

絶対に精密検査に行かん頭痛もじゃけど

いろんな人に近づいちゃあ、あれこれ聞き出して

それをまた別の所でチクッて、必ず人を揉ませるじゃろう。

言い方がソフトなけん、気がつきにくいけど

やりょうることは藤村と同じじゃん。

でもそのうちよそへ飛ばされたけん、そのままになった。

去年、藤村に誘われて戻ってきたけど、今思えば同胞絡みじゃないかと。

同胞で組むのは、習性じゃけんね」

「新しい運転手が入ったら、佐藤さんは元の支社に戻るじゃん」

「甘いわ。

向こうでもいらんけん、こっちに来たんじゃん。

この3ヶ月の間に、早く佐藤を返して欲しいなんて

向こうの人が言うの聞いた?

ゼロじゃろ?

厄介払いで回ってきたんよ」

「……」

「一緒に働く人の国籍まで考えて

仕事をせんといけん時代になっとるんよ。

どこの国の人でもそうじゃけど

民族性いうもんを頭に入れて付き合わんと、ケガするで。

見よってみ。

佐藤君の手の平返しは、幕開けに過ぎん。

これからは、あんたが想像できんことが色々起きる」

「え〜?まだ?」

「藤村は何やかんや理由つけて、こっちに来るよ」

「そんな…」

「あいつが一回手にした物を手放すもんかい。

独裁の味を覚えさしたけん、よう離れんわ」

「本社の命令は?」

「関係無いね。

こっちの落ち度を探して、カムバックを狙い続けるよ。

そのためには、こっちへ通うてネタを探さにゃならん。

これで藤村とお別れなんて、夢にも思うなよ」

「……」


「それから松木と藤村は今は仲が悪いけど、そのうち絶対組む」

「あ、それ、俺もちょっと考えとった。

父さんが邪魔っていうのが共通しとるけん」

「ほうよ。

ゲスほど、共通の利益のためには簡単に群れる。

父さんは松木を信用しとるけど、あんたは油断したらいけんよ。

父さんのサポートも、あんたの仕事のうちじゃけんね。

社員とチャラチャラしょうる段じゃないで。

親父と息子が一枚岩になっとかんと、やられる」

「わかった…」


さて、藤村と佐藤君の計画が失敗に終わったため

佐藤君は3年ぶりに頭痛発症。

配車がこっちへ戻った場合に備え、難所へ行かされないための準備だ。

長男はその変わり身に呆れ

彼と付かず離れずの距離を取るようになった。



やがて藤村がヒラの営業マンとして本社に戻る

運命の20日が訪れた。

藤村以外は皆、ウキウキとその日を過ごし

藤村からはこれといった挨拶もないまま、その日は終了した。


そして週明けの月曜日。

藤村、相変わらず来とるし。

何ごとも無かったかのように、彼の私物が無くなった席に座っとるし。

驚く一同に、藤村はしれっと言う。

「残務整理。

俺が配車したチャーターも今日来とるけん、責任がある」

その責任感は、別の所で発揮して欲しいものだ。

例えばセクハラとパワハラで訴えられた時とか。


藤村の“残務整理”は、何日経っても終わらなかった。

変わらず毎日やって来ては事務所で時間をつぶし、配車権も返さない。

配車権を返したら、癒着相手からのリベートが止まるので

何が何でもしがみつく所存だ。


自分がやるはずの仕事…威張ることや、無意味な命令をすること…

がいっこうに回って来ないので苛立つ松木氏。

「早く営業に行け」

藤村に言う松木氏と

「まだ用事がある」

のらりくらりと動かない藤村は、たびたび衝突して言い合いになり

夫はそれを眺めて楽しむ状況がしばらく続いた。

松木氏は、近いうちに必ず夫を裏切る…

私はその懸念を払拭できないままだったが

夫にもつかの間の安らぎが必要と考え

余計なことは言わずに見守るのだった。


やがて藤村は、松木氏とのせめぎ合いにストレスを感じたらしく

次男に本音を訴えた。

「年末のボーナスから俺の査定がCに下がったけん

支給額も下がったんじゃ。

ずっとAじゃったのに、何でや!」

藤村は悪人だが、妙に子供っぽいところがあるのだ。

「そりゃあ、神田さんに訴えられたけんじゃろう」

「たった1回の過ちで?!」

「1回でも過ちは過ちよ」

「ケチじゃのう!」

次男は藤村の査定が下がったことよりも

今までAだったことに驚くのだった。


それから藤村は、将来の展望を話した。

「お前の親父は65才になったらクビじゃろうけん

俺の時代まで、あと2年の辛抱じゃ」

次男は父親の引退を指折り数えて待ついやらしさよりも

あと2年したら、ヒラの彼自身が定年退職になるのを全く考えてないことに

やはり驚くのだった。


次男からこのことを聞いた私は

藤村の居座りが、あと2年は続くと確信した。

軒を貸したら家まで盗られる…かの民族の得意技だ。

藤村の所属が本社に戻ったとはいえ

本社の方も彼に出入りしてもらいたいわけではない。

藤村がこのまま動かなければ

子どものように手を引っ張って連れ出すわけにもいかず

そのうち、なあなあになって、このまま放置される可能性が高い。

我が社は、給料泥棒の軟禁所に成り下がるのだ。


そんなに残りたいなら、簡単なことだ。

事務を覚えればいい。

そうすれば営業ができなくても、現場のことがわからなくても

残留しやすい。

しかし藤村に事務は無理だった。

民族性の違いから、漢字が苦手だからである。

音読みと訓読みの区別がつかないため

書類や取引先の名称がわからない。

藤村が裏リベートを受け取っているM社の漢字すら

未だに間違えているありさま。

彼にできるのは、仕事をするフリと空威張りしか無いのである。


やがて3月に入ると、松木氏がコロリと変身した。

次長の肩書きをもらって威張りたい一心の松木氏は

難航しそうな藤村の排除をあきらめ

夫や息子たちに思いつきで無茶な命令をしては

従わせようとし始めたのだ。

やっていることは、藤村と同じである。


もちろん、そのたびに衝突したが

舌戦の不得手な夫の消耗は激しかった。

藤村と松木氏が交代したと思っていたら

アホの船頭が2人になっただけ。

夫のみならず、我々の失望は大きかった。


が、滅入ってはいられない。

我々は最近、新しい道を発見したのだ。


始まりは先月の末、次男の引き抜き話からである。

相手は市外にある同業者。

同業者としての歴史は浅く、規模もまだ小さいが

その会社と仕事をするうちに親しくなった。

運転手たちの気持ちの良さや仕事への情熱は素晴らしく

別の堅い事業がベースになっているこれからの会社で、金だけはある。

そこが次男を高給で引き抜こうとしているのだ。


その経緯で次男から現状を聞いた社長が、夫に新規事業への参加を打診した。

つまりそこはチャーターだけでなく

我が社と同じ卸業の仕事を始めたいと考えているが、ノウハウが無い。

そのため仕入れと船舶のルートを持ち

ベテランの重機オペレーターである夫を責任者として迎えたいという話。


社長の話では去年の夏、藤村がやたらとチャーターを呼んで

夫が三桁にのぼる積み込み回数をこなしたことを

チャーターとして来ていた社員から聞き、その時から考えていたそうだ。

社長は、夫が転職したあかつきに

今の会社を潰すつもりで勝負に出るという。

我々は、今の会社にアホな船頭だけ2人残し

みんなで転職したら、さぞ面白かろうと笑っている。


とはいえ夫は誘われたことよりも

自分のオペレーター技術が評価されたことを喜び

「今までの10年が報われた」と言う。

私も、夫の技術がわかる人がいたことが嬉しく

そんな社員のいる会社は素晴らしいと思う。

これなら、たとえ騙されたとしても本望だ。

誘いに乗るかどうかは未定だが

還暦を超えても未来が拓かれる夫は、やっぱり強運だと思っている。

《完》
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現場はいま…攻防戦・4

2021年03月01日 10時34分52秒 | シリーズ・現場はいま…
40才の長男は昨年の夏まで、自分のことを

いっぱしの経験を積んだ立派な大人だと思っていた。

つまりは、自信満々の横柄なおっさんだ。


しかし8月に夫が63才を迎えた途端に老人扱いとなり

本社は夫から様々な権限をもぎ取って、それを藤村に移行させた。

その藤村が与えらた権限を悪用して、自分の王国を作ろうとしたことは

これまでにお話ししてきたが

長男はその経緯の中で、少しずつ変わり始めた。

藤村と日々対峙するうちに、彼がこれまでに出会った人々とは

ケタ違いのゲスが存在することを知り

この世には正義や努力では…

ましてや、たかが知れた自分の経験だけでは

太刀打ちできないことがあると思い知ったからだ。


やがて長男は自ら私の教えを乞うようになり

今では藤村講習の一番熱心な受講生である。

今回、親しい佐藤君の…大袈裟に言えば裏切りを体験した長男は

私の話を真剣に聞いている。

チャンスだ。

この際、言いたいことを言ってやるもんね。


「あんたは佐藤君に親切をしよったつもりじゃろうけど

わたしゃ、そのうち止めよう思よったんよ」

「何で?何が悪いわけ?」

長男は不服そうだ。


「自分じゃ親切をしたつもり、優しくしたつもりじゃけん

佐藤君のしたことが裏切りに思えて腹が立とうけど

向こうは違う。

マコト君は優しいなあ…なんて、1ミリも思うとりゃせん。

あんたの昼ごはんに、付き合わされとるつもりなんよ。

最初はそうじゃなかったかもしれんけど

だんだんそうなってくるもんなんよ」

「え〜…」

「人の気持ちって、そういうもんじゃん。

忘れたんか」

私は3年前に起きた西日本豪雨の際

我々が経験した前例を持ち出した。


長男の親友、理容師のトンジは水害のひどかった町に住んでいて

店も隣接する自宅も氾濫した川の水に浸かった。

家族は事前に、市外にある奥さんの実家へ避難していたが

トンジだけは店と家が心配なので残っていたのだ。


車も水没してしまったので、トンジは身動きできない。

彼の安否を確認した長男は決死の覚悟で彼を迎えに行き

うちで風呂に入らせ、食事をさせた。

落ち着くまで泊まれと言ったが、店や近所の人が心配なトンジは

水没してない二階で寝起きする意思が硬い。

朝と昼はパンが支給されるということなので

それから約2週間、長男は毎晩トンジを送迎しては

うちで入浴と食事をさせ

そのうちトンジのお兄さんも一緒に訪れるようになった。


やがて自衛隊が、トンジの町に風呂を設置してくれた。

その頃には食品の流通が再開し、ガスや電気も通って

トンジの家族も避難先から帰って来たので長男の送迎は終わった。

私も微力ながら、トンジの役に立つことができて満足だった。


その2日後のことである。

家族でニュース番組を見ていたら、トンジが出た。

「町にお風呂ができて、どんな気持ちですか?」

トンジは自衛隊の設置した風呂へ入りに来たらしく

テントの前でインタビューされている。

トンジは美男だし、小さい子供連れだったので

絵ヅラが良かったのだろう。

「はい、とっても嬉しいです」

答えるトンジ。

思わぬ登場に、我々一家は沸きに沸いた。


「お風呂が無い間は、大変でしたか?」

女性インタビュアーは、なおもたずねる。

「すごく大変でした」

「その間、お風呂はどうされていたんですか?」

「時々、友達の家で入らせてもらいましたけど

気兼ねでシャワーしか使えなくて、つらかったです」

「それは大変でしたね。

町にお風呂ができたら、もう気兼ねしなくていいですね」

「はい、思う存分、入れます」

ニッコリと笑うトンジ。


我々の興奮は、一気に冷めた。

(ここ、笑うところよ)

時々じゃなくて毎日じゃないか…

何が気兼ねだよ…

食事と送迎付きで、酒まで飲んでいたじゃないか…。


しかし、人の気持ちとはそういうものなのだ。

我々が偶然、テレビを見てしまうことなんぞ

トンジは想像していない。

アップで撮影される緊張も手伝って

あらぬことを口走ってしまうこともあるだろう。

嬉しいことがあればなおさらで

今までの生活との落差は大きいほどいいってもんよ。


確かに感じは悪いが、家と店が被災したトンジの気持ちは

我々に計り知れない。

まだショック状態だろうし

我々も感謝してもらいたかったわけではないので

この件については以後、触れないようにしてきた。


とまあ、トンジと佐藤君の心変わりは性質が異なるものの

人の気持ちは時と場合によって簡単に変化することに加え

こちらが良かれと思ってしたことが

相手に必ずしも響くものではないことを復習。

そして私の教育は、いよいよ本題に入った。


「明日から、昼は前みたいに家へ帰っておいで。

特定の社員と2人で毎日外食なんて、ゴタゴタする元じゃけん」

「なんで?」

「わからんのじゃろ?

そこがあんたの甘いところよ」

「ますますわからん」

長男は不服そうだ。


「あんたと佐藤君は確かに同僚じゃけど、佐藤君はあんたより15も年上。

あんたは佐藤君より先輩で、父さんの息子であるからには経営者の身内。

こういう微妙な関係は、接近せん方がええ」

「シュウちゃんなんて、30以上も年上じゃん」

「シュウちゃんは別じゃ。

若い頃は祖父ちゃんの会社に勤めようたけん

うちの家のことを何もかも知っとるし、73才で変な野心は芽生えん。

でも55才の佐藤君は違う。

最後にひと花咲かせとうなる年頃よ。

一緒にラーメンか何かすすりゃあ、色んな話のついでに

つい藤村や会社の愚痴も出よう。

そしたら向こうはだんだん、あんたを下に見るようになるわいね。

そこへ藤村においしい話を吹き込まれたら、気持ちは動くわ。

あんたを裏切っても、たいした仕返しは来そうにないけん

藤村に付いた方が得じゃと思うたんよ。

佐藤君ばっかり責められんよ」


長男が佐藤君の裏切りに遭った、たまたま同じ日。

義父の七回忌が近いということで

シュウちゃんは御供えを用意して出勤し、夫にことづけた。

中身は義父の好きだったアラレ。

こういう人こそ、大切にしなければならない…

などということを話して聞かせる私だった。

《続く》
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現場はいま…攻防戦・3

2021年02月24日 16時53分30秒 | シリーズ・現場はいま…
社員の佐藤君をご記憶だろうか。

現在50代半ばの彼は7〜8年前までの数年間、無職だった。

当時、同じダンプ乗りとして彼と顔見知りだった息子たちは

彼から就職の相談を受けてすぐに入社させた。


しかし彼には頭痛の持病があり、何度か仕事に穴を開けた。

入るまで誰も知らなかったが、本人が言うには突発性の頭痛で

いつ起こるかわからないのだそう。

ただ、何度か繰り返すうちに

行きたくない仕事先の時だけ、頭痛が起こることは把握した。

その仕事先とは、大変そうな難所。

それから仕事を転々として来た彼が

不義理をして辞めた会社と接触しそうな現場。

数年間の無職生活で、悪知恵が付いたのだと察する。


やがて3年前、佐藤君は本社の措置で別の支社に飛ばされた。

急な頭痛で休むことより、年に一度ある車検が原因だった。

彼は車検前と車検明けに有給を取り

通常3日か4日の車検休みを10日以上取る。

3ヶ月に一度の点検も、1日で済むところを

前後で有給を取り、1週間休む。

給料はこの業界には珍しく、月給制なので佐藤君は困らない。

職を転々とするうちに備わったずる賢さが

本社の逆鱗に触れたのだった。


ともあれ佐藤君が飛ばされた支社は扱う商品が違うので

乗る車の種類も運搬先もこちらとは別物。

そのため、昔の不義理相手に現場で出会う心配が無いからか

頭痛は発症せず順調だった。


けれども昨年の秋、こちらでは神田さんが退職して

オートマチックダンプの乗り手がいなくなった。

せっかく買ったダンプを放置して

上から怒られるのを恐れた永井営業部長と藤村は

12月に入って佐藤君を呼び戻した。


それ以来、彼の所属は支社のまま、こちらに出向している。

最初はシブシブだったが

馬力の面で劣るオートマチック車でやれる仕事は限定される。

楽な配達ばかりなので、本人は気に入った様子。

彼の好きな配達仕事…

その仕事では会いたくない人に遭遇する心配が無い…

以上の2点から、彼の頭痛は起きないのだった。


当時の佐藤君は、二度目の離婚をしたばかり。

若い頃に最初の離婚を経験した後

同窓会で再会したバツイチ子持ちの同級生と再婚し

相手の実家で生活するようになった。

舅や姑と暮らしながら何年も無職でいられたのは

二度目の奥さんが堅い職業だったのと

農家なので、やることがたくさんあったからだ。


やがて奥さんの娘が成長して結婚し

2人の間に生まれた娘も社会人になった。

そしたらいきなり離婚が訪れ、佐藤君は家を追い出された。


出向と離婚がほぼ同時に起こり

環境が激変した佐藤君を気遣った長男は

毎日、彼と二人で昼食に行った。

アパートを借りるよりは、と2百万の古家を買って

お金が無いとこぼす彼に、たびたび奢りもした。

独身の長男にできるのは、それくらいのことしか無いのだった。


…と、佐藤君の話を長々としたのは

この佐藤君が、藤村の手先になったからである。


夜勤明けの次男へ、藤村からの電話が止んだ翌日

佐藤君は真剣な表情で長男に言った。

「今度、藤村さんが配車をしなくなるじゃん。

松木さんは、それをマコト君(長男)にやらせる言うとるんよ。

でも気をつけた方がええよ。

チラッと聞いたんじゃけど、松木さんはマコト君に配車をやらせて

何かあったら責任を取らせて辞めさせるつもりじゃけん

引き受けたら危ないと思う。

あ、このことは黙っといてね」


佐藤君の口ぶりに藤村臭を感じた長男は

「あ、そうなん?」

で終了し、帰宅してから私に報告した。

「えらい!よう引っかからんかったね!」

私は長男を褒めちぎり

自分の行ってきた藤村講習が役に立ったことを嬉しく思った。


これは、藤村の罠だ。

その場にいない第三者の名前を出し

伝えられた者にとっては嬉しくないことを吹き込む…

この手口は、人間関係を悪化させるのに効率が良い。


本当に悪いのは、真偽が確かでない事柄を伝えた人間なのだが

言われた方はそれを忘れ、名前の出た第三者に注目してしまう。

自然にその人物を警戒するようになるし

それで2人の関係が悪くなれば良し、喧嘩に発展すればなお良し。

短気な長男が、いつものように腹を立て

「そんなら、わしゃ配車なんかやらん!」

なんて言ったら、まさに藤村の思うツボ。

「マコトに配車を任せるつもりでしたが、拒否されました。

当面は僕が続けて様子を見ます」

藤村は、本社にそう報告する。


これでOKが出れば、しめたもの。

会社組織、特に本社にとっての“当面”とは、無期限に等しい。

一度出されたOKが、なかなか覆らないのを藤村はよく知っている。

今まで、この手で食いつないで来たのだ。

あとは何が何でも居座って、大変だの忙しいだの言っていればいい。

できない営業をしなくてもいいし、癒着しているチャーターの会社から

リベートをもらい続けることができる。

こうして自分だけのために人間関係の糸を切り

揉ませるのは藤村の常套手段である。


藤村は、佐藤君にこう言ったはずだ。

「今までは俺が配車をしていたから

お前はオートマ車で楽な配達仕事ができた。

俺が配車をやらなくなったら、お前は別のダンプに移動させられて

現場仕事に行かされる。

いいか、俺がここに居られるように協力すれば

お前にはずっと楽な仕事をさせてやるし

いずれ昇進させて、マコトやヨシキより上にしてやる」

神田さんに言ったのと同じことを佐藤君に言って

彼の野心を刺激する。

藤村は、いつもワンパターンだ。


一方の佐藤君は、今やっている楽な配達仕事を続けたい。

藤村が配車から手を引いたら、嫌いな現場仕事に行かされるかもしれない。

マコト(長男)やヨシキ(次男)が配車をやるようになったら

自分は親しいだけに、嫌な現場でも断れない。

前もそうだった…。


配車権を手放したくない藤村と

今の楽な仕事を続けたい佐藤君の利害はここで一致。

藤村は苦手な長男に直接手を下さず

長男と親しい佐藤君を使うことにした。


佐藤君は、藤村に言われた通りを長男に伝える。

この役目は、小ずるい佐藤君にぴったりだ。

この経緯でおそらく、いや絶対に間違いない…

ゲス同士は、すぐくっつくものよ…

私は長男に説明した。


「一緒に昼ごはん、食べに行ったんよ?

それでも午後には変わるん?」

いきさつは理解したものの、長男は今ひとつ納得がいかない様子。

見た目は元気そうだが、内心は驚きと情けなさで凹んでいるのだろう。

「それがあんたの甘いところよ」

私は良い機会だと思い、彼に新しい教育を授けることにした。

《続く》
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現場はいま…攻防戦・2

2021年02月21日 09時37分23秒 | シリーズ・現場はいま…
愛媛行きが決まった当初は口数が減り

しょんぼりと事務所の私物を片付けていた藤村。

「大男が肩を落とした姿は、惨めじゃのう」

自分もそこそこの大男であることを忘れ、溜飲を下げる夫だった。


しかし転勤が白紙になると、藤村は途端に元通り。

その理由は、転勤話が消えた喜びだけではない。

「仕事の拠点を本社に移し、従来の営業職に戻って少しは数字を上げろ」

本社にそう言われたからである。


営業に戻れと言われるのは、藤村にとって死の宣告に等しい。

彼は配車が忙しいだの、仕入れの交渉だのと

実は全然大変じゃないのに大層な理由を付けながら

うちの夫や息子たちの無能をあげつらい

会社の運営に忙殺されるフリを続けてきた。

そうすれば苦手な営業から逃げられ、営業職と同じ給料をもらえるからだ。


嘘八百を並べ立て、会社の運営に執着していたのは

ひとえに成績の世界から逃げるため。

本社勤務に戻り、できない営業をやれと言われても

成果が上がらないのは目に見えている。

それを容赦なく責め立たられる日々が、藤村に耐えられるはずはない。

本社もそのことは承知の上で、暗に藤村の自主退職を促す措置だった。


彼が生き残る道は、誰が考えても残留しかない。

そこでヤツが何を考えたかというと

後でわかったのだが、人員削減。

夫、長男、次男の3人のうち、誰かを退職へと導くことであった。


この中の一人でも欠ければ、業務が滞るという

もっともらしい理由を付けることができ、藤村に残留の可能性が出てくる。

重機免許や大型免許の無い藤村がいたって、何の足しにもならないが

彼だけはそう信じていたようだ。


藤村が最初に着手したのは、夫だった。

年を取れば、健康上の問題が何かしら出てくるもので

夫は尿酸値が高め。

20年ほど前だったか、尿路結石で入院して以来

あの痛みを二度と味わいたくないということで、毎月の検査を続けている。


もちろん今月も行った。

何かの拍子にそれを知った藤村は

「深刻な持病を隠している様子なので、仕事の継続は不可能」

と、さも一大事のように本社へ報告したが、誰も取り合わなかった。

本社にはもう、彼と口をきく人間はいないのだ。

本社だけではない。

別の支社に勤めながら藤村の子分になっていた黒石も

今では藤村からの電話に出ず、全力で逃げ回っている。


ともあれ本社の人間から、自身の深刻な持病説を聞いた夫は

いつもの嫌がらせだと笑い飛ばした。

些細なことに尾ひれをつけて本社に言いつけるのは、彼の常套手段。

藤村と共に働いた5年間で慣れてしまった夫には

今さらたいしたことでもなかった。


夫の件が不発に終わると、藤村の魔手は次男に向けられた。

次男は今年に入ってから、ずっと夜間の仕事をしている。

早く終わる時が多くて目が楽だという理由から

次男は好んで夜勤仕事を取っているのだ。


藤村は以前から、夜勤明けの午前中に

しょうもない用件で次男に電話をかける癖があった。

午前中はやめてくれと何度も言ったが

忘れるのか、わざとなのか、いっこうにやめない。

それが今回は、回数が増えた。

朝の4時や5時に仕事を終えて帰宅し、寝入った7時や8時に

藤村は必ず電話をかけて次男を起こす。

次男は無視すればいいようなものの

万一急用だったら…と思って出る。

この業界、事故などの緊急事態を始め

工事の進捗状況や天候によって、時間や日程の変更がよくあるため

携帯の電源をオフにできないのが悩ましいところよ。


しかし藤村の用件はいつも、取るに足りない愚痴の類い。

早々に切り上げても、電話は二度、三度、四度と続く。

つまり次男を眠らせないのだ。

次男は最初、孤独で不安な藤村の胸中を思って我慢していたが

何日も続くので、このことを我々両親に話した。


同時に次男は、藤村の話す内容が変化してきたことも伝えた。

「お前にとってプラスになるかマイナスになるかわからんけど

とにかくお前の将来に関わる大事な話がある」

藤村は、もったいつけて話すそうだ。


藤村に将来を心配してもらわなくて結構だが、あんまりしつこいので

「じゃあ今日の午後、聞きに行きます」

と言うと、藤村は

「いや、今日は俺が忙しいから、再来週の土曜あたり」

と、ひどく先の日程を口にする。


また、ある時は

「お前は河野常務に目をつけられて、クビか左遷の候補になっている。

それをカバーしてやれるのは俺だけだ」

と言う。

クビか左遷はお前だろ…

次男は思うが、余計なことを言うと長くなるので言わない。

「僕は一生懸命働いてるから、どうなっても生きて行く自信がある。

いいから、ほっといて」

そう答える。


藤村は、河野常務と次男の関係を全く把握していない。

常務が次男をどれほど可愛がり、信頼しているかを知らないので

いい加減なことを吹き込むのだ。

藤村の言うことは嘘だとわかっているが

その嘘で安眠を妨害される日課に、いい気持ちはしない。

藤村は連日、手を変え品を変え、あれこれ言ってくるそうだが

これを夜勤明けにやられるのは拷問である。


ここで私は気づいた。

「次男を睡眠不足にして、事故を誘発させようとしている…」

考え過ぎと言われるかもしれないし

藤村に、そこまでの明確な悪意は無いかもしれない。

しかし結果的にそうなるよう仕向け

思い通りになったとしても、藤村の罪状として立証しにくいこの手口が

民族的な習性であることを数々の経験で知る私は

決して考え過ぎではないと確信している。


そこで改めて、家族に藤村講習を行った。

藤村は、アクシデントによって早急に誰かが欠ければ

管理の人手が足りないということで、自分に残留の目が出ると踏んでいる…

始めに夫、今度は次男となると、次に狙われるのは長男だ…

さりげない攻撃を仕掛け

仕事を続けられない状況に持ち込もうとするだろう…

常に冷静に…ゆめゆめ油断はするな…。


次男の話を聞き、私の講習を受講した夫は

もう電話をかけないよう、藤村に厳しく言い渡した。

夜勤をしたことが無いから、朝の電話がどれほどつらいか

あんたは知らないのだ…

どうしても次男に用があれば、自分が聞いて伝える…

守れないなら、パワハラで訴える…

これで藤村の電話は止んだ。


さて、次のターゲットが長男になるのは決定事項だから

長男には、カッとならないよう気をつけろとは言ったが

どんな手で来るかはまだ不明。

藤村は、気性のきつい長男が苦手で避けていた。

だから直接、手を下すのは避けるはず。


どうせ薄汚い手口で攻撃してくるのだけは、間違いない…

と思っていたら、すぐにやった。

彼が降格して本社に戻るのは、20日と決まっている。

急がなければ、間に合わないからだろう。

《続く》
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現場はいま…攻防戦・1

2021年02月18日 10時19分37秒 | シリーズ・現場はいま…
2月3日のことである。

我が社に巣食う昼あんどん、改め変態の藤村に転勤の内示がもたらされた。

まだ内定段階なので、はっきりとは決まってないが

行き先は愛媛だそう。

当初は博多と言われていたが、人はいらないということで

急きょ変更された。


安く雇えるというだけで、中高年の中途採用者ばかりを集めた結果

本社はこの10年で腐ってしまった。

しかしこういう時には、やはり正しい判断を下すしかないのだ…

我々一家はそう思い、狂喜乱舞するのだった。



昼あんどんに変態と、およそ役に立ちそうもない藤村が

愛媛で何をするかというと

以前、記事にした胡散臭い四国のブローカーが

高齢のため引退することになったので、その後釜だそう。


とはいえ爺さんは、船舶の手配師という怪しげな職業。

藤村に、その後釜ができるわけがない。

爺さんの口車に乗せられた藤村が

本社にねだって爺さんの商売を買い取ってもらった際

愛媛にある事務所もセットで付いてきたので

藤村は、その事務所の留守番をするのだ。


そう、人の居る所へ…

特に女性の居る所へ変態を行かせるわけにはいかない。

藤村の処遇を決めようとしていた1月の末

ちょうど爺さんが引退を表明したため

そこへ飛ばされることになったのだった。


変な女を会社に入れ、セクハラの挙句に訴えられて

会社に恥と損害を与える…

こんなことをしでかしたら、普通は退職する。

みっともなくて会社に居づらいのを

責任を取るという形に持って行って、一応のケジメをつけるからだ。


しかし藤村は普通ではない。

自己評価がヒマラヤ並みに高い彼は

自分が悪いことをしたという意識が無い。

悪いのは神田さんで、自分は被害者だと思い込んでいる。

よって本人に退職の意思が無いため、飛ばすしか無いのである。


その藤村は、すっかり爺さんの後継者気分。

任されて社長になるだの、才能を認められて手配師に抜擢されただのと

上機嫌で周りに豪語している。

それがプラス思考なのか、負け惜しみで演技をしているのか

いずれにしても民族的な思考回路の異なりであろうことは間違いない。


さて、藤村の転勤が決まった時点で、彼の交代要員も決まった。

以前こちらに居た松木氏である。

営業部次長の肩書きをもらい、県東部にある工場の工場長を兼任しながら

週に何度かはこちらに顔を出す。

次長は、藤村の肩書きである営業所長より上。

藤村が転勤する日まで、彼を押さえつけて会社を元の形に戻すべく

本社は藤村より上の肩書きをくっつけたと思われる。


とはいえ松木氏は、夫よりひとつ年上の63才。

60才からは1年契約の嘱託社員になっているが

給料はそのままで肩書きだけもらった。

本社お得意の、なんちゃって役職である。

高校野球で点差が開き、負けているチームが9回の裏になると

控えの選手をバッターボックスに立たせて思い出作りをさせる…

あの類いだ。


数日後、本社から河野常務が来て

藤村の転勤と、松木氏のカムバックを発表した。

しかし常務が到着する直前、藤村は

「家に携帯を忘れた」

と言い出して、どこかへ姿を消してしまった。

犬猿の仲の松木氏が、自分より上の地位で返り咲いた姿を

見たくなかったのだと察する。


この日、常務は皆に言った。

「ここの要は、ヒロシ(我が夫ね)だ。

ヒロシがいないと会社は回らない。

みんなには、そのことを肝に銘じてもらいたい」


この言葉、合併した10年前に聞きたかった。

しかし常務も本社も自分たちの持つノウハウで

うまく経営できると思っていたから

意地でも言うわけにはいかなかった。

そして彼らは自信満々にあれこれやったものの、ことごとく失敗。

その傍ら、中途採用したばかりの松木氏や藤村を送り込み

無茶を放任して信用を失墜させた。


全ては彼らが、うちらの業界と夫を

ちゃんと知ろうとしなかったことが原因だ。

いや、むしろ知ることを避けていた。

知れば、この業界で立ち回る自信が無くなる。

知れば、夫を立てなければならなくなる。


助けたはずの亀が、自分の背中に乗るのはシャクなものだ。

彼らは意地でも夫を認めまいと

何とか単独で手柄を立てるべく画策を続けたが

取引先や地元がそれを受け付けなかった。

10年かかって、やっとわかったらしい。


こうしてホッとしたのもつかの間、四国の爺さんがゴネ始めた。

「藤村が愛媛に来るなら、ワシは辞めん」

と言い出したのだ。

爺さんと藤村は、最初の頃こそ仲良く仕事をしていたが

そのうち例のごとく藤村は嫌われてしまい

爺さんは度々、本社や我が社に藤村の無礼を訴えに来た。

しかし本社は取り合わず、夫も聞いたところで関係無いため

どうするわけにもいかず、爺さんはがっかりして帰っていたものだ。


爺さんにしたら、自分の事務所だった場所を

藤村に使わせるのが嫌なのだ。

爺さんの会社はすでに本社が買い取り

彼はまとまった現金を手にしていて

爺さんはリベート代わりに、本社から給料を受け取るようになっていた。

だからそれは、単なる老人のワガママだ。

けれども合併後、本社の連中が我が物顔で

事務所のソファーにふんぞり返るさまを見て来た我々には

爺さんの気持ちが少しわかるような気がするのだった。


そういうわけで、藤村の愛媛転勤は頓挫。

さしあたって藤村を飛ばす先も見当たらず

ヤツの処分はひとまず保留となった。

ゲスは、悪運が強いものだ。


一方、藤村の転勤話が消えたからといって

松木氏の処遇を撤回するわけにはいかない。

藤村の身の振り方が決まるまで

松木氏は初めの取り決め通り、このまま週に三回程度

次長としてこちらへ通うことになった。


松木氏は、こちらを離れて5年。

狡猾はそのままだが、ずいぶん賢くなったようである。

我々の言う“賢い”とは

妙な野心を持って夫に成り代わろうとしなくなり

無理なものは無理と悟ったことを指す。


彼の狡猾は、藤村に容赦なく摘要されている。

単純な藤村は、以前の夫がそうであったように

松木氏の嫌味や皮肉に苦しめられるようになった。

仕方がないのだ。

「松木が滅茶苦茶にした会社を俺が立て直した」

藤村はあちこちで触れ回っていて

それは松木氏の耳にも入っていたからである。


業績は低いがプライドの高い松木氏は

このことをかなり根に持っている。

今回のなんちゃって昇進を受け

「藤村が滅茶苦茶にした会社を自分が立て直した」

松木氏は、何としてでもこの状況に持って行きたい。

藤村への風当たりが強くなるのは、当然だった。

敵の敵は味方というところか。

《続く》
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現場はいま…期待の新人くん・3

2021年02月01日 16時43分10秒 | シリーズ・現場はいま…
新人、園田君が退職するまでのスケジュールは、こうだ。

彼が入社して10日目の金曜日。

夕食を終えた夫と私と長男は、テレビを見ながら

藤村の悪口を言っていた。

「園田君を勝手に採点して、減点1とか2とか言うとるみたい」

「ホンマか」

「チラッと見ただけじゃけど、あれはパワハラじゃ思う」

「またやりよるんか、それじゃあ続く者も続かん」

「試用期間いうのを勘違いしとるんじゃ」

「止めてやりんさいや」

「現行犯でないと、難しかろうのぅ」


ちょうどその時、長男の電話が鳴った。

園田君からである。

このタイミングに、長男は大きくもない目を見開いて驚く。

神田さんが辞めた翌日、雇って欲しいと言って来た時もそうだが

タイミングが良すぎるあまり、かえって引かれるのは

園田君が持って生まれたものなのかもしれない。


「ちょっと聞きたいんっすけど

藤村さんって、どういう人なんすか?」

彼がその質問をした理由は、やはり藤村の減点発言だった。

「朝の挨拶の仕方が気に入らんとか、ダンプまで全力疾走せんかったとか

何でも減点、減点言われるんっすけど、あれ、すげ〜嫌なんっすよ」

「やっぱり、そういうことをやりよったんじゃね。

あいつはアホじゃけん、気にしなさんな」

「減点が、本採用に響くことはないっすか?」

「関係ないよ」

「大丈夫っすかね?」

「大丈夫。

さっき親父にも言うたんよ。

次に目の前でやっとるのを見たら、親父が注意するけん」

「わかりました…話して良かったっす」

園田君はホッとしたのか、翌日の仕事について

長男と明るく会話して電話を切った。


かわいそうに…我々は園田君に同情した。

藤村は高校で野球部だった。

野球部上がりの男には、二通りある。

高校野球で培った努力と根性を仕事で活かすタイプと

誰にでもすぐ、野球部だった大昔の過去を持ち出し

いつまでも過去の栄光にすがりつくタチの悪いタイプ。

藤村は後者である。

監督だかコーチにでもなったつもりで

園田君をオモチャのように扱っているのだ。

全力疾走しなければ減点なんて言い出すあたり、それ以外の何物でもない。


藤村の悪癖の犠牲になっている園田君が気の毒でならず

家族一同、気をつけてカバーしようと話し合った。

しかし翌日の土曜日は藤村が休みだったので、何事も無く終わった。


そして日曜日の夜。

園田君から長男にラインが入る。

「熱が出たので、明日病院に行くから休みます」

長男は、少々当惑気味。

病欠の届けをラインで、しかも同僚に出す…

これはどんな業界でも認められないからだ。

彼は藤村が入れたのだから、藤村に届けるか

それが嫌なら夫に届けるのがスジである。


が、そういう初歩的な常識を知らないから

仕事にあぶれていたのであり、体調が悪いのであれば仕方がない。

長男は、「わかりました、お大事にね」と返信。

ついでに我々は、今までの経験から仮病だろうと話した。

園田君は、おそらく月曜病。

金曜日に長男と話して落ち着いたものの

また明日から1週間…と思うと、つらくなったのだと思う。


そして月曜日、園田君は休んだ。

彼は申告通り、病院へ行ったのか…

明日は来られるのか…

シフトの問題もあって、夫や息子たちは心配していた。


しかし昼になって、園田君の行動が判明。

月曜日の朝、園田君が行ったのは病院ではなく本社だった。

本社へ行った園田君は、受付で言った。

「社長と話がしたい」


が、社長は不在ということだった。

末端の子会社に所属する、いち社員の面会要請に

社長が応じる慣例は無いので、本当に不在だったかは不明。

代わりに永井営業部長と

パワハラ講習で面識のあった石原部長が応対した。


園田君は、個室で2人と話をすることになった。

彼の主張は、こうだ。

藤村の減点発言には、もう耐えられない…

昨日の夜、もう会社に行きたくないと女房に言ったら

女房が怒って家を追い出された…

行く所が無いから車で夜明かしをして、朝一番にここへ来た…

入社初日、本社に行って地理を知っていたために

こういうことになったようだ。


普段ハイテンションの人は、時に大胆なことをやらかすものだ。

藤村はその日のうちに本社へ呼ばれ

こってり絞られたのは言うまでもない。

が、これといった懲罰は無かった。

園田君は憎い藤村に、ひと泡吹かせてやりたくて

いきなり本社へ乗り込んだのだろうが

あんまり大胆なことをすると周りが面食らう。

藤村の悪行よりも、園田君の頭の心配が先に立って

物事の本質はかすんでしまったようだ。


息子たちは園田君のやったことに

「オトコじゃのぅ!」

と感心しきりだったが、本社はそうはいかない。

不満を持った子会社のいち社員が

いきなり本社へ乗り込んで社長に面会を求めるという

前代未聞の出来事は、セキュリティ上の大問題。

そこで、監視カメラの設置が検討され始めた。


そうよ、会社とはそういうもの。

藤村の人格に疑問を持ったり、明るい職場を作ろうと努力したりと

心に関するソフト面に触れることは極力避けて

あくまでハード面にこだわり、話をそっちに持って行きたがる。

だからあなたの会社だって

「こんなボンクラに、なぜ給料を与えるんだ?」

とたずねたいような人が、周りに迷惑をかけながら

のうのうと出勤しているだろう。

組織とは、そういうものなのだ。


園田君は、そのまま退職した。

数日後、彼の住む町を愛車で走る姿を目撃した社員がいるので

奥さんの怒りはおさまったのかもしれない。


ともあれ会社では、次の運転手が必要になる。

藤村は夫が止めるのも聞かず

隣の市の同業者に人材調達を依頼した。

同業者、つまりライバルに社員の紹介を頼むほど、愚かな行為は無い。

恩を売られ、仕事に食い込まれて身動きが取れなくなる。

そして同業者が紹介する人材は、すべからく厄介な人物。

良い人であれば、その同業者が使っているはずである。

いらないから、回してくるのだ。


そして先日、同業者に紹介された40代半ばの人が面接に訪れた。

わざわざ隣の市からお越しなすったものの、ひと目でアウト。

夫が言うには、『眉紋(まゆもん)入り』だったからである。


眉紋とは、眉毛に施す入れ墨のこと。

眉毛に海苔を貼り付けたように、太く描いた入れ墨をするのだ。

その正視し難い様相は、おしゃれ用の眉タトゥーとは一線を画していて

よその地方は知らないが、この辺りの反社系の中に

ごく少数存在する。

大変見苦しいものの、服を脱がなくても

ひと目でそれとわかる利便性はある。

施術は、背中と違って非常に痛いらしい。

とうに廃れたと思っていたが、中年でも施す人がまだいたのだ。


恐れおののいた藤村が事務所から逃走したため、夫が対応。

少し世間話をし、断って帰ってもらった。

だから今も運転手募集中である。

《完》
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現場はいま…期待の新人くん・2

2021年01月30日 08時15分59秒 | シリーズ・現場はいま…
園田君が入社して4日が経った頃、本社の永井部長が訪れた。

彼の目的はただ一つ。

園田君と神田さんとの関係を探ることだった。


神田さんの起こした訴えは、解決に至らないまま2ヶ月が経とうとしている。

河野常務は体調を理由に

神田さんの件や園田君入社の件にはノータッチを決め込んでいた。

そもそも彼が入院して不在の時に始まったことなので

責任の所在は藤村と永井部長にある。

病み上がりの身でわざわざ首を突っ込み

火中の栗を拾うことはないという、常務の保身術であった。

永井部長は、自分の十八番を常務に奪われた格好だ。


そのため、永井部長は気が気でない。

藤村にせがまれた彼は12月の末

藤村と2人で園田君を呼び出して最終面接を行い

その上で入社を許可した。

園田君しかいないので、許可するしかない。

永井部長もまた、高価なダンプを遊ばせていることで

河野常務に責められるのを恐れていたため、誰でもいいから入社させて

とにかくダンプが動いている状態を作るしか無いのだった。


保身の帝王、永井部長が案じているのは二匹目のどじょう。

神田さんと親しいとなると、彼女の報告を聞いているかもしれない。

働かずして収入を得る方法に魅力を感じ

園田君も某機関に訴えるのではないかという懸念である。

これをやられたら、彼の立場は無い。


とはいえ、園田君に直接たずねる勇気は無い。

藤村にも無い。

園田君と神田さんが密接な関係にあると判明した場合

今度は、面接の際に確認を怠った責任がかかってくるからである。

無能な人間が下手に肩書きをもらうと

責任に振り回されて、がんじがらめになるものだ。

ということで永井部長は園田君を避け、夫や社員にたずねて回った。


その頃には園田君の口から、彼のプロフィールがほぼ明らかになっていた。

園田君の奥さんと神田さんは数年前、職場で同僚だったこと…

そこが仕出し弁当の会社で、無職だった園田君も奥さんに尻を叩かれ

短期間だが奥さんや神田さんと働いていたこと…

神田さんから辞めたという連絡を聞いた奥さんが

再び無職になっていた園田君に「行け」と言ったこと…。

永井部長はこれらを聞いて、たいした裏が無いことに安心したらしく

帰って行った。


一方でその頃には、我が社のダンプに乗る園田君を見かけた同業者から

彼に関する情報が入り始めていた。

隣市のK商会へ面接に来たが、落ち着きが無いので断った…

続いてA産業にも面接に来たが

市外のとある会社で起きた一件を聞いていたので断った…

といった内容。


市外のとある会社で起きた一件とは、2年前のこと。

転職を繰り返していた園田君は、ある会社でダンプ乗りになった。

しかし入社してほどなく、現場でダンプをひっくり返し

そのまま逃げて連絡が取れなくなったというものである。

園田君には免許取り上げの過去があるが

それを知りながら雇ってくれた会社に、後ろ足で砂をかけた格好だ。


彼はその直後、転居したという。

勤めていた会社の周辺から、離れたかったのだろう。

履歴書の住所とナンバープレートの地名が異なるのは

そのためだったようである。

「あいつを入れたのか?!今に大事故をやらかすぞ?!」

社員各自が、何人もの人から言われたところをみると

園田君はなかなかの有名人らしい。


が、夫は意に介していなかった。

この業界、男の世界ではあるが

男の世界の根底には女より女々しい部分が存在する。

よそへ入った新人をこき下ろすのも、その一つだ。

噂によって社内の雰囲気が悪くなれば面白いし

噂通りになれば、なお面白い。

「だから忠告してやっただろう」

低意な男の多くが好む、この一言も言えるというものだ。

よしんば園田君が噂通りの人物だったとしても

入社させたのは藤村と永井部長。

責任の所在は彼らにある。

むしろ噂通りになれば、一番面白いのは夫である。


ともあれ免許取り上げの経歴とダンプをひっくり返したエピソードに加え

実際の運転を見ても、園田君の技術が初心者並みであることはわかる。

だから神田さんと同じく、単純な往復仕事をさせるしかなかった。


しかし園田君は、自身の運転技術が平均水準に達していない現実に

気づいていない様子だ。

「こんな単調な仕事ばっかりじゃなくて

オレ、出仕事、行ってみたいんっすよ!」

「連れてってください!兄貴と呼んでいいっすか!」

と、意気込みだけはすごい。


社員一同は、この落差を密かに恐れるのだった。

運転手とダンプをセットで貸し出し、よその現場の仕事をさせる“出仕事”は

会社をベースに、行ったり来たりして配達する往復仕事とは全く違うため

熟練していなければ難しい。

そして受けた仕事には、どんなことがあっても時間通りに行かなければならない。

ダンプをひっくり返して逃げた実績を持つ園田君が

朝、ちゃんと来るかどうか…

そこから心配しなければならないとなると

「いずれ」、「そのうち」と言葉を濁すしかないのだった。


とはいえ園田君の明るさと可愛げなもの言いを

皆は嫌っているわけではなかった。

ひょっとしたらこのまま、皆に溶け込んでいきそうな雰囲気すらある。

「やたらテンションが高くて調子のいいヤツは、早く辞める」

そんな私の法則が、初めて崩れるのか。

しかし夫も気に入っている様子だし、定着してくれたらありがたいことだ…

そう思っていた。


が、結論から話そう。

園田君はすでにいない。

2週間、持たなかった。

《続く》
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現場はいま…期待の新人くん・1

2021年01月26日 08時56分10秒 | シリーズ・現場はいま…
前回、この“現場はいま…”シリーズで、新しい人が入るとお話しした。

その人、園田君は42才。

年明けから入社したフレッシュさんである。


話は昨年の11月末に遡る。

藤村のオンナという認識が定着してしまった神田さんが

辞めると言い出し、某機関への訴えをほのめかしていたので

本社の永井営業部長が訪れて

神田さん、藤村、我が夫と長男から事情を聞いた。


上役として、一方的な都合を押し付ける永井部長や

パワハラ、セクハラの事実をのらりくらりとかわす藤村にキレた神田さんは

「私、もう辞めます!」と言って事務所を飛び出した。

そのことをまだ部外者に知られていない翌日

ふらりと会社に現れ、雇って欲しいと言った彼を誰もが怪しんだ。

このタイミングを偶然と呼ぶには、無理があるからだ。


というのもこの業界、空いているダンプが存在しなければ

就職話も存在しない。

バスやタクシーのような交代制ではなく

一人の運転手と1台のダンプはセットになっているため

乗る車が無ければ運転手の仕事は成立しないからだ。


神田さんは興奮して、辞めると口走っただけかもしれず

時間が経って落ち着けば、また出勤する可能性だってある。

しかし園田君は、神田さんの決心が堅いもので

昨日ダンプが空いたのを知っていたような現れ方をした。

神田さんとは、かなり親しい間柄と判断するのが普通だろう。


藤村は、園田君が神田さんの彼氏ではないかと心配し

仕返しに来たのかもしれないと怯えた。

一方、夫はそんな裏のある子ではなく、むしろ人懐こくていい子だと言った。

しかし、いい子がいい運転手だという保証は無い。

夫が気になっていたのは、彼の軽自動車のナンバープレートが

履歴書の現住所とは異なる地域のものだったことである。

長い経験から、ここに小さな違和感を感じた様子だ。


いずれにしても園田君には待ってもらい

取り急ぎハローワークにも求人を出すことになったが

時を同じくして、神田さんが某機関への訴えを起こす。

会社はてんやわんやの騒ぎとなり、人を雇うどころではないため

園田君の件は一旦、立ち消えた。


それから約1ヶ月。

ハローワークからは、誰も来なかった。

その理由は、藤村の悪名がとどろいているのも確かにあったが

不況にコロナ禍というダブルパンチのご時世に

のんびりと仕事を探している運転手はいないという現実もあった。


毎日お金を稼ぐはずのダンプを立往生させる…

それは河野常務が最も嫌う行為である。

園田君の怪しさより、常務の叱責を恐れた藤村は

園田君を採用することに決めた。


園田君は年明けの1月6日から、出勤することになった。

しかし、いきなり正社員で採用したら

パワハラとセクハラで某機関へ訴えたという神田さんの前例があるので

今回はすぐ本採用にはせず、4ヶ月の試用期間を設けた。


それはともかく、6日はまだ正月休みで始業は7日からだ。

しかし藤村と園田君はその日、本社へ挨拶に行くことになった。

ほとんど誰も出勤していない本社へなぜ?…我々はいぶかしんだが

藤村のほうは、園田君に本社を見せて

自分の会社でもないのに自慢するつもりだった。


本社と同じ市内在住の藤村と、こちらの隣市在住の園田君は

現地集合で本社の扉をくぐる。

するとパワハラホットラインの責任者、石原部長が待ち構えていた。

石原部長は、2人にパワハラ教育を施すという。

聞き取り調査で次男が言った言葉を、彼は忘れていなかったのだ。

「俺はパワハラ教育、受けてないから何を言ってもいい」

藤村の、この発言である。

藤村と園田君は2時間に渡って、みっちりと講習を受けた。


パワハラ講習の翌日から、園田君は出社。

彼の入社にあたり、ダンプの乗り換えが行われていた。

前にこの会社に居て、別の支社に転勤していた佐藤君が呼び戻され

神田さんが乗っていたオートマチックのダンプに乗ることになった。

50代半ばの佐藤君は、持病の頭痛を理由に

仕事をドタキャンすることが多かったため

一昨年、別の支社に飛ばされた。

そっちは向いていたようで、持病の頭痛も出ず

順調に働いていた様子だったが、ここでカムバックだ。


佐藤君はオートマチックに乗る羽目になったことや

神田さんがぶつけまくってズタズタになったダンプを

最初はかなり不服に思い、口にも出していた。

しかし、じきにオートマチックは彼にとって便利な乗り物だと気づく。

馬力不足を理由に、彼の嫌いな出仕事や難所に行かなくて済むからだ。

味をしめた佐藤君は、機嫌良く働いている。


それからもう1台、藤村がハーレム計画を構想していた頃

神田さんの友達を入社させるつもりで新調したダンプがある。

藤村に新車購入の権限は無いが

河野常務が腰の手術で入院中、彼の名代として全権を委ねられた永井部長が

藤村におだてられて購入許可を出した。


結局、神田さんの友達は来ず

乗り手が不在のままディーラーに預けていた新車には

72才のシュウちゃんが乗ることになった。

「この年で新車に乗れるとは思わんかった」

シュウちゃんは素直に喜んでいる。


そして園田君には、シュウちゃんが乗っていたダンプが与えられた。

このダンプは、佐藤君が転勤するまで乗っていたものだ。

購入して6年余りだったと思うが

綺麗好きの佐藤君からメカ好きのシュウちゃんを経由しているので

コンディションが良くピカピカである。


さて、明るくて礼儀正しい園田君は、一人一人に挨拶。

「色々教えてください!よろしくお願いします!」

神田さんの時には挨拶すら無く、ひたすら藤村にくっつき歩くだけだったので

皆は園田君の態度に好印象を持った。


2日目、3日目…

夫や息子たちの話によると

園田君は異様に思えるほどのハイテンションで元気に働いていたが

運転技術が神田さん並みであることはわかったそうだ。

単純なことを何回教えても習得できないところも似ている。

しかし、ハイ!ハイ!と返事だけは良い。

返事は良いが、頭には入らないタイプらしい。


このタイプは、どんな職場にも現れる。

私も過去、自分の働いた職場で何度か出会ったことがある。

明るくて屈託が無いように見えるが

たいてい最後は「自分は頑張っているのに周りが悪い」

と言って早々に辞めていったものだ。

私はこのことを家族に伝え、退職理由の標的にされると損だから

彼に優しくしなさいと言った。


ちなみに神田さんの件は、未だ解決を見ず闘争中。

神田さんが、体調を理由に示談の話し合いを避け続けているからだ。

彼女には毎月、休業補償が入り続けている。

たいした金額ではないものの、先へ伸ばせば伸ばすだけ

働かずしてお得になるからだと思われる。

《続く》
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現場はいま…それから・4

2020年12月31日 23時17分32秒 | シリーズ・現場はいま…
本社に送られた文書に添付された

藤村と神田さんのラインの内容だが

我々は見ていないので知るよしもない。

ただ、神田さんが次男に相談していた頃、聞いたことはある。

「今、起きました」、「今、帰りました」

といった小学生の日記系と

「僕の愛をわかってほしい」

「君のことを考えながら寝ます」

といった色恋系の2種類が、とにかく頻繁に送られてくるという話だった。


こりゃあ、気持ちが悪かろう…

我々は神田さんに同情したものだ。

これらのおびただしいラインが、社長や重役の目に触れるなんて

私だったら生きていけないかもしれない。


藤村はその日、本社に呼ばれてかなり絞られたようだ。

それ以来、元気が無い。

自分のやらかしたことよりも、河野常務が一切口をきかなくなったのと

永井営業部長が彼を避けるようになったことがこたえているようだ。

永井部長は、年上の大男にペコペコされるのが嬉しくて

藤村を寵愛していたものの、これ以上関わると自分の身が危ないため

手のひらを返したのだった。


ともあれ我々は、神田さんが提出した証拠の中に

長男とシュウちゃんの言った悪口の書き起こしが

添えられているかどうかに注目していた。

長男もシュウちゃんも、聴取ではすっとぼけていたが

悪口はちゃんと言っているのだ。

私もそのことは、長男から聞いて知っている。

「プレデター」、「アバズレ」、「藤村のオモチャ」…

実際に彼らは、神田さんをそう呼んでいた。


けれども神田さんは、ダンプに無線を付けてない。

付けるも何も、彼女は業務用アマチュア無線の免許を持ってない。

その神田さんが、何で自分の悪口を言われているのがわかるのか。

どこにでもいるじゃないか…

何でもかんでも言いつけて、揉ませる人間が。

今回の場合はチャーター業者であるM社の社員、通称チョンマゲだ。


チョンマゲとは文字通り、髪を伸ばし

後ろで一つにくくっているからである。

50半ばのダンプ乗りが、そのような頭をしているのは

この近辺では稀というより奇異だ。


チョンマゲは以前、神田さんと同じ会社の同僚だった。

数年前にM社へ転職し、藤村と癒着しているM社から

うちへチャーターで入っていた。

神田さんはこのチョンマゲがお気に入りなので

藤村に推薦し、毎日うちへ呼んで楽な仕事に従事させていたのだ。


長男とシュウちゃんが無線で悪口を言っている…

同じ周波数で2人の会話を聞いたチョンマゲは、神田さんに教えた。

怒った神田さんは、チョンマゲに録音を頼んだ。

そして録音されたものは、藤村のラインと共に某機関へ提出された。

このことは、神田さん本人から次男が直接聞いている。


ボイスレコーダーは、良い証拠となるはずだった。

が、ここに電波法が立ちはだかる。

無線で傍受した内容を第三者に伝えてはいけない…

録音もいけない…

電波法には、このような決まりがあるのだ。

神田さんは無線免許を持ってないので、そのことを知らない。

免許を持つチョンマゲも、知らないからそんなことができるのだ。

ゲスの友は、やはりゲスである。


怒りに燃えた神田さんが、この録音を証拠として提出した場合

長男とシュウちゃんは、神田さんをいじめた罪に問われることになる。

しかし同時に、無線を傍受して内容を第三者に伝えた罪と

録音した罪も公になるため

神田さんだけでなく、チョンマゲも無事では済まない。


電波法は厳しい。

神田さんが取ろうとしている慰謝料より

電波法違反の罰金の方が高いかもしれないのだ。

長男もシュウちゃんも、そのことを知っていた。

だから悠長だったのである。


それでも録音を証拠に彼らの罪を追求したなら

我々は神田さんをあっぱれと褒め讃えるつもりだった。

が、やはり無線傍受は証拠として上がってこなかった。

プレデター神田も、しょせんはただの人だった。


長男たちが石原部長の聴取でトボけたのは、このためである。

ラインと違って証拠が出せないのであれば、それは無かったことなのだ。

無かったことをわざわざ認める必要は無い。

こうして2人の罪は、消えた。


ついでに話すと、積込みを終えた夫が

神田さんに合図のクラクションを鳴らさなかった罪も

いつの間にやら消えていた。

最初の訴えでは、クラクションを鳴らさないと

業務の安全性が損なわれるだの何だのと

文書にクドクドと書き連ねられていたが

こちらもやはり証拠が無いので、諦めたらしい。

危険走行の女王、神田さんが安全性を唱えるとは、お笑いぐさである。


現在は、慰謝料の金額を打診している段階。

解明も解決もありゃしない。

「“金取ろう”には、ちぃとゼニを握らせて、さっさと終わろうや」

というのが本社、並びに弁護士のスタンス。

が、最終的な話し合いはできていない。

神田さんが体調不良を理由に、逃げ回っているからだ。

なぜかというと、話し合いの席に着いたら慰謝料の金額が決まって

この問題は終了してしまう。

彼女は毎月の休業補償を得るために、できるだけ長引かせる所存らしい。


藤村は、神田さんの手慣れたやり口に

「後ろにヤクザが付いて、入れ知恵しとるんじゃないか」

と怖がっている。

休業補償を引っ張るために話し合いを避けるのは、よくある手だ。

初心者の藤村は知らないので

「知恵をつけた者はおろうが、ヤクザはあり得ん」

という夫の無責任な慰めをよすがにしている。


とまあ、今のところはこんな感じ。

現在、本社では藤村の左遷が検討されている。

春の移動シーズンにならないとわからないが

女性のいない支社や支店がほとんど無いため

行かせる所が無く、結局こちらに居続けることになるかもしれない。

しかしそんなことは、もはやどうでもいい。

藤村が多少おとなしくなったため、夫は気持ち良く働いている。

それが何よりだ。


その藤村だが、先日

神田さんの後釜として41才の男を一人入れた。

この男、かなり怪しい人物だ。

なぜなら11月の末に神田さんがキレて辞めた翌日

フラリと会社を訪れ、「雇って欲しい」と言った。

ハローワークに募集を出すどころか

つい昨日、ダンプが空いたことを知っているのはおかしい。

しかも彼は、神田さんと同じ弁当会社に勤めていた経歴がある。

偶然にしてはあまりに不自然なため

神田さんの彼氏ではないかと疑った夫は

雇うのを止めたが、藤村は強引に決めた。


その怪しげな男は、年明けから入社することになり

年末、さまざまな手続きが取られた。

その過程で、運転免許を取り上げられた過去が判明。

しかし藤村は、なぜ取り上げになったのかをたずねなかった。

そういうことを把握しておくという常識すら、知らないのだ。

飲酒や大きな違反など、よっぽどのことをしなければ

免許取り上げにはならない。

つまり運転の仕事をするには不適格と言っても過言ではないだろう。


新年からは、この怪しげな男も加わる。

さあ、どうなるのか。

藤村はうそぶく。

「新人を入れたら、会社の空気も変わるだろう。

このところ、雰囲気悪かったからな」

誰が雰囲気を悪くしていたというのだ。

お前だろがっ!

しかし、これが藤村なのである。


《完》



お立ち寄りくださる皆様、今年も本当にありがとうございました。

いつも心から感謝しております。

来年もよろしくお願いいたします。

皆様にたくさんの幸福が訪れますように。
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