goo blog サービス終了のお知らせ 
不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…秋祭編・7

2021年09月25日 09時41分32秒 | シリーズ・現場はいま…
佐藤君とヒロミには常用が有効…

そう考えた私は、息子たちに手順を説明した。

な〜に、簡単だから、塩の効かないうちの子でもできる。


ちょうど我が社の決算は、今月末。

来期の方針を社内で発表するにはベストタイミングだ。

息子たちは朝のミーティングで、皆に軽〜く告げればいい。

「来期はちょっと暇になりそうなんで、積極的に常用を取るように本社から言われた」


本社からは何のお達しもないが、自分たちで決めたと言ったら面倒くさい。

アレらにとって都合の悪いことを発案した人間が目の前にいるとなると

何とかして阻止するために子供っぽい抵抗を続ける。

軽い頭をふり絞って考えた児童劇を見せられるのは、くたびれるじゃないか。

だから、アレらのよく知らない本社のせいにする。


これを聞いたヒロミは、必ず叫ぶだろう。

「え〜?!」

それから、騒ぎ始める。

「私は入ったばっかりじゃのに、できんわ〜!」


ここで、兄弟のどちらかが明るく返す。

「みんなに指示ができるほどのベテランなんじゃけん、大丈夫よ」

「……」

ヒロミは次の言葉が出なくなる。

ヒロミが黙ったら、今度は佐藤君が得意げに言うはずだ。

「僕はオートマだから、常用は無理」


大事なのはここからじゃ…私は息子たちに言う。

「佐藤君が車を言い訳にしだしたら、絶対取り合わずに

サッと切り上げて解散するんよ。

それから後は常用について何を聞かれても、一切しゃべったらいけん」


「えっ?」

常用をちらつかせ、二人をビビらせてお灸をすえる…

てっきりそう思っていた息子たちに、私の言葉は意外だった様子。

「甘いわ。

よう覚えとき。

戦いの基本は、敵を情報から隔離することよ」


絶対にやりたくない常用の二文字を聞いて、アレらの頭の中は疑問でいっぱいになる。

誰が言い出したのか…いつから行かされるのか…自分たちも行かされるのか…。

逆に言えば、アレらはそれほど常用を恐れているのだ。


納品仕事は、終わった者から帰れる。

だからアレらは行き先や商品、往復回数を勝手に変更して

自分たちだけは少しでも早く終業できるように画策していた。

一方、常用はビッチリ8時間拘束。

帰りが遅くなるし、気も使う。

現場によってはフィニッシャーと呼ばれる特殊車両をダンプの荷台に噛ませ

双方が呼吸を合わせて進むなんていう、技術と経験が無ければ困難な作業もあり

ちゃんとできなければ相手に怒鳴られる。

そりゃ、嫌だろう。


が、アレらが最も恐れるのは、行った先の現場で以前の職場の同僚と遭遇すること。

転職を繰り返してきた、似た者同士の二人にとってはこれが一番恐ろしい。

働く先々で、不義理を重ねているからだ。


佐藤君は忙しい時に限って急に持病の頭痛が出て、仕事に穴を空ける習慣に加え

社内をもませる腕前にかけては一目置かれている。

ヒロミもまた、仕事が忙しい時に限って急に母親が体調を崩し

仕事に穴を空ける習慣は、クラッチ名人の称号と共に有名である。

どちらもこれで会社に居られなくなり、転職を余儀なくされたことは

二人がそれぞれ入社した際に周囲からさんざん聞かされた。


それでも我々は気にしなかった。

入れてしまった者を単なる噂で辞めさせることはできないので

気にするわけにはいかなかったと言う方が正しい。

むしろ佐藤君の器用とヒロミの明るさを愛で

あちこちに顔向けできない彼らを守ってきたつもりだった。


ことに佐藤君の場合は深刻だ。

彼は以前、任侠系の同業者の会社で働いていた。

そこの社長は夫の友人で、コモノの佐藤君を気にも留めていないが

血の気の多い社員は違う。

だから辞めさせたければ、その会社と共有する常用仕事を組めば一発よ。

あえてそれをしないのは、そこまで腹を立ててないからだ。

ここに来て我々が常用の二文字を出したのは、彼が身の安全というぬるま湯に慣れ

調子に乗ってしまったからである。


ともあれ、人は嫌なことを回避するために、何でもいいから一つでも多くの情報が欲しくなる。

得た情報を並べ、どうすればいいかを考えることができるからだ。

常用の恐怖に怯えるアレらとて、例外ではない。

たとえ良い案が浮かばなくても、考えているというだけで安心するのである。


その情報が入手できなければ、想像するしかない。

けれどもデータが乏しい状態での想像は、妄想に過ぎない。

情報を与えずに孤立させると、妄想は日増しに膨らむものだ。

誰だかわからない本社の言い出しっぺを恨んでみたり

常用が始まるまでに辞めようかと考えてみたり

あれでも自分たちには適用されないかもと楽観してみたり、アレらの感情は揺れ続ける。


が、必死で考えているうち、必ずヒロミにひらめきが訪れる。

佐藤君はオートマだから常用に行けないと、いつも言っている…

今回も皆の前で言った…

じゃあ佐藤君のオートマと、常用仕様に架装してある自分の車を交換したら

自分だけは常用に行かなくて済むのではないか…。

ヒロミは佐藤君に、車を交換してくれとせがむようになる。

絶対にそうなる。


さあ、どうする佐藤君。

愛のために車を交換するのか。

ヒロミの頼みを冷たく断るのか。

我々には眺める楽しみができたというものだ。


佐藤君が渋々交換したら、彼は常用に行かなければならず

交換を断れば、ヒロミを見捨てることになる。

「守ってくれるって言ったじゃんか!」

「自分に付いたら得するって言ったじゃんか!」

幼稚なヒロミは、彼を執拗に責め続けるはずだ。

楽しいわけがない。


しばらくは交換をテーマにゴタゴタするがいい。

これが仲間割れでなくて、何なのだ。

うまくいけば、片方は辞めるかもしれない。

辞めなくても多少はおとなしくなるはず。

目立ってしまったら、常用に指名されるからだ。

だから息子には、あらかじめ言わせてある。

「みんなに指示ができるほどベテランなんじゃけん、大丈夫よ」

これにはヒロミだけでなく、裏で操る佐藤君もドッキリするに違いない。


ただし車両の交換は、アレらが思っているほど自由ではない。

取引先を始め、各方面への登録をやり直す作業が生じるので

夫の同意と本社の許可が必要だ。

社員の一存で車を交換する権利など、はなから無いのだ。


暴言の応酬で対決するなんて、子供のやること。

大人は、お互いの存在が邪魔になる小さな火種をまき

仲間割れを誘発させて自滅を促す。

誰が仕組んだのか…いや、仕組まれたことすら永遠にわからない。

みりこん流、自滅の刃である。



そしてつい先日、この作戦は実行された。

アレらはものの見事に、予定通りの言動をしたという。

「本社の誰が決めた?あの人?この人?」

「いつから始まる?来週?再来週?」

などの質問責めを経て、今は交換問題まで来ている様子。

「佐藤さんと車を換えたら、私は常用に行かんでええよね?」

ヒロミは息子たちに何度もたずねるそうだ。


ともあれ勝手な指示は止み、会社は本来のペースを取り戻した。

二人の恋の行方はまだわからないが、ずい分おとなしくなったのは確か。

とはいえ、ゲスは諦めが悪いものだ。

諦めが悪いからゲスなのだ。

この調子で行くと、アレらに残された最後の切り札は藤村。

佐藤君と内通している藤村に言いつけ、何とかしてもらうことだ。


例えば常用を推進した憎っくき人物が誰かを調べて、嘆願してもらう。

嘆願が無理な相手であれば、嘘でも何でもいい…

夫の落ち度を密告して会社を滅茶苦茶にする。

うまくいけば来期どころではなくなり、常用も自然消滅だ。


が、本社に常用を言い出した人物はいないので、藤村がいくら調べても出てこない。

それに藤村は今、下っ端の佐藤君のお悩み相談に乗るどころではないのだ。

とある一件によって、彼の身は危険にさらされていた。

《続く》
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…秋祭編・6

2021年09月23日 10時27分41秒 | シリーズ・現場はいま…
シュウちゃんの排除計画が失敗に終わると、佐藤君は心も新たに振り出しへと戻った。

ヒロミと組んで勝手に仕事の段取りを決めてしまうようになっていたのが

ますますひどくなったのだ。

佐藤君が絵を描き、ヒロミがそれを皆に指示するのは

二人が一刻も早く終業するためのものだった。


「次、どこそこ行って」

「今日はもう、みんな終わりね」

ヒロミはアホなので深く考えもせず 、佐藤君に言われた通りを嬉々として無線で発表。

つい半年前に入った女から、何でえらそうに指示されなければならないのだ…

皆は当然気に入らない。

しかし、ヒロミは意に介さず。

夫や息子たちとは、私を介して昔から知り合いなので

自分にはその権利があると思い込んでいるらしい。

知り合いを入れた弊害の、最悪パターンである。


二人の暴走を止めればいいじゃないか…簡単なことだ…

そうよ、誰でもそう思う。

が、これには運転手の習性が関係している。

安全走行が最優先なので、運転中に細かいことを考えたくないし

無線で議論もしたくない。

誰かが先に笛を吹いたら羊の群れのごとく、ついそれに従ってしまうのだ。

あちこちの会社で様々な車両の運転手をしてきた佐藤君は

長い経験から、誰よりも真っ先に指示を出せば

思い通りになりやすいことを知っていた。


一方、アレらによって、物理的な問題も生じていた。

佐藤君とヒロミが話し合って決めた勝手な指示に

一番迷惑しているのは積込みをする夫だ。


次の行き先を勝手に変更されると、積込む商品が変わる。

商品は取引先ごとに違うし、数種類の商品を同じ取引先に納入することもあり

相手の在庫の状態によって、必要な商品が変わるのは日常的なことだ。

商品が違えば、積込みをする重機の待機場所も、ダンプが停まる位置もそれぞれ違う。

慣れた夫はこなしているが、これは勘違いによるアクシデントを誘発する危険な行為。


しかしアレらは積込みができないので、そんなことは知らない。

早めに切り上げて帰りたい一心だ。

行き先の距離や納入商品によって帰社時間が変わるため

お構いなしのやりたい放題である。


その夫もまた、経営者の習性によって二人の暴走を止められなかった。

経営者は、利益を出さなければならない。

その日の出荷量や明日以降の出荷量をかんがみて

ダンプをどう動かしたら純益が高いかを考える。

そこへ、はやばやと勝手な指示を出されたら

切れるとは言い難い頭と重たい口では追いつけず、ケセラセラの性分も相まって

とりあえず今日のところはこのまま…と流される。

夫にとっては不承不承でも、結果的にはアレらの指示に従うことになってしまうのだ。

佐藤君は、そんな夫の性格を熟知していた。


夫が切れ者であれば、合併の憂き目を見て

冷や飯を食う羽目になっていないのはともかく

そのような状況の中、女だからと気を使って我慢してきた。

だが、そろそろどうにかせんといけん、ということになった。


というのも、ヒロミが“休みたガール”なのは入社前から聞いていたが

ここへ来ても同じ。

母親の病気を理由に、忙しい日を選んでポツポツと休むようになった。

休むのはかまわないが、なにしろ調子に乗っているため

先日、大きな勘違いを一発ぶちかましてくれた。

「私、明日休むから、〇〇産業のチャーター呼んで」


彼女は何も知らないから臆面もなく言えるのだが、経営者側にとってはトンデモ発言。

もちろん、急に休むのも褒められたものではない。

しかし、休む自分の代わりに他社からチャーターを呼べというのは

従業員として許されない行為だ。


なぜならチャーターを呼ぶと、1台につき1日4万円の支払いが発生する。

それを支払うのは会社だ。

ヒロミはチャーターを呼びさえすれば自分は自由に休めると勘違いしているが

チャーターを呼ぶ呼ばないは会社が決めることで、ヒロミには関係ない。

会社の支払いをあてにするのは、泥棒に匹敵する越権行為なのである。


ヒロミは今月で入社半年なので、来月からは有給休暇が発生する。

有休が取れるようになると、休む日が増えるのは決定事項。

ヒロミが払うのであればナンボでも呼んでやるが、そうではないのだから

このまま勘違いを続けさせるわけにはいかない。

そこで、どうにかせんといけん…ということになったのだ。


とはいえ、相手は愚か女子。

きついことを言えば泣きやがるだろうし、佐藤君にそそのかされ

神田さんの時のようにパワハラ問題に発展するかもしれない。

行き詰まった息子たちから、相談を受けたのは私。

我が家の相談員としては、またもや教育を授けることになった。


あの二人をギャフンと言わせ、あわよくば辞める方向へ持ち込む良い方法はないのか…

息巻く兄弟。

「待て待て、焦っちゃいかん」

私は彼らを制するのだった。

「ええか、よう聞けよ。

二人いっぺんに片付けようとするけん、難しゅうなるんじゃ。

あんたらも、そろそろ持久戦を覚えてもええ頃よ。

段階を踏んでみ。

辞めさせることばっかり考えずに、まず仲間割れさせることを考えんさい」

「…どうやって?」

兄弟は顔を見合わせる兄弟に、私は満を辞して言う。

「常用(じょうよう)じゃ」


「その手があったか!」

途端に元気になる二人。

常用とは1日8時間、運転手とダンプをセットでよその会社に貸し出す仕事。

よそからうちへ来てもらうのをチャーター、うちからよそへ出向くのを常用と呼ぶ。


会社はここしばらく、企業に商品を供給する納品仕事が多かったため

常用仕事のほとんどを断っていた。

なぜ断るかというと、4万円と上限が決まっている常用よりも

商品を販売する納品の方が段違いに儲かるからだ。

しかし納品は波があり、仕事のある時は猫の手も借りたいほどだが

無いときゃサッパリの相手任せ。

そんな時は、ダンプを常用に出す。

会社に放置しておくより、たとえ1台4万円でも売り上げが上がるからである。


拘束時間が長くて技術が問われる常用は

納品仕事より精神的、肉体的にきついので苦手な者もいれば

いつもと違う景色の中で働く常用を好む次男のようなのもいる。

佐藤君は前者の台頭だ。


彼は自分のダンプがオートマチックだからという理由で、常用には頑として行かない。

オートマチックに常用ができないわけではないが、そう言い張るのと

頭痛を理由に常用をすっぽかす癖があるので、無理強いはしてこなかった。


ヒロミの方は、まだ一度も常用をさせていない。

知らない所で初めての仕事をするのは本人も怖かろうし

何より相手に迷惑がかかるからだ。

慣れてきたらおいおいに教える予定だったが、入社してもう半年。

ウォーミングアップは十分だろう。


「そろそろ、常用を経験してもええ頃合いよ」

私は兄弟に話すのだった。

この常用が、なぜ佐藤君とヒロミの仲間割れを引き起こすか。

それは次回でご説明させていただこう。

《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…秋祭編・5

2021年09月21日 09時09分06秒 | シリーズ・現場はいま…
翌日、次男はタイヤメーカーの担当者に事情を話し

急で悪いが、今日中に佐藤君が外したタイヤを他のダンプに付け換えて欲しいと頼んだ。

相手は驚き、必ず行くと言った。

メーカーとしては、中古のタイヤの横流しが横行すると業界全体の売り上げに響く。

しかも、それが元で事故でも起きたら信用問題に発展する恐れがある。

悪さをしたのが誰であれ、「どこのメーカーのタイヤだった」

と話題にのぼるのは避けられない。

それはメーカーにとって、大きなイメージダウンなのだ。


さて夕方、メーカーの技術者と廃タイヤの引き取り担当者を近くに待機させ

佐藤君とヒロミが連れ立って帰ったのを確認してから、タイヤの消滅作業は開始された。

10本のタイヤは、次々と他のダンプに装着されていく。

佐藤君は人の金でポイポイ換えても平気だが、皆は違う。

はやばやと新品に換えるようなことはせず

既存のタイヤを地道に並べ換えて、ミゾが少しでも長持ちするように努力している。

それが運転手の常識だ。

皆のタイヤより、佐藤君の古タイヤの方が状態がいいため

交換した者は喜ぶのだった。

佐藤君の悪を嘆くより、このような人材に恵まれたことを感謝したいものである。


彼らのダンプから外した本当に古いタイヤは引き取られ、タイヤは消えた。

メーカーは今後、社員が単独でタイヤを注文しても受注せず

整備管理者の次男を通すことを約束した。


次の朝、タイヤが消えているのを知った佐藤君だが、無反応を通した。

これは予想通り。

こっそり売るつもりだったタイヤが無くなっていると、騒ぐわけにはいかないだろう。

けれども内心は穏やかでなかったようで、他の社員にこぼしたという。

「親子で組んで裏をかかれた」

とんでもない言いがかりである。

泥棒を企てながら、未遂に終わったらこのありさま。

さすが佐藤君だ。


彼がやろうとしたことは、金額が少ないとはいえ窃盗だ。

会社の倉庫からタイヤを消したのは

佐藤君を泥棒にしないために選んだ最善の措置だったと思う。

彼は儲け話を邪魔されたとしか思えないだろうが

我々にすれば、それは慈悲であった。


とはいえ、彼の悔しさはわかる。

焼肉が中止となり、ヒロミを新居に招くプランも

長男を味方に引き入れる企ても、おじゃん。

タイヤを売る約束をしたU君にも、合わせる顔が無いだろう。


一方でうちの男どもは、佐藤君の悪だくみを防いだ達成感に酔っていた。

その先のことは、もちろん考えてない。

佐藤君が自身の行いを恥じて退職するとは思ってないが

「これで少しはおとなしくなるだろう」

などと話しているではないか。

甘いんじゃ。


よって私は、息子たちの“教育”に着手。

「ホンマの勝負はこれからよ」

夫はもう手遅れだろうから放置して、若い方にテコ入れするのだ。

その内容は、以下である。


今回は事前に情報を得られたので、ひとまず我々の作戦勝ちという格好になった。

しかし作戦勝ちもなにも、経営者と社員がぶつかれば

権限を多く持つ経営者が有利に決まっている。

メーカーを急きょ予約無しで呼びつけ、残業でタイヤ交換をさせるなど

いち社員にできることではない。

経営者、つまり金を支払う立場だからメーカーは頼みを聞いてくれるのだ。

よって勝ちと呼べる状況ではないため、ここは喜ぶシーンではない。

むしろ、佐藤君をここまでのさばらせてしまったことを反省するのが先だ。


佐藤君がのさばった原因は、彼が元々図々しいのもあるが

引き金は、あんたらの兄弟喧嘩にある。

彼は兄弟の間をコウモリのように往来し、いいように扱っているうちに

野心が芽生えたのだ。


会社で反目し合う兄弟は見苦しく、周りも気を使う。

気を使いながら、こいつらは頭が良くないと誰もが思う。

愚かな兄弟を排除して、自分が成り代わろうと考える者が出現しても不思議ではない。

過ぎたことを言ってもしょうがないが

悪いのは佐藤君だけではないことを肝に銘じ

兄弟の反目中も黙って見守ってくれた他の社員に感謝の念を忘れず

今後、起きるであろう諸問題に取り組んでもらいたい。


そう、これで終わりではない。

恥をかかされた佐藤君が、このまま大人しく引き下がるわけがないのだ。

必ず次がある。

ぬか喜びして油断すると、アレが何かやらかすたびに驚き慌て

それから対処を考えたのでは出遅れる。

しょせんコモノのすること、たかが知れているとはいえ

あんたらはまだ、それがどんなものかを知らない。

やらかしそうな数々のパターンを事前に予想して

そうなったらこうする…ああ言われたらこう切り返す…

といった練習をしておくことだ。


恋する男は気が大きくなる。

女の前でええカッコがしたくなるものだ。

特に相手が同じ仕事をする女となると

自分の頭がいいところや、権力があるところを誇示したくなって

信じ難い大胆をやってしまうのが男という生き物だ。

そして、その習性はゲスほど強烈である。

藤村を見てきたのだから、わかっているはずだ。


…などということを私は話すのだった。

男は長話を聞くのが苦手だし、耳の痛いことも言うので

彼らが質問してきた時や聞く耳を持った時を選び

短く切り上げながら何回にも渡って伝える。


佐藤君が次にやりそうなことを息子たちに想像させ

それについての切り返しや対応には時間をかけた。

実はこれが一番大切。

「辞めろ」、「いらん」、「ぶっ飛ばす」などの基本的な禁句を始め

パワハラに引っかからない言い回しを叩き込むのだ。


が、時間的な余裕はあんまり無い。

私がしたり顔で講釈をタレている間に

次の悪事の芽が出てくるかもしれないではないか。

佐藤君の次の出方を待ちながら、我々母子は話し合いを続けた。


そんな中、佐藤君の“次”が開始される。

73才の現役社員、シュウちゃんの悪口を頻繁に言い出したのだ。

ダンプに付けている別の部品を闇で売る…

本社に嘘を訴えて同情を買い、味方につける…

夫、あるいは息子たちを仕事上、何らかの形で陥れる…

などの事柄を想定していたが、やはりコモノ、ショボかった。


シュウちゃんをターゲットにした理由は、わかる。

これは悪事が発覚した人間が無意識にやる、習性のようなものだ。

自分から目をそらさせるべく、周囲にいる別の人間の悪口を急に言い出す。

その内容は、年寄りだから反応が遅いだの

運転が危なっかしいので迷惑だの、つまらぬことだ。

対象がシュウちゃんになったのは、佐藤君よりも入社が遅いのと

老人なのでバカにしているのと、年令が年令のため

悪口に耐えながら働く意味を見出せなくなって辞める可能性があるからだ。


これでシュウちゃんが辞めれば、しめたもの。

人がいないので、佐藤君の勤続は守られる。

裏を返せば佐藤君は、タイヤの件でかなりの危機感を持ったと思われる。

しかし佐藤君の努力もむなしく、天然種のシュウちゃんには馬耳東風。

焦った佐藤君は、夫の前でシュウちゃんの悪口を言った。


「もうやめい!人のことが言えるんか!」

夫は珍しく激怒。

佐藤君は以後、夫を避けるようになった。


ちなみに夫が怒ったのは、社内の和を考えてのことではない。

シュウちゃんが毎年、義父アツシの命日とお盆にお供え物をくれるからにすぎない。

お悔やみも香典も無かった盗人の社員より

親の命日を覚えてくれている社員の方が百倍可愛いのは人情である。

《続く》
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…秋祭編・4

2021年09月19日 09時26分19秒 | シリーズ・現場はいま…
まだ使えるダンプのタイヤを独断で新品に換えた佐藤君に

夫は何も言わなかった。

こちらの担当を外された藤村と今だに内通を続け

ヤツのやり方をなぞって会社の運営や配車に口を出し、危なくなったら

「僕は〇〇支社の人間だから」

という理由で逃げる彼に、夫はほとほと嫌気がさしているのだ。


佐藤君は別の支社の社員で、こちらへは出向中の身の上だが

元はこっちの社員だった。

9年前、無職で困っていた彼に同情した息子たちが、本社に頼んで入社させたのだ。

けれどもズル休みで現場に穴を開けることが続いたため、3年前に別の支社へ飛ばした。

そして去年の12月、神田さんが辞めて彼女のダンプが空いたので

藤村の推薦により、佐藤君は急きょ呼び戻されたのだった。


しかし彼の籍は、飛ばされた支社のまま。

所属が違うので給料形態も違い、こちらの社員より佐藤君の方が少しばかり高給だ。

それは「細かい男だから、ちょっとでも下がると絶望するかも」

という河野常務の情けによる措置である。

しかし彼は、自分がこちらよりも歴史が古くて規模の大きい支社から来ていることを誇り

「自分の方が偉い」、「来てやっている」

という勘違いを続けている。

夫が彼を毛嫌いするのは、こういうところだ。


ともあれ佐藤君のダンプから外された古いタイヤは

佐藤君の意向でメーカーに引き取ってもらわず、会社に残された。

状態の良い古タイヤは、倉庫に保管しておくことがある。

パンクの応急処置や、もっとミゾの無い他のダンプのタイヤと交換したりと

使い道があるため、運転手が吟味した上でたまに残すのだ。

佐藤君があえてタイヤを残したのもそのため…夫も皆もそう思っていた。


しかし、違ったようだ。

佐藤君はタイヤが傷まないうちに新しい物と交換し

まだ使えるタイヤを個人持ちのU君に安く売るつもりで残した。

U君がタイヤを履き換える日程の都合がつくまで、会社で保管するつもりだったのだ。


バブル期、個人持ちは儲かったので雨後のタケノコのごとく増えたが

燃料などの必需品や修理代が高騰した現在はやって行けなくなり、激減した。

個人持ちに転向し、妻子を養いながら家まで建てたU君も例外ではない。

40代といえば、家のローンと子供の教育費が重なる時期。

ダンプ1台でそれを賄うのは、かなりしんどいと思う。

給油、修理、車検と並んで、頑張れば頑張るだけ磨耗してしまうタイヤも

家計を圧迫しているのは間違いない。


そんなU君に、状態のいい中古のタイヤを安く売ってやると言えば飛びつく。

その売値はおそらく1本3千円、10本で3万円あたりだろう。

U君は年間のタイヤ代がかなり浮いて嬉しいし、売る方も現金で小遣いが入るので嬉しい。

ウィンウィンの、ある意味名案というやつだ。


これがいけないというのが、おバカさんにはわからない。

タイヤは新しかろうが古かろうが、会社の金で買ったものなので所有権は会社にある。

会社の所有物であるタイヤを部外者のU君に販売するのは、立派な犯罪だ。


それでも売るだけなら、まだマシである。

しかしU君は、そのタイヤを自分のダンプに履かせて仕事をする。

中古なんだから長持ちしないのは明らかだが

以前勤めていた会社の古タイヤを闇で安く買おうなんて人間は、基本的にケチ。

3万の元を取ろうと、ツルツルになっても無理をして走るものだ。


問題は、事故が起きた場合。

原因が磨耗したタイヤということになると

それがいつ購入されたものか、U君は帳簿や税金の申告書を調査される。

しかし、しつこいようだが社員と結託して

以前勤めていた会社の古タイヤを闇で安く買おうなんて人間は、すぐ人のせいにする。

そうなれば佐藤君だけでなく、こっちまで火の粉が飛んでくるじゃないか。


夫は本社から管理不行き届き、悪くすれば共謀の汚名を着せられて

一人で責任を負わされ、解雇で落着となるだろう。

それを運命と諦めるのも人生かもしれないが

みすみす佐藤君やU君なんかのために晩節を汚されるのは、あまりに残念ではないか。


そして、さらなる問題も控えている。

佐藤君が、U君にタイヤを売ったお金で買った肉を長男に食べさせようとしたことだ。

長男が彼に誘われてノコノコ行くような食いしん坊であれば

利益を共有したということになり、知らず知らずに横領の共犯にされてしまう。

そうなると今後、長男は佐藤君のすることに文句が言えなくなる恐れも出てくる。

これこそが、佐藤君の狙いではないのか。


我々一家はこの件について、いつもより真剣に家族会議を行った。

真剣ではあったが、結論はすぐに出た。

今のところ、まだ古タイヤは会社の倉庫にある。

明日、佐藤君がいつものように早く帰った夕方

メーカーを呼んでタイヤを他のダンプに付け換えてもらい

10本をバラバラにして無くしてしまおうという、いたってシンプルな案だ。


窃盗だ横領だと騒いで、コトを荒だてるのは簡単である。

古タイヤ10本にこっそり目印をつけておき

U君がそれを自分のダンプに履かせたのを見計らって

「盗まれた」と警察に届ければいい。

だが我々は、そこまでするほど腹を立ててはいないのだ。

タイヤについては、もっと大物がいたからである。

30年以上前、やはりU君のように自分でダンプを買って自営する個人持ちで

義父の会社に専属で来ていた人だ。


義父の会社は、専属契約を結んだ個人持ちのタイヤを会社の名義で買ってやり

その代金は月々の個人持ちへの支払いから、一括または分割で差し引いた。

会社はタイヤメーカーと契約しているため、個人で買うより多少は安いからだ。

しかしその人は慣れてくると、自分のタイヤを会社の名前で買いながら

義父にはそれを申告しなくなった。

つまり自分でなく、会社の購入品にしたのだ。


それを自分のダンプに履かせるだけなら、まだ可愛げがある。

一回うまくいったらどんどん大胆になるもので

彼は新しいタイヤを次々に買い、それを他の個人持ちに安く売って儲けるようになった。

ものすごく忙しくて、ものすごく儲かった時代のことで

会社のダンプだけでなく、個人持ちのダンプも何十台と列をなして積込みを待つ

連日のお祭り騒ぎ。

個人持ちが会社の名を騙ってタイヤを買っても、わからなかったのだろう。


やがて会社が下火になり始めて収入が減ってくると、タイヤの異常な請求金額が目立つようになる。

彼からタイヤを買ったら安いという噂が、人の口にものぼるようになる。

義父は仕事の減少を理由にタイヤ横流し男の専属契約を切ったが

タイヤについて追求せずに見逃してやった。

なんでぃ…嫁には厳しいのに盗っ人には優しいもんだ…

私は密かに腹を立てたものだが、今にして思えば

細かいことに目を光らせていたつもりが、裏でこんなことになっていて

ショックの方が大きかったのかもしれない。


とまあ、そんな経験があるので、佐藤君とU君の企みなんて軽症の部類だ。

コモノゆえの愚かでみみっちい行為として、今回だけは受け流すことにした。

社員と個人持ちが内通すると、厄介なことが起こりやすい。

佐藤君への対応は、タイヤが消えているのを知った時の反応を見てから考えることに決め

我々親は息子たちに、今後は個人持ちとの付き合いに気をつけるよう言った。

そして息子たちはU君との絶縁を宣言し、その日の家族会議は終わった。

《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…秋祭編・3

2021年09月18日 14時16分55秒 | シリーズ・現場はいま…
盆休みの引越し以降、ラブラブになった佐藤君とヒロミはすっかり夫婦気取りだ。

こまめな佐藤君、昼は毎日、自分とヒロミの弁当を買いに行く。

コンビニ弁当に飽きたと言うヒロミのために

こまめな佐藤君はファミレスのテイクアウトを買いに走るようになった。


こうなってみると、皆でワイワイと昼食に出かけ

息子たちも楽しそうだった盆休み前が懐かしい。

中華料理屋で、木耳(きくらげ)という漢字が読めなかったヒロミは

「木に耳なんて、おかしい」と怪しんだあげく、この漢字の無いメニューを選んだ…

などと、息子たちが話してくれるエピソードを爆笑しながら聞いたものだ。


が、ヒロミは変わってしまったのだから仕方がない。

オトコで大きく変わる女が、えてして男運に恵まれないのはともかく

こやつらが早晩やらかすであろう財布温め計画を迎え撃つべく

気を引き締める私であった。



はたしてその計画は、すぐに発覚した。

発端は、佐藤君が長男を焼肉に誘ったことに始まる。

「土曜日にうちで焼肉するけど、食べに来ん?」


その言葉に固まる長男。

藤村との内通がわかって以来、息子たちは彼を警戒するようになった。

今年の3月、2年余りに渡って絶縁状態だった長男と次男の仲が復活した後も

兄が弟の悪口を言っている、弟が兄の悪口を言っている…

彼はそれぞれに吹き込み、再び兄弟仲を裂こうと画策した。

社員を仕切りたい佐藤君にとって、兄弟は反目してくれる方が都合がいい。

結束してもらっちゃ困るのだ。


これが何度か続くと、息子たちはさらに彼と距離を置くようになり

同僚として一緒に行動することはあっても個人的な付き合いはしなくなった。

佐藤君も、盆休みに3トンダンプを持ち出す計画が未遂に終わって以降

不穏な空気を感じ取っている様子で、よそよそしかった。


そんな佐藤君が急に家へ誘うのはおかしい…

長男は思ったという。

焼肉は好きではないし、佐藤君の家はひどく遠い。

前は車で1時間かかる山奥村だったが、離婚して家を追い出されてからは

もっと山奥の古い一軒家を買ったので、さらに遠くなった。

たとえ仲良しだったとしても、遠慮したい距離。

よって長男は、この不可解な誘いをその場で断った。

一方、次男の方にお誘いはなかった。

当然であろう。

兄弟バラバラ作戦の首謀者が、その兄弟をまとめて招待したのでは本末転倒である。


この件は、それで終わると思っていた。

しかし夕方になって、ヒロミが長男にたずねた。

「土曜日、ホンマに行かんの?せっかく佐藤君がおごってくれるのに〜」

長男はこの発言に、大きな疑問を持った。

離婚して家を買ったからお金が無いとボヤくのが日課で

長男にしょっちゅう昼ごはんをたかっていた佐藤君が、なぜ人にご馳走できるのだ。


「臨時収入でもあったん?」

長男がたずねると、ヒロミは無邪気に答えた。

「タイヤ売ったお金で肉を買うんだって」

「何のタイヤ?」

「佐藤君が外したやつ」

「どこに売るん?」

「U君って人だって」

「……」


ゆめゆめ、バカを相棒にするものではない。

悪事ならなおさらだ。

コトの善悪がわからないので、すぐにバレる。

長男は、この不可解な誘いの全容を理解してしまった。


“佐藤君が外したやつ”というのは

彼が先日、ダンプのタイヤを新品に取り換えた際に外した古いタイヤのこと。

“U君”とは15年ほど前までの数年間、義父の会社に勤めていた男性で

長男とは同年代だ。

U君は同業の取引先に引き抜かれて去ったが、やがて“個人持ち”になった。

個人持ちとは自分でダンプを買い、親会社の下請けとして仕事に参加したり

自ら営業して仕事を獲る、個人経営のダンプ乗りのことである。

このU君とは現場で一緒になることがあるため

社員も息子たちも、今だに彼と交流を続けている。

だから佐藤君も、彼とは知り合いだ。


この関係性を踏まえた上で、今度はタイヤの説明を聞いていただかなければならない。

大型ダンプのタイヤは前に2本、後ろに二列ずつ8本で、合計10本ある。

このタイヤは1本が約3万円、10本で30万円だ。


走行距離や仕事の内容にもよるが、ちゃんと仕事をしていれば

タイヤのミゾは1年ほどですり減り、ツルツルになる。

そうなったらブレーキが効かなくなって危ないので

我が社の場合、年に一度の車検という節目に10本全てを新品のタイヤに換えることが多い。

とはいえ新しく買うだけでなく、合間で何度か前輪と後輪のタイヤを付け換えたり

二列の中と外を並べ換えたりして、ミゾが長持ちするように努力する。

これは安全と節約の両面において、業界の常識である。


タイヤの交換や並べ換えは、メーカーを会社に呼んでやってもらう。

脱着作業は有料で、出張料もかかる。

昔は脱着料金を節約するため、運転手にやらせる会社もあったが

現在はプロに任せる所が多い。

タイヤは大きくて重く、ゴムでできているため、ひとたび跳ねたら人間の手に負えない。

手間賃を惜しむあまり、自力で脱着に取り組んでいて労災事故になったり

走行中にタイヤが外れて大惨事になるなど、タイヤが原因で問題が生じた場合

責任の所在を明らかにするためである。


新しいタイヤに交換して外された古いタイヤは

廃タイヤとしてやはりメーカーが引き取って処分される。

その辺に捨てられたり、燃やされては廃棄物処理法に違反するからで

エアコンや冷蔵庫と同じく引き取り料金が必要だ。


そして新しいタイヤの料金を始め、脱着料、出張料、廃タイヤの引き取り料を払うのは

当然だが運転手ではなく、会社である。

以上を認識していただいた上で、これからの話を聞いていただきたい。



さて、佐藤君は先日の車検でタイヤを10本、新品に交換した。

このダンプは、あの神田さんを入れるために藤村が用意したオートマ車だ。

彼女はろくに仕事をしないまま、パワハラとセクハラを訴えて辞めたので

年末に別の支社から呼び戻された佐藤君が乗るようになった。


このオートマダンプは怠け者が乗る運命なのか

佐藤君は自分のダンプがオートマ車であることを理由に

タイヤの傷むハードな仕事を避け続けてきた。

そのため購入から1年を経ても、タイヤのミゾはあんまりすり減っていない。

よって新品に交換するのはもう少し先だと誰もが思っていたが

佐藤君は夫や、整備管理者の次男に相談することなくタイヤを新調したので

皆はその大胆に驚いていた。


我が社では、タイヤの交換時期は運転手の良識に任せている。

いちいち細かいことに目を光らせ、小言を言って社員を萎縮させるのは夫が好まない。

義父と義姉がこのタイプで、それが心底嫌だったからである。

社員も夫の信頼に応えてくれ、今までは確かにうまく行っていたのだが

佐藤君にそれを期待するのは無理だったようだ。

《続く》
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…秋祭編・2

2021年09月15日 14時37分54秒 | シリーズ・現場はいま…
スガッちの退職が決まり、松木氏は入院中。

会社に束の間の平穏が訪れているかたわらで、社員の佐藤君とヒロミが熱い。

ラブラブなんじゃ。

惚れっぽいヒロミは、いずれ誰かとそういうことになると思っていたが

案外早かった。


きっかけは、夏祭編で触れたヒロミの引越し。

ヒロミは住んでいるアパートを出て

今付き合っている彼氏と同棲することになったのだ。


その彼氏の父親は昔、義父の会社に勤めていた。

小うるさくて常識が無いだけならまだしも、前々から飲酒運転の噂があり

会社の冷蔵庫でビールを冷やしているのを見た義父が、その場で解雇した人だ。

その息子だから、およそ似たようなものだと思われるが

お互いの子供も大きくなったバツイチ同士、同棲に支障は無い。


ヒロミは盆休みに引越すと決め、佐藤君が手伝うことになった。

何で彼氏が手伝わないのか…という疑問は生まれるものの

ヒロミへの愛は、その程度ということだろう。


この時点では、佐藤君とヒロミの間に他意は無かったと思われる。

ちなみに58才の佐藤君は、人と人を揉ませる名人。

松木氏の前任者だった藤村といつの間にか内通していて

何かイザコザがあれば、必ず裏に佐藤君がいるという厄介な人物だ。

けれども彼には非常に器用でこまめ、かつ物知りという卓越した美点がある。

その美点は裏を返せば、ずる賢いということになるのだが

佐藤君が引越しを手伝ってくれたらヒロミは百人力だろう。


ともあれ周到な佐藤君は、ヒロミの引越しを安上がりにするため

荷物を運ぶのに会社の3トンダンプを黙って借りようと言い出した。

それを聞きとがめた長男が、夫に報告。

勤め人の彼らは管理者の責任なんて知ったこっちゃなかろうが

私用で使って事故でも起こされたら、こっちは面倒なことになる。


キーは日頃、事務所で保管しているが

夫は盆休みの間、全車両のキーを家に持ち帰ることにした。

もっとも社員には事務所の鍵を持たせていないため

夫と息子たちが鍵を貸しさえしなければ、車を勝手に使われる懸念は無いのだが

ずる賢い彼のことだから、どんな理由をつけて事務所の鍵を手にするかわからない。

事務所に忘れ物をして困っている…

ダンプの不具合が気になるので、休み中にメンテナンスしておきたい…

孫と事務所の周りで釣りをしたいが、小さい孫を時々事務所で休ませたい…

彼が言い出しそうなもっともらしい理由は、いくらでもある。

よって、このような措置を取った。


というのも、佐藤君が鍵を貸して欲しいと頼む相手は絶対に次男。

上司である夫と、性格のきつい長男には頼まないはずである。

本当は悪いことだとわかっているからだ。

人当たりのいい次男がそれを断った場合、佐藤君の恨みは次男に向く。

前回の記事でも話したが、人は自分の甘えを満たしてくれなかった相手に

恨みを持つ生き物なのである。


ましてや今回は、ヒロミが絡んでいる。

あれでも一応は女であり、さらに後輩だ。

女や後輩にええカッコしようとして、コケた場合

恥をかかされた恨みは周囲が思うよりずっと深い。

いつも事務所か重機の中にいる夫と違い、息子たちは佐藤君と一緒に働く。

無闇につまらぬ恨みを買ってストレスを与えると、安全面に支障が出る恐れがある。

我が家では、ゲスの逆恨みは夫に集中させると決めているのだ。


本人に直接注意したらいいじゃないか…そう思われるかもしれない。

しかし、どんな業界でもそうだろうが

口で注意されて素直に言うことを聞く人間がどれだけいるだろう。

聞きゃあしないから、どこの会社も大変なのだ。

ことに大型ダンプは車体が大きい分、ちょっとしたことが大惨事に繋がるため

運転手にストレスをかけないのが大前提。

安易に腹を立て、言いたいことをぶちまけて事故られるより

黙って別の策を練る方がよっぽどマシ。

後で後悔することを思えば、今の我慢が何であろう。



ともあれ盆休み、佐藤君はどこぞからトラックを調達したらしく

ヒロミの引越しは、つつがなく終了したようだ。

そして引越しを機に、佐藤君とヒロミは急接近した模様。

無理もない。

器用で細やか、物腰の柔らかい佐藤君はヒロミにとって初めてのタイプ。

引越しを手伝ってくれない彼氏とは真逆だ。

惚れっぽいヒロミなら、至れり尽せりの頼れる男として好きになるだろう。

佐藤君も去年、二度目の離婚をして一人暮らしを始めた。

淋しい男は、明るい女を求めるものだ。


盆休みが終わって間もなく、最初に気づいたのは73才で正社員のシュウちゃん。

「あいつら、デキとる」

シュウちゃんは断言し、周囲もうなづいた。

ヒロミが激変したからだ。

そのおバカ加減で会社に楽しい笑いをもたらすアイドルだったはずが

この女、何を勘違いしたのか、盆休み明けから息子たちや他の社員に

配車を指示するようになったのだ。


「4月に入ったばかりなのに、何で?」

皆は首をかしげたが、最初はまんざら筋違いの指示ではなかったため

黙って従っていた。

しかしそれが続くと、後ろで誰が糸を引いているのかが自然にわかってくる。

早く終われる楽な所は、ヒロミと佐藤君が独占するようになったからだ。


佐藤君は自分に有利な配車を行いたいが

それを皆に指示する立場でないことは本人もよくわかっている。

そのため夫とも息子たちとも親しく、かつ頭の軽いヒロミを利用し

臆面もなく皆に伝えさせるというシステムができあがったらしい。

恋によって気が大きくなったご両人は、自分たちの会社と勘違いしているのだ。


昼ごはんも一緒、帰るのも一緒、暇さえあればイチャイチャ。

職場の一同は、かの藤村と神田さんを思い出していた。

面倒なことにならなければいいが…私はまたもや軽く思案する。

二人の仲を知ったヒロミの彼氏が、会社に怒鳴り込む程度なら

似たようなことが過去にも何度かあり、面白かったのでむしろ楽しみにしている。

私の思案は、佐藤君が藤村の行いを踏襲していることにあった。


職場で恋愛を楽しみ、配車に口を出すようになると

次は自分の財布を温めたくなる。

これはパターンだ。

こっそり中抜きや裏リベート、横領をやり出すのは時間の問題で

周囲が気づいた時、すでに厄介なことになっているのは

藤村の前例を鑑みてもつまびらかである。


夫はいつものように言う。

「自滅するまでほっとけ…どこまでやるか見たい」

佐藤君とヒロミの仲を知ってからは

「飛ばすか解雇する、いい理由ができた」

と喜んでいる。

運だけで生きてきた男は、気楽なものだ。


が、私はそうはいかない。

何かやらかすのと、自滅するのは同時ではないからだ。

アレらが今後、どんな悪さをしでかすか。

それによって、夫が窮地に立たされることは無いか。

その時、どうやって切り抜けるか。

様々なケースを予測して対処するのが私の役目であり、思案のしどころなのである。

《続く》
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…秋祭編・1

2021年09月14日 08時35分34秒 | シリーズ・現場はいま…
現場はいま、なかなか面白いことになっている。

田舎爺Sさんがコメント欄で提案してくださり

前回の現場シリーズではサブタイトルを夏祭と称したが

今回はさらなる祭状態。

これを祭と呼ばずして、何としょう。


まず、スガッちが今月末に退社する。

以前にもお話ししたが、スガッちは一昨年

取引先の大手企業を定年退職し、今年の3月にパート社員として入社した

私と同い年の男性である。


退職金で悠々自適の老後を過ごすつもりだったが

フィリピン人の奥さんが大半を祖国の家族に分け与えてしまう。

彼女は他にも散財を繰り返し、退職金はたちまち底をついた。

スガッちは慌てて再就職の口を探したが

極度の肥満が災いして働き口はなかなか見つからなかった。

そこで夫に泣きついたというのが入社の経緯だ。


ちょうど夫の助手を募集中だったので

重機免許を持つスガッちは、いとも簡単に採用が決定。

しかしスガッちの重機免許は、ペーパーだった。

「あんまり運転したことない」

面接の際、彼は確かにそう言った。

しかし誰もが、その発言を謙遜と受け止めた。

前職は現場監督だったので、重機を操縦する立場ではない。

だが、曲がりなりにも重機の仕事をするとわかって応募したのだから

少しは乗れると思ったのだ。


本当に乗れないと判明して以降は、練習に励んでいただく。

が、才能の問題なのか、なまじ習得してしまったら

ちゃんと仕事をする羽目になるので予防のためか

いつまで経っても上達しないので、危なくてしょうがない。

今までは取引先だったのでチヤホヤしてくれた夫が

今度は上司になり彼を指導するようになった境遇も彼には面白くないようで

やがて重機に乗らなくなり、社内のお荷物として浮いた存在になってしまった。


この業界は、お世辞にも上品とは言えない。

常に危険と隣り合わせた現場では、教養や人柄なんぞ関係ないのだ。

よって各自の本能がむき出しになりやすいため

知り合いを入れると甘えが出て、こういう結果になるのは珍しくない。


働かないだけならまだしも、その働かない人から逆恨みされて

トラブルになるケースもよくある。

喧嘩別れなら、まだかわいい。

労基や国税に訴え出たり、商品をこっそり横流しして小遣いにしたり

恨みを大義名分に、そりゃもう色々やってくれる。

恨みというのは、甘えを受け入れてもらえなかった時に発生するものなのだ。

この現象に慣れているとはいえ、何事も無ければいいが…

私は軽く案じるのだった。


そのスガッちが今月始め、夫に退社の意思を伝えた。

彼のパート契約の更新は、来年の3月。

夫は次の更新をしないと決め、それまでは忍の一字で耐え忍ぶつもりだったが

スガッち自らが言い出したので、大いにホッとした次第である。


退職理由は、自分がお荷物だと悟ったからではない。

給料が少ないからである。

奥さんがフィリピンから娘を呼び寄せ、一緒に生活することになった。

今の給料では養えないため、もっと高い所を探すそうだ。

結婚する時は独身で子供はいないと言っていた奥さんだが

入籍した途端に娘が二人出現し、そのうちの一人がもうすぐ日本へやって来るという。


夫に引き留める気はさらさら無いので、次の仕事のあてなど聞きはしない。

スガッちの退社は、すんなりと決まった。

この件について、我々夫婦は話し合ったものだ。

「使えん人間には二通りある。

あっさり辞める人間と、楽だからこそしがみつく人間。

あっさり辞めるスガッちは、使えん界では上質の部類」


やがてスガッちは、隣市の工場に転職が決まった。

基本給はうちと同じだが、そこは夜勤手当とボーナスがあるという。

夫に給料を上げて欲しいと言わなかったあたり

スガッちは自分の身の程を知る、やはり上質な部類だった。

製造業はきついので、おそらく続かないと思われるが

すんなり辞めてくれるのだから、こちらにとっては有難いの一言だ。


ともあれ夫は、心から安堵している。

それは、怠け者をスムーズに厄介払いできるからではない。

「子供はいないと言うから結婚したのに、だまされた」

「脂っこい料理ばかり食わされて、太ってしまった」

などと、今さら言ったってどうにもならないことばかりを

ブツブツと聞かされる日々が終わるからである。



さて、楽だからこそしがみつく人間といえば、例のあのお方。

それは後のお楽しみに取っておいて、先にナンバー2のお方

松木氏のことをお話ししよう。


65才の彼はこの7月、肺の腫瘍を摘出するために内視鏡手術を受けた。

予後はかんばしくない。

今月に入って、再手術のため入院した。

今度は内視鏡でなく、切開したと聞く。

再入院から10日余り経つが、退院のメドは立っていない。


本社は復帰が不可能と踏んで、もはや彼をいない者と認識している。

楽天家の夫もそう思っている。

しかし、怠け者をあなどってはいけない。

私は復帰するような気がする。

這ってでも出勤さえすれば、会社のソファで寝るだけなので

立派な養生になるというものだ。


が、以前のように妙な野心にかられ、夫を失脚させようと

嘘八百の芝居を演じる元気はもう無いと思われる。

芝居には、肺活量が必要だ。


と、ここまで書いていた昨日、アクシデント発生。

仕入れた商品を積んだ船が着いたのだが

荷下ろしの際、船がクレーン作業を誤ったという。

夫が話すには、船から離れた事務所まで商品が飛んできて

ガラス張りの玄関ドアが割れた。

ドアは船舶会社が弁償することで話がついたが

その時、事務所に誰もいなかったのは不幸中の幸いであった。


大きく割れたガラス片は、松木氏がいつも使うソファーに突き刺さった。

彼が入院中でなく、いつものように寝そべっていたら

生命にかかわっていたという。

惜し…いや、怪我が無くて良かった。

《続く》
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…夏祭編・3

2021年08月05日 13時22分28秒 | シリーズ・現場はいま…
ところで先月の話になるが、松木氏が入院することになった。

肺に腫瘍が発見され、内視鏡手術を受けるのだ。

7月半ばに10日間、休むという。

癌に違いない…

本社はその噂で持ちきりだった。

数年前にも胃癌が見つかり、やはり内視鏡手術で除去したからだ。


本社上層部は、進退をはっきりさせて欲しい様子だった。

松木氏は満65才。

年金の満額支給が始まった、“辞めどきエイジ”である。

そして元々、立ち回りがうまいだけで実績は無く

いなければ困るような存在ではない。

次長の肩書きも、最後に花を持たせてやるつもりで河野常務が与えたものだ。

常務は夫に話していた。

「手術が必要となれば、その“最後”が来たと悟るのが普通だろうう」


しかし松木氏は、やはり普通ではなかった。

詳しいことを言わないので、本当の病名は誰も知らないままである。

癌なのか、そうでないのかを誰にも言わないのは

人に心配されたり同情されるのが嫌だからではない。

本当のことを言いさえしなければ、本社の方針はいつまでも決まらないため

肩叩きをされることもなければ

「良性なら、退院したらしっかり働け」

と言われることもなく、大っぴらに怠けられる日々が長続きするからだ。

口先ばっかりの怠け者は、病気すら活用するものである。


我々は、そんな松木氏の習性を知っている。

何の病気であろうと、彼が絶対に辞めないのは確かだ。

日頃から、車に乗って出勤さえすれば、そのまま座るか寝るかが彼の仕事。

元気な時でも静養しているようなものだ。

病後もそれを続ければいいのだから、辞めるわけがない。


そんなわかりきったことなんかより、我々にとっての問題は松木氏の留守。

本社が再び藤村をさし向けるのではないか…

その心配である。


松木氏が何日休もうと我が社には何の支障も無いが

会社には本社直轄の営業所という、もう一つの顔があり

松木氏はその責任者だ。

責任者が不在となると、中身はどうあれ体面にはこだわる本社が

代理をさし向ける可能性が無いとは言い切れない。

とりあえず暇そうなヤツといったら、藤村しかいないではないか。

我々が案じたのは、また藤村に引っ搔き回されることではない。

「あいつが来たら、◯す」

という長男の決意表明があったからだ。


昨年起きたパワハラ、セクハラ問題で、藤村は自分が助かるために

長男を首謀者に仕立てた。

それが嘘だったと発覚して以来、藤村は長男を避けて逃げ回り

一方の長男は、彼に報復する機会を狙い続けていた。

さすがに生命まで奪わないとは思うが、ただでは済まない予感はある。

「藤村が来ることになったら、一家で退職を前提に本社とモメよう。

事件になるよりマシだろう」

我々夫婦はそう決めて、成り行きを見守った。


松木氏の入院が近づくと、藤村は予想通り

何かと用を作って、ちょくちょく会社に来始めた。

が、松木氏の代わりを狙っていたのは彼だけではなかった。

元経理部長で今は閑職に回されたダイちゃんも、やる気満々。

新人の道案内をするためだの、書類に印鑑が欲しいだの

やはり何かと用を作っては、頻繁に訪れるようになった。

単純な藤村は、粘着質のダイちゃんが苦手だ。

一度、鉢合わせしたダイちゃんから嫌味を言われて来なくなった。


そしてダイちゃんもまた、ふらりと訪れた河野常務と鉢合わせをしてしまう。

常務はダイちゃんを見て驚いた様子だったというが

後で何か言われたのか、来なくなった。

結果、松木氏が休んだ10日の間、彼の交代要員は誰も来ず

一同はのどかな日々を過ごしたのだった。


こうして平和な7月は終わった。

松木氏も復帰して、仕事という名の静養を続けている。

その病みあがりの彼に、長男がいつになくねぎらいの言葉をかけた。

「暑いけん、気をつけてね」

松木氏はそっぽを向いて答えた。

「夏じゃけん、暑いのは当たり前よ」

これが松木氏なのである。


「ありがと…マコトも気をつけろよ」

とでも言えればよかろうが、彼にそれを望むのは無理。

「情けをかけて、バカを見た…」

長男はプリプリ怒っていたが、私は良い学びになっていると思う。


自分の期待する“定番”を全ての人に求めるのは、不幸の始まりである。

10年前までは、彼に接する全ての人が常識的に“定番”をこなしてくれていた。

それは彼が、経営者の孫だったからだ。

粗末に扱うと、きっついお祖父ちゃんが飛んでくるからだ。


身の上が変わった現在、相手に定番を求めるのは高望みである。

むしろゲスほど、何とかして落としてやろうと仕掛けてくるし

世間には、常識や人の気持ちどころではない環境で育った野生人もたくさんいる。

庶民に生まれたからには、どこへ行こうと

このような人々から完全に逃れることはできない。


私は、その現象を結婚や仕事で痛感してきた。

アウェーに身を置いたからには、何を言われても笑って忘れてやる慈悲や

最初から相手にしない毅然を、長男にも身につけてもらいたいと思っている。

男四十、遅ればせながら、彼にもそれが必要な年頃だ。



さて、松木氏の留守に返り咲きを狙ったものの、不発に終わった藤村。

春の一時金が出たら辞める、夏のボーナスが出たら辞める…

季節ごとに吹聴していたが、やっぱり辞める気はさらさら無いらしい。


辞めないとなると、藤村は本社営業部所属のヒラ社員として

いよいよ仕事をしなければならなくなった。

とある大企業が発注する予定の工事を何としてでも獲得しろ…

そんな命令が彼に下ったのだ。

彼が太刀打ちできる企業ではない。

ほとんどイジメのようなものである。


しかし自己採点の高い藤村は、やる気になったらしい。

そこでまず、何をしたか。

同業の別会社で営業をしている田辺君に、電話をかけた。

夫の親友の、田辺君である。

そして言った。

「攻略法を教えてください」


藤村は、田辺君を天敵と定めていたはずだ。

田辺君のスラリとしたイケメンぶりも

さりげなく藤村を見下げる態度も、彼を苛立たせた。

そこで藤村は、ハングル文字の禁煙プレートを事務所の壁に貼った。

あの禁煙プレートが、ヘビースモーカーの田辺君を来させないために

渾身で考えた嫌がらせだったのは、藤村本人が夫に言ったので間違いない。


その田辺君に、教えを乞いたいと言うのだ。

問題の企業へのルートを持っているのは、この近辺では田辺君だけらしい。

持ち前の厚顔無恥もあろうが、事態はよっぽど切羽詰まっているのだろう。

藤村は田辺君の携帯番号を知らないが

数年前、藤村の上司である永井営業部長が

田辺君を引き抜こうとした際に交換した番号を教えたと思われる。


いきなり電話がかかった田辺君は驚いたそうだが

「気を持たせて、適当にあしらった」

と夫に報告した。

「儲からない仕事だから、うちは手を出さないよ。

本社も藤村さんも、なりふりかまわないね」

とも言った。


その場ではっきり断らないのは、田辺君の優しさではない。

期待させつつ、のらりくらりとかわしているうちに時間はどんどん経過する。

仕事の進め方を知らない藤村にとっては

田辺君に頼るのが一番楽で確実な方法なので、ジリジリと待ち続ける。

そして気がついたら、他社に奪われている。

全ては後の祭というわけだ。

夏祭ならぬ後の祭。

おあとがよろしいようで。

《完》
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…夏祭編・2

2021年08月03日 19時20分09秒 | シリーズ・現場はいま…
入社してみると、意外に使えた女性運転手のヒロミ。

会社の雰囲気が明るくなり、夫は満足そうだ。

とはいえ、油断は禁物。

ヒロミは底抜けに明るくて素直な分、物事の善悪をあまり考えず

損得に左右されるところがあるのを私は知っている。

手放しで喜ぶわけにはいかなかった。


ヒロミと私が親しくしていた昔、彼女の子供が通う幼稚園に

町のチンピラの子供も通っていた。

妻子にはボロを着せ、自分は幼稚園の行事に

黒ミンクの毛皮を着込んで登場するような男である。

何度目かの結婚なので、本人は初老でも子供は小さかったのだ。


ヒロミはそのチンピラを「親分さん」と呼んで持ち上げ

親しくまとわりついていた。

ヒロミの友だちであり、私の妹のような存在だったミーヤは

その様子を心配していたものだ。

やがてその男は殺人事件に巻き込まれて死亡したため

交流は終了したが、あのままであれば

ヒロミはいけないお薬の1本や2本、打たれていたかもしれない。


あの頃から20年近く経っているが、人の性根というのは

年さえ取れば変わるようなものではない。

そんな子なので、油断はできないのだ。


現に会社では、例の佐藤君がヒロミを取り込もうと狙っていた。

持病の頭痛を理由に休むため、別の支社に飛ばされたが

女性運転手の神田さんがパワハラとセクハラ事件で辞めた後

空いたダンプに乗せるために藤村が呼び戻した、我が社のガンである。

人と人を操っては揉めさせ

自分は素知らぬ顔で眺めるのがライフワーク。

うちの息子たちが距離を取るようになったため、彼は仲間を欲していた。


その佐藤君、最近、ヒロミの引越しを手伝う約束をしたらしい。

彼氏との同棲を決めたヒロミは、この盆休みに彼氏の家へ移るのだ。

業者を雇わずに済むので、ヒロミは大喜び。


が、引越しをタダで済ませるには、トラックが必要になる。

そこで佐藤君が提案。

「会社の3トンダンプを黙って借りよう」


会社には大型の11トンダンプの他に、小回りのきく3トンダンプがあった。

貸してと頼んだら、夫が断るのを佐藤君は知っている。

彼が先月頼んだ際、バッサリ断られたのだ。

私用で使って事故が起きた場合、保険が下りないばかりか

会社が管理責任を問われるからである。


だから黙って借りようと、うちの長男の前で言う佐藤君。

それを聞いて、単純に喜ぶヒロミ。

夫も長男も、完全にナメられている。

長男から聞いた私が夫にチクったら

「あいつの会社か!」

と、ものすごく怒っていた。

夫がどんな対処をするかは、まだ未定である。



ところで、あの藤村はどうなっているのか。

昨年末、パワハラとセクハラで女性運転手から訴えられ

ついでに出入り業者との癒着や経費の無駄遣いが発覚し

この春、ついに営業所長の肩書きを剥奪された藤村である。


彼はヒラの営業マンになったので

今後は本社営業部の指示で動くため、こちらに用は無いはずだ。

それでも藤村は未練タラタラで、しばらくは毎日来ていた。

もう関係無いはずなのに、どうして来るのだ…

一同は怪訝に思ったが、藤村の気持ちはわかるような気がする。

本社から営業に行って来いと言われても

今まで営業なんかしたことが無いんだから、行く所が無い。

時間を潰すために、こちらへ来てしまうのだ。


さらに、なまじ今までいい思いをしたばっかりに

それが忘れられず、何としても返り咲きたい気持ちがあるだろう。

しかし、返り咲くにはチャンスが必要。

毎日顔を出して状況を把握しておかなければ、そのチャンスを逃してしまう。

いずれにしても、彼は毎日来なければならないのである。


藤村は毎日来ては、引き継ぎと称して

営業所や会社の運営に口を出していたが

藤村の代わりとして、こちらに再赴任した松木氏はことごとくブロック。

松木氏も藤村と同じく仕事ができない分

転がり込んで来た現在の地位を守ろうと必死だった。


藤村の訪れは永遠に続くかと思われたが、1ヶ月余りで終わった。

ひょっこり来た河野常務との鉢合わせが、2回続いたからだ。

「おまえ、何でここにおるんじゃ?」

1回目、常務は彼にたずねた。

「あの…引き継ぎが…」

「……」

常務は黙って藤村を睨みつけたという。


2回目は、おはようございますと挨拶した藤村を完全無視。

実は3回目もあるところだった。

「近くを通るけん、寄るわ」

常務から夫に電話があった。

夫は松木氏にそれを伝え、そばにいた藤村もこれを聞いた。

藤村は「スマホを家に忘れた」と言いだし、急いで会社を出たため

鉢合わせは免れる。

その日以来、藤村は来なくなった。


藤村が来なくなると、面白い現象が起こった。

会社宛に取引業者からの宅配便が、来るわ来るわ。

お菓子、果物、漬物、肉、ジュースその他…

こんなに物をもらっていたのだと、皆が驚いた。

仕事をやると吹聴しては、贈り物をねだっていたらしい。


納采の儀か横綱昇進で使うような大きな鯛が5匹

クール便で届いた時は、一同、驚くよりも呆れた。

もちろん、どの品も皆で山分けする。

藤村はこれらを受け取るため、這ってでも会社に来る必要があった。

送り主は、藤村が所長でなくなったのをまだ知らないのだ。


驚いたのは、贈り物だけではない。

6月には、本社から支給される作業服が夫に届いた。

数年ぶり、正確には藤村が着任して以来5年ぶりのことである。

息子たちを含む社員には毎年支給されていたが、夫のだけ、なぜか無かった。


着るものに不自由しているわけではないので夫は無関心だったが

こうなってみると、夫のは藤村が着服していたとわかる。

他の社員のものはサイズが違うが、夫と藤村は同サイズなので

奪われていたのだろう。


先月の27日、土用の丑の日はもっと驚いた。

本社からパートを含む全社員に一尾ずつ、ウナギの蒲焼きのプレゼントがあった。

初めてのことに、喜ぶ一同。


が、実はこれ、初めてではなかったらしい。

毎年1月5日に行われる全社挙げての新年会が、コロナのために

去年から中止になっている。

その代わりということで、土用のウナギは去年も配られたという。


今年入ったスガっちとヒロミを除く、皆が思った。

「藤村がガメた…」

本社から送られたウナギをヤツが着服したのは、間違いなかった。

というのも去年の同じ頃、本社からクール便が届いたのを

長男が目撃していたからである。


長男はウナギとは知らなかったが、藤村はなぜか慌てて

「俺たち本社付きの上役だけ、ウナギがもらえるんだ」

そう口走ると、クール便を車に運んでどこかへ行き

その日は戻ってこなかったという。

本当にセコい男だ。

野心のみならず、このような得をするためにも

そして、それらの悪事を隠すためにも

藤村はこちらに詰めて番をしたかったと思われる。

《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…夏祭編・1

2021年08月01日 08時40分51秒 | シリーズ・現場はいま…
次回、このシリーズに取り組む時には

サブタイトルを“夏祭”にすると決めていた。

これは、田舎爺Sさんがコメントで提案してくださったもの。

楽しそうで、すごくいいと思った。


とはいえ、はたして夏になった頃

夏祭にふさわしい楽しそうな状況になっているかどうかは不明。

そうなっているといいな…という願望を胸に、状況を見守る私だった。


で、現場は今、どうなっているかというと

そこそこ楽しそうなラインまで来ているように思う。

昨年、取引先の大企業を定年退職し

この3月にパートで入社したスガっちは現在も働いている。

ペーパー免許だった重機の実技を習得して

夫のアシスタントを務める予定が、未だ習得ならず。

どうも、向いてないらしい。

何十年もやってきた夫のようになって欲しいとは思わないが

暑い夏までに少しは上達して、夫の負担がわずかでも軽くなれば…

そう考えた本社や私の目論見は、見事に外れた。


では彼が何をしているかというと、雑用。

雑用と一口に言うが、やる気で取り組めば

機器のメンテナンスから敷地の整備清掃に至るまで、いくらでもある。

けれどもスガっちは違う。

多忙な夫に代わって、たまに近場へ配達に出る以外は

“待機”という名の休憩時間だ。

その待機中には、フィリピン人妻の愚痴を言い続けるのが仕事。


夫も最初のうちは、時々用事を頼んでいた。

しかしスガっちの口癖に嫌気がさし、放っておくようになった。

用事を頼まれると、彼はすぐに言う。

「何で俺が?」

大企業に勤めていたプライドが、捨てきれないのだ。


5月に一度、“”という雑用を頼んだことがある。

ぬかるんだ現場に出入りする際、現地でダンプのタイヤにホースで水をかける仕事だ。

タイヤに泥を付けたまま走ると、道路がタイヤ痕で汚れるからである。

がいない場合は、運転手が一回一回ダンプから降りてこの作業を行うが

当然ながら時間のロスは増える。

その日は忙しかったため、夫はスガっちを現場に行かせた。


渋々向かったスガっちだが、一回で根を上げ、勝手に会社へ戻ってくると

「何で俺が?」

「こんなことをさせられるために入ったんじゃない」

などの勘違い発言を連発。

現場から公道に出るダンプを外に立って待つのも不本意だが

何より、今まで見下していた運転手のタイヤ…

つまり足を洗う行為に、彼のプライドは傷ついたらしい。


甘い夫も、その時は厳しく言った。

「あんたが積込みをしてくれるんなら、ワシが行っとる。

去年まではうちの取引先におったかもしれんが、今は立場が変わったんじゃ。

いつまでもチヤホヤできん」


もちろん、これで心を入れ替えるようなスガっちではない。

相変わらず、のんべんだらりと一日を過ごしながら

本社から人が来た時だけ、急に水撒きや草むしりを始める日々が続く。

働かない人とは、そういうものだ。

皆にできることを「できない」と、臆面なく言える。

それを恥と思わないからだ。

できないと言えばやるべきことが減って、もっと楽ができるのを

経験で熟知しているのである。


夫はこの一件で、スガっちにはサジを投げた。

それでも、藤村よりマシだと言う。

勘違いも怠け者も同じだが、スガっちには

夫に成り代わってやろうという野心が無い。

いっそ彼のように真性の昼あんどんの方が

嘘や芝居で陥れられる心配がいらないので気楽なんだそう。


アシストしないアシスタントを雇い続けるのはバカバカしいと思われるだろうが

パートといえど、一旦、入社を認めたからには

「働かないから辞めてちょうだい」というわけにはいかない。

その代わり、パートには配置転換、契約期間という名の抜け道がある。

スガっちは1年契約なので、このままの状態であれば

来年3月、契約を更新しなければいいことだ。


一方、4月から入社した50代の女性運転手、ヒロミは絶好調。

すぐにクラッチを焼く、クラッチ名人という触れ込みだったが

今のところ、まだ焼けていない。

これまで転々とした職場とは、仕事の内容が違うからだと思われる。

また、息子たちを始め社員と気が合ったようで

操作を基本から教えられたことも、大いに関係しているように思う。

息子たちは彼女のことを「ネエ」と呼び、男友達の扱いになっている。


ヒロミと私が旧知の仲だったこともあり、息子たちは最初から彼女に友好的だったが

仕事仲間として認めたのは、入社して日の浅い頃にあった出来事からだ。

取引先の事務所へ納品伝票のサインをもらいに行く時

ヒロミは顔の下半分をタオルで覆い、両端を後頭部で縛って

覆面のようにしてダンプから降りてきたという。

「どしたん?」

とたずねると

「マスクが壊れた」

大爆笑は言うまでもない。


取引先の事務所への出入りは当然、マスク着用が義務づけられている。

それなのに、予備のマスクを用意してない短絡…

誰かにマスクをもらおうと考えない不器用…

誰かに頼んで、自分の代わりにサインをもらって来させることを考えない独立心…

迷わずギャングのようにタオルで縛り、大真面目でいられる愚直…

これによって息子たちは、ヒロミが自分たちと同じ人種だと理解した。

そして彼女を仲間として受け入れたのだった。


息子たちの兄弟仲は、2年4ヶ月に渡って決裂していた。

ヒロミが入社した月の末に仲直りしたが

彼女が日々もたらしてくれる笑いも、息子たちの心をほぐしたと思っている。


ともあれ、一人が良かったら一人はダメだった…

しかも期待していた方がダメで、全然期待してなかった方がイケた…

これは人を雇う上で、よくあること。

確率が2分の1であれば、会社としては儲けものである。

《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…それぞれの春続編・俺たちの春・3

2021年05月02日 11時47分59秒 | シリーズ・現場はいま…
次男がF工業の誘いを断ったので、秒読みだった退職も消え

全ては無かったことになった2日後、河野常務が訪れた。

退職の意思が、本社に伝わっていたからだ。

退職を願い出る日まで、このことは秘密にしようと決めていたため

今や次男の仇敵と成り果てた長男にも黙っていたが

夫が松木氏にしゃべり、松木氏が報告した。


次男が通院のため、週に一度休んでいるのが松木氏は気に入らない。

なぜ次男が週一で休むかというと、頚椎に痛み止めの注射を打つからだ。

これを打つと、歩けなくなることがある。

そのため医師から、注射を打った日の運転を止められているのだ。


しかし外された藤村の代わりに来た松木氏は

経費の数字で藤村に差をつけたい。

赴任して日の浅いうちに大差をつけて

本社から賞賛されたいという願望をあらわにしていた。


次男が休む日は、チャーターを1台余計に頼む。

松木氏は、これが惜しくて仕方がない。

次男が休むたび、怠け癖だの甘やかしだのと

夫にグズグズとこぼすので、夫は頭にきて

「心配せんでも来月にはおらんようになるけん、そっとしてやってくれ」

と言ったそうだ。


バレたものは仕方がない。

次男は河野常務に呼ばれ、二人で話すことになった。

裏切り者だの後ろ足で砂をかけるだのと

てっきり責められると思いきや、常務は開口一番

「ヨシキ、辞めんといてくれ」

と言った。


「ダンプを離すのが嫌なら、今のままでええ」

「本当ですか?」

「ワシのおる間は、そうせぇ。

お前、病院へ行かにゃあいけんけぇ、迷惑かける思うて

気兼ねしょうるんじゃろうが。

ホンマは、それが辞める理由じゃないんか。

何も気にせずに、身体をしっかり治せ。

若いんじゃけん、先が長いけんの」

「はい」


常務の説得によって、次男の残留は決まった…ということになった。

転職の話は一昨日、すでに断っていたので

すでに残留しかないのだが、表向きはそうなった。

しかし病院のくだりは、常務の買いかぶりである。

次男はそんなに謙虚ではない。


このことがあって以来、次男はホッとしたのか

暖かくなって体調が良くなってきたからか

顔つきや言動が目に見えて柔らかくなった。

今年に入ってから、長男の方は冷戦に飽きた様子なので

私はのんびりと次男待ちを決め込む。

頑なになってしまった彼の心が、ほどけ始めるXデーを待つのだ。

長丁場を覚悟していたものの、はたしてXデーはすぐにやってきた。


取引先の一つに、一部上場企業のT社がある。

ここは昔からの付き合いがあったが、義父の会社が危うくなると

納品の仕事を別の同業者に奪われた。

とはいえ、東京に本社のある大手というのは

えてして地元業者を残酷に扱う。

威張って無理ばっかり言うし、単価を叩きまくるので利益が薄いため

奪われたからといって悔しい気持ちは無かった。

むしろ、せいせいしたと言っていい。


うちが切られた後、T社の仕事は

ハンカチ落としのハンカチみたいに複数の同業者を転々とした。

T社は、1円でも安く仕事を受ける業者を見つけては前任者を切る…

大企業の専属になりたい同業者は後任に飛びつくが

そのうち薄利と仕事のきつさに辟易して逃げる…

このサイクルを繰り返していた。


数年前、そのT社の仕事が何年かぶりに戻ってきた。

当時は県北にあるK興業が請け負っていたが

例の残酷に腹を立てて引き上げを決め、次男に言ったのである。

「うちは忙しくなって、T社まで手が回らんようになった。

ヨシキ、T社を頼む」


次男は以前から、K興業の社長を兄のように慕っていた。

40代のK社長は確かに好人物で、次男を可愛がり

K興業の宴会や旅行には必ず呼んでいた。

そのK社長から仕事を託されたことに加え

以前の取引先を取り戻した喜びに、次男は有頂天。

K興業から引き継いで、T社の仕事をするようになった。


が、T社の仕事は以前うちがやっていた時よりも

いちだんと安く、ますますきつくなっていた。

その人使いの荒さは、他に類を見ないレベル。

次男は自分がもらった仕事なので気にならないが

長男を始め、社員は嫌がるようになった。

そもそも兄弟喧嘩の発端は、このT社の仕事である。


「こんなこと続けようたら、社員が付いて来んど。

K興業は自分がやりとうないけん、ヨシキに押し付けただけじゃ」

兄はたびたび弟に言い、我々夫婦も何度か言い聞かせた。

「儲かっとったら、死んでも渡さんはずじゃ。

何で仕事が戻ってきたか、冷静になって数字を見んさい。

Kさんは儲からん仕事から逃げるために

親分子分の人情芝居をして見せただけじゃが」

しかし次男は耳を貸さず、K社長を悪く言う我々を憎んだ。


血の繋がった家族を足蹴にし、他人を無駄に尊敬して師と仰ぐ…

一部の若者が、一時期罹患する病いである。

夫にも若い頃、その傾向が見られたので遺伝かもしれない。

あちこち尊敬して歩いては裏切られたり

心酔した人物の底を見切って超えたりを繰り返しながら

ゆっくり成長する厄介な男子というのがいるものだ。


やがてT社の仕事は、次男が一人で行くようになった。

一人では当然足りないので、あとのダンプは

仕事にあぶれた同業者を集めて送り込むシステムが

確立した。

次男は孤立してしまったのだ。

以後、数年間の孤独が、彼をさらなる頑なへと導いた。

が、心配はしない。

義理人情と数字…対極にあるこの二つを理解し

うまく擦り合わせて仕事をするためには、冬の季節が必要である。


そして今月、T社の閉鎖が決まった。

近いうち、どこかの支社に統合されるという。

そのため、次男もあっけなく撤退することになった。

兄弟喧嘩の元が無くなり、次男は腹を立て続ける理由を失った。


そしてその日は突然、訪れた。

先日…正確には4月23日の夜

私は次男から、仕事についての相談事を持ちかけられた。

「相談には乗る。

ただし、兄貴と和解が条件じゃ」


次男は即答した。

「わかった…ワシも男じゃ」

よし、来い…私は次男と一緒に

釣り道具のメンテナンスをしていた長男の所へ行った。


「兄ちゃん、ごめん…」

次男はいきなり言い、驚いて顔を上げた長男は

パッと頬を赤らめて答えた。

「ワシも悪かった」

「こないだ兄ちゃんとすれ違った時に

ワシ、うっかり手ェ上げてしもうて恥ずかしかったんよ。

そん時、こりゃあ潮時じゃ思うたんよ」

「ワシも、いつまでもこのままじゃあ良うないけん

誰かに相談するつもりじゃったんよ」

「同じこと考えよったんか〜」

「ほうよ〜」

そのまま二人が笑いながら話し始めたので、私はその場を立ち去った。


その夜、早寝をして何も知らなかった夫は

翌朝、会社で話す二人を見てぶったまげ、珍しく私に電話をしてきた。

「どうなっとるんね」

「昨日の晩、イクサが終わったんよ」

しかし、もっと驚いたのは藤村と佐藤君だった。

ものすごく戸惑っているらしい。


ともあれこの兄弟、以前よりも仲が良くなったような気がする。

一緒に出かけたり、口をきかなかった間の情報交換に余念がない。

2年4ヶ月に渡る兄弟の冷戦は終わった。

疲れた。

《完》
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…それぞれの春続編・俺たちの春・2

2021年04月29日 17時27分31秒 | シリーズ・現場はいま…
うちの二人の息子は6才という年齢差があるからか

一人っ子が二人いるような、淡白な関係だ。

それでも兄弟で同じ会社に勤め、同じ家で暮らしていれば

ギクシャクすることもある。

ことに我が家の場合、10年前の合併当初から火種を抱えていた。

合併時、会社にいたのが次男だけで

長男はいなかったという火種である。


その1年前、義父の会社は資金繰りのために長男のダンプを売却した。

社員の乗るダンプを売れば「辞めろ」ということになって角が立つし

次男のは新車なので、売るわけにはいかない。

そこで、一番古かった長男のダンプが選ばれたのだ。

ある日突然、乗り物を失った長男は

そのまま会社を去ってガソリンスタンドに転職した。


それから合併の運びとなったが

会社に残っていた次男が運転手のリーダーとなり

運転だけでなく、配車と営業をこなすようになった。

いつも兄貴に押さえつけられていた弟は活躍の舞台を与えられ

夜討ち朝駆けで、がむしゃらに働いていたものだ。

彼の業務日報に書かれた仕事の内容は壮絶なもので

私はそれを見るたびに胸が締め付けられた。


やがて合併して1年、長男がカムバック。

長男の不運に同情した本社が彼のダンプを発注しており

それが1年後にできあがったからである。


これで家族全員が揃ったね、良かった良かった…

では終わらない。

新しい会社では、次男の方が先輩ということになる。

弟というのは背伸びが好きなもので

帰還した兄に先輩風を吹かせる。

兄のいない間、死にものぐるいで会社を支えた自信が

弟を変えていた。


兄は当然気に入らず、生意気だと思う。

しかし兄の方が6才分、大人だった。

長男は、本社や河野常務が自分たち兄弟に抱くイメージを感知していた。

そのイメージとは、両親や祖父母を助けて懸命に働く仲良し兄弟。

自分が戻ったことで、一連の合併作業は終了したばかりだ。

しばらくの間は猫をかぶり、彼らのイメージを壊さない方が

お互いのためにいいと、長男にはわかっていたのだ。


兄からの逆襲が無いとなると、弟はますます絶好調。

若さに任せて仕事を取って来るのはいいが

燃料ばかり食ってダンプを傷める採算の合わない内容も多々あるため

兄は、ロスの少ない仕事を選べと言う。

弟は、文句があるなら自分が仕事を取って来いと腹を立てる。

この繰り返しが始まった。


家族で働くのは気楽な反面、遠慮が無いので

このような不穏が付いて回る。

よって我々夫婦は、兄弟のどちらかが

別の仕事に就いた方がいいと思っている。

しかしこうなってしまったんだから、今さら仕方がない。

いずれ厄介なことになると予測しつつ、眺めるにとどまっていた。


兄弟の火種は、数年に渡ってくすぶり続け

2年前、とうとう発火した。

原因はやはり仕事の内容だったが、理由は何でもよかった。

機が熟したとしか、言いようがない。

二人はある日を境に、一切口をきかなくなった。


以来、会社でも家でも距離を置き、仕事関係の会合や親戚の葬式など

二人で参加するところは片方だけが行く。

仕事の方は一人でやる職業なので、問題無いとはいえ

社員には気を遣わせてしまい、申し訳なく思う。


食事も別々になったので、私は忙しくなった。

加えて、どうしても兄弟の意思疎通が必要な時は伝言係をし

時にはお互いの悪口を聞かされる。

身を切られるような思いだが、これもバカな息子を育てておきながら

同じ会社へ入れたペナルティーだと思って耐えた。

仲直りをして欲しいなどと、無理を願うつもりは無い。

男二人の兄弟が一緒に働けば、いつかは必ず通る道。

こうなったら、どこまで続くか見届けようじゃないの。


しかし、そんなことはどうでもいい。

私が最も危惧したのは、藤村にエサを与えてしまうことだ。

兄弟の仲が悪い…

これは藤村にとって、絶好のスキャンダル。

ヤツが、これを利用しないわけがない。


藤村の立ち回りは、予想通りだった。

兄弟それぞれに、「兄貴がお前のことを悪く言っていた」

「弟がお前のことを悪く言っていた」

と、JAROもびっくりの嘘、大袈裟、まぎらわしい内容を

日々吹き込む。


そして本社には

「兄弟が決裂して、社員や取引先に迷惑をかけているが

自分が間に入って調整している」

と報告。

二割の事実に八割の嘘を混ぜ、見てきたように伝えるのは

アレらのお家芸だ。


兄弟の仲違いが、尾ひれ付きで本社に伝わったため

監督責任を問われた夫の立場は悪くなった。

兄弟喧嘩ぐらいで…と思うかもしれないが

落ち目の時は、些細なことでも責められるものだ。

夫の加齢を理由に、藤村が会社を牛耳るようになったのには

この兄弟喧嘩が無関係ではないと思っている。

ヤツにつけ込む隙を与えた我々にも、責任の一端はあるのだ。


兄弟の仲は修復されないまま、2年余りが経過した。

そして3月、F工業から次男に転職の話があった。

憎たらしい兄と働きたくない次男にとって、渡りに船。

どちらか一人が会社を去れば、兄弟仲は関係なくなるので

我々夫婦も転職を奨励した。


が、先にお話ししたように、次男の体調が今一つ。

退職の日程を決める段階になって、残念ながら断ることにした。

《続く》
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…それぞれの春続編・俺たちの春・1

2021年04月26日 09時45分56秒 | シリーズ・現場はいま…
先日、現場はいま…シリーズをひとまずの完結としたが

肝心なことをお話ししていない。

夫と次男の転職問題である。


出入りのチャーター業者F工業から次男の引き抜き話があり

ついでに夫も誘われたことは3月にお話しした。

次男はダンプ乗りとして、夫は責任者として迎えてくれるという。


とはいえ我々も一応は経営者の端くれなので、F工業の思惑は感知している。

ダンプ乗りは比較的集めやすいが、オペレーター人口は少ない。

即戦力の夫を責任者の地位で誘い、仕事をさせながら後進を育成させ

ヨボヨボになったらさようなら、という計画なのはわかっている。

F工業の社長と同じ立場であれば、我々も同じことを考えるだろう。

経営者とは、そういうものだ。


市外にあるF工業はこの転職話を機に

こちらの町への進出を検討していた。

「2人が来てくれたら、お宅を潰すつもりで勝負に出る」

社長ははっきりと言った。

藤村にメチャクチャにされた会社に未練は無いので

我々はそれを面白いと思った。

潤沢な資金力と商売のうまさで発展を続けるF工業の暴れっぷりを

見てみたいとも思う。

しかし勝負以前に、夫が抜けたら営業を続けるのは困難なので

勝敗は最初から決まっているようなもの。

社長も内心、そのつもりであろうことは明白だ。


ともあれ話が来てから、我々はしばし考えた。

年寄りの夫が社長の要望に応えられるかを始め

河野常務への恩義、社員のこと…。

真剣に悩む気は無い。

すっかり転職するつもりでいる次男が

先に行って味見をすれば、およそのことがわかるからだ。


で、結論から言うと転職はやめた。

夫が断ったのではない。

今月末で退職し、来月からF工業へ行く予定でいた次男が断った。

理由は体調不良。


というのも次男は昨年10月、仕事中に交通事故に遭った。

対向車線を走ってきた乗用車がセンターラインを越え

次男のダンプに衝突したのだ。

よくある老人のわき見運転で、過失割合は100対0。

幸いにも相手は無傷、次男にも外傷は無く

彼は自分の身体よりも、前面が大破したダンプを心配するのだった。


しかし日が経つにつれ、次男の首に違和感が…

これもやはり、よくあるケース。

万一を考え、人身事故の処理をしておいたのが不幸中の幸いであった。


首の痛みに加え、事故の衝撃で一時的に視力の異常が現れた次男は

しばらくの間、運転を控えて経過観察をすることになり

出勤と、通院のための欠勤を繰り返していた。

が、ここで張り切ったのが藤村。

人の不幸が嬉しいのもあるが

当時はまだ会社にいた神田さんの前で

ええカッコがしたい気持ちも存分に盛り込まれている。


「仮病だろう」

藤村はそう言って次男を責め

「運転ができないなら力仕事をしろ」

と命令するようになった。

彼の軽い頭には

事故で怠け癖のついた若者を立ち直らせる人生の先輩…

といった図が描かれているのだ。

次男はもとより、夫も激しく抗議して

藤村と一触即発の状況になったことが何度もある。

そうなると、ヤツはいつも逃げて姿を消した。


その一方で藤村は

「ヨシキの目は、もうダメです。

新しい運転手を募集しましょう」

と本社に報告。

仮病だの力仕事をしろだのと言われるより

弱った次男には、こっちの方が辛かったようだ。


やがて次男の目は回復し、今まで通り働けるようになったが

首のほうは今もまだ違和感があるらしい。

事故が起きた当初、まさか具合が悪くなるなんて

想像しなかったもんだから

すでに受けていた夜間の仕事に連続して出たのが

良くなかったのかもしれない。

というわけで、給料はいいけど仕事はハードであろうF工業に移り

バリバリ働けるかどうか、次男は改めて考えるようになった。


そもそも次男が今の会社を辞めようかと思い始めたきっかけは

彼のダンプの老朽化。

義父の会社だった時に無理をして購入したもので

10年を超えている。

義父は次男を可愛がっていたため、次男の希望を全て取り入れた

理想通りのダンプをあつらえてやり

次男はそれを宝物のように大切にしていた。


しかしダンプは古くなると修理代が高くなり

燃料代やオイル代もかさむようになる。

しかも昨年10月の事故によって、正真正銘の事故車となってしまった。

事故のダメージは修理できても、今後の長寿は期待できないばかりか

古傷が元で起こる不具合を調整するため

さらに修理代がかさむことが予測される。

経費をかけて古いダンプを維持するより

長い目で見れば新車を買った方が安くつく場合も多いので

本社は次男のダンプを売り払い、新車を買うと言い出した。


男の子を持つお母さんならわかるかもしれないが

男の子の中には、こだわりの強いタイプがいる。

新しいものより、愛着のあるものが大事なのだ。

次男もそのタイプで、今のダンプを手放すことに強い抵抗を示した。

このダンプと別れるぐらいなら

自分が借金でも何でもして買い取って、自営する…。


義父の会社を救ってもらった際に

彼のダンプの名義は本社に変更されていた。

辞めると言い出した裏切り者に、本社が「はい、そうですか」と

妥当な値段で売ってくれるとは思えない。

それに自営すると言ったって、今や金食い虫となったダンプを

自分の稼ぎだけで維持していくのは至難の技だ。


そのようなことを何の気なしにF工業の社長に話したところ

「値段がいくらでも、俺が買ってやる。

ダンプと一緒にうちへ来い」

と言われ、次男は目の前に道が拓けた思いだったという。


次男が今の会社を去ろうと思った理由は、もう一つある。

それは兄との不仲。

こやつらは2年余り前から、仲の悪い兄弟に変貌していた。

《続く》
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…それぞれの春・8

2021年04月24日 14時28分19秒 | シリーズ・現場はいま…
ヒロミが入社して数日間は、本社から入れ替わり立ち替わり

人がやってきた。

女性の運転手が入ったとなると、用事にかこつけて見物に来るのだ。

神田さんが入った時もそうだった。


一方、本社に押しかけて藤村のパワハラを訴えた園田君が入った時は

ほとんど来なかった。

男は見たくないらしい。

暇な人たちだ。

仕事せぇ。


ただ神田さんの時のように、あちこちの支社や支店からも

続々と見物客が来ることは無かった。

“自分のオンナ”を見せびらかしたい藤村が

来い、来いと呼んでいたのもあるが、そのうち訴訟問題が起きたため

藤村の子分を気取って足しげく訪れていた黒岩は

何かと冷遇されるようになっていた。

用も無いのに出入りすると、自分たちも危ないと思ったのだろう。


ヒロミの入社で何より良かったのは、藤村があまり来なくなったこと。

先日、夫に有休を取らせる策に失敗して以降

毎日来ていたのが1日おきになり、来ても早く帰るようになった。

もしもヒロミが女っぽくて、藤村の食指が動けば結果は違っただろうが

外見、内面ともに老けた少年状のヒロミは

ヤツの広大なストライクゾーンに入らなかった。

これで藤村は会社に通う目的を一つ、失ったようなものである。

彼女はそれだけで、いい仕事をしているのかもしれない。


ヒロミのいい仕事は、それだけではない。

去年の夏、藤村が実権を握った時に

事務所の壁に貼り付けた、ハングル文字の禁煙プレートを

覚えておいでだろうか。

いまいましいプレートを剥がしたいのは山々だが

剥がすとなると、壁にダメージが残るのは必然。

事務所は昨年の春、本社の出資で建て替えているので

まだ新しい壁を傷めるのは気が引ける。

必要以上に大きなプレートは目立つ位置にあり

剥がしてもポスターなどで隠しにくい部分なのだ。

藤村がわざと厄介な場所を選んで貼ったと思うと、憎たらしさ倍増だが

良策は浮かばないままズルズルと日が経っていた。


ところがヒロミ、このプレートに言及。

「私、ハングル見たら気分が悪くなる〜!」

在日の旦那から酷い目に遭わされ、姑に言ったらキムチを売らされたのだ。

ハングル文字に過敏な反応を示すのは、無理もない。


社員の精神衛生を守るという立派な理由を見つけた夫は

すぐさまプレートに手をかけた。

荒っぽい夫のやることなので壁の表面も一緒に剥がれ、無残な傷跡が残った。

が、なにしろ社員のためなんだから仕方がない…

そういうことにしようではないか。


実際の仕事でも、ヒロミは夫の役に立っている。

日に何台か、近くの工場へ納品する仕事があるのだが

危険物を扱う所なので、通用口を出入りするたびに手続きを行う。

男の運転手は、ひらすら走り続けるのを好むため

ダンプを降りたり上がったり、証明書を提出して係員と話したり

何か書いたりを面倒がるが、女はこういうことがあまり苦にならないものだ。

ヒロミも例外ではなく、嬉々として工場へ行く。

機嫌よくちょこまかと動き回るヒロミの存在は

夫にとって清涼剤の役割をしている。


クラッチは今のところ、無事。

入社早々に道路標識を1本、ミラーに引っ掛けて吹っ飛ばしたが

クラッチの方はまだだ。

思うに、これまで彼女が転々としてきた会社は

起伏の激しい山にあった。

しかしうちは、市街地に近い場所にある。

そしてヒロミの仕事は、女性の体力と技術を考慮して

近場の配達を中心にしているため、町なかの平坦な道路を走る。

そのためダンプに負荷がかかりにくく

焼けるには日数がかかるのかもしれない。


しかしヒロミは、確実に夫の役に立っている。

夫にとって良い社員とは

人より余計に走って売り上げを上げる社員ではない。

夫にストレスをかけない社員である。

その意味で、ヒロミは良い社員ということになる。

夫が楽なら、私はそれでいい。

クラッチなんぞナンボでも焼け!

そう思っている。


ヒロミが案外使えると判明した今日この頃

彼女より半月先輩のスガッちが浮き始めた。

重機を習得させ、夫の助手にする目的で雇い入れたはずが

一向に上達せず、今では重機に乗ろうともしない。

そのくせ口だけは達者でブツブツ言い通しなので、夫はうんざりしている。


重機をあきらめて雑用をさせることにした夫は

いつも自分が仕事の合間にやっている水撒きや敷地の整備を

一緒にやろうと言ったが、彼にはそれが不服らしく

「何で俺が?」

とふくれる始末。

大手ゼネコンのプライドが捨てきれないのだ。


はたで見るのは面白いが、こういう態度が大嫌いな夫は

内心ものすごく怒っている。

来年の契約更新は、無いだろう。


さて、ここにきて、藤村がなぜ解雇されなかったのかが判明。

認知症の母親の浪費が原因で

彼が本社から500万円の借り入れをしたのは、以前お話しした。

彼が稀代の大嘘つきとわかった今となっては

母親の認知症が眉唾なのはともかく

500万円を借りる際、本社は保証人を要求した。

彼は入社早々にも、幾ばくかのまとまった金を本社から借りていて

まだ返済の途中だったからである。


そこで保証人になったのが、藤村の直属上司である永井営業部長。

部下思いではない。

藤村に案内されたフィリピンパブで、骨抜きにされて久しい永井部長は

自分の恥を握る藤村の頼みをきくしかなかったのだ。


以後、毎月の給料から天引きで返済を続けている最中に

神田さんと園田君の事件があった。

通常ならクビは確定だが、借金はまだ残っている。

藤村が辞めると、残りの借金は永井部長にかかってくる。

藤村の解雇で困るのは、藤村本人よりも彼だった。


永井部長は40代で取締役に抜擢され、数年が経つ。

嘘と芝居で成り上がったロクでもないゲスだが

揃って70代の取締役の中では、若手のホープということになっている。

しかし彼は年令的に、マンションのローンと子供たちの学費が重なる時期。

藤村の借金を肩代わりする余裕は無い。

そのため、彼は全力で藤村をかばい続けた。


永井部長があまりにも必死なので、他の取締役も強行手段に出にくい。

藤村を解雇して永井を窮地に立たせるより

若い永井に責任を押し付けた方が得策…

取締役一同は、そう結論を出した。

古狸とは、そういうものさ。


それぞれの春のはずが、そろそろ初夏になりそうなので

一旦これにて終了させていただこう。

《完》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…それぞれの春・7

2021年04月22日 08時39分31秒 | シリーズ・現場はいま…
「3台…」

夫は絶句した。

田辺君の会社に入る前にも、あちこちの会社でやらかしているそうなので

ヒロミが焼いたクラッチは、合計すると二桁の大台に到達するかもしれない。


しかし我が社には、クラッチ焼けを回避する秘密兵器がある。

去年、藤村が神田さんのために新調したノークラッチダンプである。

これに乗せれば、初めからクラッチが無いんだから焼けることはない。

田辺君は、ヒロミをノークラッチダンプに乗せろと言いに来たのだった。


が、時すでに遅し。

夫も田辺君と同じことを考えてはいたものの

ヒロミがクラッチ名人だと知らずに入れたため

彼女はすでに、空いていたマニュアルダンプに乗っている。

ヒロミのダンプは、うちの息子たちが架装のアドバイスに関わったため

色や装備が派手な若向きで、元ヤンのヒロミは気に入っていた。


そしてノークラッチダンプには、佐藤君が乗っている。

ダンプのことを知らない藤村が注文し、本社が叩きまくって買ったので

清々しいほど地味で、必要な装備も付いてない。

しかしこれに乗ってさえいれば

パワー不足を理由に険しい現場へ行かなくて済むため

佐藤君はこのダンプを死守する構えである。


一旦与えたダンプを交換するというのは、この業界では難しい。

両者が納得づくならいいが、片方、あるいは両方が嫌がるとなると

無下に命令しにくい。

上役だの部下だの言ったって、実際にお金を稼ぎ出すのはダンプと運転手。

むやみに立ち入れない部分があるのだ。


ヒロミをノークラッチダンプに乗せる手は、もう一つある。

佐藤君を、以前いた支社に返すことだ。

休み癖が元で別の支社に飛ばされた佐藤君だが

神田さんが辞めて空いてしまったダンプに乗せるため

去年の暮れに藤村が呼び戻した。


しかし、いつの間にか藤村の手下となり

何かと社内をもませる佐藤君を夫が快く思わないのは当然だ。

佐藤君を返したいと何度か支社に話したが

向こうでも嫌われていたようで、いらないの一点張り。

とはいえ、支社が佐藤君を引き取ってくれた場合

こっちは運転手が一人減るので募集しなければならない。

また変なのが来てゴタゴタするのは困るので、様子を見ているところだった。


そんなわけで秘密兵器が使えないことを知ると

田辺君は夫に、ヒロミのトリセツを伝授した。

母親を風呂に入れるためという理由で頻繁に早退すること…

仕事が忙しくなると、これまた母親の風呂を理由に必ず休むこと…

人の手を借りなければ風呂に入れないとなると

要介護が付いてヘルパーが来るはずだが

介護保険を使わずに自分でやるからには

よほど風呂に入れるのがうまいのだろうという皮肉を込めて

ヒロミはクラッチ名人の他に、“風呂名人”と呼ばれていたこと…

母親の風呂を理由に早退や欠勤するのは、オトコと会うため…

そのオトコとは昔、義父の会社に勤めていた人の息子で

うちへ転職したのは、そのオトコの勧めによるもの…。


ちなみに、“昔、義父の会社に勤めていた人”とは

飲酒が原因で解雇したAさん。

30年近く前になるが、彼は運転手の仕事を転々としたあげく

50を過ぎて入社した。


不良がそのまま年取ったような渡世人崩れの人で

若い頃に義父と顔見知りだったことを全面に押し出していた。

自分が一番後輩でありながら、年下の社員や出入り業者に威張り散らし

義父の会社を我が物のように吹聴した。

知り合いを入れると、こうなるケースがままあるものだ。


しかし義父にとって最も重要な問題は、飲酒癖。

今までの仕事もそれでクビになったらしく

義父の会社に入ってからも、仕事中に飲んでいるという噂が付きまとった。

彼が入って2〜3年が経った頃

会社の冷蔵庫にビールを発見した義父は怒り狂い

その場でAさんを解雇。

彼はこの措置を恨んで、その後もしばらくゴタゴタした。


そのAさんは数年前に亡くなり、なぜか義父の墓の真ん前に眠っている。

遺族がたまたま、そこを買ったのだ。

きっとあの世でも、大喧嘩をしていると思う。


ともあれタチの悪い男の子供は、両極に分かれるものだ。

父親の人と成りを踏襲するか

あるいは母親の苦労を見て、父親とは正反対の善人に育つか。

ヒロミのオトコは、前者である。

彼女は相変わらず、いい男に巡り会えてないようだ。


ヒロミの男運の無さは、知っていた。

結婚した相手もそうだが、私と知り合った頃に勤めていた宅配会社でも

オトコ絡みのちょっとした出来事があったからだ。


離婚して間の無いヒロミは、同僚の妻子持ちと

頻繁にメール交換をするようになった。

一人になった心細さもあって、メールの内容が熱くなってきた頃

男の妻がそのメールを見たそうで

「女房が対決すると言い出した」

という内容のメールをヒロミに送り、男は絶交を告げた。


男に切られたことよりも、妻の怒りの方が怖いヒロミは

恐怖と後悔に打ちひしがれた。

当惑したミーヤに呼び出された私は、さめざめと泣くヒロミを慰めたものだ。

年かさの私は、こんなことで泣くヒロミを可愛らしいとすら思った。

しかし若いヒロミに、このショックは耐えられなかったようで

退職の運びとなったのだった。



話は戻って、田辺君。

「介護を持ち出すと同情されるから、味をしめたんだよ

慣れてくると絶対やるから、忙しくなったら気をつけて。

急に休んで仕事に穴開けられると、困るのはヒロシさんだから。

チャーターを呼ぶのに、例えば5台にするか6台にするか迷った時は

多めに呼んだ方がいいよ」

そして彼は、再びこう言って帰って行った。

「大丈夫、すぐ辞めるから」


田辺君からヒロミ情報を得た夫は、さして気にしない様子だったが

ヒロミのオトコがAさんの息子だという奇遇には驚いていた。

思い返せばAさんは、今の藤村と同じような傍若無人ぶりで

若かりし夫が、かなりのストレスを感じていたのは知っていた。

その記憶が蘇ったのだろう…今さらながら、初めて私に問う。

「あの子、どうなん?」


何でぇ、今さら…と思いつつ、私は答えた。

「仕事の方はともかく、明るくて愛想がいいけん

会社の雰囲気は良くなるよ。

あの子は面白いけん、あんたは気に入ると思うよ」


そしてその通り、夫はヒロミと相性が良かった。

例えば夫が、業務日報の書き方を教える。

「この欄に、現場を書いて」

真剣な面持ちで、日報に“現場”と書くヒロミ。

「バカたれ!納品先を書くんじゃ!」

「え〜?!」

「ちゃんと、場所を書け」

「了解!」

職場は明るくなった…多分。

《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする