めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

高齢者は国にとって厄介者!?

2016-06-04 14:47:37 | 高齢化社会

日本は、世界でもトップクラスの長寿国で知られています。
国を挙げての健康長寿政策が功を成しているのか、元気なお年寄りが
日本中に溢れています。
それ程にも高齢者が増えているとは思えなかったのですが、昼間の時間帯に
都内の公共機関を利用すると、その実態は驚くべきものです。
早朝と夕方の時間にはさほど感じないのですが、サラリーマンが会社で働く頃
公共機関は高齢者たちで一杯です。

シルバーシートに座る高齢者はもちろんですが、普通の席に肩を並べるのも

見るからにお年を召した方々ばかりです。
自分も他人ごとではないのですが、電車の中も駅のホームも、高齢者たちの姿が
何処を見ても目に飛び込んで来ます。

高齢者と言えど、沢山の人で溢れていると言う事は、正に都会の風景としては

当たり前の事なのですが、考えてみると、この人たちの多くは、生産性が有りません。
街で食事をする時も買い物をする時も、自らが働いた事に因る報酬により、
年金や貯蓄資金を使う事に因って生活をしている方が多いのです。

そして、その資金を生み出しているのが、労働者不足が案じられる若者達です。

自らの生活すら長引く不況により中々豊かにはならず、この膨大なる高齢者を
支えて行かなければならないのです。
はたして、この財政不足は、経済の低迷化、高齢者の増加が原因なのでしょうか。

自由主義社会の日本に於いて、人々は法の下に平等であり、誰もが同等に

社会的な保障を受けるべきなはずです。
しかし、今の日本社会は、本当に平等に人々は生きているのでしょうか。
特に、高齢者対策は、今の状態でいいのでしょうか。

高齢者が増えれば、国の負担、若者の負担が増えて、生活に苦しむ人が増えるとしたら

我が国に於いて、高齢者は、国の財政を食いつぶす厄介者と言えます。
つまり、高齢者が増えれば、苦しむ国民が増えると言う事です。
しかしながら、近代国家に於いて、高齢者や弱者を守ることが国の大切な役割であり
人々を幸せにする条件とも言えるはずです。
でも、守れば国の財政は貧窮し、国民の生活は苦しくなっていくこの現状を
これからも続けて行く意味が有るのでしょうか。

江戸時代以前には珍しくなかった姥捨て山の存在、口減らしの存在が、

家族の生活、国民の生活を守る手段になりかねないのです。
高齢者は、国にとっては、厄介者であると言うのが、本音なのかもしれません。
しかし、この事は、多くの高齢者が薄々感じている事でもあるのです。
自分達高齢者が生きている事が国の財政や家族の生活を圧迫している事を
感じながら生きているのです。

私達人間は、根本的に、生きる為に、誰かを生かしそして生かされると言う生活を

太古の昔から続けてきました。
この、人間同士が、御互いに思いやる事に因り、種を繋げ、文化を発展させ
地球の生物の頂点に君臨してきたのです。
いかなることも、誰かと関わり合って成されていて、その関係に於いて、御互いが
自分の存在価値を見出していたのです。

では、現代はどうでしょう。

人類の発展は留まることを知らず、便利で豊かな生活を送れるようになりました。
ネットを使えば、世界中から何でも手に入れられ、お金さえ出せば、何でも
手に入る世の中になったのです。
こんなにも幸せな生活はないはずです。
しかし、多くの人々の顔色は今一と言えます。

簡単に言えば、経済的に豊かに成れず、お金が足りないと言うのが普通の考えです。

でも、お金が手に入ったら、幸せになるのでしょうか。
現に、働かないで国からもお金が手に入り、医療も優遇され、至れり尽くせりの高齢者は
いつも恵比寿顔と思われるのに、そんな満足げな高齢者は滅多に見ません。
愛想良く作り笑いをする高齢者は、履いて捨てるほどいますが、

本当に心から幸せを感じている高齢者がどれほどいるでしょう。

当然、お金がもっとあったら幸せなのかと思いきや、差ほど心は高鳴りません。
しかし、国は、経済的援助と福祉を充実させることが高齢者の喜びと思っています。
実は、このいつまでも変わらない思い違いが、多くの高齢者を苦しめるのです。

何故、決まりとは言え、ある年齢に来ると、社会的に高齢者を追放するのでしょう。

確かに、体力的にも働きづらくなるかもしれませんが、それまで築いてきた、
多くの人々との関わり合いを断ち切られ、ただ、時間と金が有るだけの環境に
追い出されるのでしょう。

若い人に道を譲ると言うのは、労働者が溢れていた高度成長期には成り立つ事です。

しかし、今や、若い働き手すら減っているのが現状です。
動物は、死ぬ寸前まで、他の仲間たちと同等に生活を送ります。
しかし、このことにより、そのテリトリーでの存在意味が有るのです。

人間は、体力のみならず、様々なスキルを持って社会で生活しています。

そのため、長い時間社会に貢献できる様に成っているのです。
若かろうが年をとっていようが、人は、自分のこの世での存在価値理由が無いと
生きている意味を失ってしまうのです。
例え、有り余る自由な時間とお金が有っても、この世に必要とされない事が一番辛く
会社に於いても家庭に於いても、一番切実な事と言えるのです。

誰も、死ぬまで働けと言うのでは有りません。

働きたいと言う人を、サポートする事が大切と言えるのです。
若い頃よりも生産性は落ちるにしても、少なからず社会の役に立っている事が
高齢者にとって生甲斐と成ることも多いのです。
一律に社会生活から首を切り、経済的に安定した生活を与えるだけで幸せとは言えず、
ただ、人生の末路を歩くだけの毎日が楽しい筈はないのです。

銀座を歩くと、経済的に豊かで、煌びやかで高価な衣類をまとった高齢者を見かけます。

しかし、ベトナムの田舎の三世代農家の長老程の笑顔をした日本人には会った事が
有りません。表向きの取り繕った笑顔は、経済的に満たされていると言うだけの顔で
日本の高齢者が心の底から幸せでない事を伺わせます。
折から、ペットの数が子供の数を超えるようになったと言います。
高齢者のみならず、自分の存在価値を認めてくれるのは、人よりもペットと言いたくなる
日本社会が本当の福祉国家として世界に胸を張る日はいったいいつの事と成るのでしょう。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿