めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

何処に向かうのか日本人は!

2016-06-06 17:01:40 | 政治

はたして、私達日本人は、経済的に豊かに成れば
本当に幸せに成れるのでしょうか。
不況だから、所得が低いから、私達は不幸なのでしょうか。
様々な経済復興計画が作られるも、これと言って効果も無く
今だ日本は、あらゆる分野に於いて人々の苦しみは絶えず
心の底から晴れ晴れとした日本人はいないと言っても良いと
思われます。

所得が伸びず、生活が豊かに成らないから、日本中の人々が
苦しんでいる。
経済的に豊かに成れば、皆が喜んでくれると思っているのは、
自分の事しか考えられない、日本丸の船長と船員だけです。

この事は、戦後、どん底まで落ちた日本社会が、高度経済成長により
世界でも有数の近代国家に成ってたことが、日本人の幸せになったと
いまだに想っている人たちの幻想に過ぎません。

日本は経済成長で、国民所得は大幅にアップし、欧米並みの生活が
手に入って、本当に、日本人は、幸せになったのでしょうか。
沢山の物を手に入れ、便利な生活を求めた結果、どれ程多くの
日本の宝を失ってしまったか、見る事も感じる事も出来なくなった人が
ただ日本中に増えただけに過ぎません。

人々の暮らしは豊かに成っても、心はすさみ、苦しみ、安心できない
未来を感じられない国民がどれ程増えたでしょう。
人と競い、御互いの欲を戦わせる資本主義社会に、どれ程多くの国民が
苦しみ、傷付いてきたか、物の価値しか解からなくなった人々には
感じられないのは当然かもしれませんが、見た目の日本しか価値を
見出せない社会は、人々を幸せにする事は不可能と言えるのです。

高度成長期で、どれ程富を得ても、止まることを知らず、更なる欲を
戦わせる事により、日本の自然も日本人そのものも、疲れ果て
傷付いている事を知らなければなりません。
その失敗に今だ気が付かず、更なる経済成長が日本人を幸せにすると
考えているのは、一部の独占的な利潤を上げようとしている人々であり
本当の日本の未来を考えず、自分たちの事しか考えられない
人々に過ぎません。

今や、ネットの発達やメディアの発達により、多くの国民は、一日中、
世の中のコマーシャリズムにさらされ、いつの間にかに、自分たちの
幸せを吸い取られる生活を強いられています。
国民全体が幸せになると言うより、世の中を牛耳っている人々の
幸せを生む為に生かされていると言っても過言では有りません。

洗脳的コマーシャルは、地元産業を停滞させ、全ての物流を
特定企業中心に作り変える事に因り、ますます生活の二極化を生み
苦しむ人々を増しています。
何故、日本中の自然はいまだ復活せず、海も川も汚れたままなのか。
私達が身近に感じる大自然を復活させても、彼らには何の得にもならず、
食料も環境も、必要と成れれば、いくらでも世界中から手に入るからなのです。

企業を大きくしたり、工場を増設する資金は糸目は付けずとも
海や川を綺麗にするといった、収益に繋がらない事には関心が無いのです。
その最たるものが高度成長期の公害でもあったのです。
自由主義社会とは、誰もが自由になんでも出来、何でも手に入れられると
考えられがちですが、ほとんどの場合、独占的に、社会が作り変えられ
多くの人々がその底辺で苦しむのが常道とも言えます。

今の日本の社会で、不況と言えるのは、多くの一般国民の場合だけです。
バブルの頃よりも遥かに成長している企業はいくらでも有ります。
しかし、ネットにもマスコミにも、決してその事実は表ざたには成りません。
何故なら、多くのスポンサーがそれらの企業だからなのです。

不況だと言うのを常に前面に出していなければ、多くの国民の怒りを買い
政権すら安穏としていられないからです。
テレビで流れる情報は、正しい事が流れているとは言えないのです。
いかなる番組も、スポンサーの顔色一つでその未来が決まってしまいます。
つまり公共の電波も、一部の人々に利用されているに過ぎないのです。

私達日本人が、本当に礼儀正しく優しく思いやりが有る国民である為には
今の一部の人々に都合のいいように作られた社会が、本当に
国民一人1人を幸せにする様に変わらない限りありえないのです。

海外の方々から高く評価される日本人の人間性は、本来は誰でも自然に
心の底から現れていたのですが、現代日本に於いては、表向きに
取り繕って見せているに過ぎないのです。
そう、日本中の街や川海が、外見的に美しく作られているだけであって、
本当の生き物たちが溢れる大自然とは程遠い、見てくれの自然であることを
私達日本人も、海外の方々も知ることが大切です。

日本人が、いつから心の中を偽り、表向きの社会を作るようになったか
多くの人々が、本心から言葉を語り態度に示せない、いつも人目を気にする
寂しい国民に成ってしまったのか、もう一度考える必要が有ります。

今や日本人は、他人よりもより所得が高く、見た目が上回った生活をしていると
安心する民族と成ってしまいました。
しかも、その生活基準は、連日流れるメディアの情報で決められ、誰もが
その基準を目的としている為、非常に扱いやすい国民に成っているのです。

私達一人1人が、本当に幸せが何なのかを考える国民になったとき、
本当の幸せがやって来るのです。
自分の心の中も、他人の心の中も感じられない国民が、幸せになるはずが
有りません。

世界の武器商人は、人の幸せより、悲しみ怒りが、そして戦争が大好きです。
多くの武器が世界中の人々を傷つけていても、自分たちが幸せになる為に
武器を作り続けています。
人を幸せにすると思っている多くの企業人たちも、自分たちの行いが
多くの人々を苦しめている事に気が付きません。
お腹が満腹になっても、便利な道具がいくら手に入っても、人々の心は
決して幸せにはならないのです。
しかし、お腹が膨れる事、物を多く持つことが幸せと感じさせる事は、
一方的な考え方であり、心を成長させたり満足させることは有りあません。

人の幸せは、一人1人の心が他人の気持ちで癒されるとき感じるものであり
その幸せは、個人的に癒しが与えられて初めて感じるものです。
この感覚は、一人1人違っていて、同じもので代償されるものでは有りません。
大自然を感じる時も、一人1人全く異なるものであり、人工的に作られた偽物で
本当には癒されることは無いのです。

本当に幸せな人は、物や道具が幸せを生むとは考えていません。
増して、生活が便利で豊かに成ることが幸せとは思っていません。
何故なら、彼らの幸せ基準は、心にあるからなのです。
人と人が、御互いの心の有り方を持って幸せを感じるからです。

特に日本人は、太古の昔から、大自然と共に生き、日本人独特の心を
育ててきました。
桜の花が咲いただけで、ただ美しいと言うだけでなく、心の中に様々な思いが
湧き上り、自分の生きている喜びを桜の花に感じる事が出来るのです。
この気持ちは、あらゆる植物動物に対して感じる事が知られていて、
西洋人に単に騒音としか感じられない虫の音を、快い秋の調べに感じる事からも
いかに日本人が、大自然と共に育ってきたかが解ります。

日本人の喜びが、単に自分の欲を満たす事でなく、万物との繋がりを感じる事で
客観的に生まれていた事からも、単に私欲を満たす事を求める現代社会に
誰もが違和感を感じ、ますます、感情を解放できなくなっているのです。
にも拘らず、単に、経済的に豊かに成れば日本人が満足し喜ぶと考えるのは
どれ程短絡で軽薄な考えであると言えるのです。

今やこの世は偽物ばかり、本物を感じる五感を封印され、だだ、目先の欲望に
囚われて国民ばかりを増やす様では、日本の将来もおぼつきません。
日本人が日本人である為に、本当に大切な事は何なのか。
この事を考え実行できるリーダーが、国民を本当に幸せに導くと言えるのです。

 



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