めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

小池東京都知事は、独裁者か天使か

2017-09-28 16:51:37 | 東京

今や、日本国民を地獄に落とす核ミサイルより、政界の勢力闘争の方が
ずっと大切な様で、多くの議員さんは、自分の選挙区に奔走しています。
数々の不祥事や疑惑行動、失言暴言と、全く信用ならない自民党と、
日本を支えるには余りにも軟弱な野党の面々に、日本国民は、誰を選ぶ
と言うより、未来を彼らに任せる事に対する不信感の方がはるかに強いのです。
そんな中で、東京都議会から都知事を中心とした希望の党は、これまでの
政党に比べ、様々なしがらみがない事も有って、国民からの期待を得やすく
都政のみならず、国政に対しても強い影響力を示しています。

いつの時代にも、在来勢力に対して、新たに脚光を浴びて登場した勢力に
国民が期待する事は多く、それまで、期待外れの政治家に落胆し続けた
多くの国民は、期待感を持ってその登場に未来を託したくなるのです。
確かに、都民の意見を多く取り入れようとする政策や、国民が最も求める
国民を幸せにする方向に政治を推し進めようとする考え方は、多くの人々の
共感と期待感を生む事になります。


しかし、この勢いは、都政から国政へと広がる事に依って、ややもすると、
この新政党が、日本を代表する政党と成るかの懸念も有り、都政と国政を
股にかけての活動に、不安を感じたり、揶揄したりする在来政党の議員も
少なくありません。
確かに、ただでさえ激務と言える東京都知事の役職に在って、さらに
国政に関わって行くと言う事は、素人目にも、難しいのではと思ってしまいます。


とは言うものの、政治は、単に頭数を揃えたり、ベテラン議員を揃えれば良いと
いうものでは無く、国民の為に、しっかりと仕事が出来るかが一番なのです。
権力に胡坐をかいていたり、地位を利用して私欲にうつつを抜かしている様では
税金の無駄遣いでしか有りません。
現に、これまで、世界では、多くの独裁国家が生まれていて、そのリーダーは
国政の殆どを牛耳っている事も珍しくないのです。
能力さえあれば、都政と国政の兼任で有っても、何の不思議もないのです。


ただ、問題は、その二つの地位を利用して、どれだけ国民の為に具体的な仕事を
成し遂げる事が出来るかと言う事です。
立派な肩書を持ち、政治に精通していても、ただ、がん首を並べて、内輪揉めを
しているだけの名前だけの議員がいかに多いか、一体国民に対して何をしたいのか
税金泥棒と言われても仕方がない議員が少なくないのが問題です。
一人で沢山の事を兼任したとしても、その事で、国民がより豊かで幸せな生活を
得られるとなれば、諸手を挙げて大歓迎なのです。


ともかく、今の議員たちが、あれだけの頭数を持って、何も具体的に国民を
幸せにする政策が打ち出せないのが情けないのです。
豊かな人達をより豊かにする政策は有れど、多くの国民の生活を豊かにする
政策は殆ど見られず、ただ、国会運営の為の、内輪の実の無い話し合いに多くの
時間とお金を使っている事が多いのです。
自分達の地位を守るためのノルマの様な活動は多く見られても、国民全体が
笑顔になる様な政策は皆無であり、殆どの場合、より生活を苦しめる様な
法案ばかりがとりあげられることに、殆どの国民が不満を募らせています。

しかしながら、国民の生活を豊かにすると言う議員の後ろには、巨大なスポンサーが
いる事が知られていて、政治家は、企業家や富裕層の生活を守るために有ると言っても
過言ではないと言われても仕方が有りません。
国民の為に政治家と成ったと言う方も居ますが、いつの間にか、私欲を満たすために
自分の地位や身分を利用している方も多く、その一部が、時折マスコミに登場し
三面記事を賑わせているのです。

この事は、どんなに潔白を訴えようと、過去の歴史を見ても、政治家の不祥事が
見つからない年は無い事から見ても解ります。
つまり、政治家は、決して、聖人君主の様な人達ではなく、ごく普通の
自分の欲望の為に生きている人たちと変わらないのです。
問題は、地位や権力を持った途端、その欲望が全面的に出てしまい、
余りにも幼稚で救い難い事件を起こしてしまうのです。

私たち国民は、過度に、期待し過ぎるのかも知れません。
日本の政治家は、国民全体の事を考えられるほど器の大きな人はいないのです。
期待した事が出来ると信じているから、大した仕事も出来ず、つまらない
事件を起こしたり、失言暴言をすると、苛立ちを感じてしまうのです。
選挙演説で述べる私達の期待感を煽るようなマニュフェストや演出行動は、
全て、彼らの当選後の欲望を満たすためのプロローグであると考えれば、
どんな不祥事が有っても、どんな発言をしても、腹立たしくは成らないのです。

しかしながら、問題は、選挙をするにも莫大なる税金が使われ、更にはその間
国会審議は滞り、たとえ有事と成っても、本当に対応できるか疑わしいのです。
国民の命が危ぶまれる時、一体誰が守ってくれるのでしょうか。
選挙活動以上の熱意をもって、私達を守ろうとする議員がどれだけいるでしょう。
やっぱり、想定外として、逃げ口上で国民を煙に巻くのでしょうか。

今や問題は、日本国民が、安心して生きて行ける社会が無くなってしまっている事です。
衣食住を、何の心配なく一生心配しないでいられる日本は、考えられないのです。
殆どの国民が、その日だけでなく、未来への明るい展望を抱くことが出来なく成って
いるのです。
自分を守る経済力を有している国民の数は少なく、働けど働けど楽にならない
今の日本の社会のシステムは、豊かな人はより豊かに、貧しい人はより貧しくと言う
欲望で成り上がった人たちの作り上げた格差社会が現実なのです。
しかし、そんな社会は、多くの国民にとって幸せな社会でない事は明らかです。

人の気持ちは、格差に対する妬み怒りと成って次第に社会の荒廃に繋がります。
現在、世界中で頻発する内戦やテロは、この格差社会の象徴ともいえるのです。
日本においても、いつ何時、テロが起こるかも知れないのです。
これは、海外の組織によると言うより、日本人から生まれたテロリストが日本社会を
震撼させるかも知れません。
一部の思想家や宗教組織、暴力団体等が起こすのではなく、ごく一般の日本国民が
巨大な組織と成って、日本の現社会構造を否定するかも知れません。
それ程にも、日本人の心には、ストレスが溜まってきているのです。

政治に関心を持たない人々が増えているのは、興味が無いからと言うより、
今の政治が、自分にとって何のメリットも無いからと言うのが多いのです。
しかし、近頃は、何のメリットもない政治家の政策で、若者達や
無関心な人達の生活を脅かしている事が問題なのです。
彼らの生きる場が狭められ、様々な場で、生活を圧迫する法案で苦しむ人が
怒りを一段と高めているのです。
学生に限らず、社会人であっても、生活するだけでなく、仕事も学業も思い通りに
進んでいかない事に、不満が更に高まっているのです。
この社会不安を、どのような形に変えて行くかで、国の未来が決まります。

様々な社会不安を利用して台頭してきたのが、ヒットラー、ムッソリーニと言った
独裁者たちです。
国民の不安を利用し、自分が考える独裁政治を創り上げたのです。
この危険性は、世界中どこの国にもあり、例え日本であっても、国民の不安を
自分の野心に利用する政治家が出て来ないとも限らず、しかも、今の様な
政界不振が高まっている時代は、簡単に、独裁者に洗脳される可能性が高いのです。

東京都都知事の小池さんも、その人気の底辺には、都政に対する東京都民の不満があり
現自民党政権に対する不満も有るのです。
その不満を解消すべく、更には、国民のメリットとなるべく政策を掲げる事に依り
日に日にその人気は高まり、その期待感は、しだいに膨張して来たのです。
しかし、悩める国民の期待感は、知事の能力を遥かに超えた事に対しても、簡単に
妄信し、能力以上の存在として認めてしまうのです。この心理を、どの方向に向けるかが、
来るべきリーダーの役割といえるのです。

人々の不安と言うのは、社会不安と成って、国を動かすほどの力と成ります。
この不安を解消する方策を打ち出し、国民の支持を得てリーダーと成れば、
最も有能な権力者となれるのです。

現勢力は、国民の力を支えとして政権を担っているのではなく、自分達を支える
企業家や富裕層の支持を持って権力の座についている事から、国民との間に
多くの軋轢を生み、政治家としては、相応しくない行動言動暴言を繰り返すのです。
どんな政策を掲げようと、それは、すべからく自分達と一部の富裕層を満たす
一方的な考えである為、一向に国民の生活は豊かにならないのです。
もし、本気で国民の事を考えているなら、遥か昔に国民生活は豊かと成り、
今の様な厳しい社会とはなっていないのです。

何のしがらみも無い政治組織というものは、あらゆる活動に於いて、
常に予算不足であり、大きな事業をしようとしても、中々計画を立て辛く
単なる理想論に終わってしまう事が多いのです。
その為、絶対的に、国民の力が必要とされるのです。
絶対的な数によって支えられる組織は強く、国全体の道も決められるのです。
今や小池新体制の矛先は、日本を変えられる可能性が有る程なのです。

もし、今の滞った社会が改善され、国民生活が向上するとなれば、

戦後政治に於ける最も有能な政治家と称されるでしょう。
そんな期待が、国民の中に広がっているのです。
しかし、この兆候を手放しで喜んでは成りません。
この国民から得られる巨大権力を、如何に使うかで、恐怖の独裁者にも
天使にもなり得るのです。
世界の独裁者たちの多くは、この権力を自分の欲望の為に使い、沢山の
人々を地獄に叩き落しました。

政治不安、社会不安と成った時、人々は、新たなる力を求めます。

その期待に応えるかの様に、新たに生まれた力は、人々にとって
希望の未来を約束します。
しかし、その未来が、いつの間にか、独裁者の思いに繋がって、
国民の思いとは程遠い事と成る事も多いのです。
今回、生まれた新たなる力が、日本国民にとって希望の光になる様、
国民一人一人がしっかりと見極めて行く事が大切です。



 

 

 

 

 

 



 

 

 

 


 



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