めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

何故、失言暴言を悪びれないのか

2017-06-29 16:07:26 | 日本人

組織が崩れて行くときは、末端と言わず、本陣から
中核から次々にほころびが大きくなって行くものです。
例え飛ぶ鳥を落とす勢いと言われてデビューしても、
月日が経つにつれ、その勢いは萎え、様々な問題点が
噴出して来るのが常と言えます。

敵対する側からすれば、この時とばかりに攻撃を加え
隙あらばリーダーを引きずり降ろそうとするのですが、
長きに渡ってテリトリーを拡大し、主権を担って来た
人達にとって、少しでもその地位を守らんと、必至になり
ほころびをなおそうとするのですが、その行為すら逆に
崩れ行く姿を誇張し、崩壊を止めるのは難しいです。

しかしながら、鼻息荒く落城を願う側にしても、
本陣を陥落させた後、如何に自分達が現政権に代わって
国民生活を豊かに幸せに出来るか、具体的な方策が
ハッキリとしていない事が問題です。
国会答弁で浴びさせる口汚いあじ罵声の様に、ただその時の
口先だけの政策で有ってはならないのです。

これまでも、様々な問題を抱えた政権が倒されて、新政権に
代わって行きましたが、当初の新鮮さの有る勢いも、
いつの間にか、大人しく、何の実績も上げられず、国民の
心の中から消えてしまった場合も多々あります。

どちらかと言えば、常に国民の期待に応えられず、政治家として
自分の地位と名誉を守るための仕事しかしてこれなかった議員が
如何に多く、更には、より私欲を満たすために、国民に背を向け
甘い蜜を舐めて来た議員も多いのです。

しかし、この事を正せば、誰もが言い訳の所作であり、
黒を白と言い放ち、更には、黒を指摘されれば、自分達の
言い分が理解されないから、異を唱える側も黒くなれば良いと
本末転倒の駄駄をこねる政治家も出て来る始末です。

政治家と言うのは、より公正で国民の意を反映する為に
間違いに対しては毅然とその非を申し立てるのですが、
おのれの間違いに対する言い訳や間違いを指摘されても
あらゆる言い訳を並べるだけでは、すでに、政治家と言うより
国民の代表として、公的立場を貫く事は無意味と思われます。

それにしても、戦後の日本人は、例え日本を代表する方々と成っても
己の信を貫き、最後まで、国民の側に顔を向け続ける、国民の幸せを
考え通す政治家に成れないのでしょう。
自分の地位を得る為には、媚び諂い、気持ちが悪い程満面の笑みで
近寄って来るのに、ひとたび、赤い絨毯の上を歩くと、あたかも
自分が万能の神になったかのように国民には背を向け横柄な態度で、
私欲を満たしてくれる支援者に対しては満面の笑みで尻尾を振る、
こんな政治家がどれ程多いか、メディアで取り上げられる、
腹立たしい政治家が、決して特殊な人たちでない事が
一国民として、非常に残念でなりません。

この毎年繰り返される猿芝居は、政治家が悪いというよりも
やはり日本社会の特質が生み出す悪癖と言わざるを得ません。
人が人を育てる事を見失い、社会に合わせて人を創り上げる
社会にとって都合の良い人間を育て上げる事の弊害が
日本社会の様々な分野に於いて問題を生んでいると思われます。

家庭における人間関係、学校における人間関係、そして社会に出て
大人の社会人と成ってからの人間関係に共通する、人間としての
未熟さと、それを黙認する社会の甘さが、今だ、日本社会が
人々の心を癒し幸せとするものではない原因と成っているのです。

子供たちは正義に対する信念よりも、より便利で豊かな生活を求め
心の基準が、社会的な経済力や地位名誉と成って、人から見て
如何に優位に立てるかを求める様になっています。
その為、周囲の人達の気持ちに疎く、更には、自分の本心に対し
深く信を求める事が無い為、何事も刹那的な欲望で安易に満たし
いつまで絶っても満たされない心で、欲求不満が募ります。

この事は、どんなに地位が上がっても名誉や優れた学力が有っても
人の心も自分の本心すらも解らない人間と成ってしまいます。
その為、自分の行動や発言が、計算の下で行われる時は、
社会的に認められる万民が求める様に振る舞うものの、
いざ、自分の欲求が満たされないと、突然豹変して、周囲の他人や
関係者達を困らせたり傷つけたりするのです。

しかし、現代社会は、この手の方が増えていると言えます。
問題は、どんなに優れた能力が有っても、高い地位や学歴が有っても
この手の欲求不満に満ちた方が居て、社会的には人も羨む地位や生活を
成していても、人の心と深く関わってこなかった為、自分の心が
人の心で育つ機会が少なく、更には、高い地位に居る事で、誰も
非を唱える方に恵まれず、心は、我儘な餓鬼の子供のままであることが
本人のみならず、その下で働く人や家族にとっては不幸と成るのです。

この事が、政治家の様に、国民の代表と成るような地位を得た方であると
この不幸は、見るも哀れな、人間としてのバランスを欠いたものとして
公に晒されるのです。
多くの政治家の失言、悪口、悪態は、彼らの考えからと言いう訳でなく
長い間野放しになった、満たされない心と、周囲の人から育っていない心が
大きな原因と言え、国の代表と成るような方々に於いては致命傷と言えます。
彼らは、自分の地位や名誉、更には我欲を満たすための弁舌は天才的ですが
甘い幼い心は、欲求不満と成ると途端に頭をもたげ、その地位に相応しくない
言葉や行動と成ってしまうのです。

社会的に素晴らしい学歴や地位、名誉と言ったものは、一般の人にとっては

簡単には手に入れられないものです。
しかし、人としての心の豊かさ、更には、他人に対する労り慈しみは
その地位や名誉を遥かに凌いでいなければなりません。
外見的な社会的な見てくれの素晴らしさを自分の価値としてしまうと、
時に人間としての関わり合いの大切さを見失ってしまいます。

今の日本社会は、人の価値を、人間としての心の尺度で計れない社会です。

この人の心は、いつも曖昧であり、同じ人であっても日々変わるのが
当たり前であり、常にお互い心を開き合っていなければわかりません。
しかし、その心は、お互いにいつも楽しい事ばかりでは無く、喜怒哀楽が
常に伴うものです。

その為、どの様に対処したらいいかというハウツウは存在していなくて

日々その都度感じる事から始まります。
この人間的な行為は、とても面倒くさくて、時に、全く利益を成すことも無く
かえって苦しむ事すらあります。
しかし、そうしながら、人は、様々な人の心を知り、大人に成長して行きます。

所が、その面倒な人間的行為を無視して、経済的な損得で社会が成長した事が

様々な問題を生む事と成っているのです。
国会の問題児たちも、優れた教育を受け、地位や名誉を得たとしても、
それに似あった、心を育てなかったことが最大の問題なのです。

特に、政治家として、国民の代表となったからには、常に、国民の心が

理解できていないとなりません。
国民の身近にいて、私達の苦しみ悲しみを理解し、国民が幸せになる様に
地位と権力を利用しなければならないのです。
所が、外見的に立派な人たちに、この人の気持ちを理解する力が無く
また、人を蹴落とす技は身に付けても、人を生かす気持ちを育てて来なかった
私達の代表がとても多いのです。

地位や名誉が自分の偉さや価値と勘違いし、常に上から目線で国民を見下ろし

自らは、私欲を満たしてくれる人に笑顔を振りまくと言うのが、政治家の本質
と思える程、近年の政治家たちの質は落ちているのです。
国のリーダーやその側近、更には、大臣から一般の政治家まで、数えれば
切が無い程の失言や暴言は、彼らが、国民を欺いて行っているのでは無くて、
彼らにとっては、子供の本心の様なもので、何の不思議もないのです。
その為、何で自分達が咎められるのかと、理解不能と言った表情をするのは
単にパフォーマンスではなく、そうやって、人の事を考えないで育って来た
証ともいえるのです。

私たち国民は、彼らの無能さ常識の無さ、考えの無さを腹立たしく思いますが、
それは、少なからず、日本国民が、どの様に育っているかの象徴でもあるのです。
たまたま地位の有る仕事をしていて、マスコミに晒されているのですが、
彼らの実態は、多くの日本を動かしている一般企業の方々と変わりません。
やはり、同じように経済優先の、地位名誉しか人の価値観を感じられないで
育って来た人が多くいるのです。

たまたま、学力が無かったり、環境に恵まれなくて、一般の職務についている
国民は多いのですが、その環境に於いて、同じように、周りの人達に
暴言を吐いたり、失言をしたり、傷つけたりしている人は多いのです。
つまり、日本社会は、人と人が何を持って繋がり、何を持って幸せと成るかが
解っていない集団でもあるのです。

世界でトップクラスの学業成績を持ってしても、人と人との繋がりに弱く

簡単に人を傷つけてしまう事が多いのです。
その為、成長過程で、多くの人間的トラブルを抱え、心が病んでしまう子供も多く
社会的に立派な地位について多くの所得を得る人もいれば、心を閉ざし、社会から
背を向けてしまう人も多くなっているのです。

私達日本人は、戦後、何でも手に入れられる様になりました。

しかし、その反面、日本人としての大切な心の成長を失ってしまいました。
経済的に苦しい多くの国民も、何不自由なく生活できる富裕層の人達も
いつも欲求不満で、何かを求め、イラつき、満足出来ないのが今の日本人と言えます。
本当の幸せは、自分の心に有り、その心は、人との関わり合いで育つことを
家庭の中でも、学校教育の中でも、更には、社会に出てからも、心の道標の様に
大切に抱き続ける事が、いつも満足できる幸せな生活が出来る術と言えます。

 

 

 

 

 

 


 

 

 



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